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この日、大阪の守口にある古民家風の「来迎カレーの店 うペぽ」に集まってきたのは、小学生から大学生までの6人。神戸大学附属中等教育学校の国語教員である中川雅道さんは、休日を利用して毎月子ども哲学のイベントを開催しています。(イベント開催予定はこちらよりご覧いただけます)
子ども哲学とは、p4c(philosophy for children)とも言われ、日常で感じる問いを出し合い、お互いの意見を聞き合いながら考えを深めていく活動です。
対話をするときに使うのは、毛糸でできたコミュニティボール。発言者はボールを持ち、ボールを持っていない人は話を聞きます。安心して話せる場をつくるためには、欠かせない道具です。
中川さんは、大学時代から哲学対話についての研究を重ね、現在は学校の授業でも哲学対話を取り入れています。
ーー 授業の中では、哲学対話をどのように取り入れていますか?
現代文の授業だと、4〜6回に1回くらいは哲学対話をしています。本当は、毎回対話の時間にしたいくらいなのですが(笑)私が面白いなと思った文章を持ってきて、生徒たちに読んでもらった上で、問いを出し合って対話することが多いですね。道徳や総合的な探究の時間はもちろん、他の教科でも哲学対話を取り入れることが出来ます。
ーー 学校の授業だと、40人くらいで対話をすることもありますよね。人数が多いことによる、大変さはないのでしょうか?
実際にやってみると、人数が多いことによる大変さは意外とないんですよね。恐らく、先生としては発言していない生徒がいることが気になるんだと思います。
もちろん人数が少ない方が一人ひとりが発言できる時間は長くなりますが、たくさんしゃべっているからと言って、じっくり考えているとは限りません。あまり発言していなくても、もしかしたら深く思考しているかもしれない。なので、「人数が多いと大変で、少ないとやりやすいのか?」と聞かれると、微妙なところだと思います。
ーー 授業で哲学対話をするときは、どのようなことを意識していますか?
私の場合は、生徒と一緒に自分が楽しんでしまっているかもしれません(笑)生徒たちから出る問いに、純粋に興味があるんです。問いやそれぞれの意見に集中して耳を傾けています。
ーー 哲学対話の場づくりが成功したと感じるのは、どんなときですか?
終わった後に、生徒から「面白かった」と言ってもらえたときかなと思います。休み時間に生徒同士で哲学的な対話をしているのを見かけたりすると嬉しいですね。話の内容が気になってしまって、私も対話に加わってしまいます(笑)
そもそも哲学対話の場づくりに成功や失敗はないのかもしれないなとも思っています。自分では失敗したと思っても、生徒は楽しんでいたかもしれないですし。
一方で、いわゆる通常の授業は成功や失敗を判断できるように設計してあるような気がします。先生が枠組みをつくって、生徒がこう変化したらいい、みたいな。それがなくなるのが、哲学対話なんだと思います。
ーー 哲学対話の場づくりを続けてきて、ご自身で変化したなと感じることはありますか?
以前、大学院時代の後輩から「どんどん中川さんになっていますね」と言われました(笑)
ーー それは、どういう意味なのでしょう?
人って、言いたいことがあっても、相手を見て発言や行動を躊躇してしまうことってあるじゃないですか。それが段々となくなっていきました。「あ、これ言いたいな」とか「今こう考えてるからこうしたいな」と思ったら、自然に行動に移せるようになりました。「これを言ったら攻撃されるかもしれない」とか、そういう怖さが少しずつ消えていったんです。
対話の場でも「上手く進行しないといけない」とか「先生だからこう言わないと」とか、最初は少し思ってたのですが、今はないですね。思ってもないことは言いません。言ったとしても、誰の心も動かないんですよ。
大切なのは、上手く進めようとするよりも、自分が面白がることなんですよね。先生自身が「面白い!」と思えていると、結果として対話の場が上手く進んでいくような感じがします。
ーー 授業の中で哲学対話を取り入れたいときに、最初にできることは何でしょうか?
学校以外の場でも、近くでやってる人がいないか探してみてください。哲学カフェは、割といろんなところで開催されています。
いきなり授業でやるのは難しさがあると思うので、まずはそこに行って対話の場に参加してみるといいと思います。相談を受けてくれる人も結構いると思いますよ。
ーー 中川さんにとって、学校で哲学対話の場をつくる価値とはなんでしょうか。
それぞれが「学校はこういう場所だ」と思っている“内面化された学校”を変化させていくことだと思っています。「いい行いをしないといけない」「いい成績を取らないといけない」などは、内面化された学校の一つ一つだと思います。
哲学対話には、「正解」がないんです。正解がない中で、相手が考えていることを聞いて、自分が考えていることを話す。先生や子ども、保護者が、学校に対して「これが正しい」と思っていることを考え直す場であるのが、哲学対話の価値なんじゃないかなと思います。
ーー 中川さん、ありがとうございました。
最後に、在学中に中川さんの授業を受けられた、神戸大学附属中等教育学校卒業生のお2人からのコメントをご紹介します。哲学対話の授業を受けたことで、ご自身にどのような影響があったのかを聞きました。
哲学対話って、正解を求める場ではないんですよね。相手の意見を聞いて、いろんなものの見方を知る場だと思います。最初の頃は、正解ばかりを考えていましたが、対話を重ねるたびに「合理的であることに意味はあるのか?」「正しさに意味はあるのか?」と考えるようになりました。
哲学対話をする中で、人の意見を聞くことの大切さを感じるようになりました。例えば、同級生のことはよく知っていると思っていたけれど、意外と知らないことだらけだったり。自分では常識だと思っていたことが、相手にとってはそうではないこともあると思います。それぞれが、いろんな価値観や考え方を持っているんだなと思うようになりました。
今回は、インタビューだけではなく、筆者も哲学対話の場に参加させてもらいました。年齢や立場に関係なく、正解や不正解、優劣も存在しない中で発言できる場は、こんなにも安心感で満たされているものかと、その場にいて感じました。空間を共有し、他者とともに学べる場であるのが、学校の価値の一つだと思っています。哲学対話は、学校という場所で、知識を得ること以外の学びを体感できる取り組みではないでしょうか。
「性教育」はいつ、どのくらい、どうやって行うべきなのか? 悩んでいる先生も多いことと思います。日本の学校での性教育は、中学校の1年間で平均3時間を切るなど、ほとんど行われていないといっても良いほど。内容に関しても、体の発達や性感染症などに限定する傾向にあります。
しかし現在、世界の性教育は身体的なものを超えて「人権や多様性理解」を根底に、人間関係やジェンダー、暴力と安全確保などを幅広く学ぶ「包括的性教育」へと向かっています。
この記事では日本の性教育の課題や最新事例、遅れの一因といわれる「はどめ規定」とそれに関する詳しい情報、ユネスコの提唱する「包括的性教育」などについて紹介します。
そもそも性教育は、それぞれの学校種においてどの程度、何を教えるべきとされているのでしょうか。体育科・保健体育科の学習指導要領には、主に下記について指導することと記述されています。
現行の学習指導要領と、そのポイントを解説した記事はこちらをご覧ください。
参考「学校における性に関する指導について」(文部科学省,2022年12月25日参照)
自己決定や人権に関わる重大な問題でありながらも、日本における性教育の扱いには、量・質共に現場によってばらつきがあります。
また、その取り扱う内容についても、「はどめ規定」の存在がネックになると言われています。
子どもたちは性暴力や性感染症、望まない妊娠などのリスクにさらされています。これらを回避するために、性交に関する正しい知識や考え方を学ぶことは男女ともに欠かせません。しかし、性交に関する教育は、満足に行えているとは言い難い現状があります。その原因として、よく指摘されるのが「はどめ規定」の存在です。
中学1年生の保健体育科の学習指導要領には、性に関する指導に関して下記のような記載があります。
「妊娠や出産が可能となるような成熟が始まるという観点から、受精・妊娠を取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとする。」
この文言により「性教育では『性交』を扱えない」と現場では捉えられがちですが、学習指導要領は最低限指導すべきものを記載したもので、現状に合わせて発展的内容を教えることは問題ないとされています。
文科省初等中等教育局長は、2020年11年17日の参院文教科学委員会において以下のように発言しています。
「歯止め規定そのものは、決して教えてはならないというものではなくて、全ての子供に共通に指導するべき事項ではない、ただし、学校において必要があると判断する場合に指導したり、あるいは個々の生徒に対応して教えるということはできるものでございます。」
引用「令和2年臨時国会質疑から」(日本教育新聞電子版,2021年1月3日公開,2022年12月25日参照)
その上で文科省は、以下のような点について考慮すべきと述べています。
ただ、「教えてはならない」ものではないとしつつも、実現のために考慮すべきことは多く、現場のハードルがとても高くなっているのも事実です。
目の前の生徒の状況を考えた時に、性教育で性交を扱いたいが、具体的にどうしていいか分からない場合や不安な場合は、例えば、学校の性教育を支援するNPO法人や医療関係者に協力を仰ぐ選択肢もあります。
その他、メディアでもたびたび取り上げられる、性教育を含め心と体・大切な人とのつながり方を学ぶ6年間のカリキュラム『生きる教育』を作った大阪市立生野南小学校は、その指導案などを学校ホームページで公開しています。
参考「本校の研究(がんばる先生等)」(大阪市立生野南小学校,2022年12月25日参照)
過去には、発展的な性教育の内容を扱った学校が批判され、話題になりました。ここでは、東京都立七生養護学校と足立区立中学の事例を紹介します。
2003年、東京都立七生養護学校(当時)が取り組んでいた障害児への性教育を「世間の常識とかけ離れている」と都議会議員らが非難。都教委が教材を没収、校長の降格処分などの処分を下しました。その後、教員が訴えた裁判で、最高裁は都議会議員らの行為を教育基本法で禁じる「不当な支配」に当たると認めました。
七生養護学校には知的障害のある小学生から高校生までが通っており、思春期を迎えて体や心の変化に戸惑う子や、生徒同士での性的関係や性的ないたずらといったトラブルが起きており、保護者も交え、当時の教員によって性器の洗い方や月経、精通、避妊方法、気持ちの変化など、主に成長の過程を伝える教材や授業が開発されていました。
2018年、足立区の中学校3年生を対象に行われた総合学習の授業が、東京都議会から学習指導要領を逸脱した不適切な性教育であると批判を浴びました。
当該の授業は、若年層の望まない妊娠や高校1年生の中絶件数の増加を受け、生徒に性の正しい知識を身につけるために行われたもの。学習指導要領では避妊や人工中絶は高校で扱う内容ですが、子どもたちが誤った情報に振り回されているという現場の思いから、踏み込んだ内容まで扱われていました。
しかし、これらの授業は事前に管理職の協力や区の教育委員会の理解を得て行われたものであり、区教委は「内容に問題はない」と見解を発表。テレビの視聴者投票でも、早期での詳しい性教育を求める声が圧倒的に多数を占めるなど、世論も味方しました。
参考「いのちを学ぶ<「七生事件」の日暮かをるさんインタビュー>」(神戸新聞NEXT,2022年1月6日公開,2022年12月25日参照)
参考「学校の性教育で“性交”を教えられない 「はどめ規定」ってなに?」(NHK 首都圏ナビ,2021年8月26日公開,2022年12月25日参照)
つまり、2つのケースはともに、一部議員や世間から批判や非難を浴びたものの、その後正当性が認められているということができます。
日本の性教育は、主に体育や保健体育の授業内で「体と発達」を中心に学ばれることが多くあります。
しかし、2009年にユネスコは「包括的性教育(Comprehensive Sexuality Education)」という概念を掲げ、ジェンダー平等や性の多様性を含む人権尊重を基盤とした、8つのキーコンセプトに基づく性教育を提唱しています。
日本におけるLGBTQの割合は約3%〜10%とも言われており、また若い世代ほど性自認が多様であるという調査もあります。多感な時期の児童生徒にとっても、体の発達に限定されない、多面的な性教育が求められています。
自らの健康・幸福・尊厳への気づき、尊厳の上に成り立つ社会的・性的関係の構築、個々人の選択が自己や他者に与える影響への気づき、生涯を通して自らの権利を守ることへの理解を具体化できるための知識や態度等を身につけさせること。
参考「国際セクシュアリティ教育ガイダンス【改訂版】――科学的根拠に基づいたアプローチ」(UNESCO Digital Library,2022年12月25日参照)
参考「LGBTQとは」(東京レインボープライド2023,2022年12月25日参照)
ここまで、日本の性教育をとりまく状況と、世界標準で求められる性教育のコンセプトについて説明しました。
それでは、国内外の現場では、実際にどのような性教育が行われているのでしょうか。
海外では、日本では驚かれるような性教育が行われていることがあります。ここでは、オランダとフィンランドで実際に行われている性教育の事例を紹介します。
オランダは憲法で教育の自由が保障されており、初等教育でセクシャリティと性的多様性を学ぶ義務はあるが、いつ、どのような性教育を行うかについては、学校単位で異なります。
早ければ、子どもは4歳ごろから「愛情の大切さ」や「他人の気持ちの尊重」といったコンセプトについて学びます。オランダの初期性教育は、意思決定・意思表示の大事さを説く人権教育でもあるのです。一方では、10歳ごろに生殖の仕組みという具体的な内容から始める学校もあります。
このような性教育の実践により、オランダの子どもたちは早熟になっているのかというと、そうではありません。WHOによる欧州および北米の40地域の15歳を対象とした2016年の調査によると、全体平均で女子17%、男子24%が性交渉を済ませている一方、オランダは女子16%、男子15%と、いずれも平均を下回っています。避妊についての知識も十分に保障されているためか、10代の望まない妊娠も、他のEU諸国と比べ少ない結果となっています。
参考「小学生がコンドーム装着実習…オランダの性教育がすごい!」(FRaU,2017年11月.21日公開,2022年12月25日参照)
フィンランドは1970年に法律性教育が必修となり、性の多様性に加え、シングルマザーや男性同士のカップルといった家族の多様さ、家庭内の男女平等などについて未就学児の段階から学びます。
未就学児といっても、いきなり性行為自体を直接的にフォーカスして教えるのではなく、あくまで自分の気持ちに向き合い気付くことや、それを他者に表現することの重要性について学んでいきます。生殖のしくみや性交については主に中学校段階で教わりますが、何歳まで何を教えてはいけない、といった決まりはありません。
フィンランドでは、性教育が選択科目になり下火になった時期に、それまで減少していた10代の人工中絶数と性感染症の感染者数が上昇、再必修化を機に再び減少しました。正しい知識がなければ、子どもたちは性暴力や性感染症、望まない妊娠などから自分を守れないということが、データにも表れた形と言えるでしょう。
参考「性教育を「必修」にしたフィンランドはどうなった? 日本との大きな差」(東京新聞,2018年6月23日公開,2022年12月25日参照)
「24歳大学院生が驚愕したフィンランド「5歳からの性教育」の中身」(FRaU,2019年10月29日公開,2022年12月25日参照)
日本国内では、どのような発展的な性教育が行われているのでしょうか。
多くの学校では、「性教育」の一環として、保健や理科の授業で生殖器官や妊娠について学んだり、宿泊研修前に女子児童に生理についての話をしたりします。この位置付けに疑問を抱き、宿泊研修と関連させながら、授業の中で「包括的性教育」の実践をされました。詳細はメガホン内で別記事になっていますので、ぜひご覧ください。
また、先に挙げた足立区の中学校の事例と、高校で行われた生徒主体の取組みについても紹介します。
足立区の中学校では、1年生の「生命の誕生」「女らしさ・男らしさを考える」から、2年生の「多様な性」、3年生の「自分の性行動を考える~避妊と中絶~」「恋愛とデートDV」まで、段階を踏んで教える授業が行われました。LGBTQの講師を招くなど、生徒に当事者意識を持たせることに重きが置かれています。
参考「「きちんと教えてこなかった大人の責任」ーー性を教え続けた公立中教諭の抱く危機感」(Yahoo!ニュース,2021年12月6日公開,2022年12月25日参照)
神奈川県藤沢市の湘南学園では、高校2年生の有志生徒による「男子生徒向けの生理セミナー」が企画・実施されました。
授業ではあまり扱われない生理中の具体的な身体症状やPMS(月経前症候群:月経前に起こる、精神的あるいは身体的な症状)に関する説明だけでなく、実際に生理用品に触れる・身に付けるといった活動も行われました。
プロジェクトは、LGBTQへの偏見やジェンダーギャップに対する問題意識から、当事者が生きやすい社会になるきっかけを作りたいという思いから立ち上げられました。
上記のようなセミナーやセクシャルマイノリティの方による講演の企画、男性のメイクアップといったジェンダーに関する事柄の紹介が、生徒主導で行われているそうです。
参考「男子高校生もナプキンを着用。校内の「生理セミナー」で彼らが学んだこと」(集英社オンライン,2022年7月30日公開,2022年12月25日参照)
日本の性教育の課題や国内外の事例、そして包括的性教育について説明をしました。
「はどめ規定」の不透明性や批判事例の存在により、踏み込んだ性教育の実現は、長らくハードルの高いものになっていました。
しかし、既に日本各地の学校の内外で、発展的な性教育の取組みが行われつつあります。
国際機関や保護者からも、単に体や妊娠の仕組み、リスク等を教えるためではなく、自己決定や他者との関係構築の土台となる包括的性教育を求める声が強まっています。
今後ますますその必要性が高まっていく、個人の権利や尊厳を守るための取組みについて、School Voice Projectはこれからも情報提供を続けていきます。
子どもたちの健やかな成長を支えるために、保護者と学校はPTAを通して連携しています。しかし、PTAの負担の大きさについての指摘や、そもそもの意義を疑う声があることも事実です。
実際、東洋経済新報社の調査では、保護者の約4割、教員の約半数がPTAが「不必要」だと回答しています。こうした中、PTAのあり方を見直したり、PTA自体を設置しない、廃止する動きもあります。
この記事では、PTAの概要と課題、新たな動きの中から見える学校と保護者の関わり方について解説します。
PTAは、学校ごとに組織される、保護者と教員から成る社会教育関係団体です。「Parents(保護者)」「T=Teacher(教員)」「A=Association(組織)」の頭文字をとってPTAと呼ばれています。英単語の通り、保護者と教員、地域社会が対等に協力し合い、子どもの成長を支えるために活動を行います。
PTAの結成や加入は義務付けられておらず、活動は任意で行われます。2022年6月、当時の文部科学大臣だった末松信介氏は、PTAが任意団体であることを理由に、PTAのあり方は「地域の状況に応じて協議をし、自主的に決めていくのが正しい考え方だ」と述べています。このように、PTAのあり方に関する判断には、文部科学省は関与しない姿勢を示しています。
参考「PTA入会の仕組み「自主的に判断を」 末松文科相、省関与否定の姿勢示す」(京都新聞,2023年2月8日参照)より
PTA組織は、「日本PTA全国協議会」「都道府県・市区町村ごとのPTA連絡協議会」「単位PTA(学校ごとのPTA)」に分かれています。通常、PTAと言う場合は「単位PTA」のことを指します。
日本PTA全国協議会は、各公立小・中学校のPTAを束ねており、約800万人の会員がいる大規模組織です。
単位PTAの中にも、様々な役割があります。まず、「PTA役員」と呼ばれる役職とその仕事内容について、その一例をまとめます。
さらに、PTAの内部には以下の専門委員会が設置される場合もあります。下記はその一例です。
参考「PTAとは?今さら聞けない活動内容・役割、オンライン化実例も紹介」(All About,2023年1月13日参照)より
PTA役員や専門委員の選出方法は、投票制や自薦、他薦制など、学校により様々です。
PTAは、19世紀末に児童愛護と教育環境の整備を目的としたアメリカの運動によって設置されました。PTAの創始者とされるアリス・バーニーは「幼児を健やかに育て、望ましい環境に迎え入れよう」と訴え、多くの母親から賛同を得ました。のちに父親や教師も運動に加わり、世界各地にPTAの活動が波及しました。
日本では、戦後にGHQが、日本の教育の民主的改革を進めるためにPTAの結成を奨励しました。これにより、当時の文部省がPTAの組織を推進し、昭和25年4月までに全国の約98%の小・中・高等学校でPTAが組織されました。
参考「PTA活動のためのハンドブック」(神奈川県教育局, 2023年1月13日参照)より
PTAは、教育制度を充実させることに貢献してきました。
例えば、PTAは学校給食の制度化を実現しました。戦後日本は、給食の継続が困難となる事態に度々直面していました。このため、学校給食の法制度化による円滑な実施が喫緊の課題であり、PTAが法制度化実現のための活発な運動を行いました。その結果、1954年6月に学校給食法が制定されました。
また、学校保健法の制定にもPTAの運動が影響しています。PTAは、学校における子どもの健康・安全の確保を目指し、児童の災害補償について衆議院文教委員会に要望を行うなどの活発な動きを見せていました。これを受け、1958年4月に学校保健法が制定されました。
以上のように、保護者の要望をまとめて行政に働きかけることで、教育制度を充実させてきたことがPTAの功績であると言えます。
参考「日本PTAのあゆみ」(日本PTA全国協議会, 2023年1月13日参照)より
PTAが行う活動は、一例を挙げると以下のようなものがあります。
引用「PTAとは?今さら聞けない活動内容・役割、オンライン化実例も紹介」(All About,2023年1月13日参照)より
PTAは児童生徒の健全な成長を支えることを目的としているため、この目的に関わる幅広い活動を行っています。
PTAは大変だというイメージがありますが、東洋経済新報社の調査では、PTAが必要だと感じる保護者・教員も多いとわかっています。
保護者がPTAを必要だと感じる理由には、次のようなことが挙げられます。
特に、「親同士で交流が持てる」という意見が多く、PTAが親同士の情報交換や助け合いのための繋がりをつくる場として捉えられていると言えます。
また、教員はPTAが必要な理由として以下を挙げています。
引用「保護者と教員1200人調査でわかった「PTAは必要?」の超本音 肯定派が半数超えでも、改革は急務なワケ」(東洋経済ONLINE, 2023年1月13日参照)より
学校行事の運営や生徒指導は教員だけで成り立つものではないため、保護者と協力するためにPTAが求められていると考えられます。
PTAにはメリットがある一方で、問題点も多く指摘されています。
例えば、保護者からは仕事との両立が難しい、不要な集まりが多いといった声が挙がっています。PTAの活動が平日昼間に行われていて集まりづらい場合があり、さらに効率的な運営が行われていないと考えられます。
また、本来任意であるPTA活動への参加が、強制的に行われているという問題点もあります。School Voice ProjectがPTAの加入について調査したところ、約6割の保護者が「PTAへの加入を選択できない/選択できると知らされない」と回答しました。
教員からも、PTA活動の負担の大きさが指摘されています。PTAの活動自体には「保護者との関係づくりのため」など必要性を感じる意見がある一方、「労働ではないのに、強制されるのはおかしい」「公務でやっているのに会費を支払うことに疑問」などの意見もあり、必須加入には75%が反対、という結果になっています。
こちらの記事では、教職員へのPTAに関するアンケート結果をまとめています。勤務校のPTA加入義務の有無やそれに対するコメント、PTAの今後のあり方に対する意見などをまとめていますので、ぜひお読みください。
参考「保護者と教員1200人調査でわかった「PTAは必要?」の超本音 肯定派が半数超えでも、改革は急務なワケ」(東洋経済ONLINE, 2023年1月13日参照)より
学校教育における功績も大きい反面、問題点もあるPTA。こうした中、活動しやすいよう柔軟に変化しているPTAもあります。
世田谷区のある公立小学校では、コロナ禍の影響もありPTAのオンライン化が進み、保護者負担の軽減が実現しています。
この学校では、主な連絡手段が紙であることへの負担感が保護者から指摘されていました。そこで、臨時で保護者有志の「IT推進委員会」が立ち上がりました。
8人のメンバーが集まり、PTA業務のオンライン化や保護者間のネットワーク構築のために「BAND」という無料アプリが採用されました。
導入後は、コロナ禍でのオンライン会議や学校行事の中継配信がアプリを通じて行われました。また、コロナの影響で入学式が延期となり、PTAの入会資料を配布できない中でも、BANDの参加者募集機能を利用して委員を募集することができました。
参考「PTAは罰ゲーム!? オンライン化で前例踏襲を改善した世田谷区の事例」(All About, 2023年1月13日参照)より
名古屋市の陽明小学校では、PTA役員を決めず、活動ごとにやる人を募集し、登録する「エントリー制」(希望参加制)を導入しています。
エントリー制では、PTAの委員会活動を細分化し、活動をやりたい人が自ら立候補します。立候補していないにもかかわらず強制的に役割が回ることはありません。
従来は、陽明小学校では委員への立候補がない場合、投票によって各クラス3名を選出していました。しかし、できる時にできる人が参加する制度に変えた結果、すべてのポストが立候補で埋まりました。
保護者からは、できる時にできる人が参加する形になったことで、「負担が少なそうだから自分にもできるかもしれない」と気軽に参加できるようになったとの声が挙がっています。
参考「変わるPTA活動 「くじ引きで委員選び」から「やりたい人が立候補」のエントリー制導入で成功も」(メーテレ, 2023年1月13日参照)より
PTAという枠組みに捕らわれず、PTAを廃止して別の形で支援を行う事例もあります。
東京都西東京市立けやき小学校は、PTAを強く望む保護者がいなかったため、学校創立時にPTAを組織しないことを決定しました。
しかし、保護者が活動する組織が全くないわけではなく、「保護者の会」が自主的に設立されました。PTAとは異なり保護者だけで運営が行われており、子どもの見守り活動等に取り組んでいます。
参考「PTAをなくした小学校16年目の真実 「いいことづくめ」の美談のはずが…」(J -CASTニュース, 2023年1月13日参照)より
また、東京都大田区立嶺町小学校は、PTAを廃止して代わりに「PTO」を組織しました。「PTO」は「保護者と先生による楽しむ学校応援団」とも呼ばれており、Parent -Teacher Organizationの略です。
PTOは2015年に組織されており、それまでは強制的な役員・委員決め、不要な活動の継続といった問題を抱えていました。そこで、できるときに、できる人が、やりたい活動やできる活動をするPTOのシステムに転換しました。これにより、保護者は無理なく参加でき、活動を楽しめるようになっています。
参考「義務感、強制感ゼロ「PTAをなくした」学校の実際−自由意志のボランティアで子ども支えられるか」(東洋経済ONLINE, 2023年1月13日参照)より
冒頭で、東洋経済新報社の調査で保護者の約4割、教員の約半数がPTAが「不必要」と回答したことを紹介しました。これは、裏を返せば保護者、教員の半数は必要だと思っていると言えます。
PTAを廃止した学校でも、保護者と学校のより本質的な連携を目指して別の組織が生まれています。東洋経済新報社の調査では、PTAの代わりにコミュニティ・スクールを提案した教員もおり、何らかの形で保護者と学校の連携が求められているとわかります。
「コミュニティ・スクール」について詳しくはこちら。イラストや具体例を交えて解説しています。
多忙な教員だけですべての教育を担うことは不可能であり、学校と保護者、地域との連携は必要不可欠です。ただし、その方法や形式は、従来のPTAという枠組みに捕らわれすぎず、柔軟に考えることが重要です。
PTAは子どもの健やかな成長を支えることを目指す、保護者と教員による組織です。教育制度の充実に貢献した功績があり、保護者と教員の繋がりを形成するという利点もあります。
しかし、不要な活動の存在や強制的な参加など、保護者の負担が大きいという問題点があります。さらに、保護者が活動に参加しづらいことで、結果的に教員主導となり、教員の負担も大きくなっています。
こうした中で、IT化による負担軽減や、PTAの運用体制の変革、PTAの廃止が進められています。保護者と学校が本質的に連携するために、従来のPTAのあり方を柔軟に見直すことが必要です。
2023年4月に施行されるこども基本法、2022年12月に改訂された生徒指導提要でも子どもの権利条約の理念が取り入れられています。近年、ようやく注目が高まっている子どもの権利条約について、この記事では一緒に考えていきたいと思います。
1945年、第二次世界大戦が終結しました。
大戦中は、特定の人種の迫害/大量虐殺など/人権侵害/人権抑圧が横行し、たくさんの命が奪われました。このような経験を経て、人権問題は国際社会全体にかかわる問題であり、人権の保障が世界平和の基礎になるとの思いから、1948年12月10日、国連第3回総会(パリ)において民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として、「世界人権宣言」が採択されました。(世界人権宣言 法務省HPより)
すべての人、宗教、肌の色、言語、住んでいる地域、出自に関わらず、平等であるということが明記され、子どもを含むすべての人の人権が尊重されることが、国際社会の中での共通理解になったのです。
この流れを受けて、日本でも、1951年に児童憲章が出され、そこには「児童は人として尊ばれる/児童は良い環境の中で育てられる、児童は社会の一員として重んじられる」と明記されることとなりました。
しかし、児童憲章は、子どもは「尊ばれる受け身の存在」とされ、保護の対象ではあるものの権利の主体ではありませんでした。
1989年11月に「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」が国連で採択。日本も1994年に批准しました。条約を批准するということは、その条約の精神に則って子どもという存在をとらえ、かつ、国内法との矛盾がないか確認し、必要がある時には整備をするということです。しかし、国内法の必要性が訴えられ、国連の勧告ありましたが、整備されてきませんでした。
ようやく変化があったのは2016年。児童福祉法の一部が改正され、第一条に「すべての児童は、児童の権利に関する条約の精神にのっとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され保護されること~」第二条で「児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない」となりました。それ以前の児童福祉法では、子どもは福祉の「対象」とされていたのが、2016年の改正では、福祉を受ける「権利の主体」へ、子どもの位置づけが大きく変わりました。
(本来は、1994年に子どもの権利条約に批准した時点で、「子どもは権利の主体」という子ども観を、国内法へ反映させなければならなかったのですが、児童福祉法に盛り込まれるまでに18年もかかりました。)
それ以降、子どもは権利の主体であるという理念の元、そのことに関連する法律(児童福祉法の他の部分や、子どもの貧困対策の推進に関する法律、児童虐待防止法、など)の改正や、こども基本法制定などが進んできています。
子どもの権利条約は、世界中の子どもの権利に関するNGOが参加して作成されました。世界中のすべての国や地域の子どもたち、また、その個々の属性(人種、言語、文化、宗教、障害、社会的養護などがどうであっても、その子たちの権利を守るために大切にすることが書かれています。
条約は、以下の【4つの原則】と【4つの柱】から構成されています。
引用『子どもの権利宣言』(遠藤ゆかり(訳),2018年,シェーヌ出版社)より
まずは、命があり、子どもに関することを決めるときは、子ども自身の多様な意見が聴かれ、いつも子どもにとって一番いいことを考える。そして、それは、どんな環境にあっても差別されることなくこの条約が適応される、ということなのです。
ひとつずつの権利は、どれが大切というわけではなく、それぞれがお互いに影響し合って“権利”を支え合っています。
また、権利というと義務との関係性を問われることがありますが、子どもの権利は“子ども期における基本的人権”なので、契約上の権利と義務の関係にはなりません。人であれば当然に保障されるものであり、人権が停止されるのは、他の人の人権を侵害する場合のみです。そして、子どもの権利条約が守られる仕組みをつくる義務は国にあり、子どもたちを守るおとなの役割と、それを支えるための国の義務を明確にしています。それらによって、子どもたちの安心安全な生活が続いていくのです。
“権利をまもる”と言われるととても堅苦しく感じてしまいがちですが、おとなも子どもも「今いる場所が安心安全かどうか」「あなたらしくいることができているか?」ということです。ある場所にいて「その場所からいなくなりたい(帰りたい/出ていきたい)とき」は、何かの権利がまもられていない、と考えることができます。
子どもの権利をまもるということは、子ども期における基本的人権の尊重であると言い換えることもできます。子どもは、おとなになるための成長過程の(未熟な)存在ではなく“子ども期”という固有の時期を過ごしている一人のヒトであるということを尊重するということ。子どもの安全安心が保たれるために、おとなが関与して安全を守り、それと同時に子どもが自分の人生を主体的に生きることができるようにサポートするということなのです。
この【まもられる】という視点と【自分で決めていく権利の行使主体】という視点の2つあることが、子どもの権利条約の特徴です。
例えば、生きる権利で保障されている【医療を受ける権利】で考えてみましょう。子どもが病気やけがをしたときには、おとなが関与して手当をします。それは、家で看病する場合もあるし、病院で診てもらうこともあります。子どもが病気やけがをしたときに適切な治療をすることで、子どもは守られます。ただ、できるだけ子どもが安心した状態で治療に向き合うことも大切です。「どこで治療を受ける?」「どんな治療を受けたい?」「どんなお医者さんに診てもらう?」「粉薬と錠剤はどちらが飲みやすい?」ということを、子ども自身がおとなのサポートを受けながら決定していくことで、自分自身に何が起こっているのかがわかり、治療に意欲を持つこともできます。
このように自分に関わることについて、適切な情報を受けながら自分自身で決定していくことを、「権利の行使主体」と言います。
もちろん病気やけがの状態によっては、子どもの想いがそのまま反映されないこともありますが、その決定に子どもが参画するプロセスが子どもの最善の利益につながっていくのです。
権利を行使するためには【意見表明権】と【子どもの最善の利益】の関係の解釈がとても大切です。
条約第12条意見表明権には「自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する。その場合において児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるもの」と書かれています。
しかし、英文を見てみると
States Parties shall assure to the child who is capable of forming his or her own views the right to express those views freely in all matters affecting the child, the views of the child being given due weight in accordance with the age and maturity of the child.
とあり、OpinionではなくViewsと書かれています。直訳すると“彼ら彼女らの視点”と書かれているのです。
意見というと、自分の中に確固たる気持ちがあり、そのことを自分の意思で言語的に表出することというOpinionという意味でとらえられますが、ここでは、必ずしも言語的な表出を伴わない、態度やしぐさなども意見の現れとしてとらえます。
国連の子どもの権利委員会のガイドラインには“乳幼児は、話し言葉または書き言葉という通常の手段で意思疎通ができるようになるはるか以前に、様々な方法で選択を行ない、かつ自分の気持ち、考えおよび望みを伝達しているのである”とあります。
赤ちゃんは、生まれたときから「泣く」という手段を用いて訴え、それを見たおとなが「お腹すいたのかな」「おむつが濡れているのかな?」「眠たいのかな?」「抱っこしてほしいのかな?」と子どもの思いを推察するおとな側の態度も、子どもの意見としているということです。泣いている子どもを見て、おとな側が何を求めているのか「赤ちゃんの視点」で考えて、子どもの最善の利益へ近づいていくのです。
音声で言葉を発せられるようになった時には、その言葉がさまざまな関係性から忖度されていないか、十分に意見を言える環境にあったのか、ということも考えなくてはいけません。そして、言語的な表出がなかったとしても、態度、しぐさ、などもすべて意見になるということなのです。
子どもの思い(Views)を形にするためのプロセスに伴走(参加する権利の保障)した結果、出来上がったものが【子どもにとって一番いいこと】であり、おとなだけで決めた最善の利益は、子どもにとっての最善の利益にはなりません。
生徒指導提要に子どもの権利が明記されました。
子どもを様々な不利益から守るということは、容易に考えやすいのですが、参加する権利の保障をどのようにするか、頭を悩ませる教職員の方も多いのではないでしょうか。意見とは何か?どのように意見を聴くか?意見表明権の正しい理解のもと、教育活動に子どもが参画していくことが大切です。
「子どもの意見を聴いたら、それを全てかなえないといけないの?」という疑問が湧くかもしれません。ですが、それは大きな間違いで「決定のプロセスに参画する」ということが大切なのです。その子どもたちから聞いた意見(態度やしぐさ、後ろ側に広がっている背景も含めて)をもとに、【どうやったら子どもの安心安全につながるか】ということを一緒に考えていくことが、求められているのだと思います。
子どもの権利は、もちろん子どものための権利なのですが、同時に、子どもを養育するおとなも支えるという視点も含まれています。子どもの権利条約第18条では、子どもを養育する第一番の責任は“親”にあるとしていますが、その親が責任を果たすために、“国は親を助ける義務がある”と明記しています。
親が安心して子育てができるように、子どもの成長発達を助ける仕組みを作ること、親が働いている場合には、働いている親を助けるための責任は国にあると言っています。
そういう国からのバックアップのもと、親は安心して子どもを養育し、子どもの権利をまもることができるのです。
“親が安心して子育てができるように”ということは、子どもが通う施設の安全な場づくりという意味もあり、多くの子どもが通う幼稚園、保育所、学校等が安心安全な場になるための責任も国にあるということです。人権は、そこに集う人すべてに平等にあるので、それらの施設で働く職員の人権も保障されなければなりません。
子どもの思い(Views)を受け取り、子どもの最善の利益を一緒に考えていくためには、それを受け取るおとな集団そのもの(学校であれば教職員)が、支え合い助け合える関係性にあるかどうかが大切になります。
子どもの権利条約は、一人一人のおとなが子どもを支えるという視点もありますが、子どもに関わる全てのおとなが安心して子どもの育ちを支えるために、国や地方自治体は、子どもの権利が十分に保障され、その責務をおとなが果たせるように、法律や具体的なサービス基盤を整える責任があるという点が、最も大切なことなのです。
学校という、多くの子どもが通う場所。その場所に関わるおとなを支えるためにNPO法人 School Voice Project は活動しています。一見すると、教職員を支えるための組織?と捉えられてしましますが、教職員の環境を改善していくための行動は、子どもの権利を支え、子どもの安心・安全をつくるることにつながっていくのです。
だから、私たちはこれからも、学校に関わる大人が元気になれる活動を進めていきます。
この文章を書くにあたって、長瀬正子さん(佛教大学社会福祉学科准教授)にご協力いただきました。
長瀬さんが書かれた絵本『きかせてあなたのきもち 子どもの権利ってしってる?』は、子ども自身の日々変化する気持ちを手がかりに、子どもの権利を分かりやすく学べる構成になっています。
子どもの権利を子どもたちと一緒に考えるとき、教室で子どもと一緒に絵本を読んでみませんか?
『きかせてあなたのきもち 子どもの権利ってしってる?』 (長瀬正子・momo,2021年,ひだまり舎)
『子どもアドボケイト養成講座 子どもの声を聴き権利を守るために』(堀正嗣,2020年,明石書店)
『ビジュアル版 子どもの権利宣言』(遠藤ゆかり(訳),2018年,シェーヌ出版社)
多くの学校では、「性教育」の一環として、保健や理科の授業で生殖器官や妊娠について学んだり、宿泊研修前に女子児童に生理についての話をしたりします。
この位置付けに疑問を抱き、宿泊研修と関連させながら、授業の中で「包括的性教育」の実践をされたのは、島根県益田市にある公立小学校で5年生の担任を務める塚田大樹さん。大学時代の同期であり、高校教員の武田健太郎さんが伴走者となり、2人で授業づくりを進めてこられました。
そんなお2人に、授業づくりの目的と具体的な実践内容、子どもたちの様子について伺いました。
※包括的性教育:セクシュアリティを身体的、精神的、社会的側面から学ぶプロセスであり、生涯を通して自らの権利を守り続けるための知識、技能、態度、価値観を習得することを目的としている。(参考:国際セクシュアリティ教育ガイダンス)
※本記事内では「男子」「女子」という書き分けをしている箇所が複数あります。性別は男女2つに分けられるものではなく、見た目だけでその人の性を決めつけるべきではありませんが、本記事では、実践内容の性質上、書き分けないと文脈が伝わらない部分があるため、そのように記載しています
ーーどのような経緯で、2人で授業づくりをすることになったのでしょうか。
塚田:私が宿泊研修で5年生の児童を引率することになり、「自分の体や性に関して不安に思う子どもは多いのではないかな」と思ったんです。それで、宿泊研修につながるような授業づくりに協力してくれないかと武田に相談しました。それ以前にも、2人で人権教育について話す機会は多くありました。
武田:そうですね。性教育に関心を持ったのは、ジェンダーに関する勉強会をしていたとき、ユネスコの『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』を知ったことがきっかけです。その中に、包括的性教育についての記述がありました。
その後、宿泊研修の前で行う保健指導に対して、疑問を抱くようになったんです。
多くの学校では男女を別々の教室に分けて、女子には生理の話をします。男子がその時間をどう過ごすかは学校によってさまざまですが、多くは行儀指導だと思います。
宿泊研修をする目的から考え直して、もっと広い視点で性教育を扱っていく必要があるのではないかと考えるようになりました。
ーーどのように授業づくりを進めていったのでしょうか。
武田:各教科の学習指導要領と『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』を読み比べて、授業に取り入れられそうな内容を探していきました。私はその作業を手伝ったような感じです。
塚田:授業づくりはかなり手伝ってもらいましたね。私には思いつかなかったようなアイデアをもらえたことも大きかったです。
これまで保健や理科の授業で行われてきた性教育は、知識の伝達のみだったと思います。それに対して、「宿泊研修を“性教育の知識を活かす場”として位置付けて、包括的性教育の一部にする」というアイデアを武田から聞いたときは鳥肌が立ちました。
武田:性に関する知識を増やすだけではなくて、最終的に実際の生活の場でどう行動できるかが重要だと思っていたんです。
ーー授業では具体的にどのようなことを行ったのでしょうか。
塚田:まずはアンケートをとって、宿泊研修を迎えるにあたって不安に感じていることはないかをクラス全員の児童に聞きました。回答の中にあったのは、「お風呂で自分の体を見られたくない」「宿泊研修中に初潮が来たらどうしよう」など、体に関することが多かったですね。
そこから、宿泊研修の中で相手にどんな配慮ができるかをみんなで考えていきました。出てきた意見としては、「お風呂は1人で入りたい子もいるけど、みんな一緒に入らなきゃという空気があると断りづらいと思う」「女の子の中には、もしかしたら生理の子もいるかもしれない」「男の子だって体を見られたくない子もいるかもしれない」など。出てきた意見を元に、それぞれが「自分はどう振る舞うか?」を考えていきました。
ーー宿泊研修の前は、女子児童に生理用品を配ったそうですね。その際は、どのように渡していったのでしょうか。
塚田:生理用品を手渡されるときに異性に見られることは、やはり抵抗感があるのではないかと思ったので、渡すときは女子のみを集めました。
その間で、男子には私から「女子にどんなものを渡しているのか」「どんな風に使うのか」を、生理用品を見せながら話しました。「生理用品が落ちていたときに、みんなの前で『これ誰のー?』なんて聞いたら嫌な子もいるかもしれないよ」とか、そんな話もしました。
自分の言動によって他の人を傷つけてしまう可能性があることも、理解してくれたのではないかなと思います。
また、生理用品を家庭で用意してもらえる女子たちは、学校で配られた分の生理用品を、家庭で用意してもらいにくい子にあげたみたいです。そんな配慮をしてくれたと聞いて、何かしら伝わるものがあったのかなと感じました。
ーー実際の宿泊研修では、子どもたちはどのように過ごしていましたか?
塚田:男子の中に「個室シャワーに入らせてほしい」と言ってきた子がいました。男子でそれを言ってきたのは今回が初めてでしたが、周りの子はすごく自然に受け入れていましたね。
あとは、脱衣所でみんなから少し離れたところで着替えている子に対しても、「見ないから大丈夫だよ」と声をかける様子もありました。
ーー包括的性教育を進めていくにあたり、他の先生とはどのようなやり取りをしましたか?
塚田:隣りのクラスの先生は協力的な方で、指導案を共有したら同じように実践してくれました。同僚の先生たちから理解を得るところは、やはり気を遣いましたね。性に関して積極的に触れることは、これまでずっとタブー視されてきたので。
ーー実践を振り返ってみて、どのように感じますか?
武田:そうですね。特に、「性について指導すること」を目的にしなかったのがよかったんだと思います。「宿泊研修でみんなが心地よく過ごすこと」を目的にして授業をつくっていったので、その中で性に関することが組み込まれるのは自然な流れだったと思います。
塚田:まだ学校全体で包括的性教育を取り入れていくところまではいっていませんが、まずは学年の取り組みから広げていきたいですね。
ーー塚田さん、武田さん、ありがとうございました。
学校経営や各教科の授業を行うにあたって、文科省が作成した教育課程の大綱的な基準である「学習指導要領」。現行の学習指導要領は、小学校・中学校の完全実施を経て、今年度から高等学校でも段階的な実施が始まっています。
Webアンケートサイト「フキダシ」では、学習指導要領の内容改訂に伴う学校現場の声を集めるため、現行学習指導要領における「改訂のポイント」についての調査を行いました。
今回フキダシでは、その調査で特徴的な結果が出た内容について、更に深掘りをしていくアンケートを実施しました。この記事では、「主体的・対話的で深い学び(アクティブラーニング)」「伝統や文化に関する教育の充実」「道徳教育の充実」「外国語教育の充実」の4項目についてのアンケート結果をまとめています。
※「道徳教育の充実」「外国語教育の充実」についてのアンケート結果は 次のページ をご覧ください。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2022年12月9日(金)〜2022年1月23日(月)
■実施方法:インターネット調査
■回答数
① 主体的・対話的で深い学び(アクティブラーニング):31件 (設問)
② 伝統や文化に関する教育の充実:21件 (設問)
③ 道徳教育の充実:26件 (設問)
④ 外国語教育の充実:26件 (設問)
Q1. 現行学習指導要領における「主体的・対話的で深いび(アクティブラーニング)」について、フキダシで実施したアンケートでは全体的に「良い影響が出ている」という回答が多かったものの、特に小学校では「良い影響が出ていると思わない」という回答も目立つ結果となりました。この結果について、あなたはどう思いますか。(任意)
「そう思わない」と回答している方は、全てが主体的で対話的でないといけないと考えているのではないかと感じる。教えることと学ぶことは両方とも必要だし、子どもの発達段階や教科の単元によっても、教えることと学ぶことの割合を考えていく必要はあると思う。小学校段階の授業では以前から良い授業は主体的な授業であり、対話的であった。【小学校・校長】
学習指導要領を読んでいないことも考えられます。「主体的で対話的で深い学び」の本質的な意味の理解が違う形で伝わっているように思います。これまでの指導方法に固執している人には、きちんと理解できても受け入れがたいのだと思います。【小学校・教員】
発達段階に応じて、「主体的・対話的で深い学び(アクティブラーニング)」が効果的になるのかが模索されている段階だからなのではないだろうか。子どもたちの意見が活発に交わり発展していくには知識と表現が一定求められると考えられているからではないだろうか。【中学校・教員】
基礎学力がない小学生の子どもたちに主体的・対話的で深い学びができるかというと、無理です。闇雲におしゃべりをさせて考えさせたような気分になっても、結局のところ一部の学力が高い子どもたちが満足しているにすぎません。学力が高い子どもたちにとっては探究的な学習は効果があるかもしれませんが、何をやらされているわかからない子どもも少なくありません。【小学校・教員】
私は高校なのでわかりませんが、小学校には道徳教育やGIGAなどのたくさんのタスクが降ってきているので、それによる副作用が出ているのかなと思いました。【高等学校・教員】
教員自身がアクティブラーニングを受けてきていない。アクティブラーニングの指導法を学んできていない。とにかく多忙で新しいことを取り入れ実践していく余裕がない。多くの教師の仕事の大半を占めるのは「学習指導」より「事務仕事」「保護者対応」「教育相談」「生活指導」である。そういった状況を鑑みると、小中学校の「そう思う」が5割に達しないことは妥当だと思います。【中学校・教員】
前提として、「主体的・対話的で深い学び(アクティブラーニング)」とはどのような授業なのかを教員自身が理解しきれていないのではないか、という意見が一定数集まりました。「主体的・対話的で深い学び」の成果は見えづらかったり、影響が出るのに時間がかかるため、「良い影響が出ている」と言える状態になっていないケースもあるようです。
Q2. 現行学習指導要領における「主体的・対話的で深い学び(アクティブラーニング)」について、あなたの学校の実態を教えてください。
方法論に進みすぎて、「主体的・対話的で深い学び」がどんな学びなのか、どんな子どもの姿なのかが、共通理解されていない。ただグループ活動を多く取り入れればよいという風潮。【小学校・教員】
ICTを使ってAL(アクティブラーニング)的な授業をしようとする人が多い。けれど、ICTでアプリやツールを使えば自動的に協同的な学習になると信じている人がいたり、逆に一人ひとりがPCに向かって入力しているので「一蘭(天然とんこつラーメン専門店)」の店内みたいな『個別最適化』のような授業になってしまっていることに課題を感じている。【中学校・教員】
これまでの教師主体の授業からの脱却は簡単ではないと思う。しかし、そこに部分的にも子どもたちの主体性や子どもたちが学ぶ、という視点が入ってくることで少しずつ変わっていくようにも思うし、それを期待したい。【小学校・教員】
子どもたちが意欲的に課題に取り組むような工夫など、授業や単元の導入部分に工夫をするようにしています。アクティブラーニングとか言われても授業づくりの原点は大切にしようと取り組んでいます。実際はじっと座ってられない子、教室を飛び出す子、コミュニケーションが苦手な子、他者に攻撃的な言動をする、自分勝手な子など一人の授業者が見るクラスには色んな子どもがいるのでアクティブラーニングの授業づくりが難しいところがあります。【小学校・教員】
ICTの活用と併せて、部分的に取り組もうとしていることはうかがえつつ、実践としては発展途上な印象があります。限られた時間の中で、学習指導要領にあるような伝えるべきとされることを扱うとなったときに、なかなか一気に変えることは難しいだろうと想像します。また、学校ごとで何を求められているか・生徒がどうしたいかによっても変わるように思うので、必ずしも本校でアクティブラーニングを求められていなければ先生が準備にかけるモチベーションも上がりにくいのかもしれません。【高等学校・事務職員】
観点別評価が導入されて、パフォーマンス課題が増えた。反復学習で暗記するだけよりは、実践的な取り組みが増え、生徒が能動的に動くようになった。【高等学校・教員】
さまざまな教科で取り入れられていると感じます。創意工夫をしながら、現場はよく頑張っていると思います。【高等学校・教員】
高校に所属する方からは、良い変化を実感しているという内容の回答が比較的多く寄せられました。小学校や中学校では「主体的・対話的で深い学び」を実践していくことへの難しさを感じる声が多く集まりました。教員の理解が及んでいたとしても、これまでのやり方を変えることや児童生徒の実態に合わせた授業展開をしていくことには難しさを感じることがあるようです。
Q1. 現行学習指導要領における「伝統や文化に関する教育の充実」について、フキダシで実施したアンケートでは全体的に「良い影響が出ていると思わない」という回答が「良い影響が出ていると思う」という回答を大きく上回る結果となりました。この結果について、あなたはどう思いますか。(任意)
ただでさえ忙しく余裕がないのに、あれこれやらなければならないことが増え、事前準備が増えることにより、業務を圧迫しているために良い影響が出ているとは思えない、と思っている人が多いのではないでしょうか。【中学校・教員】
伝統や文化に触れて、色んな体験をさせたいのですが、他にもやるべきことが多すぎて、一応、年に一回は芸術鑑賞の行事はありますが、「ただ見せただけ」で終わっているところもあり、充実しているかと言われると難しい。【小学校・教員】
結果のとおり、学校への影響は小さいと思う。そもそも、職員室で「伝統や文化に関する教育の充実」という言葉が出てくることがあまりない。【小学校・教員】
その大切さはわかるけれど、実際この分野について校内研究の対象にもならないし、話題にもなりにくいので、良い影響も何もありませんという感じだと思う。【小学校・教員】
伝統や文化に触れることの必要性は感じるものの、取り組みができていない現状があり、結果として「良い影響が出ているとは思わない」という回答が多くなっているのではないかと推測する声が多く集まりました。
Q2. 現行学習指導要領における「伝統や文化に関する教育の充実」について、あなたの学校の実態を教えてください。
重要視されていません。はっきり言って、学校で教えるべきとされていることが増えすぎています。【小学校・教員】
年に1回の「文化芸術鑑賞」を何とか行っています。本来なら外部の方を呼んで、子どもたちに色んな経験をさせたいが、アポを取ったり、窓口が分からない、日々に余裕がないのでできていません。【小学校・教員】
そもそも、職員室で「伝統や文化に関する教育の充実」という言葉が出てくることがあまりない。【小学校・教員】
「伝統や文化に関する教育」は特別に位置づけるものというより、折に触れて行うもの、という認識の教師が多いと思います。小学校では生活科や社会科で扱えるかもしれませんが、中学校では単元の中で触れる場面があれば紹介する程度でしょう。そもそも教師自身が「伝統や文化」に関して関心が低かったり知識が乏しかったりする面もあります。【中学校・教員】
「伝統や文化に関する教育の充実」には、保守派団体の影響を強く感じるという点で、賛同できない。当然、子どもたちに伝えたい地元の伝統行事や文化があればそれは扱うが、今回の「伝統や文化に関する教育の充実」にはどうしても愛国主義や国粋主義が見え隠れして、前向きに捉えることができない。何をどう充実させるのかは現場の教師が選択することである。【小学校・教員】
「伝統や文化」と言えば聞こえが良いが、結局は国の価値観の押し付けでしかなく、「日本スゴイ」的な排他性が強いものとなっている。道徳なども愛国心など戦前の軍国教育への回帰が垣間見える内容で、一方的過ぎる。【中学校・教員】
全学年で日本各地の民族舞踊をやっている。その程度。ことさら日本文化を強調することはないが、外国との交流では力を発揮している。【小学校・教員】
もともとお箏に取り組んでいたり、お正月遊びの日があったり、狂言教室があったりと、伝統や文化に接する機会があったため、特にそれによって変えたことはありません。【小学校・教員】
業務量の多さや教員自身の関心の薄さから、あまり実践が進んでいないという回答が目立ちました。中には、国からの特定の価値観の押しつけを感じることで、伝統や文化に関する教育の充実に抵抗感のある方もいるようです。
次のページでは、
③道徳教育の充実
④外国語教育の充実
についてのアンケート結果をまとめています。
全国のほとんどの学校にあるPTA。PTAは保護者と教員でつくる任意団体として各校で活発な活動がなされる一方、加入の強制性や活動負担の重さについてたびたび話題に上がっています(報道事例は こちら など)。
PTAへの加入の仕組みやPTAのあり方について、全国の教職員に聞きました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2022年12月9日(金)〜2023年1月9日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :74件
Q1. あなたの勤務校では、保護者はPTAに加入するかしないかを選択することができますか?
保護者がPTAへの加入を「選択できる」と回答したのは全体の約10%にとどまりました。約60%は「選択できない(もしくは、選択できると知らない)」、約30%は「選択できるが加入を推奨される」という結果となりました。
Q2. あなたの勤務校では、教員はPTAに加入するかしないかを選択することができますか?
教員がPTAへの加入を「選択できる」と回答したのは全体の約5%にとどまりました。約80%は「選択できない(もしくは、選択できると知らない)」、約15%は「選択できるが加入を推奨される」という結果となりました。保護者よりも教員の方が「選択できない(もしくは、選択できると知らない)」傾向が強いことがわかりました。
Q3.保護者がPTAに加入するかどうかを選択できない事例が多いことについて、あなたの意見を教えてください。
保護者がPTAへ参加するかを選択できないこと(必須加入であること)について、全体の約30%の人が賛成と回答。主な理由としては、「手伝って!と声をかけるネットワークが必要」「学校と保護者が協力するのは当然」「全員加入にしておかないと、加入者と未加入者の区別がわからない」などの声が寄せられました。
一方で、約70%の人が必須加入であることに反対。主な理由としては、「加入については納得の上で考えてもらうべき」「PTAの役割などを整理して、見直す必要がある」「PTAが発足した当時とは社会背景が異なる」などの意見が寄せられました。
PTAは基本的に自主的な組織であると考えています。内容として必ずしなければならない仕事がある、というのは反対ですが、誰かが何かしたいと思った時に、手伝って!と声をかけるネットワークは必要だと考えるからです。【小学校・教員】
強制さにバイアスや同調圧力があると別ですが、参加できた保護者が繋がりを作る姿を見たので、そう簡単になくしたほうがいいみたいには言うことはできません。【小学校・教員】
現状の学校との関係においては、保護者と学校のつながりを表現する組織がないので、活動への協力や会費は関係なく組織は残しておくほうが良いという理由です【中学校・教頭】
内容にもよるが児童や生徒のためになる活動を行うのであれば、学校と保護者が協力するのは当然ではないか?【中学校・教員】
支援校ですので、強制でも加入してくれないと、何があったときに困ります(事故発生時など)。【特別支援学校・教員】
全員加入してくれないと煩雑になり、教員、特に教頭の多忙化につながるから。【小学校・教頭】
役員になるかならないかは別として、とりあえず全員加入にしておかないと、加入者と未加入者の区別がわからないので。【中学校・教員】
任意団体に強制的に入れられる必要はない。【小学校・教員】
PTAには賛否両論ありますが、加入については納得の上で考えてもらうべきだと思います。
学校とは別の組織であるにも関わらず、学校が強制的に加入させているように思われていることにも違和感があります。協力はすべきですが、納得の上で加入してもらわないと、不信感に繋がると思います。【小学校・教員】
選択できるはずなのに、慣習的に入らざるをえないのは、おかしい。しかし、PTA会費で部活動の大会費用などに使われていると考えると、金銭的には保護者全員から会費徴収した方が平等感がある。【中学校・教員】
任意団体なので加入も選択できるのが良い。選択できない強制されることにやらされ感が出てしまう。【中学校・教員】
参加は任意である、ということを前提に組織をつくっていくことで、参加者の人数に合わせた業務の改善も考えられると思う。【小学校・教員】
PTAが発足した社会背景とは現在はまったく異なるので、存在意義がないと思うから。【中学校・教員】
PTAの組織が見直されることなく、当番や仕事、任命の仕方などが動いている。PTAの役割などを整理して、役割を見直すことが大事だと思います。【高等学校・教員】
Q4.教員 がPTAに加入するかどうかを選択できない事例が多いことについて、あなたの意見を教えてください。
教員がPTAへ参加するかを選択できないこと(必須加入であること)について、全体の約25%の人が賛成と回答。保護者の必須加入よりも、賛成がやや少ない結果となりました。主な理由としては、「保護者との関係づくりのため」「保護者とのつながりがあることで支えられることもある」などの声が寄せられました。
一方で、約75%の人が必須加入であることに反対。主な理由としては、「労働ではないのに、強制されるのはおかしい」「公務でやっているのに会費を支払うことに疑問」「仕事が増える」「保護者の組織に教員が所属することへの疑問」などの意見が寄せられました。
保護者とつながるための位置は手っ取り早いのがPTAです。過多になるのが問題だと思いますが、保護者とつながることができない教職員がつながるためにも、代替案がないなら、続けたほうが良いと思います。【小学校・教員】
全ての活動に参加を求められるのは大変だが、そもそもその学校に勤める教員と保護者との関係づくりもあると思うので、双方にとってメリットのあるものになるといいと考えます。【小学校・教員】
PTAなのであれば、教員も同じだと思う。教員だけではできないことを保護者と一緒に行なったり、助けてもらうこともあるので、PTAという組織があるのなら教員も加入して活動の支援ができなくても会費という形でサポートすることは悪くはないと考える。保護者とのつながりがあることで、地域の情報や行事など支えられることもあると思う。テントが欲しいなど教員がほしくても学校予算で買えていないものもPTA費で簡単に購入できている。win-winの関係を取ろうと考えて活用すればよいと思う。【中学校・職員】
PTA会費からまぁまぁの費用が出ている実態を考えると(出所がそこしかない)、やむを得ないと思います。【特別支援学校・教員】
教員の労働として位置付けられていないものを強制されるのはおかしい。【中学校・教員】
教員だからPTAに入るのは当たり前、という無言のプレッシャーがある。加入しなければ、教員としてはダメだという考えをなくしてもらいたい。【中学校・教員】
教員に関しては保護者と一緒にやらなければ回らない案件もあると思うので、一応やった方がいいと思っています。ただ、強制と言うと全面的に賛成はしかねます。関わり方が選択できる方がいい。【高等学校・教員】
加入ではなく業務の一環としての連携という形を目指した方が良いと思う。【小学校・事務職員】
加入については別に構わないが、公務でやっているのにもかかわらずPTA会費が取られることに納得がいかない。【中学校・教員】
PTA会費を徴収されるのはおかしい。【高等学校・教員】
そもそも選択できることを知らされていないし、調べようともしない方がほとんどです。教務になってしまうと、役割が自動的に振り分けられます。校務の負担軽減は考慮されないので、個人の負担ばかり増える仕組みです。【小学校・教員】
校務分掌かのように、業務の分担がされている。週休日のPTA活動への参加を余儀なくされ、振替休ではなく、調整扱いとされる。(実際、取得できない)【小学校・教員】
カウントされない仕事がどんどん増えていくから。【中学校/高等学校・教員】
親の組織になぜ教員が所属しているのか、いつも疑問に思っている。親もやりにくそうなので。【小学校・教員】
教員がPTAに入ることによる、メリット・デメリットがわからない。【中学校・教員】
Q5.今後のPTAのあり方について、あなたの意見を教えてください(任意)
加入が任意かどうかは問題の本質ではなく、学校を支える組織のあり様が問われていると思います。管理組合でも商店組合でも、入る入らないの自由が前面に立てば協同性が脆弱になります。教員と親とが子どもたちの学校生活を支えていくために有用なPTA組織の在り方を考えていくべき。【小学校・教員】
正直難しい問題で、まだまだ自分でも答えが出ません。まずはいろんな立場の方の意見を聞く場がほしいところです。子どもたちを育てるのに一番良い形を、みんなで対話しながら模索していけたらと思います。【小学校・教員】
あり方を変える必要がある。ただあり方が同一である必要はなく、地域団体とまとまることや、保護者会として明確に立ち位置を考え直すなどそれぞれの学校に応じた良い形になれば良い。良いんだけど、どうしても同一形態になってしまうのが課題。【小学校・事務職員】
子どもを中心において活動できるPTAであってもらいたい。行事ごとのお手伝いのための、毎年これをしなければならない組織では、活動していても・参加していても義務でしかないのは苦痛ではないでしょうか。【中学校・教員】
子どもの在学期間で入れ替わるので、今までやっていたから‥という活動をなかなかやめられない中、役割分担がまわってきて負担になるケースが多いのかなと思います。ただ、保護者の意見を聞いたり、議論をしたりするときにはPTAという組織がないと、個々の保護者の意見を聞くだけで、学校との対話になりにくいと思いました。負担は減らしつつ、保護者が学校の活動に参加したり、意見を話し合って伝えたりする場は保障されていけばいいなと思います。【中学校・教員】
PTAのやり方を改善した上で、任意制に移行できるとよい。【小学校・職員】
我が子の学校のPTA役員も、毎年のように役が回ってきて負担である。活動の精選を行い、無くても困らないものは辞めていくべき。【小学校・教員】
どこかの学校で実践した例のように、子どもが参加する学校行事の中で、どれか1つの行事に参加することだけを全員に課して、どの行事に参加するかは、選んでもらえばよいと思う。そして、その行事の参加者が、その行事で行うPTA活動をする、というふうにすればよいと思う。PTA席は、参加しない人より、写真がよく撮れる席にするとかメリットもつければよいのではないか。【中学校/高等学校・教員】
学校から独立した組織が望ましい。【中学校・教員】
地域本部や保護者の会等に組織を変更し、学校と少し切り離して活動すべき。【中学校・教員】
なくてもよい。コミュニティスクールに一本化すればよい。【小学校・教頭】
PTAが発足した社会背景とは現在はまったく異なるので、PTAは廃止していいと思う。この指とまれ方式で「このお手伝いには10名の協力が必要です。どなたかお願いできませんか?」のようなシステムになればいいのにな、と思う。【中学校・教員】
PTAという組織をなくすべき。コロナで例年通りの活動ができなくても学校運営に支障を感じなかった。現在のPTA活動の精査をし、どうしても必要なものは外注やその都度ボランティアを募るなどしていく必要がある。【中学校・教員】
学校の教育活動を支えると称して、様々な行事の「お手伝い」や「寄付」「教員の部活動交通費の補助」などをするのは、おかしい。本来、学校の責任、設置自治体の責任としておこなうべきことを肩代わりするのはやめるべき。【高等学校・教員】
いろんな課題があると思いますが、つながりを作らないといけない今の世の中。希薄になっている危機を強く感じています。地域に耳を傾け、地域で育つ教職員じゃないと、つながりを持てない保護者が孤立していくかもしれません。【小学校・教員】
PTAへの加入が必須か任意かどうか以前に、PTAのあり方や活動内容を見直すことの必要性を訴える声が多く集まりました。「教員と親とが子どもたちの学校生活を支えていくために有用なPTA組織の在り方」「子どもたちを育てるのに一番良い形」など、PTAがあることの目的を問い直す意見も寄せられました。
また、保護者や教員の負担を懸念する声も多く集まりました。主な意見は、「任意制に移行できるとよい」「なくても困らないものは辞めていくべき」「どの行事に参加するかは、選んでもらえばよい」など。必要性に応じて活動内容を減らしたり、任意で参加できるようにするなどのアイデアが寄せられました。
保護者、教員ともに、PTAへの加入を「選択できる」と回答したのは全体の約5〜10%。大多数は、「選択できない(もしくは、選択できると知らない)」または「選択できるが加入を推奨される」という結果となりました。
保護者、教員ともにPTAへの加入を選択できないこと(必須加入であること)について賛成する意見は少数で、約25〜30%にとどまりました。賛成する主な理由としては、「手伝って!と声をかけるネットワークが必要」「学校と保護者が協力するのは当然」「保護者とのつながりがあることで支えられることもある」など。
一方で、約70〜75%の人が必須加入であることに反対。保護者においては、「加入については納得の上で考えてもらうべき」「PTAの役割などを整理して、見直す必要がある」「PTAが発足した当時とは社会背景が異なる」などの理由が寄せられました。教員においては、「労働ではないのに、強制されるのはおかしい」「公務でやっているのに会費を支払うことに疑問」「仕事が増える」「保護者の組織に教員が所属することへの疑問」などの理由が寄せられました。
また、PTAへの加入が必須か任意かどうか以前に、PTAのあり方や活動内容を見直すことの必要性を訴える声が多く集まりました。時代の変化に伴い、活動への負担を感じる保護者や教員も多くいることも予想されます。今一度、何のためにPTAがあるのかを問い直し、活動を見直していく必要があるのではないでしょうか。
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学校の教室にあるのは机と椅子。できる限り、余計なものは置かない。
そんな環境とは対照的な教室をつくるのは、大阪府の公立小学校に勤める豊田哲雄さん。現在は理科の専科教員として、理科室にソファやクッションを置き、子どもたちがリラックスして学べる環境をつくっています。中には仮装をして授業を受ける子どももいるのだとか。
豊田さんが考える居心地の良い空間と、教室にさまざまなものを置くねらいを伺いました。
ーー 教室環境を変えようと思ったきっかけを教えてください。
10年ほど前に、元小学校教員で現在は軽井沢風越学園校長をされている岩瀬直樹さんの著書『クラスづくりの極意―ぼくら、先生なしでも大丈夫だよ』を読んだことがきっかけでした。「教室リフォームプロジェクト」(※1)といって、教室のレイアウトを子どもたちが話し合いながら決めていく実践が紹介されています。そこに畳が置いてある写真が載っていて、とりあえずそれを真似してみたのが教室環境を変える一番最初の実践だったと思います。
その数年後、イエナプラン教育(※2)の実践に影響されて、ベンチを教室内に置き始めました。同じ頃、学校の倉庫にソファがあることに気づいて、それも教室に置いてみたりと、長い年月をかけていろんなものを置くことが当たり前になっていきました。
※1 「教室リフォームプロジェクト」とは、子どもたちが教室を自分たちでデザインして、自分たちの居場所に変えていくプロジェクトです。このプロジェクトを通して、学級に対するオーナーシップを育てることを目指します。詳しくは、『クラスがワクワク楽しくなる! 子どもとつくる教室リフォーム』をご覧下さい。
※2 イエナプラン教育とは、ドイツで始まりオランダで広がった、一人ひとりを尊重しながら自律と共生を学ぶオープンモデルの教育です。(日本イエナプラン教育協会HPより引用)
ーー 教室環境を変えていったときの子どもたちは、どんな様子でしたか?
休み時間になると、子どもたちはみんな畳スペースに集まってカードゲームをしたり、ソファやベンチに座って話をしたりしていました。教室の中に集まれるような場所があれば、自然とそこに集まり、遊びが始まります。子どもたちは、狭いスペースに集まって遊ぶことが好きなんです。休み時間に十分遊べているから、授業にも集中できていたと感じます。
授業に関して言うと、僕の授業では元々、立ち歩いたり机を動かしたりできる時間を多く取っていたのですが、畳やソファ、ベンチがあることで、さらに「学ぶ場所」に関して、多様性が生まれました。
国語の時間で時々やっていた「読書家の時間」(※3)では、畳スペースの狭いところに子どもたちが集まって本を読む姿が微笑ましかったです。中にはベンチに寝転んで本を読んでいる子もいました。そうやって、思い思いの場所や姿勢で過ごす姿が素敵だなと思っていました。
※3 「読書家の時間」とは、子どもが「読書家」になりきって、たくさんの本を読む中で、選書の仕方や優れた読み方、本を介した対話などを、体験的に学んでいくワークショップ形式の実践です。詳しくは『改訂版 読書家の時間 自立した読み手を育てる教え方・学び方【実践編】』をご覧下さい。
ーー 子どもたちが自由に選択できる環境をつくる上で、気をつけていることはありますか?
2年前にタブレットが導入されたとき、僕のクラスではホーム画面の壁紙を自由に設定していいことにしていました。ある日、子どものタブレットを整理していたら、性的な要素の強いアニメの画像を壁紙に設定している子がいることに気づいたんです。それを見たときは「ちょっとまずいなぁ…」と思いましたが、その子が「この画像が可愛い」と思う気持ちは尊重したいなと思いました。
悩んだ末、翌朝子どもたちに「みんな好きな壁紙にしていいと思うけど、他の人がどう感じるかも考えてみてね」という話をしました。すると、該当の壁紙を設定していた子はすぐに気づいて、子どもたち同士で「私のはどう見えるかな?」とお互いの感性を聞き合うようなやり取りが始まりました。みんなの意見を聞くことで、その子は納得して他の壁紙に変えていましたね。
自由にできることを多くしたら、やはり既存のルールから外れるような出来事はたくさん起こるものです。そのときに教員自身が「これは良くないかな」と思うことがあったら、それはちゃんと子どもたちに伝えた方がいい。
教室は公共の場なので、お互いの感覚や感性を伝え合うことで、みんなで一定の基準を決めていくことが大切だと思います。そのやり取りも、子どもたちにとっての学びなんです。さらにそれが、インクルーシブな環境づくりにもつながっていくと思っています。
ーー 今は、理科の専科を担当されていますよね。理科室ではどのような環境をつくっているのでしょうか?
学級担任をしていた頃のように、理科室にはソファとクッションを置いています。
他にも、ハロウィンやクリスマスの季節になると、関連する衣装を置いて、仮装をしながら授業を受けられるようにしています。理科では実験をすることもあるので、安全面には十分に配慮しています。
理科室の前には模型の骸骨が置いてあって、子どもたちは自由に衣装を着せたりしています。「骨田骨雄(ほねだほねお)」という名前もついているんですよ(笑)季節やイベントによって、衣装が変わります。
あとは、「呪いの石」と「呪いを解く鐘」、「幸せの石」、「願いが叶う石」など、うけ狙いのグッズを置いたりしています。休み時間に来た子どもが、目をつぶって「願いが叶う石」をぎゅっと握りしめている様子を見かけることもありますね。他の授業で子どもたちが作った作品などを置いて、遊べるようにすることもあります。
ーー なぜそのようなものを置いているのでしょうか?
衣装や石は、最初は「面白そうだから」という理由で置いてみたのですが(笑)、実はこれがインクルーシブな環境をつくっているんじゃないかと思うようになりました。
日本の学校ではあまり多様性が受け入れられていないなとずっと感じていて。みんな同じであることが普通だと、少し違う子が目立ってしまう。そうすると、いじめも起こりやすくなると思っています。合理的配慮が必要な子に対しても、「ずるい」という声が聞こえることもあります。
「インクルーシブ教育」と聞くと、障害のある子どもが支援を受けて、みんなと同じようにできるようになることを目指すものかのような誤解もあると思います。本来のインクルーシブの意味はそうではなくて、みんながバラバラの状態で尊重されることです。
だから、みんなが同じになりがちな教室の中で、ソファや仮装道具を置いたりして、わざと多様性を持たせるようにしているんです。ソファで勉強している子がいたり、仮装して授業を受けている子がいる中で、防音のためのイヤーマフを着けている子がいたとしても目立たないですよね。そういう意味で、いろんな学び方を保障することにつながると思っています。
ーー 理科室の中に、子どもたちの居場所があるように感じますね。
そうですね。実はそれも意図して環境づくりをしています。
ソファの設置に関して言うと、学校や教室の中に座る場所が1つだけしかないのは、子どもたちの権利を大切にしていないことの表れなんじゃないかなと思っています。休みたいときに休めることは、人間の基本的な権利ですよね。学校の中では、まるで硬い椅子に座り続ける訓練をしているように感じることもあります。リラックスできる環境をつくることは、子どもの権利を保障するという側面でも大切なことだと思います。
また、学校では学力や体力を向上させることが重視されますが、そればかりが強調されることによってしんどい思いをする子どももいます。例えば、「おしゃれをすること」や「笑いをとること」など、違う価値観のベクトルがあれば、それによって救われる子どもがいるんじゃないかと思っています。仮装道具や石を置くことには、あえて教室の中のベクトルがいろいろな方向に向くようにする意図もあったりします。
ーー 最後に、学びの環境づくりについて、豊田さんが目指していることを教えてください。
僕はあくまで理科の授業をする人なので、そこは崩してはいけないと思っています。質の高い授業をすることで、子どもたちの学びを保障する。それと同時に、学力を高めることや体力をつけることばかりを重視するのではなく、「余白」をつくっていくことも大切にしたいです。
一見すると授業には関係ないように見えることでもいいから、子どもたちが自分なりに考えたりやってみたりできる「余白」を、教室の中に残しておく。そうやって、一人ひとりにとっての“自分の居場所”を学校や教室の中につくり、子どもたちが安心して学びに向かえる環境をつくっていきたいですね。