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NPO法人School Voice Projectは、2023年度から「“#新年度準備期間を十分に”キャンペーン」を行い、「全国どこでも最低平日5日間の準備期間確保」を呼びかけてきました(詳細はこちら)。そうした成果もあってか、ここ数年で新年度準備期間を延長する自治体が徐々に増えてきています。
今回のアンケートでは、実際に準備期間が延長された学校で何が変わったのか、教職員がどのような効果を実感しているのかを中心に、新年度準備期間の実態を調査しました。
今回の記事では、前半部分にアンケート結果の概要、後半部分に各校種別・自治体別の詳細な分析を掲載いたしました。 後半部分 には、校種別の始業式日程の状況の詳細や、始業式日程を後ろ倒しにした自治体の一覧等をまとめています。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2026年3月20日(金)〜2026年5月11日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :158件
Q1. あなたの勤務校では、令和8(2026)年度の始業式は4月何日ですか

2026年度の始業式の日程について、158人(回答校数160校 ※重複あり)の中では「4月8日(水)」が最も多く35%(56校)、次いで「4月7日(火)」が29%(46校)、「4月6日(月)」が23%(37校)という結果でした。4月8日以降を合わせると46%(74件)となり、約半数の学校が、土日を除いて5日間以上の準備期間を確保できていることがわかります。
一方、地域別に見ると、関東は「4月6日(月)」が約4割と突出して多く、他地域より始業式が早い傾向が見られます。これに対して近畿は「4月8日(水)」が約6割、北海道・東北も「4月8日(水)」が半数と集中しており、始業式の日程が比較的遅め(=準備期間を長く確保できている)傾向があります。中部や九州・沖縄は4月7日を中心に日程が分散しており、地域によって準備期間の確保状況に差があることが読み取れます。
Q2. あなたの勤務校では、2023年度以降(ここ4年間で)、4月の始業式日程が後ろ倒しされ、新年度準備期間が延長されましたか?
Q3. 2022年度は始業式は4月何日でしたか?


ここ4年間で新年度準備期間が延長された学校は、全体の24%(38校)という結果になりました。このうち延長された学校に後ろ倒しされた期間を聞いたところ、「2日間」の後ろ倒しが最も多く(50%)、次いで「1日間」(34%)と1〜2日間の延長が約8割を占めました。
Q4. 以下の中から新年度準備期間が延長されたことで『改善された』と考える項目を選択してください(複数回答可 / 必須)

準備期間が延長された教職員(37人)に、どのような課題が改善したかを尋ねたところ、「教科や学級の準備が不十分になる」(84%)、「校務分掌の準備が不十分になる」(76%)と、教科・学級経営・校務分掌等の準備不足が改善されたという意見や、「休日出勤や残業が増える」(78%)のように労働時間の改善がなされたという意見が多く見られました。
このことからも、準備期間の延長が、教育の質の向上と教職員の働き方の改善を促す可能性が示されました。
新年度準備期間が延長されたことで『改善された』と考える項目
1位:教科や学級の準備不足(84%:31人)
2位:時間外勤務(残業・休日出勤)(78%:29人)
3位:校務分掌の準備不足(76%:28人)
4位:児童生徒支援のための情報共有・引き継ぎ不足(65%:24人)
4位:教職員同士のコミュニケーション不足(65%:24人)
Q5. トラブル回避などのため、“最低限必要”な新年度準備期間は、4/1から何日間だと思いますか(土日は除外)

回答を「~4日間」「5〜6日間」「7〜8日間」「9〜10日間」に整理して分析したところ、最も多かったのは「5〜6日間」で約56%(88人)、次いで「7〜8日間」が21%(34人)、「〜4日間」が11%(17人)、「9〜10日間」が10%(16人)という結果になりました。5日間以上と答えた教職員が約9割を占めており、大多数の教職員が最低でも平日5日間程度の準備期間が必要だと考えていることがわかります。
Q6. “万全の状態で新年度をスタートするため”に必要な新年度準備期間は、4/1から何日間だと思いますか(土日は除外)

前問と同様に回答を整理して分析したところ、「9〜10日間」(54人)と「7〜8日間」(53人)が約34%とほぼ同数で最も多く、次いで「5〜6日間」が約25%(40人)でした。万全の状態を求める場合、約7割の教職員が7日間以上の準備期間を必要だと考えていることがわかりました。
Q7. 新年度準備期間が短いことで原因で引き起こされたトラブルや困ったこと、もしくは延長されたことでよかったことを教えてください。(具体的なエピソードでぜひ)
大きく「長時間労働・心身の疲弊」「引き継ぎ・情報共有・チーム形成の不足」「事務上の準備不備」「学級開き・授業準備・児童生徒対応への影響」の4つの観点での意見が寄せられました。
特に「長時間労働・心身の疲弊」については回答を記載した方のうち約半数が言及するなど、準備期間が短いことの弊害として広く認識されていることが伺えました。
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期間が短いと、勤務時間内には終わらないので、残業が増える【東京・小学校・教頭/副校長】
残業が増えて心も身体もボロボロになる。【福岡・小学校・教員】
準備期間が短いため、週末の土曜日曜に学校に行くとほとんどの担任たちが出勤して教室の準備をしていた。【神奈川・小学校・教員】
今年のように間に土日を挟む年度の場合、とくに1年生担当の学年職員は、夜遅くまで残って準備に追われ、心の余裕がなかった。【茨城・中学校・校長】
準備時間がほとんどなく、夜遅くまで残る、休日に来ることになった。【東京・小学校・教員】
結局土日出勤して、間に合わない部分を減らしている現状。子育て中のため土日出勤しないといけない状況に困っている。【大阪・小学校・養護教諭】
学校全体や学級間で、宿題、給食準備の方法、昼休みや掃除のルールなどの足並みが揃わなかった。特に転任者が多い場合。【山口・小学校・教員】
準備期間が短いと、教職員同士が知り合ったり、学校の方針を話し合ったりすることが十分に出来ず、そこで起こったズレがその後に響くことが多い。【大阪・小学校・教員】
異動したてで学年や学校での対話の機会が少なく、互いに安心できる関係づくりができなかった。新卒から数年は何をすべきか見通しが持てず、いつも準備不足な中スタートをしていた。【兵庫・小学校・教員】
クラス担任との引き継ぎ不足【奈良・小学校・教員】
異動があった際に学校の目標や取り組みについての検討・対話の時間が取れない。【愛知県・教育委員会】
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名簿の不備により生徒の名前が抜けていたり、内容の違う名簿が複数存在したりした。【北海道・高等学校・教員】
様々なICTアカウント作業等が間に合わないままスタートしてしまう。【京都・小学校・教員】
名簿の確認不足で名簿順が入れ替わった。
校外学習などの行事の下見ができなかった。【愛知・中学校・教員】
家庭環境調査や保険調査票などを個人のファイルに入れて配付するのですが、個人情報なので当然、慎重に作業をしたはずが差し違いがあり保護者からクレームという事案が今年度ありました。そういう事態になってしまった同僚が、気の毒でなりません。【福島・小学校・教員】
教材などが届かず配布ができなかった。準備期間が短く、直前での転入や転出などに対応ができず、一度作った名簿やお便りなど何度も作り替えなければならなくなった。(本当は始業式まで待つことになっていますが、待っていたら仕事が絶対に終わらないので、早目に動くのが通例になっています。)【福岡・小学校・教員】
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担任がなかなか決まらず、2日目に持ち越したため、準備がほとんどできないまま新学期がスタートした。【福岡・小学校・教員】
学年の子どもの名前も分からない。年間指導計画を読む時間がない。会議ばかりで、自分の仕事が出来ない。【東京・特別支援学校・教員】
学級開きや授業びらきという、大事な時間の準備を睡眠時間を削っておこなうことで、体力が削られてしまう。【滋賀・高等学校・教員】
校務分掌のことや、会議等、本来最も時間をかけるべき、学級の児童のことに時間を使えません。その状態でスタートするので、荒れる学級が出ているのだと思います。児童理解、学級経営の見通し、本当に子どものためを思うなら、そういった部分にこそフォーカスして時間を割きたいと切に願います。【長崎・小学校・教員】
会議や分掌の業務ばかりで自分の学級の準備時間が取れず、残業してやっと始業。それでも係活動や当番活動の掲示物準備等まで手が行き届かず、ルール作りなどもままならないまま準備できないまま係が始まってしまい混乱をきたしてしまった。最初に定着しなかったルールはその後もなかなか定着せず、ずっと苦労した。【神奈川・小学校・教員】
全体を通して、「物理的・精神的に余裕が生まれた」「準備や引き継ぎに十分に時間を取れるようになった」という声が寄せられました。
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延長されたことで気持ち的に余裕がある、と多くの職員が話しています。具体的に何が、ということは話していませんが、気持ち的に余裕があるというのはとても大切なことだと思います。【山梨・小学校・教員】
5日間あると、職員同士でもゆとりがあるため、ちょっとした会話にも時間を割ける雰囲気が広がっていた。【新潟・小学校・教員】
準備ができる。教室移動で自分の荷物が計画的に運べる。心身の疲労軽減。【愛知・小学校・教員】
休日出勤が当たり前になされていた。上司からの指示ではなく、自主的ではあるが。延長されたことで改善された。【福岡・小学校・校長】
延長されたことで自分の引っ越し作業と仕事が両立できる。【北海道・小学校・教員】
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始業式に配付される予定の書類等の準備が複数人で確認しながら準備できる【山形・小学校・教員】
入学式の準備を丁寧にすることができた。一年生の要録を作ることができた。フィールドワークに行ったので、始まってからの放課後に行かなくてよくなった。事務作業日は取れないが、入学式が疲労のピークにならなくてよい。【高知・小学校・教員】
始業式と入学式の日をずらしたことで学級開きがしっかりできた。【三重・小学校・校長】
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着任者の立場ではしっかり、その学校のことの情報を整理して臨むことができる。1日の会議を適切な数、適切な時間で開催できる。時間割の設定に多少余裕が生まれる。【神奈川・中学校・教員】
異動された先生と情報共有ができた。入学式準備を急がずできた。【千葉・小学校・校長】
不登校の児童の情報、いじめ問題、保護者の情報など共有できた。延長されてなかったときは4月初め、トラブルが多発していた【鹿児島・小学校】
4月から転勤したばかりです。新しい仲間の教職員と教育観の共有し、どんな学年にしたいかについてじっくり話し合うことができました。また校務分掌の仕事にも早くから着手できました。【大阪・中学校・教員】
延長されたおかげで、引き継ぎはしっかりと行うことができました。【沖縄・小学校・教員】
Q8. 新年度準備期間について、教育委員会や学校管理職等へ伝えたいこと、あなたの考えや改善策などを自由にお書きください。
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校内研、町内研、ICT研修等諸々あり、初任者はさらに初日は仕事ができずに終わるので最低限平日5日、できれば7日は欲しい。校務分掌等の学校の仕事も諸々あるので、学級事務や環境整備までに時間がかかる。ましてや、異動先だと何がどこにあるかもわからないので。【福岡・小学校・教員】
夏休み開始が遅れても良いです。二学期の始まりが早まっても良いです。4/1〜の準備期間を最低5日取れるように改善を希望します。【東京・小学校・教員】
準備が8割だと思います。コロナで休校の時、ものすごく準備できたので、一年は短かったけど、スムーズにスタートしました。そこまで取れないとは思いますが、少なくとも1週間はほしいです。4月は、そうでなくてもずっと忙しくて、ゴールデンウィークまで、休まる時がありません。【福岡・小学校・教員】
管理規則で4月6日と一律に規定するのではなく、新年度準備期間を5日間確保するような規則としてほしい。【茨城・中学校・校長】
初日直前の土日は、ほぼ全ての学年の職員が出勤していました。それはつまり、圧倒的に日数が足りない証拠だと思います。そこの準備不足が1年間の学級経営に影響することを皆よく知っているし、そこではじめて会う児童にマイナスな事が起こってはいけないと責任を全うする気持ちがあるから休日出勤をしているわけですが、それに甘えていては、教職員は皆心身を壊し健康に働けないと思います。ぜひ、1年のスタートが万全の体制でできるように、環境を整えていただきたいです。【神奈川・小学校・教員】
あと2、3日でいいから、余裕がほしい。そうすれば、もっと余裕を持って、丁寧な学級びらきができる。転勤された先生方にも、落ち着いた雰囲気で迎えることができる。【広島・小学校・教員】
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せめて、始業式・入学式がずらせないなら、4月2週目までは給食なし帰りにしてほしい。【千葉・小学校・教員】
教員がやらなくてもできることは、スクールサポートスタッフを積極的に活用してほしい。カーテンの取り替え、タブレットの整備、教科書の点検。【北海道・小学校・教員】
一番大きな障壁は、文科省や県教委がこの最繁忙期であるにもかかわらず、タイミングも一切配慮せずに膨大な量の調査や報告の文書提出を要求してくる異常な状況。4月中に報告せよだとか、自分たちは高みの見物で現場を理解していない。学校保健法で定められている健康診断の結果報告でもこんな年度初めの忙殺される時期ではない。文科省自体が学校現場の苦境を何も理解しようとしないし、実効性のある改善など全く知ったことかと言う不遜な対応を続けている。【山形・高等学校・教員】
入学式や始業式を華やかに、児童生徒を気持ち良く迎えたいことは十二分に理解できます。しかし、あまりにも入学式だけでなく卒業式や各種行事にも、ショーやエンターテイメントを求め過ぎてないでしょうか?【福島・中学校・教員】
十分な時間が必要なのではなく、時間がない場合には、その時間に合わせた内容にすることをお願いしたい。【東京・小学校・教員】
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まず、子どもたちと同様に、大人にも同僚と出会い、お互いを知ることで職場に対する心理的安全性をもてると思います。4月スタートの時点でお互いを知り合う時間が持てたらうれしいです。次に、学校全体や学年での教育目標・1年間のビジョンを対話して共有する時間が年度はじめにほしいです。そうすることで、この後なにかトラブルがあっても原点回帰したり、組織として一貫した対応をしたりすることができると思います。【大阪・中学校・教員】
オトナ同士もグループで信頼関係をつくったり安心して本音を言える場づくりのための遊びや対話がしたい。新しいメンバーを迎えているのだから。【和歌山・小学校・教員】
公立の場合特に?人事異動に起因する「大幅な」新体制構築が毎年迫られ求められる。3月中から、現勤務校・新勤務校及びその他校務分掌業務を引き継げるような、グラデーションのある運用はできないものか。【神奈川・高等学校・教員】
もっと年度末の人事の流れを早めにして欲しい。次年度のことが分からないと準備が進まないどころかやり直しになる。【大阪・高等学校・教員】
まずは、新しく変わってくる人の情報が早くわかり面談して校内人事を早く決定したい。そうすることにより、余裕をもって次年度の準備をすることができる。今年は県の議会の関係からか例年よりも内示が1週間遅れた。その影響は現場にも大きな影響を与えた。余裕をもって仕事ができるようなスケジュールで動きたい。余裕のなさはトラブルにつながると実感している。【福井・小学校・校長】
教員間で「こんな一年にしたい」や「子どもたちをこんな風に見て行こう」などの話し合いをしたりする時間がほとんどありません。おとなどうしが一年間意思疎通を重ねて子どもに向き合っていくための土台とするための対話、コミュニケーションをとる時間が少なすぎると感じます。【大阪・小学校・教員】
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始業式を後ろ倒しにしても、その分の授業時数を確保しないといけなくなるのなら改善にはならない。35週を基本とする現行のカリキュラムを1週分減らすくらいでちょうどよいと思う。【大阪・中学校・教員】
確かに働いているご家庭が多いから入学式等を早くした方が良いという思いもわかりますが、学童保育等の整備もでき、社会の仕組みが整ったいる今だからこそ、少し開始を遅らせ、教員の働き方を見直してほしいものです。【東京・小学校・教員】
毎年現場の慌ただしさに巻き込まれて泣き出してしまったり、辞めてしまったりする初任者がいる。「若手を育てていきたい。」と思うのであれば、これまでのように、現場の残業で補うのではなく、勤務時間内に業務をこなせば、充分に間に合うくらいの余裕のある準備期間は必要。【福岡・小学校・教員】
今年度は同じ東京都でも、4月6日スタートの区と8日スタートの区がありました。6日スタートの区は明らかに、現場の悲鳴を無視した封建システムの残る行政であることが如実に示されたと思います。子どもに直接接する教員をおもんばかることなく子どもを尊重しろだなんて、よく言えるなと呆れました。教育委員には元教員もたくさんいるのですから、新年度準備の作業工程を、勤務時間内に終えるためには何日間必要なのか、ちゃんと計算してほしいです。昔ながらの「新年度ってこういうもの」「それでも教員はなんとかするもの」という考えを早く捨ててください。これは明らかに、時間外勤務の強制です。【東京・小学校・教員】
今年は年度が明けてから3日間しかなく、その上新規採用者も26人と多く、その人たちは社会人4日目で教員として現場に立たなければならない。また、移動した教員もまだ右も左も分からないまま動き出し混乱しかない。夏休みを短くしてでも、新年度の準備期間を伸ばしてほしい。【東京・特別支援学校・教員】
教育委員会や管理職だけでは無理で、標準授業時数を減らす、学習指導要領の内容を減らすをしないと、始業式を遅らせたからといって、結局日々に負担がかかるだけです。【愛知・教育委員会】
標準時数に対して、30時間以上の余剰時間を計画している。そんなもののために、職員を疾患で失って、何を得るというのだろうか。【神奈川・小学校・教員】
千葉県の県立学校では新規採用者のアカウントが4月1日から申請というおかしな制度になっている。そのため、始業式まで3日間しかないうちの数日間をPCなしで過ごさざるを得ない先生が多数発生している。
学校DXとかいうならば採用初日からPCを使えるようにするのが採用側の義務であると思うが、果たされていない。
給与をもらうためのシステムには、4月1日の朝にはアカウントが出来ているのに、それと連動していない縦割り行政。ぜひ教育委員会と県庁とでしっかりと連携して、仕事に必要なアカウントを4月1日に間に合わせていただきたい。【千葉・高等学校・教員】
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追われるように新年度を始めるのではなく、心に余裕をもって始められるように、これからもしてほしい。【山梨・小学校・教員】
今年度から準備期間が延びた。引き続きお願いしたい。【千葉・小学校・校長】
自分は教育委員会におり、始業式の日を後ろ倒しを提案し、特例規則を制定して実施した側であるが、後ろ倒しにして良かったと思っている。【兵庫・小学校・校長】
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最低5日は準備期間が必要。【福井・小学校・教員】
本年度から本市は、準備期間が5日となりよかったが、やはり、初任者のためには、7日ほしいと感じる。授業のための教材研究、準備の時間が足りない。【長崎・小学校・校長】
異動してきたメンバーも安心してスタートするには、もっと時間が必要。【山形・小学校・教員】
もう少し入学式始業式を遅らせてほしい。心身の疲労、時間外勤務の強要(定時を超える出張をしなくてはならない。)もあり、法令違反も当たり前になっている。【愛知・小学校・教員】
4月は学校にとって最も重要な月であるからこそ、半月は準備にあててもよいと思う。準備に力を注ぐことができることは教員の心の余裕を生み出し、結果的に子供たちが安心して学校生活を送れることにつながる。【東京・小学校・教員】
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「主体的対話的で深い学び」をこどもに求めるのに、大人はそれをしたことがない教員が多いのは矛盾していると思います。対話をして、学校の基盤をしっかり整えてから、始業式をすれば、今ある問題の半分は解決するように思います。どうか、私たちに、時間をください。【愛知・小学校・教員】
職員会議はどうせ何時間かけても新しい職員には伝わらない。1対1対応など、特に新採者にはフォロー体制で臨んでほしい。管理職の長い話もいらない。どんな学校にしたいか、みんなで語り合う学校にしてほしい【鹿児島・小学校・教員】
異動発表か、内示をもう少し早くしてほしい。【高知・小学校・教員】
新年度の準備は異動してきた職員など、慣れたり準備をしたりするのに時間がかかる人を視野にいれて、会議の量と日程を検討してほしい【新潟・小学校・教員】
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延長された分のところに研修が入っていて、結局自分の学級の準備をする時間がなかった。【沖縄・小学校・教員】
自分は教育委員会におり、始業式の日を後ろ倒しを提案し、特例規則を制定して実施した側であるが、後ろ倒しにして良かったと思っている。【兵庫・小学校・校長(※昨年度は教育委員会所属)】
教材選定から確認、発注までをスムーズに行うことができるシステムを構築してほしい。【福岡・小学校・校長】
新年度準備期間期間はスクールサポートスタッフの勤務がなく机、下駄箱、ロッカー準備は学年部職員に任されています。会議に加えて環境整備も大きな業務でスクールサポートスタッフの方々の手が必要だと感じます。
介助員の勤務は基本生徒の授業日となっています。年度末は午前中で授業が終わり午後からは時間を持て余している介助員さんたちの姿があります。新年度準備に介助員の方々の手もほしいなあとモヤモヤしてしまいます。介助員の方の業務の棲み分けが難しいです。【新潟・中学校・教員】
この延長により、一番恩恵を受けるのは経験の少ない若手教員である。特に新卒・新採用者は、つい先日まで学生だった身分。それが、たった数日で「先生」と呼ばれることになる。そんな彼らにとって、1日でも準備期間があることは重要。さらに、ベテラン勢にとっても、若手への支援を行う余裕が生まれる。今日、若手の採用が激増しているが、離職を選ぶ若手も多い。この教員不足の状況下で、離職されることは大きな痛手である。若手への支援という視点から、春季休業の延長は必須である。【秋田・小学校・教員】
今回のアンケートからは、新年度準備期間の不足が、教職員の長時間労働だけでなく、子どもたちを安心して迎えるための準備、引き継ぎ、職員同士の対話、学級・授業づくりにまで影響していることが示唆されました。
この課題は、今回初めて明らかになったものではありません。School Voice Projectが過去に行ってきた「年度始めの超過勤務」に関する調査でも、新年度準備が勤務時間内に収まりきっていない実態が繰り返し示されてきました。実際、2023年度~2025年度調査では共通して「9割以上が平日に超過勤務を実施」「半数以上が平日1日あたり2時間以上の超過勤務を実施」「6割以上が新年度最初の土日に持ち帰りを含めて何らかの業務を実施」といった実態が明らかになっています。
そもそも、多くの自治体では人事異動や新採用の辞令交付が4月1日となるため、新年度準備は「4月1日から始業式前日まで」の限られた平日で進めざるを得ません。過去記事でも指摘されているように、その期間には、学校全体・学年・校務分掌・自分の学級の準備が重なるだけでなく、GIGAスクール構想以降はICTアカウント管理等の業務も増えています。今回の自由記述で、名簿やICT設定、引き継ぎ、学級開きの準備不足が繰り返し挙げられたことは、こうした構造と重なります。
一方で、改善の実例もあります。木更津市では、学校管理規則を変更し、4月1日から土日を除いて5日間の新年度準備期間を毎年確保できるようにしました。また熊本市でも、学校管理規則を改訂して学年始休業日の終了を1日遅らせ、夏季休業日の調整などとあわせて準備期間を確保しています。いずれも、始業式の日程は「変えられないもの」ではなく、自治体の判断と制度設計によって見直し得ることを示しています。
今回の調査でも、準備期間が延長された学校では、教科や学級の準備、校務分掌、情報共有、教職員同士のコミュニケーション、残業・休日出勤の面で改善を実感する声が寄せられました。そういった観点からも、十分な新年度準備期間を確保することは、教職員の働き方改善にとどまらず、子どもたちを落ち着いて迎えるための重要な条件であることが言えるでしょぅ。
ただし、日数を増やすだけでは十分ではありません。延長された期間に会議や研修、調査対応、ICT設定、行事準備が詰め込まれてしまえば、学級づくりや授業準備、子どもの情報共有に使える時間は確保されません。始業式・入学式の日程やプログラム、ICT環境の整備主体やスクールサポートスタッフの勤務体制、行政調査の期間なども含め、年度初めの学校業務について「いつ、誰が、どのように行うか」を全体的に見直す必要があります。
「教員なら何とかする」という前提に頼るのではなく、勤務時間内に必要な準備ができる仕組みを整えること。新年度準備期間の確保は、教職員を守るためだけでなく、子どもたちにとって安心できる学校のスタートをつくるための、有効な一手と言えるでしょう。
記事の 後半 では、調査の内容を校種別・自治体別に掘り下げていきます。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
授業で教科書を読む際に行われる「。読み(まるよみ)」。
句点ごとに区切って、1人1文ずつ音読させる指導方法として、多くの学校で見られる実践です。
一方で近年は、日本語を母語としない児童生徒や、発達障害や言語障害、音読に苦手感のある児童生徒などにとって、過度な緊張感や劣等感につながる可能性を指摘する声もあります。
子どもたちの学びや参加のあり方を考える上で、「。読み」はどのように捉えられているのでしょうか。全国の教職員に意見を伺いました。
【注】本記事における「。読み(まるよみ)」は、「句点ごとに区切って、1人1文ずつ音読させる指導方法」と定義したうえで、表記を「。読み」に統一します。アンケートの回答において他の表記を用いている場合も「。読み」の表記に修正していますので、ご了承ください。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2025年9月12日(金)〜2025年10月13日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :29件
Q1. 授業で教科書を読む際によく行われている「。読み」ですが、上手く読めない児童生徒(発達障害・言語障害、母国語が日本語以外の児童生徒など)に過度の劣等感を与えてしまう指導のように感じています。どう思いますか?

全体では、「必要な指導だと思う」が59%、「不要な指導だと思う」が41%という結果となりました。
校種別に見ると、小学校では「必要な指導だと思う」が58%、中学校では67%となり、いずれも「必要」という回答が過半数を占めました。
Q2. 上記の内容に関連して、あなたが思っていることや考えていることを教えてください。
設問1の内容を受けた自由記述では、単純に「必要/不要」と言い切るのではなく、
といった意見も多く見られました。
あまり読む事がうまくない生徒でも、一文は読んでもらえることができるから【中学校・教員】
指導、というか音読の1つの手段として考えてます。全員に読む機会を与えたい時にやります。友達の読んでるところを追わないと自分の番になった時に読めないので、集中させたい時にも使います。【小学校・教員】
配慮が必要な児童生徒はいるが、ふりがなをふったり、読めるところを指定したり、必ずしも読まなくてもよいようにすれば、一斉授業形式の場合は、役割を果たす達成感や、授業への参加意識を高めることができる。【中学校・教員】
句読点、行、段落など文章構成に関する知識は必要だと思う。ただ、文章を上手に読むことのできない生徒への手立てや「。読み」にこだわらない指導は必要。【中学校・教員】
昔はやっていたが、それよりも一斉読みのほうが効果があるとわかったためやらなくなった。読むのが苦手でも、一斉読みなら音を聞いて目で追える。文章が途切れず理解しやすい。【中学校・教員】
「。読み」は、文章全体を味わったり意味を捉えたりすることがしにくい。時間を与えて、揃えずに全員が各々音読することで、恥をかかせることも待たせることもなく、個別支援も可能に。【小学校・教員】
いち文を意識させることや、読みの機会を与えていることはわかるが、個別最適ではない。【小学校・校長】
確かに上手く読めない児童生徒に過度の劣等感を与える場だと思うので、そのやり方を変えていくとよいと思います。個に合った読み方を選択する中で「。読み」をするとか。同じ読み方を選択した子で集まって読むとか。【小学校・教員】
目的が不明。なぜ「。」で切るのか、なぜみんなの前で読まなければならないのか、管理教育的な目的しか想像できない。【義務教育学校・教員】
必要か不要かの二項対立では言い切れない。音読は有効と考え、「。読み」は一文という小さい単位で読むのに適切。これより短くする読みは意味理解には難しいように思う。長さではなく方法や補助の工夫を検討したい。【小学校・教員】
1人ずつ読まなくても、群読でも、たけのこ読みでもかまわない。読む力が付いているかを確認するアクションは必要。不十分なら何らかの手立てを講じないといけないので。【小学校・教員】
必要であるかどうかは、子どもたちの状況にもよります。【小学校・教員】
どちらでもいいと思います。が、スラスラと読めない子がいたとしても傷つかない雰囲気の学級であれば、グループで丸読みをしたり、サークルになって丸読みをするのは楽しいです。アセスメントが必要だとは思います。【小学校・教員】
劣等感が問題なら、運痴は体育、音痴は音楽、不器用な生徒は実験を嫌う。学校成立せず。劣等感の原因は過度なプライド。賞賛する素直さを学ぶべき。劣った子を馬鹿にするのではなく、応援する優しさを学ぶべき。【中等教育学校・教員】
「できないこと」が許容されて、できるように助け合えるようにしようというマインドでのぞみたい。【中学校・教員】
今回のアンケートでは、「。読み」を必要な指導と捉える教職員が全体の59%と、やや多い結果となりました。
一方で自由記述からは、単純に必要・不要と分けられるものではなく、児童生徒の特性や読みの目的、授業場面や周囲の支援の有無によって、大きく受け止め方が変わる実態が見えてきました。
特に、「読む力や参加意識の向上には有効」と考える声が一定数存在する一方で、人前で読むことによって不安や劣等感が生まれうることへの懸念も寄せられました。また、一律の方法ではなく、より個別最適で学習の目的に応じた方法学習や、お互いを支え合い、劣等感を抱きにくい学級づくりの重要性を指摘する声も上がりました。
現場の教職員の声では「。読み」に対して「必要な指導だと思う」がやや多い結果となった今回の調査。
では、専門家の観点からは、どのようなことが言えるのでしょうか。
特別支援教育が専門の笹原未来福井大学准教授は、読みの難しさや言語表出に難しさのある子どもにとって、「。読み」が負担になることは少なくないと話します。
「自由に話す場面であれば、苦手な音を避けたり、言いやすい言葉に言い換えたりできる子どももいるのですが、「。読み」のように決まった文章を読む場面ではそれができません。また、うまく読めなかったときに、からかわれたり、注目を浴びたりするのではないかという不安から緊張が高まり、体がこわばってしまうことで、本来の力を発揮できずにかえって読みがたどたどしくなってしまうこともあります」
さらに、笹原准教授は「自分の番が回ってくる」という状況自体が緊張につながりやすい、とも指摘します。一般に「。読み」は「クラスメイトの読みを聞いて学ぶ」学習活動ですが、読みが苦手な子どもにとっては、緊張や不安で他の人の読みを聞く余裕がないケースも多いとのこと。
ただし、だからと言って「。読み」について良い・悪いと一律に判断することもできません。笹原准教授も「場面緘黙の子どもなど、決まった文章を読む方が楽な子どももいるのでケースバイケースではあります」と補足したうえで、指導内容を丁寧に考える必要性を訴えます。
もっとも重要なこととして「「。読み」をすることによって、子ども達にどんな力をつけたいと考えているのか、ねらいを明確にすること、そしてそのねらいを達成するのにより適した活動の形が他にないか考えること」と話す笹原准教授。
「いろいろな読み方に触れることがねらいであれば、先生が読み方を示したり、読みたい子どもが読む形でもよいかもしれません。「。読み」を行う場合も、どの部分なら読めそうか、どのような環境なら読みやすいか、どんな工夫があれば参加しやすいかを、子ども自身が選んだり考えたりできるようにすることが大切です」
そのうえで、学習のねらいと照らして従来の「。読み」が最適だと判断された場合には、どのような配慮が必要なのでしょうか。
笹原准教授が「苦手であっても取り組もうとしている姿を認め合える関係を、教室全体で育てていく必要があります」と指摘するように、「。読み」の指導を効果的に行うには、「安心できる環境」が大前提。そのためには、読みや発話に不安を覚える子どもたちだけではなく、教室全体に配慮や指導が必要です。
笹原准教授の指摘したこれらの視点は、「。読み」に限らず、従来学校で行われてきた指導方法一般についても、見直す際のヒントになるかもしれません。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
特別支援学級在籍の児童生徒が通常級と交流する中で、「通常級の一員としてどのように位置づけるか」は、学校現場で悩みやすく、違いが出やすいテーマの一つです。
この扱いは、制度上の整理だけでなく、現場の運用や配慮によって形づくられている面もあり、名簿への記載の仕方(載る/載らない、載る場合の並び順)や、交流級に机・ロッカーを設置しているかどうかなど、学校や自治体ごとにも様々な違いが見られます。
通常級における特別支援学級在籍の児童生徒の扱いについて、全国の教職員の皆さんに実態をお聞きしました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2026年1月16日(金)〜2026年3月23日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら )
■回答数 :59件
Q1. あなたの学校では通常級の以下の名簿に支援級在籍の児童生徒は載っていますか?

全体の回答では、「載っていない」が51%、「載っている(名簿の最後)」が10%、「載っている(他の児童生徒と同様)」が39%という結果となりました。
校種別に見ると、小学校は「載っていない」が最多の62%であるのに対して、中学校は「載っている(他の児童生徒と同様)」が最多の52%となり、校種間に差が見られました。
また、「載っていない」という回答が全体の過半数を占めたのは、3種類の名簿の中では出席簿のみとなりました。
「載っていない」の回答が全体の25%、「載っている(名簿の最後)」が14%、「載っている(他の児童生徒と同様)」が61%という結果となりました。
小学校と中学校は、いずれも「載っている(他の児童生徒と同様)」の回答率が6割を超えており、出席簿ほどの差は見られませんでした。
「載っている(他の児童生徒と同様)」が全体の68%、「載っている(名簿の最後)」が17%、「載っていない」が15%と、3種類の名簿の中で、支援級在籍の児童生徒の記載率が最も高いという結果になりました。
また、健康観察簿同様に、小学校と中学校のいずれも「他の児童生徒と同様に載っている」の回答が7割以上と、大きな差は見られませんでした。
Q2. あなたの学校では通常級の教室等に支援級在籍の児童生徒の机やロッカーがありますか?

机に関しては、全体の9割以上の学校で、通常級側にも支援級の児童生徒の机が設置されているという結果となりました。その一方、ロッカーに関しては、「ある」の回答がいずれの校種でも約8割となり、机よりは配置されている学校が少ないことがわかりました。
この結果は、回答数に限りがある中ではありますが、机に関して14校に1校、ロッカーに関して5校に1校は、「支援級の児童生徒のための設備が通常級にない」ということを意味しています。特にロッカーについては学校の設備上の問題もあると考えられます。
Q3. 支援級の児童生徒の名簿・設備上の扱いについて、あなたの意見を聞かせてください。
わたしの自治体の小学校では、支援級にいる時間より通常級にいる時間のほうが長いので、他の児童と同じでないほうがおかしいと思います。【小学校・教員】
通常級の名簿や設備に支援級に在籍している子も含まれるのが当然だと思います。含まれないのは区別ではなく差別にあたるとも思います。【小学校・教員】
通常学級の名簿に支援級在籍の児童生徒は載っていなかったり、通常学級に机やロッカーがなかったりする学校が存在することが信じられない。【小学校・教員】
通常学級の名簿の最後に支援学級の子が入っています。集会など、みんながいるのか確認しやすいですが、やはり『お客さん』感はぬぐえません。【小学校・教員】
出席簿については仕方ないとしても、健康観察簿、名簿については隔てなく出席番号としたらよいと感じる。そこから、子どもたち同士の間にも「別の学級」という感覚も生まれるのではないだろうか。そもそも、出席番号が最後になるのも、教員の側の事情。【義務教育学校・教員】
「分けない」教室が一番いいです。おとなの事情で子どもが過ごす場を支援学級と原学級とに分けてしまわず、「いろんな人がいて、お互い調整しあいながらすごしていける」そんな経験を積めることが大切やと思います。【小学校・教員】
特別な配慮がいらない限り、通常級の子どもと同じ対応をすべき。特別な配慮とは、
車イスなら移動しやすい場所に座席を配置
隣についておく必要がある児童は介助者がつける場所
アレルギーのエピペン所持の児童は各教室の決まったロッカー
など、通常級も支援級も関係なくそれぞれの事情によって対応する。それが、お客さんではなくて、私たちの一員という仲間意識の根底となると考えられる。【小学校・教員】
特別支援級の児童生徒は教科によって参加の有無があること、また、成績処理や指導要録のデータ扱いが別になること等から、事務処理上の都合からすれば名簿の順番は最後になっていた方がいい。【小学校・教員】
支援級の児童の在籍は支援級という扱いになっています。よって、名簿への表記は最後になります。それは途中に支援級の児童が入ると、通常級の名簿の出席番号が変わってしまうからです。公簿の管理上、一人の児童に対して複数の出席番号があることは、リスクが高まり最後に入っている現状です。【小学校・教員】
要録や出席簿などの公簿では、通常学級と支援学級は別で記載と保管をするため、支援学級の児童が通常学級の最後に番号が来ることは致し方ないと思う。実際に自立活動などで別で学習する時間もあるため、子どもたちが自分の整理番号を覚えて地震などから避難する際にも混乱しなくて良いと思う。【小学校・教員】
特別支援学級が親学級なので、名簿や出席簿は、通常の学級に載っていなくても、特に問題ないと思います。【小学校・教員】
支援学級を主にして扱うといいと思う。通常学級と支援学級を区別しているわけではなくて、生徒の実態に合った学級の配置をしていると考えられる。そこで、名簿が何だという議論があること自体、差別的な考えだと思う。【中学校・教員】
絶対に交流級になければならないのは机くらい。あとは、実態に応じて個々に対応すれば良いと思います。【小学校・教員】
名簿や靴箱、カバンだな等は通常学級と同じ扱いですが、担任によっては自分の学級児童として扱うことを拒む人がいます。制度も大切ですが、インクルーシブの理念を全職員が理解してほしい。【小学校・教員】
担任によって対応に温度差があるので、個別に対応している。【小学校・教員】
現任校は学年ごとに対応を微妙に変えていてややこしく、統一して欲しいです。【中学校・教員】
以前働いていた地域では、支援学級が基本で、通常学級に来れる時間だけ来るというスタンス。名簿も同じ並びにない。現在働いている地域では、通常学級が基本で支援学級に行くときには「いってきます」の挨拶をする。支援学級にはランドセルなどを置くことは通常ない。しかし、県としては前者を基本としているため、監査の際には前者であるかのように支援学級を整えている。後者である方が、インクルーシブの形としては良いと感じている。【小学校・教員】
出席簿や各種名簿など、支援学級の生徒もすべて通常級に位置づけており、このほうが自然で交流もすすむと思います。というより、学校の一員として通常学級の名簿から名前が抜かれるということは基本的にありえないと思っています。
しかし、市が採用している成績処理や学籍管理に用いるシステム上では支援学級の生徒は通常学級とは別名簿を基本としているものもあり、すごく使いにくいです。【中学校・教員】
手書きの出席簿(健康観察表)には記載されている。電子出席簿は、在籍児童分しか表示されない仕様になっている。【小学校・教員】
健康観察簿は支援級児童も含む名簿ですが、出席簿の際は交流のみの名簿の為、ミスが多く時間がかかります。通知表や指導要録などは支援級が別であるため、再度交流級担任が支援級担任にデータをもらい8名分打ち直すという手間がかかります。【小学校・教員】
支援学級が無い学校と比較すると、名簿上では、在籍数や受験時の調査書の番号など、支援学級の生徒を抜いたものになるため二通りの番号や数字を頭に入れて処理をしなければならない点に注意を要する。【中学校・教員】
出席簿と生徒の目に触れる名簿と、生徒の目に触れない(成績用の)名簿が一致しておらず、つまり子どもたちが知っている出席番号と、公簿上の番号が違っていて、ややこしいです。【中学校・教員】
子どもの目に触れるものは、全て支援級の子が名簿順に入った名簿等を使用している。要録など、公簿においては別々の学級の在籍となるので分けて記載となる。【小学校・教員】
通常学級の子供も、特支の子供も、学校での生活が過ごしやすいように支援を受けているので、事務書類上区別する場合のみ分けて、子供の目に触れる書類では混合でよい。【小学校・教員】
卒業式の証書授与だけは、通常級に混ざり、氏名順になっています。【小学校・教員】
前任校では、支援級生徒も含めた名前順にして、出席簿や成績用の名簿は、支援級の生徒の番号を欠番としていました。それで何の問題もなかったです。【中学校・教員】
ロッカーの有無については、保護者と相談の上、どちらにも設置していた児童もいるし、支援級にしかない児童もいました。通常級だけという児童はいませんでした。【小学校・教員】
完全にインクルーシブを求めるには、支援級生徒を通常学級に全員紐づける必要がありますが、それを支援級生徒も保護者も求めていない実態があります。【中学校・教員】
机やロッカーは、一般級が40人で定員いっぱいだと、なかなかきついです。机は無理矢理押し込むとしても、ロッカーは40個しか備え付けられていない教室が多いです。【中学校・教員】
支援級8名在籍の交流級40人の学級担任です。(略)来年度は10名在籍になり子どもも業務も増える一方です。教室は児童棚や荷物置きがたりません。【小学校・教員】
今回のアンケート結果を通して、学級名簿・健康観察簿で「他の児童生徒と同様に載っている」が約6割、支援級在籍の児童生徒の机が「ある」が9割以上となるなど、支援級在籍の児童生徒を「通常級の一員」として意識づける実践が、多くの学校で行われていることが伺えました。
特に近畿地方の回答者では設問1で「載っている(他の児童生徒と同様)」と答えた割合が8割超、設問2で机・ロッカーが「ある」と答えた割合が約9割となるなど、関東や中部等の地域に比べて突出して高い割合でした。
一方、現場内での対応の温度差がある事例や、公簿管理・成績処理システム等の事情により名簿掲載が末尾になっているという事例も多く報告されたほか、机・ロッカーについては教室設備の物理的制約などの課題があると答えた意見も見られました。特にロッカーについては、5校に1校以上の割合で「通常級に支援級の児童生徒のロッカーがない」との回答となりました。
また、名簿について「他の児童生徒と同様に載っている」と答えた意見の中では、インクルーシブ教育の理念を実現していく一方で、公簿と他の名簿で出席番号が異なることで「二通りの番号や数字を頭に入れて処理をしなければならない」「子どもたちが知っている出席番号と、公簿上の番号が違っている」等の煩雑さを指摘する声もあがりました。
このような煩雑さを避けるため、「児童生徒から見える名簿は通常級に統合し、公簿上は支援級在籍児童生徒の番号を欠番として処理する」という運用を行っているという事例も見られました。
転校等による欠番は従来から存在しており、実務上も大きな問題は生じにくいことから、このような方法は、
の両立を図る、一つの実用的な解決策として参考になるかもしれません。
文科省は「障害のある子供の教育支援の手引 ~子供たち一人一人の教育的ニーズを踏まえた学びの充実に向けて~」(令和3年)および「通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討会議」(令和5年)において、下記のような方針を示しています。
小中学校等の特別支援学級に在籍する子供については,通常の学級に在籍する子供と共に学ぶ機会を積極的に設けることが重要である。そのため,特別支援学級の子供が,特別支援学級に加え,同じ学年の通常の学級にも在籍し,通常の学級の一員としても活動できるような取組を充実し,子供一人一人の障害の状態等や個々の事情を勘案しつつ,ホームルーム等の学級活動や給食等について,可能な限り共に行うことが必要である。
(中略)
これらの取組を通して,常に通常の学級の子供と特別支援学級の子供が交流及び共同学習ができる環境を整備し,同じ学校の子供であるという意識を意図的に醸成することにも留意する必要がある。(P.32)
参考「障害のある子供の教育支援の手引 ~子供たち一人一人の教育的ニーズを踏まえた学びの充実に向けて~」(文科省,2026年5月21日参照)
インクルーシブ教育システムの構築のためには、障害のある子供と障害のない子供が可能な限り同じ場で共に学ぶことを目指すべき(P.1)
障害のある児童生徒が特別な存在ではなく、当たり前に共存し、通級による指導などの特別な支援も、特別でないと受け止められる環境の醸成が求められる(P.28)
(自校通級について)心理的な抵抗なく別教室に通える工夫が必要(P.11)参考「通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討会議」(文科省,2026年5月21日参照)
このような記載からも読み取れるように、障害のある児童生徒に対し「同じ学校の子供である」「特別でない」という意識を育むための環境整備は、インクルーシブ教育の理念上、とても重要な要素の一つであると言えます。
同じ学校・学級の子どもであるという意識を醸成するための交流や共同学習の場で、通常級の児童生徒との扱いが過度に変わってしまうことは、逆に学級や所属の違いを実感させる場にもなりかねません。
そのような本末転倒の事態を防ぐためにも、インクルーシブ教育の理念についての深い理解を基礎としたうえで、現場の教職員が抱える実務上・物理上の課題を少しずつ解決していく必要があると言えそうです。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
「ルールメイキング・プロジェクト」を経て生まれた標準服。全校生徒で理想の学校像を語り合う「おづこれ会議」と、そこから紡ぎ出されたビジョン「学校のコンパス」。さらには、生徒の願いをカリキュラム化した探究学習「共創プロジェクト」まで――。
大阪府泉大津市立小津中学校では、生徒が学校の経営方針を語り、自ら学びを設計する。そんな、学校のこれまでの「当たり前」が覆るような光景が広がっています。
しかし、これほどまでに生徒へハンドルを委ねることは、大人たちにとって勇気の要る決断だったはずです。
後編では、「担任制の廃止」や「授業時間の短縮」を決断するに至った背景や、校長や教頭、教員たちの思いを伺います。
この変革の中心にいるのが、小津中学校の首席・研究開発学校研究主任を務める大達雄(おおだち ゆう)さん。

泉大津市の小学校教員を10年、市教育委員会で3年を過ごしたのち、6年前にこの学校へ赴任してきました。
「実は、赴任したころの小津中学校は、いわゆる『荒れた状態』でした」
大達さんは、当時をそう振り返ります。かつては、警察が介入するトラブルも少なくなく、地域の方に迷惑をかけることも多かったと言います。校舎の壁や天井に穴が空けられたり、年度末には修繕のための予算が足りなくなるほどだったといいます。
当時の教員たちは、校内で身の危険を感じることも少なくありませんでした。生徒を信じるどころか、大人が身を守ることに必死だった当時。職員会議での発言も一部の教員に偏り、新たな取り組みを進めようとしても、挑戦することへの不安感が強かったそうです。
そんな状態にあった小津中学校が、再生に向けて動き出す一つのきっかけが、2021(令和3)年度からスタートした「小中一貫教育校」としての歩みでした。
※ 小中一貫教育校:小学校と中学校が連携し、子どもたちの9年間を見通した一貫性のある教育を行う学校の仕組みのこと。小津中学校では、校区内の2つの小学校(上條小学校・条東小学校)と連携し、校舎は別々のままで一貫教育を行う「施設分離型」の小中一貫教育校としてスタートした。
中学校の教員だけで解決策を模索するのではなく、小学校の教員と同じ目線で語り合い、9年間の学びを共にデザインする「小中一貫カリキュラム」の作成が始まったのです。
この対話の中で、小中学校の教員たちが共有した一つの思いがありました。それが、「みんなが安心 みんなで創る あなたが輝く学校」というスローガン。「このスローガンを掲げたことで、『みんなで学校づくりを楽しもう』と大きく舵を切ることができました」と大達さんは語ります。
生徒指導が困難な状況であっても管理で押さえつけるのではなく、「生徒が問い続けるサイクル」を大切にする。小学校卒業までの学びのロードマップを小中でつないでいく「『9年間の学び』重点カリキュラム」が策定されました。
このスローガンづくりや、カリキュラム作成・運用に関わる対話のプロセスそのものが、教員たちの意識を少しずつ変えていくこととなります。小中学校の教員が一丸となって授業づくりを交流し、地域とも連携を深めていく。一貫した方向性が決まったことが、対話を重視した探究的な授業への転換を進めるうえでの土台となりました。
土台が整い始めたことで、小津中学校の改革は進んでいきます。それを支えたのは、大達さんが大切にしている「まずはやってみる」という考え方でした。
「日本の学校は、PDCAサイクルと言いながら、ずっと計画ばかり練っている『PPP(プラン・プラン・プラン)』の状態に陥りがちです。分厚い企画書を作って、反対されそうな先生に根回しをして……そうやって時間をかけている間に、肝心の生徒たちの熱は冷めてしまうんです」
多くの学校が「今のままではいけない」と思いながらも、合意形成の壁に阻まれて動けない。そんな課題を解消するために、小津中学校では意思決定のあり方を変え、OECDが提唱する「AARサイクル」を実践の軸に据えました。
「完璧な計画はいらないんです。見通しが立ったらすぐにやってみて、またすぐに結果を振り返る。AARとは、Anticipation(見通し)・Action(行動)・Reflection(振り返り)の略です。3割決まったら、まずは動く。やってみてダメなら変えればいいし、やめてもいい。判断のスパンを意識的に短くしています」(大達)
どの学校にも当たり前のようにある朝の打ち合わせや職員会議も、小津中学校にはありません。
「校長が『この先生に任せる』と決めたら、その権限は完全に渡されます。細かい決め事はSlackで共有され、『懸念があれば教えてください。なければこれで進めます』と、フランクに意思決定がなされていきます。会議の時間は、企画書を読み合わせるためではなく、先生たちが関係構築をしたり、新たなプロジェクトを生み出すためのワークショップをするための時間に変わりました」(大達)

教員たちが「まずはやってみる」というマインドで動き始めたことで、生徒たちもまた、組織のあり方を変えようと動き出しました。
「今の委員会活動って、結局『先生のお手伝い』になっていない?」
そんな生徒たちの気づきから、小津中学校では長年続いてきた体育委員会や図書委員会といった常設の委員会をすべて廃止するという、大胆な決断が下されました。これまでは、教員に呼ばれて掃除を手伝ったり、行事の準備をしたりといった「与えられた仕事」をこなすことが委員会の実態になっていたからです。
「自分たちが本当にやりたい活動を、自分たちでやれる組織にしたい」
その願いを形にするために、生徒たちは自治組織をゼロから作り直しました。新たに導入されたのは、生徒会長に人事権を持たせる仕組みです。
選挙によって選ばれた生徒会長は、自らの公約を実現するために必要なメンバーを指名する組閣を行います。そこには、各学級と生徒会をつなぐ「統括官」、制服の見直しやコンパス検討を進める「ルールメイカーチーフ」、校内外への発信を担う「広報チーフ」、そして、有志プロジェクトをサポートする「企画官」など、実社会の組織さながらの実働的な役職が並びます。

中でも特徴的なのが、「財務官」の存在です。
通常、公立中学校において生徒会費などの予算管理は、教員の仕事と決まっています。しかし小津中学校では、生徒会費の使い道は財務官が決定する権限を持っています。クラブ活動への分配や新企画の予算など、「限られたお金をどう使うか」を自分たちで考え、運用することになったのです。
生徒たちが自分たちでやりたい活動を実現するためには、アイデアだけでなく予算も必要不可欠。財務官は、そんな生徒の主体的なプロジェクトを支える役割を担っていくことになるといいます。
一方で、生徒たちの主体的な活動が生まれる中で直面したのが、時間の不足でした。ルールメイキングやプロジェクトの打ち合わせを、放課後のわずかな時間を使って無理に行わざるを得ないという「カリキュラム・オーバーロード(内容過多による負担)」の課題を抱えていたのです。
そこで小津中学校は、時間割にも目を向けました。すべての授業を50分から45分へと短縮し、時間割全体をスリム化したのです。この5分の短縮が、放課後に30分の「ACT(アクト)タイム」と呼ばれるゆとりの時間を生み出しました。
何か新しいことを始めるなら、気合いや根性で時間を捻出するのではなく、まずは何かを削ってシステムとして余白をデザインする。
この決断によって、生徒たちは放課後の時間をたっぷりと使って自分たちの学校づくりに没頭できるようになりました。それと同時に、教員にとっても業務や協働のための時間が確保され、働き方の改善にもつながっています。
教員や生徒の動きを背後でどっしりと支えているのが、校長の高橋敏也(たかはし としや)さんです。

従来の学校運営では、何をするにも校長の決裁や承認が必要とされるのが一般的です。しかし、小津中学校では違います。
「ミドルリーダーがやりたいと言い出したら、3割くらい決まっていればもう動き出します。ゴールが見えていなくても、全員の同意がなくても構わない。リーダーが言うことは、私が言っているのと同じ。リーダーは学校の教育方針を100%理解し、その考えは『学校のコンパス』の実現に向けたものであるという大前提があるからです。だから、いちいち承認する必要もありません。私が知らないうちに何かが始まっていることもよくありますが、それはもう『承認済み』なんです。リーダーがやろうと言ったら、みんなでやる。それが本校のスタンスです」(高橋)
なぜそこまで、現場にハンドルを委ねられるのでしょうか。
「校長である私の唯一の仕事は、結果についてきちんと責任を取ること。それだけです。権限を預けようが預けなかろうが、知らないところで何かが起ころうが、責任は私が負う。そう明言して『あなたに任せています』と伝えた方が、先生方も意気に感じて、自分の責任を果たそうとやる気が出ると思うんです」(高橋)
かつて自分自身が上からの指示で動かされることに違和感を抱いていたという高橋さん。だからこそ、表舞台はすべて教職員や生徒に譲っています。実際、2学期に全校生徒の前で話したのは、始業式と終業式のわずか2回だけだったといいます。
高橋さんが語るその言葉からは、教職員への信頼も感じました。
「特別なことをしているわけではありません。当たり前の、普通のことをしているだけ。子どもの権利を一番大事にする学校でありたい。ただそれだけなんです」(高橋)
4クラスを7人で。「チーム担任制」の導入
そんな高橋さんですが、「これだけはトップダウンでやろう」と決断したのが、担任制の改革でした。
2025(令和7)年度から、「チーム担任制(学年担任制)」を導入。それまでの「1クラス1担任」という既成概念を捨て、学年という大きな単位を教員チーム全員で支える仕組みへと舵を切りました。
クラス担任制では、どうしても自分の学級が最優先になり、隣のクラスで何が起きているかが見えにくくなる弊害がありました。また、生徒が特定の担任に依存しすぎることで、自立を妨げているのではないかという懸念もあったといいます。
導入された新しい仕組みでは、4クラスある学年を、7人の教員全員が担当します。その日に朝礼を担当する先生や終礼を担当する先生は、毎日のように入れ替わります。
悩みがあるときは学年の中にいる複数の先生の中から、自分が一番話しやすい先生を選んで相談できるようになりました。面談も、生徒自身が「この先生と話したい」と指名する仕組みになっています。
これは、生徒にとっては大きな変化。先生を選べるというのは良さでもありますが、中には「誰に相談していいかわからない」と戸惑う声もありました。
教員にとっては、複数人が多角的な視点で学年全体を見守るため、生徒の小さなSOSをキャッチしやすくなり、以前よりも丁寧に生徒たちに目を配ることができるようになりました。何より、1人の担任がクラスの課題をすべて背負い込むプレッシャーから解放されたことは大きなメリットです。
「新任の先生や講師の方が、1人でクラスを抱え込む不安がなくなりました。7人で仕事をシェアしているので、得意な分野で補い合えるし、急な休みもチームでカバーできる。教員の心理的な負担は劇的に軽くなりました」(高橋)
2023(令和5)年夏には、職員室の固定席を廃止し、毎日座る席が変わる「フリーアドレス化」を導入。

毎日隣に座る教員が変わるため、これまで関わりの薄かった他学年や他教科の教員とも自然と会話が生まれます。そこから多様な視点やアイデアが交わり、教科横断型の「コラボ型授業」など、教員同士が協働してワクワクする授業を創り上げる動きが活発になりました。
さらに、日常の立ち話レベルで、大達さんが重視する「AARサイクル」が回るようになりました。かしこまって会議を開くのではなく、たまたま近くに座っている教員に「これ、どう思います?」と相談し、「それでいきましょう!」と決断する。素早い意思決定が可能になり、複数のプロジェクトが同時並行で進む環境が整ったと言います。

この変化を最も実感しているのが、この春に他校から赴任してきたばかりの教頭・堤真朗(つつみ まさあき)さん。21年間小学校に勤め、小津中学校の取り組みも十分に理解せぬまま着任した堤さんを待っていたのは、4月1日の職員室での驚くような光景でした。
「赴任の挨拶をしようと準備していたら、突然生徒たちが現れて、『学校のコンパス』についてのプレゼンを始めたんです。緊張する様子はありましたが、用意された原稿をただ読むのではなく、自分たちが創り上げたものをそれぞれが自分の言葉で堂々と語っていました。その姿を見て、『これは形式的なものではない』と思いました」(堤)

それまでは「問題が起こらないように、大人が管理しなければならない」と考えていたという堤さん。しかし、生徒たちの主体的な姿を目の当たりにし、学校づくりの土台は、生徒や先生を信頼し、委ねることなのだと考えるようになりました。
その変化は、働き方にも影響していきます。
「以前は時間外勤務がとても多かったのですが、それが今は月あたり4分の1ほど。定時ぴったりに帰れる日もあります。先生方を信頼して権限を任せているからこそ、無駄な会議や抱え込みがなくなり、私自身も心に余白をもつことができるようになり、精神的に追われる場面も少なくなりました」
フリーアドレス化され、真ん中が通路になっているオープンな職員室には、今日も生徒がふらっと通り抜けていきます。「ノックして、『失礼します』と言って待つ」といった風景は、ここにはありません。
特定の教員に用事があるわけでもなくやってきた生徒たちに、堤さんは自ら気さくに声をかけ、話し相手になっています。しばらく他愛のないおしゃべりをして、気が済むと「じゃあね」と満足げに教室へ戻っていく生徒たち。
「生徒を信じる」「生徒に任せる」ということは、決して大人が責任を放棄することではありません。
それは、大人たちが管理という名の鎧を脱ぎ捨て、学校の仕組みを見直して、心と時間に余白を生み出すこと。そして、その余白を使って、生徒と一緒にワクワクしながら未来を創る伴走者になることでした。
「生徒が創る学校」
かつて傷だらけだった小津中学校の校舎には今、「学校のコンパス」という羅針盤を手に、力強く自分たちの学校を創り上げる生徒たちと先生たちの姿がありました。
制服は10万通りの組み合わせから自由に選び、全校会議は生徒自身が設計・運営する。定期テストはなく、生徒の「好き」から探究プロジェクトが生まれていく――。
これが、ある公立中学校の日常だと聞いたら、驚く方も多いのではないでしょうか。
大阪府の南部、海沿いに位置する泉大津市立小津(おづ)中学校。キーコンセプトに「生徒が創る学校」を掲げる同校は、文部科学省の「研究開発学校」や経済産業省の「未来の教室」先進校に指定され、OECD(経済協力開発機構)とも連携して改革を進めるなど、今、全国の教育関係者が注目している学校の一つです。
しかし、最初から今のような学校だったわけではありません。
前編では、小津中学校がいかにして独自のビジョンを生み出し、生徒自身の手で学校の「当たり前」を変えていったのか。その歩みと、生徒たちの取り組みをお届けします。
「まず最初に、『学校のコンパス』の3つの姿に当てはめて、自分の1年間を振り返ってください」
2026年2月5日。泉大津市立小津中学校の各教室では、教壇に立つ生徒たちの少し緊張した声が響いていました。生徒たちは3〜4人で「学校のコンパス」が書かれたワークシートを囲み、付箋に書いたそれぞれの振り返りを貼り付けていきます。

「学校のコンパス」とは、小津中学校における最上位の学校運営方針(ビジョン)であり、生徒が卒業時に目指したい姿を言葉にしたもの。
2023(令和5)年度に初めてつくられた「学校のコンパス」は、毎年生徒たちの話し合いによりアップデートされてきました。2025(令和7)年度は、「信頼(余白・対話・言葉の力による)」を中心に、以下の3つの柱から構成されています。
1. 自芯をもつ:「踏み出す」をくりかえして身につけた自信と自分の芯
2. 認め合う:周りを見て考え、人のために行動できる
3. 「やわらかさ」で0から1を創る:遊びを学びに・学びを遊びに

この日、行われていたのは「おづこれ会議」。
おづこれ会議とは、「小津(おづ)のこれから」を考える全校会議のことです。生徒や教員が参加し、理想の学校の姿について話し合うための場として、2022(令和4)年度から始まりました。
2時間の会議は、すべて生徒たちが設計しています。スライドの準備や時間の使い方の検討、問いの設定、ワークシートの作成、当日の進行までも生徒たちが担い、教員は基本的にその様子を見て回り、必要に応じてサポートするのみです。

中には、2年生のクラスの進行役を1年生が担っている教室もありました。事前に準備した台本を片手に、緊張した面持ちで懸命に役目を果たそうとする姿勢が伝わってきます。参加する生徒たちの中には、積極的に意見を出す子もいれば、どう発言していいか戸惑っている子もおり、その主体性や参加度には当然ながら違いが見られます。
より活発な議論ができるよう、進行役の生徒たちは、会議を始める前に自分たちで決めた「認め合う」ための対話のルールを丁寧に伝えていました。
・耳をすまして聞く
・沈黙を歓迎する
・否定したり決めつけたりしない(違いを楽しむ)
・お互いの顔色を伺わない
・考えが変わってもOK
・対話を楽しむ
・個人が特定される形でマイナスなことを言わない
・関係ない「仲間内の変なノリ」に逃げない
このルールを聞くだけで、多様な生徒たちが、自分の意見を安心して言えるための配慮がなされているのが伝わってきます。
3学期に入ったこの日のおづこれ会議で話し合われたのが、「学校のコンパス」の振り返りと「先生のコンパス」の振り返り。そして、「保護者のコンパス」をつくるための意見交換。
※ 「〇〇のコンパス」という言葉は、OECDが提唱する未来の教育枠組み「ラーニング・コンパス(学びの羅針盤)」に由来しています。(参考:https://www.oecd.org/content/dam/oecd/en/about/projects/edu/education-2040/concept-notes/OECD_LEARNING_COMPASS_2030_Concept_note_Japanese.pdf)
「先生のコンパス」とは、小津中学校の教員のあり方の指針をまとめたもの。生徒たちの声を踏まえ、「おづこれ会議」での話し合いを重ねてつくられました。学校のコンパスに基づいて、ここでも『信頼(「できる前提」で生徒と関わる)』を軸に、以下の3つの柱から構成されています。
1. 成長の場を与え、任せ、見守り、ともに喜ぶ
2. 「あなた」を認める。先生が「認め合い」の連鎖の起点となる
3. 生徒と先生の壁をなくす。生徒・先生、双方の「好き」と「遊び」を大切に

「保護者のコンパス」は、「先生のコンパス」に続いて作成が進められている保護者のあり方の指針です。この取り組みの特徴は、教員や生徒からではなく、保護者自身の提案がきっかけで始まったところです。
この日は、「保護者のコンパス」をつくるために、生徒たちが「保護者からのどんな関わりが嬉しかったか、あるいは嫌だったか」を出し合います。さらに、「もし自分が保護者だとしたら、子どもにどう関わりたいか」と、立場を逆転して考えるワークも行われました。
教室を見渡すと、パーカーの上にブレザーを羽織る生徒やラフなズボンを履いた生徒の姿が目に入ります。

実は、小津中学校の制服(以下、標準服)は、生徒たちが主体となって校則を見直す「ルールメイキング・プロジェクト」によって2022(令和4)年度に生まれたものです。以前は、男女で分けられた学ランやセーラー服でしたが、生徒たちが企業の方と話し合いを重ね、多様性に配慮した新しいブレザータイプの標準服を完成させました。さらに、学校が指定した衣料品店ユニクロの既製品を自由に組み合わせることもできます。
その組み合わせ方は、10万通りを超えます。誰かが決めた「中学生らしさ」や「性別による枠組み」に自分を合わせるのではなく、その日の体調や気分、自分らしさに合わせて服を選ぶことができます。
生徒が学校の経営方針を語り、自分たちで対話の場を設計する。そんな姿に近づくきっかけとなったのが、2021(令和3)年度に生徒主体で行われた学校行事「新劇の祭典」でした。
感染症の流行により、多くの行事が中止になる中を過ごした生徒たちから、「コロナ禍でも学校全体で行うことができ、みんなが笑顔になる行事を行いたい!」という声が上がったのです。
この提案があったのは、年度途中の5月。通常、学校ではすでに年間スケジュールが決まっている時期です。そのため、予定外の行事を実施することに対しては、教員間で懸念の声も上がっていました。そんな中、校長の後押しもあり、最終的には「やってみよう」「生徒たちに任せてみよう」という雰囲気で行事に向けた準備が進んでいくこととなったのです。
1ヶ月半ほどの間に、企画や台本づくり、当日の運営や音響、照明に至るまで、ほぼすべてを生徒たちが担って当日を迎えました。観覧した地域の人や保護者の中には、嬉しさや感動で涙を流す姿もあったのだそう。
この出来事とほぼ同時に行われていたのが、「ルールメイキング・プロジェクト」による前述の標準服の見直し。どちらも、生徒が主体となって学校を創っていく取り組みです。これを機に、教員たちは「ここまで生徒たちに任せていいんだ」という意識に徐々に変わっていき、学校のいたるところで生徒の意志が尊重される文化が定着していきました。
※ ルールメイキング・プロジェクト:生徒が主体となって校則やルールを見直す活動のこと。小津中学校では、認定NPO法人カタリバのサポートを受けながら進められている。
そして、この2つの出来事は、「学校のコンパス」づくりへと発展していくことになります。
「校長先生やルールメイキング担当の先生が転勤してしまったら、小津中は元の校則や雰囲気に戻ってしまうんじゃないですか?」
ルールメイキング・プロジェクトに関わった生徒から、こんな懸念が出てきたのです。
この文化を一過性のもので終わらせるのではなく、学校の当たり前として根付かせたい。話し合いの末に至った結論は、そのためには、具体的なルール以上に「自分たちがどんな学校を目指し、どんな姿になっていたいか」という最上位の方針、つまり「ビジョン」が必要なのではないか、ということでした。
こうして2022(令和4)年度の冬、全クラスで「おづこれ会議」が開催され、卒業時に目指したい姿についての意見が交わされました。集まった膨大な意見を集約したのは、有志の生徒たち。しかし、意見を3つに絞り込む作業は難航し、生徒たちは行き詰まってしまいます。
そのとき、教員から「今の社会や学校ってどう思う?」という問いかけがありました。
「大人は自己保身に走っていて、何も決められない」
「小津中生も、間違いを恐れてチャレンジできない人が多い」
生徒たちの口から出てきたのは、思考が固まった「かたい社会(学校)」への違和感でした。そこから「このかたさを、自分たちの手でやわらかくしたい」という共通の願いが生まれます。
こうして、「自芯をもつ」「認め合う」「『やわらかさ』で0から1を創る」という3つの柱からなる、小津中学校の羅針盤「学校のコンパス」が完成しました。
2023(令和5)年度に生まれたのが、小津中学校の核となる探究学習「共創プロジェクト」。
「他学年の人と一緒に学びたい」
「自分が学びたいことを学びたい」
「校外の専門家と一緒に活動したい」
そんな「おづこれ会議」で出された生徒たちの願いを、そのまま授業のカリキュラムに組み込んだのがこの取り組みです。
活動の起点は、生徒自身。やりたいことがある生徒が自ら企画を提案し、リーダーとなってプロジェクトを立ち上げる。そこには学年の壁はなく、同じ興味を持つ仲間が学年を越えて集い、チームで動きます。教員は教える立場ではなく、生徒たちの声に耳を傾け、困ったときには助け、基本的には信じて任せる「伴走者」として見守っています。
実際に活動が始まると、学校の壁を越え、地域や企業、さらには世界とつながる活動が生まれました。
例えば、あるチームは、戦時下のウクライナの人々に手作りカレーを届けようと、フードロス食材を活用した支援を探究。またあるチームは、泉大津市の神社にある仏像を一般公開する企画を立て、全国から600人もの仏像ファンを集めました。さらには、企業と共同でAIキャラクターのデザインを行い、実際に全国の中学生が使う英会話アプリの開発に携わるプロジェクトまで。

中には、「共創プロジェクト」での経験を大阪府内のスピーチコンテストで語り、1位を獲得した生徒もいます。「自分の『好き』や『問い』が、社会の誰かを笑顔にする」という経験が、結果として、学校外の場で評価されることにつながったのです。
それは、決して一部の生徒の変化ではありません。
「自分たちの手で、社会は変えられる」
教員たちは、生徒たちの中にそんな自信が育まれていると言います。同時に、クラスという枠組みでは自分を出し切れなかった生徒にとっても、好きなことでつながれるこのプロジェクトは、学校における大切な居場所にもなっていると言います。
もちろん、最初からすべてが上手くいったわけではありません。活動の枠組みが曖昧だったり、一部の生徒に負担が偏ったりといった課題も浮かび上がりました。
しかし、「1プロジェクトを8人以下の少人数にする」「成果発表会という明確なゴールを設定する」などの改善を重ね、その後も常にアップデートを繰り返しています。
生徒たちの「共創プロジェクト」の取り組みをより深めている要素の一つが、小津中学校独自の評価のあり方です。同校では2020(令和2)年度から定期テストを段階的に廃止するなどの取組みも行っていますが、特に共創プロジェクトの評価は「自己評価能力育成シート」によって行われています。
このシートが現在の形になるまでには、一つの転換点がありました。「共創プロジェクト」が始まった当初、運営に関わる外部の専門家から、ある指摘を受けたのです。
「プロジェクトを通して『何を学んだのか』についての評価が不十分である」
「生徒が自分自身の成長を捉えるための、自己評価能力の獲得を目指すべきではないか」
指摘を受けた学校側は、すぐに改善に向けて動きました。そこで生まれたのが、教員が一方的に生徒をジャッジするのではなく、生徒自身が自らの現在地を確認するための「自己評価能力育成シート」でした。
特徴的なのは、評価の軸がすべて「学校のコンパス」に直結していること。「自分の考えを持ち、人に伝えたか?」「新しいアイデアを生み出したか?」など、生徒たちはプロジェクトや行事の節目ごとに、学校のコンパスに照らして自分の行動を振り返り、自らの言葉で言語化していきます。現在はさらに進化し、自分だけでなく仲間同士で認め合う「他者評価」の仕組みも取り入れられています。
「評価とは、誰かに×をつけられるものではなく、自分が次の一歩を踏み出すための糧にするもの」
「学校のコンパス」が単なる壁に貼られたスローガンにならず、生徒一人ひとりの指針となっている背景には、このようなマインドが浸透していることもあるようです。
現在、小津中学校ではさまざまな活動で培った非認知能力をどう評価し、どう生徒や保護者に伝えるかという検討も行われているそうです。

自由な服装、自分たちで設計する会議、そして、社会を動かすプロジェクト。
これほどまでに生徒へハンドルを委ねることは、大人たちにとって勇気の要る決断だったはずです。
後編では、生徒たちの学びを支えるために学校が決断した「担任制の廃止」や「授業時間の短縮」といった仕組みの見直し、そして校長や教頭、教員たちの思いを伺います。
学校で働いていく中で、大学院や大学で学ぶ機会は制度として存在します。しかし、自治体によって期間や給料の有無などの待遇は異なっています。教員が現場を離れて学びに行くことの意味や実態をつかむため、NPO法人School Voice Projectは「教員の学ぶ機会と生活の保障を求むアクションプロジェクト」を2025年夏に始動しました。今回の座談会では実際に大学や大学院に行かれた4人の方にお話を伺います。体験談や復帰後の現場において学びがどのように生かされたかなどの具体的な話をお聞きしながら、教員の学びや人生設計について考えていきます。
山本智子:大阪府公立小学校勤務/大学院修学休業制度(2021-22)
上條正太郎:新潟県公立小学校勤務/現職派遣制度(2019-20)
山内結:大阪市立公立中学校勤務/長期自主研修制度(2021-22)
金子貴志:茨城県公立小学校勤務/内地留学制度(2020年度後期。当時は中学校勤務)
司会 武田緑 NPO法人School Voice Project理事/学校DE&Iコンサルタント
発起人 榎原佳江 大阪府立高校勤務/長期自主研修制度で1年間休職中
武田:ご自身の学びのテーマや就学期間なども含めて、自己紹介をお願いします。
山本:私は大阪の小学校に勤務しています。33歳から大学に入って通信で免許を取り、35歳で教員になりました。6年前、ある友人と話をしていたときにその方が「大学院で勉強しようかな」と言い始めました。その言葉にひらめきを得て、自分も大学院に行こうと思いました。私が勤務してきた学校の中では「現状がしんどい」と声を上げている人が必ず一人はいました。でも、やっているのは教科の校内研究ばかり。いま隣で苦しんでいる人がいるのに、なぜそこなの?という疑問がずっとありました。上越教育大学で赤坂真二教授から学ぶということは、ひらめいた時点で決めていました。約一週間後に名古屋で開催された説明会に行って、受験することにしました。家族の協力があってのことでしたが、本当に貴重な2年間でかけがえのない時間でした。いまは戻ってきて3年目で、教員生活は24年目です。
上條:新潟県で小学校の教員をしています。今から6年前に山本さんと同じ赤坂先生のゼミに行ってきました。その時、教職12年目か13年目でした。当初は自分の学級経営の力量を高めたいという思いがありました。僕は新卒採用で教師になって、全然うまくいかなかった経験をしています。学級が崩れていく、つらい思いをする子が増える、いじめがあったりするということで、学級づくりに大きな課題感を持っていました。当初の目的と大学院を出た後に得たものは少し違っていて、自分のというよりも教師とか全般の学びとは何だろうとか、教育にはどういうことが大事なのだろうかということに広く関心が向くようになりました。僕は教職大学院の2年間、新潟県の現職派遣制度を利用して給与を受けながら行ってきました。そのためこの2年間は、現場から離れて大学での学びに専念することができました。
山内:大阪市で中学校の教員をしています。私は2021年度と2022年度の2年間、教員11年目で大阪大学の博士前期課程いわゆる修士の大学院に入学して研究をしました。自分が教員になった当初から大阪では教育改革がうたわれていて、橋本元知事などが進めてきたその方針に対して「これって学校のためになっているのかな?」という疑問がありました。そのことをしっかり考えたいと思い、大学院に行くことにしました。じっくり本を読んだりとか、今自分が置かれている状況について考えたりする時間が全然なかったこともあって、これは一回現場を離れないといけないなという思いもありました。
私は教育社会学を学びました。大学院では大阪市の教員数名にインタビューをして、その教育改革が教員にどういう影響を与えたのかということを研究して、修士論文にしました。
金子:茨城県の小学校に勤めています。教員として8年目の半年間、筑波大学に行きました。国語のスピーチなどについて研究しました。テーマについてはいろいろと考えましたが、これまでやってきた内容を深める趣旨の募集だったので、授業の中で一生懸命取り組んできたことを選びました。
武田:現場を離れて学びに行って、実際はどうでしたか?自分にとってどういう時間だったのかとか、何がどうよかったかを聞きたいです。
金子:現場を離れたことそのものがよかったです。例えば本を読むにしても、明日の授業や仕事を抱えながら読むのとでは、全然考え方が違ってくると気づきました。そもそも読む本が変わりました。それまではhow toものの本を読んで、次は何しようかなと考えていたものが、学術書を読んで根本から考えるというように変わりました。
山内:一番大きかったのは出会いですね。現場にいては出会えないたくさんの人と出会うことができた。教授であるとか、あとは大学から上がってくる大学院生もいて、10歳ぐらい年下の人と一緒に学びました。教師をやっていて学校の中だけしか知らなかったけど、世の中には研究者という立場で学校に伴走してくれている人たちがこんなにいたんだなと知ることができました。逆に言うと、学校の中にいる時はそういうことは感じにくくて、教員だけが頑張っていると思っていました。
山本:私は大学院入学の4月から7月までの授業で打ちのめされたんです。これまで接してきた子どもたちにごめんなさいと反省するばかりでした。その学びを土台にしながら研究校に入り、伴走させてもらいました。自分たちのスキルを発揮しながら研究してデータを出して、一定の成果を上げたことを一緒に喜び合える経験を2年続けて同じ学校でさせてもらえたのは宝ものでした。私はゼミ生の中で一番年長でしたが、子どもと同じような歳のストレートマスターたちと対等に過ごしました。私は素直に「わからない」と言えたし、職務経験のないマスターの「現職さんはこれをどう受け止めるんですか?」という疑問についてお互いに本音で話し合うこともありました。
金子:私が学んだのはコロナの時期で、しかも半年だったので、授業もほぼオンラインでした。学生さんたちとの交流に関しては、それまで同じところに研修に行っていた人のようにはできませんでした。大学の先生2人とはよくお話させてもらいましたが、ほぼ自習した感じでした。ただ、その時に勉強したことで国語教育分野での思考力はすごく鍛えられました。あとは、筑波大の先生たちに去年、勤務する中学校に来てもらって校内研修をやったんです。それができたのは、その時の国語の先生からのつながりでいろんな教科の先生たちに来てもらえたから。今もつながりが生きていると思います。自分は大学も大学院も国文学だったので、国語教育をちゃんと勉強できていなかったんですよね。今回、国語教育の先生について勉強できたので、一から学び直しました。きっと、働きながらでは一までは戻れない。今ある自分の上にプラスしていくことはできるかもしれないけれど、全然違うスタートラインから勉強し直すことは難しかったんじゃないかなと思います。
武田:次は、現場に戻って外にいた時期に学んだことがどのように活かされているかをお伺いしたいです。
山内:もともと教育社会学を学んでいましたが、大学院で研究して帰ってきてより社会学的に物事を見ることができるようになりました。例えば、すごくしんどい生徒がいるとして「その子に問題がある」と捉えるのではなくて、その子がそうせざるを得ない社会的な背景とは?と考える。子ども一人一人とか、また保護者を見る時にも個人の問題ではなくて、社会の問題から見たらどうなんだろう?などという見方をすぐにできるようになったのは、自分としては大きいです。
山本:大学院で学んだことをアウトプットしていかないと絶対に忘れると思ったので、自分からお願いして講座を開き、それを2年間続けました。例えば相手に話が通じなくて「あれ、自分がおかしいんかな?」と思うときがあるんです。そんなとき、赤坂先生は「チューニングしにおいで」って言ってくれます。大丈夫って思わせてもらえる人を得ることができたことも大きな財産です。思いが伝わりづらいと感じるのは、身近な先生が多いです。学級経営っていう課程は上越教育大が2025年度に必修で大学に入れたのが全国で初めてのことなので、学んでいない方が圧倒的に多いわけです。しかし、4月になったら「はい、学級経営してください」と、初任者もベテランも同じように言われ、できるものとして担っている。学級経営には譲らないものと寛容に見ればいいものとのバランスが大事だということは、学んだことで分かったことでした。でも、それを知らないがゆえに、子どもたちをコントロールできた成功体験が正しさとして受け継がれている学校現場はやっぱりある。とても厳しくて、先生が通ったら児童がみんなぎゅっと、シュッとなるとか。正直「そうじゃない」ということが、一切わかってもらえない場合もあります。
金子:国語の授業について学んだので、授業づくりで単元を実践するときの新しい土台ができたくらいの大きな転換になりました。現場にいると学習指導要領がすごく大切だと言われるけれど、大学などで教科の研究をしている人はもっと深く、もっと先を見て研究している。だから、10年ごとに改定される指導要領に振り回されるんじゃなくて、もっと大事なことを見ていくという視点もできました。あとは古い本が読めるようになった。教育書でも、即効性があるような新しいものじゃなくて、もっと古いものとかちょっと難しいものも読めるようになりました。だから、参考となる文献の幅がすごく広がりました。
上條:現場にいるだけでは、土台づくりは難しいですか?
金子:自分が国語教育を学んできていたら、もしかしたら違ったかもしれません。でも、自分は文学の勉強をしてきて教員になったので、国語教育の土台がなかった。そこで一生懸命やったとしても、今の学習指導要領の範囲内で言われていることの勉強しかできないと思う。研究と現場がかけ離れていることに気づくことができたのも、大学での学びがあったおかげだと思います。
上條:「いまに活かされている学びはこれ」というふうに一つに言い切ることは難しいです。新潟県の現職派遣制度は現場に戻ったら、向こう10年ぐらいは新潟県の教育に貢献することが望まれていて、現場への還元が強調されるところがあります。使命を担っていることを感じますが、自分はなかなか期待されていることを目に見える形で還元はできていないと思っています。大学院を出て自分が変わったところは、自分を相対化して捉えるようになったこと。実践の延長線上にはないものを学び得たことが一番大きかったです。あとは文章や論理に強くなり、文章を読んだり研究の言葉をまとめたりするのが速くなりました。
武田:今までの話を聞きながら思ったのは、自分を相対的に見ることができるようになるとか、how toではない本を読んで「なんでこうなっているんだろう」と考えることができること。つまり、クリティカルな視点が得られるのだろうなと思いました。
次は、大学院での学びが児童生徒にどう活きたのか?という観点と、自分がどんな制度で現場を離れてどんな課題があったのか、疑問とか、制度のあり方について感じることもお聞きしたいです。
金子:学んできたことは目の前の授業にはもちろん活かせたけれども、例えば他の先生たちにそれを言ったとしても、簡単には伝わらないと思うんです。私が半年いない間、別の教員が一人入って私も給料をもらっていました。お金をかけてもらって行かせていただいたけど、それだけのバックをしているかと言ったらなかなか難しい。これからまだまだ働いて、還元していかなきゃと思っています。でも、そんなに目に見えて即効性のあるものかと言うと難しいなというのが私の考えです。
山内:やっぱり子どもたちを元気にするには教員に元気でいてもらわないといけない。制度に対して思うのは、目に見えて何かが還元されるものにしかお金をかけられていないこと。例えば「これだけテストで点数が上がります」とか、そういう短期的な成果にしかお金をかけられていない。でも、教育って長期的に考える必要がありますよね。数値にはできなくても、教員が学ぶことによって還元されるものが確かにあるというところを分かってほしい。長期研修制度では自分でお金を出して大学院に行き、その期間は無給でした。でももしこの制度がなかったら教員を辞めていたかもしれない。教員の離職率を下げるという意味でも、こういう制度が一つあれば優秀な教員が確保できると思っています。
山本:今、教育改革をしていこうとしている都道府県では、手挙げ方式の研修が増えてきているじゃないですか。「大学に行きたい人ー?」という募集に「行きたいです」と手を挙げて、それが選抜になるのはいいと私は思います。その制度すらないというのはよくない。この教育改革の波に乗っかって、長期期間勉強したい人の思いをかなえられる国であってほしい。
学ぶ楽しさや学び続けることの素晴らしさを子どもに伝えたいなら、先生も学び続けないといけないし、先生も学びを楽しまないといけないと思います。自分たちの体験があって、子どもたちにそれを面白いと言える教員がたくさんいたらいいと思います。
武田:体現している背中を見ることには教育効果がありますよね。私がこの間行った研修で、上から行けと言われてハイテック・ハイに行かされた人に会いました。「すごく良かったから、ガラっと自分が変わりました」と話されていて、行かされたとしても良い結果を生んだケースもあると思いました。
金子:そうですね。全員手挙げ方式となった場合には、手を挙げていない人は学ばないということになりかねない。難しいですよね。
上條:新潟県は現職派遣制度で、単年度ごとに議会を通して予算を獲得しています。なので、お金が取れるような短期的な成果を求めることをゼロにはできないんだろうなと思う。でも成果というものには確かに言い表しにくい部分がある。ただ、その後も新潟県に残っている人は多い。だから、制度があることで教員が残るとか、10年ぐらい働いた人がいったん現場を離れて学ぶことで、しなやかになったり強くなったりすることとして意味があると思っています。この制度では結構な人数がちゃんと給与をもらって行くことができます。生活が保証された形なのでかなりリスクが低く、ハードルが下がる。とはいっても、現場を離れることで実践力が下がってしまうのではという不安は若手ほど大きいと僕は思うんです。でも周りに行った人がたくさんいると経験者の話が聞けるので、派遣への不安は減るのではないかな。
武田:ありがとうございます。先生たちが勤続の途中でちょっと抜けて学ぶこともあらかじめ織り込んだ採用数になっていれば、安定的ですよね。もちろんその分お金がかかりますが、それでも離職率が下がるなら大きな意味がある。私はこのプロジェクトはとても大事だと思うので、じわじわ広げていきたいと改めて思いました。榎原さん、最後に一言どうぞ。
榎原:8月にこのグループを立ち上げてアンケートをしたり、文科省でも発言していただいたり、大阪府議会でも本会議で質問をしたりと地道に活動しています。そもそも私は教員の学びの制度づくりは文科省でやってほしいと思っています。でも文科省がやらないから各自治体に制度ができていて、その制度によって、期間や給料の有無などの待遇に大きな差があります。自治体の差などなくどの人にも同じようにチャンスが開かれてほしいです。全国の先生が集っているSVPでプロジェクトを組んで、改善できる方法を考えていきたいと思っています。今日はありがとうございました。
文部科学省の調査によると、小中学校における不登校児童生徒数は年々増加し、2024年度には35万人に達しました。
なぜ、これほどまでに「学校に行けない」「学校に行かない」子どもたちが増えているのでしょうか。そして、現場の大人たちは何に苦しみ、どうすれば状況を変えられるのでしょうか。
今回は、教員、支援者、保護者という立場の異なる3名が集まり、それぞれの視点から見えてくる「不登校のリアル」と、これからの学校のあり方について語りました。

藤倉 稔(ふじくら みのる)さん: 北海道の小学校・中学校で計18年間の教員経験を持つ。現在は小学校勤務。不登校問題に高い関心を持ちつつも、現場での対応の難しさに葛藤する。自身の子どもも不登校を経験。NPO法人School Voice Project理事。

齋藤 暁生(さいとう あきお)さん: 元中高教員。現在は独立し、オンラインフリースクールの立ち上げや、不登校の子ども向けのサービス「ユルタ」などを展開。NPO法人School Voice Project理事。WEBメディア「メガホン」ではシステム管理を担当しており、不登校解説記事の編集にも携わった。

梁井 利恵子(やない りえこ)さん: 3人の子どもを育て上げた保護者であり、そのうち1人が不登校を経験。現在は「親カフェ」を主催し保護者が安心安全におしゃべりできる場づくりをする傍ら、在住市のこどもの居場所ネットワーク事業の地域コーディネーターをしている。
不登校の児童生徒数が過去最多を更新し続ける中、皆さんはそれぞれの現場で、今の子どもたちの状況をどう見ていますか?
藤倉: 正直なところ、うちの子が学校に行けなくなったときもそうでしたが、「理由がよく分からない」というのが実感です。本人も分かっていないし、親も分からない。何か発達的な要因があるかもしれないし、家庭に不安要素があって元気がなくなっているかもしれない。本人の中でも整理できていないストレスが蓄積しているように感じます。
でも、学校側はそこまで深く踏み込めず、わかってあげられないもどかしさがあります。軽々しく「学校においで」とは言ってはいけない状況があるにもかかわらず、立場上そう言ってしまう……。そこに難しさを感じています。
梁井: 子どもって、良い意味でも悪い意味でも、社会を映し出す鏡のような存在ですよね。日本の社会全体が不穏だったり、歪みが出ていたりすると、子どもたちはそれを敏感に感じ取って、自分の体や心を使って警告を鳴らしているんじゃないかと思います。
齋藤:すごく分かります。社会の歪みのしわ寄せが、一番弱い立場である子どもたちに来てしまっている。僕は、数字の面からも今の状況を危惧しています。メガホンの不登校記事でも取り上げたんですが、公表されている不登校児童生徒の数以外に、実は“隠れ不登校”がたくさんいると思っています。
文科省は年間30日以上欠席した子どもを理由別に集計しているんですが、このうち“病気”を理由にした長期欠席の子が、ここ数年で数万人単位で増えているんです。病気の子がそんなに急増するはずがないので、実態は不登校に近い子が含まれているはずです。
さらに、学校には行っているけれど「ちょっと行きたくないな」と感じるときがある子や、年間30日以上は欠席してないけれど休みがちな子を含めると、裾野はかなり広い。僕の肌感覚では、100万人くらいの子が何かしらの「学校への行きづらさ」を抱えているのではないかと思っています。
※ 文部科学省の調査では、児童生徒が「病気」「経済的理由」以外の要因によって年間30日以上登校できなかった場合を不登校として集計しています。
藤倉: 学校に来ている子たちだって、本当に学校を楽しんでいるかというと疑問です。「学校に来ているから大丈夫」とも言えないんですよね。
以前担任していたクラスで、子どもたちに学校評価のアンケートをとったことがありました。「学校は楽しいですか?」という質問に対して、勉強もできて活発で外遊びも大好きな子が、「うーん、中休みと昼休みがあるから、楽しいことにしておこうかな」と言っていたんです。
僕ら教員から見れば「学校生活を満喫している」と思える子でさえ、楽しみは休み時間だけ。その出来事があって、楽しみを感じずに学校生活を送っている子は多いのではないかと気付かされました。
梁井: 昔、息子が学校に行けなくなったとき、たまに登校する日があったんです。すると先生に、「来ると元気なんですよね」って言われたことがありました。その言葉はつらかったですね。
めちゃくちゃ元気に見えるんですよ、表面上は。でも、それは無理しているだけで、心から楽しんでいるわけじゃない。それなのに「元気なんだから、来ればいいじゃん」と思われてしまうんです。
齋藤: 先生たちが「学校は大事だよ」「勉強は大事だよ」と言い過ぎていることも、子どもたちを追い詰める一因かもしれません。もちろん、先生としての立場は分かるんですが、社会全体が「もっと頑張れ」「学校に行くのが正しい」というメッセージを出しすぎて、子どもたちが無理をしてしまっているように思います。
梁井: 本当は「学校が大事」なんじゃなくて、「その子が幸せに生きていくこと」が大事なはずですよね。学校はそのための手段の一つでしかないのに、いつの間にか逆転してしまっている。
藤倉: 僕自身の話をすると、子どもの頃はよく「死にたい」とか「いなくなりたい」と考えていました。でも、当時はSNSもなかったから、比較対象が周りの友達くらいしかいなかった。
今は違いますよね。スマホを開けば、世界中のキラキラした幸せそうな人たちが目に入ってくる。僕の子ども時代でさえつらかったのに、今の情報量で同じように悩んでいたら、本当に追い詰められてしまってもおかしくないなと思います。
齋藤: ネット上のやり取りも影響していますよね。SNSで「学校に行きたくない」と呟くと、見ず知らずの大人から「学校は行ったほうがいい」とコメントがついたりする。
不登校の子だけでなく、その予備軍の子たちがそれを見て、「今はつらいけど、やっぱり無理してでも行かなきゃいけないのかな」と自分を追い込んでパンクしてしまうケースも見てきました。大人の何気ない正論が、ネットを通じて子どもたちの首を絞めている側面もあるのかもしれません。
今、子どもたちが苦しんでいる一方で、学校現場の先生たちもまた、かつてないほど疲弊しているように見えます。
藤倉: そうですね。まず、教員が圧倒的に足りていません。不登校対応にかけられるリソースがほとんどないのが現状です。
本当は、子どもとゆっくり話して関係をつくりたいんです。中学校では空き時間に「公園に行って話そうか」なんてこともできましたが、小学校では担任がずっと教室にいなければならないので、物理的に無理なんです。子どものつらさを聞いてあげたいのに、その時間も余裕もなくて、結局「学校に来ないから、何もできない」で終わってしまう。そのもどかしさは常にあります。
齋藤: 先生方の余裕のなさが、職員室の空気を殺伐とさせている側面もありますよね。
藤倉: それはすごく感じます。不登校が増えているという現状に対し「学校に来ないのは、すぐに休ませる家庭の問題だ」など、親や子どものせいにしてしまう教員の声がSNSでも上がっていますよね。不登校の裏には「“昭和”の学校と“令和”の子どもたちのミスマッチ」というような構造的な問題があると思うんですが、そこに目を向けるゆとりすらない。
体罰ができなくなった分、言葉による暴力や、冷たい対応が増えているようにも感じます。僕自身も、忙殺される中で、のんびりしている子に対してきつい言い方をしてしまったりして反省することがあります。
齋藤: 評価や提出物のプレッシャーも大きいですよね。先生たちも本当は子どもに無理をさせたくないのに、管理職やシステム上の要請で「宿題はやらせろ」「テストは受けさせろ」と言わなきゃいけない。
藤倉: 今、デジタル化が進んでいて、タブレット上で「誰がテストを受けていないか」が一目瞭然なんですよ。教育委員会や管理職からチェックが入るから、久しぶりに登校した子に、たまったテストを5枚まとめてやらせて帰らせる、なんてことも起きてしまう。せっかく来たのに、ただ消耗させて帰らせてしまうんです。
梁井: 先生たちも本当に大変なんですよね。だから「学校が悪い」「先生が悪い」と責めても解決しない。
ただ、子どもが不登校になってしまうと、親としては、地域の情報やセーフティネットから一気に孤立してしまう恐怖があるんです 。だからこそ、お互いに苦しい中でどうつながり続けるか、大人が一度立ち止まって話し合う必要があると感じます。
先生も親も、そして子どもも苦しい。この袋小路を抜けるためには、どんな変化が必要なのでしょうか。
藤倉: 自分自身の反省でもあるんですが、これまで僕は真面目すぎたなと思っていて。「学校に来るなら朝から来るべきだ」と、どこかで求めてしまっていました。
でも、もっと柔軟でいいはずなんです。「給食だけ食べに来る」「休み時間だけ遊びに来る」とか。僕らが勝手につくった“登校のハードル”を下げて、「そういう登校もOKだよね」と認めてあげる。最近では「マイスタイル登校」という言葉もありますが、まさにそうやって個々のスタイルを尊重できれば、もっと救われる子は増える気がします。
梁井: まさにそうだと思います。イベントの名前なんかを考えるときにも思うんですが、「不登校」と言うと、どうしても否定のニュアンスが入ってしまうし、言葉として強すぎる。でも、検索されるのはその言葉だったりするから難しいんです(苦笑)。
齋藤: 本当は「学校に行くか、行かないか」という「0か100か」の二択ではないはずなんですよね。「最近、ちょっと疲れているから週2回にする」とか、「今日は元気だから朝から行く」とか、もっとグラデーションがあっていいと思っています。
「学校はもっと柔軟でいい」ということに関しては、「休んだ子の学びのフォローが大変で教員の負担が増えるのでは?」といった意見もあると思います。その点についてどう思いますか?
齋藤: 教員時代に私が自由進度形式で授業を行っていたときは、授業の受け方を生徒が選べる形だったため、教員側の負担を高めることなく授業に柔軟性を持たせられていたと思っています。中には、部活の大会で公欠になる生徒もいれば、体調や気分の波で「昨日は集中できなかった」という生徒もいました。けれど、どんな理由であれ、それぞれが自分のペースで遅れを取り戻したり、先へ進めたりしていました。
もちろん、それ以外でもさまざまな工夫の余地があると思っているので、先生たちや学校の工夫で「柔軟さ」と「負担減」の両立を目指していけるといいですよね。
梁井: 大人の社会では「フレックスタイム制」や「テレワーク」が広がってきていますよね。大人の働き方はどんどん多様化して、在宅勤務も選べるようになっているのに、学校だけが「8時から夕方まで全員集合」というスタイルが変わっていないように思います。
齋藤: そうなんです。社会で必要な能力も変わってきていて、「毎日決まった時間に決まった場所に行く能力」だけが全てではなくなっています。
だからこそ、完全にパンクして長期の不登校やひきこもりになる前に、「カジュアルに休む」という選択肢が必要なんです。僕が今進めている「ユルタ」というサービスもそうなんですが、「今日は学校を休んでこっちに行こう」と気軽に選べる場所をつくりたいと思っています。
現在は不登校の子どもの学習支援を通じて自己肯定感を高めたり、子どもが学校を“安心して休める”環境をつくっているんですが、将来的にはもっと幅広い子どもに向けたサービスにして、“学校に行きたくない日にふらっと使えて心が休まる居場所”をつくりたいと思っています。

最後に、これからの学校のあり方に対する思いや願いを聞かせてください。
藤倉: 僕は、もっと子どもたち一人ひとりの状態に合わせたアプローチができたらと思っています。今は「不登校」とひとくくりにして対応していますが、先生に会うのもつらい子もいれば、学校行事だけは参加したい子もいる。それなのに、同じ対応をしてしまっている気がするんです。
そして何より、その細かな対応をするための「暇がない」という現実があります。子どものことを見てあげたいのに、見る余裕がない。話したいのに、教科の指導やテストに追われて話す余裕もない。それでは、子どもが不登校になっても状況を理解できず、対応が遅れてしまったり、保護者とのやり取りが遠くなったりしてしまう。こういう学校現場の構造が変わっていくことを願っています。
梁井: 難しいことだと思いますが、私も、やはり学校というシステム全体の変革が必要だと感じています。先生たちがもう少し増えるとか、余裕ができるようになるとか。いろんなカリキュラムも含めて、全体が大きく変わるといい。
同時に、学校とそれ以外との間の垣根が低くなるといいなと思います。学校外の人間からすると、学校の先生や関係者の方とコミュニケーションを取るハードルが高すぎるなと感じるので、もう少し柔軟な方法はないのかなと。そして、いろんな立場の大人たちが、今の子どもたちがしんどいことや、自分たち自身もしんどいことを、いい意味で“ざわざわ“対話できるといいなと思っています。
齋藤: 大前提として、学校も家庭も、すべては子どもが幸せに生きるための手段でしかない、というところは絶対に忘れてはいけないと思っています。この根本に立ち返り、大人たちが「学校に行くことが絶対じゃないんだ」という意識を持った上で、苦しみすぎずに、気楽に支え合える社会になるといい。
不登校が35万人を超える状況は、もはやクラスの中の「特殊な子」の問題ではなく、社会全体のシステムをアップデートする時期に来ているということです。この認識を、広く持っていくことが重要だと思います。
保育士・放課後児童支援員として放課後児童クラブに長年勤務していた「きしもとたかひろ」さん。
“子どもとの日常の関わり”をマンガとして発表し、X(Twitter)で多くの教育関係者から共感を集めてきました。
今回の記事では、日常のちょっとした場面から『「その子にとっていちばん良いこと」ってなんだろう?』ということについての公開対話会の様子を掲載いたします。
参加者の皆様からいただいたチャットでのご意見も交えつつ、当日の様子をお届けします。

きしもと たかひろさん(一般社団法人Rights of the Child)
保育士・放課後児童支援員として、放課後児童クラブに長年勤務。支援員および運営の主幹として、子どもの権利と主体性の尊重を主軸にした育成支援及び保護者支援を続けてきた。現在は子どもを取り巻く環境の課題解決のために一般社団法人Rights of the Child(ライツオブザチャイルド)を立ち上げ、現場や自治体等の支援や講演、資格研修講師等を行う。著書『怒りたくて怒ってるわけちゃうのになぁ〜子どもも大人もしんどくない子育て〜』『大人になってもできないことだらけです』(KADOKAWA)

金子さん (公立小学校教員)
非常勤講師を含めて15年ほど公立小学校、公立中学校に勤務。非常勤講師時代は児童クラブでのアルバイトもしていた。ミッション、ビジョンは(まだ)見つからず、子どもたちの姿をおもしろがりながら、小さな小さな探究サイクルを回している。

齋藤暁生さん(元学校教員)
二児の父。ITベンチャー企業、教育系NPO法人、公立中学・高校(教諭)、地方自治体教育委員会での勤務経験を経て、2022年4月に教育コンサルタントとして独立。『「学校に行きたくない」日のオンライン学習支援“ユルタ”』等の事業を展開しつつ、 「旅する教師」としての自身の教育実践や各種教育研究の成果をもとに教育機関向けサポート・アドバイス・研修等を提供している。 NPO法人 School Voice Project 理事。
当日いただいたチャットの内容を、記事中のふきだし内に記載しました。
きしもと この漫画を書いたきっかけは、私が「子どもを一人の人として大切にし、意見を言って自分で決められるようにしよう」「子どもは本来自由で、自ら育つ力がある」といった話をしていた時、友人から「そんなことを言って、もし子どもが将来誰かを刺したら、それは許せるのか」と言われたことでした。




多くの方が、「やりたくないことでも、できていた方がいいから頑張らせるのが教育の役割だ」と感じつつも、一方で「無理に頑張らせることが本当にいいのか」という葛藤を持っていると思います。「子どもの思いを尊重」と言っても、何でも自由ではなく、導きが必要ではないか。本当にその子の為になっているのか、と。
この考え方が間違っていると言いたいわけではなく、私たちが育ってきた根底には、ほっといたら楽な方に流れるんじゃないか、大人がちゃんと導いてあげなきゃいけない、子どもたちを守るためにはある程度のルールが必要だ、といった価値観もあるのだと思います。
そのため、チームで取り組む際には個々の価値観で進めると、ぶつかり合ってしまいます。そこで私が関わる学童では、「子どもの最善の利益」、つまり「その子にとって何が一番いいか」ということを指標にして、職員たちと話し合ってきました。これは、子どもの権利条約の4原則の一つでもあります。
子どもにとって「今」「これから」何が必要か、ということを見つめ、今もこれからも大切にしていきたいという思いで、この漫画を書きました。

金子 子どもの中には「頑張りたい」という子もいますよね。そういう子を後押しすることや、頑張りたいけど頑張れない子に対しては、どう考えれば良いでしょうか。もしかしたら私は、そこから逃げているのかもしれないと思うこともあって。
きしもと そうした疑問について、現場で話せること自体がとても大切だと思います。「やりたくないけど頑張らせてほしい」という子どもの気持ちに関して言うと、たとえば学童で、「集中できないから、そこで怖い顔して座ってて」と言われたことがあって(笑)
頑張らなきゃいけないという見通しを何となく持っているけれど、なかなか頑張れない。大人でも喫茶店に行くとか、自宅じゃ集中できないから出勤するとか色々な方法を持っていますが、子どもも自分で工夫を見つけ出す。それはその子の力だし、そういうやり取りができることがスタートなんじゃないかと思います。
齋藤 僕が高校の教員だった頃、生徒には「授業中に寝ても、基本は起こさないよ」と伝えていました。ただ、「起こしてほしい人は、あらかじめ伝えてくれれば起こすよ」とも伝えると、結構いるんです。「ちょっと今日、部活ですごく眠いけど、頑張りたいんで」とか言ってくる子。
きしもと 「今は頑張りたいけど頑張れないから、ちょっと頑張らせてほしい」という意思表示を尊重することが大事ですよね。金子さんは、頑張らせないことが将来、子どもの不利益につながるかもしれないと感じることはありますか。
金子 ある子から「私のことも他の人のことも あんまり叱ってくれなくて、不安になることがあります」と言われたことがあります。「なぜあの子を叱らないんだろう」という思いが強いのかな、と思ったのだけど、「自分のことも叱ってほしい」ということでした。
きしもと 私の体験談なのですが、友人に「サングラスを選びたいからついて来て」と言われて行って、全部似合っているので「むっちゃいいやん」ばかり言ってたら、「お前は全部いいって言うから信用ならん」と言われたことがあります(笑)。本心褒めてるんだけど、「ちゃんと基準みたいなものを示してほしい、全部受け止められたら意見がないのと同じじゃないか」ということなのかなと。
子どもからしたら、「本当は私にとって必要なことを、この先生は私に気を遣って言ってくれない」といった不安があるのかな。
金子 その子には「叱ることがあれば言うよ」と話しました。出会って最初の頃の出来事だったので、その後の私との関わりの中で、「この人は“叱る”のではない方法で伝えてきてるんだな」というのを、感じ取ってくれたら一番いいんですけれど。
きしもと 「叱るのではなく、伝える」っていいですね。例えば誰かを傷つけたり、危ないことをしたりするのはダメだけど、叱ったり、怒ったりということをせずに、別の方法で伝えようとしている。

当日は3人が語りたいテーマを持ち寄り、参加者の皆さんにもチャットで意見を聞きながら対話を進めていきました。
きしもと 一方で、叱られ慣れてる、指示され慣れてることが普通になってる子がいるという意見もありますが、学校でそう感じることはありますか。
金子 感じますね。あと「叱るのが愛情なんだよ」と、もしかしたら私もつい言ってしまったことがあるかもしれない。自分の子どもは結構叱ってしまうんです。
きしもと 愛情があるゆえに叱ってしまうのを、「ここまで叱っているのは、愛情があるからなんだよ」と言い換えてしまうのは、あるあるですよね。愛情があるからこそどうにか伝えたいけど、伝え方が難しい。
子どもはよく宿題を嫌がって、学童でも「こんなのやってられるか」と僕に言ってくるんです。そこで「担任の先生に言ってみたら?」と言うと、「言えるわけないやろ!」と。学校の先生が怖いのではなくて、「こんなものやってられるか」と言わないことが、まさに普通になっているのかなと思います。
テーマ③の「自分で決める」という大前提が、コミュニティの中では乏しいからこそ、普通にやるべきと受け止めてしまうし、「そんな宿題出すなよ」とも言えない。
齋藤 テーマ⑧の「同僚や保護者との考え方の違い」という部分に関してはどうでしょう。
きしもと 厳しくすることで子どもたちが真っ当な人間に育つという価値観もあって、そのすり合わせは簡単ではないですよね。学校の先生だと、担任間で同じ方向を向かないといけなかったり、保護者からも「もっと叱ってください」という声があったりするんでしょうか。
金子 そうですね。「うちの子が困らせているのはわかりますが、もっと頑張らせてください。やるのは当たり前でしょう」といったことは言われます。特に中学校は複数の先生でクラスを見るため、すり合わせが難しいです。
きしもと 学童でももっと頑張らせてほしいという声が出ることもあります。ただ、学童でサボっているように見えても、実は学校ではめっちゃ頑張っているのかもしれないことを生活の中で伝えていくことで、のんびりすることの価値も感じてもらえたりします。
チャットにこう書かれている方もいます。
自分たちの中では、価値観の違いはいろいろありますが、こどもに自分の気持ちを伝えるということを大切に保育をしています。
子どもに、あなたを大切にしようとしてて、こういう風にあなたの意見を聞こうとしているということを伝えていくだけで、保護者の方にも伝わる部分はある。価値観の浸透という前に、子どもにちゃんとそういうことを伝えていくこと、そういう関わりをしていくことは抑えておきたいですね。

金子 2学期を前にして、文科省からも「無理して学校に行かなくていいんだよ」というメッセージが各家庭に届けられる。学校の近くにいるきしもとさんから見た学校のしんどさや、そこからどう抜ければいいのかという部分を聞いてみたいです。
きしもと その点に関しては、とても反省することがあるんです。僕は子どもたちに、「しんどいなら無理していかなくていいんだよ」と伝えていますが、その言葉自体が「学校はしんどい場所だ」という前提を含んでしまっている。本当にしんどいと感じる子がいる一方で、学校にも相談できる大人や、環境を整えている先生方はたくさんいるのに。
齋藤 学校の仕組み自体、子どもにも大人にもしんどい仕組みになっている気がします。教員は接する必要のある人の数がとても多い職場だし、不登校支援の視点から見ていても、特にある特性を持ってる子にはしんどいんじゃないかな。
きしもと 私は以前に学童の職員とした「子どもたちは自分で楽しむ力を持っている。私たちはもっと楽しい場所にしようと色々取り組むけれど、見なければいけないのは楽しくなる前の段階なのではないか」という話から、「しんどくない」という言葉を大切にしています。
楽しくないという状態は感情で、権利自体は取りこぼされていない。一方で、しんどいという状態は、何かしらの権利が取りこぼされている。しんどいところをどう減らして充実させるかというよりは、どうしんどくない環境を整えていくかというところが、すごく大事だと感じるんです。しんどさをゼロにはできなくても、「この人なら相談できるかも」と思える大人の存在が、学校や学童の場においては非常に大きいと感じます。
私(保護者側)自身は学校大好きだったし、大人になっても好きな場所なのに、学校=しんどいのような世間の状況は、やっぱりとても切ないです。
「無理して行かなくていいよ」は大切なメッセージだとは思いますが、学校がそういう場所になってしまっている大元へのアプローチをもっとできたらいいのに、と思います…。
学校も教室も管理が強まれば強まるほどしんどいです。「できなければ、しなければいけない」の圧力がつらい。
金子 中学校で担任していた時にこちらを叱ってくれる子がいたんです。「あれはないよ」「あの子は今困ってるよ」と。
その存在は、すごく心強かった。知らないうちにそっぽを向く子ではない、というか。子どもからも叱ってもらえる関係性になれたとしたら、教員のしんどさは少し軽くなるのではないかと感じます。
きしもと 叱ってくれる子の存在は、すごく助かりますね。自分が支配的になってるのではないかという不安や、それに気づけない環境にしんどさがあるのかもしれません。
金子 「支配的」ということは、多くの責任をその人が持たなきゃいけないということ。クラスで何かがあったら、自分の責任。それってとても辛い。だから、ちゃんと言ってくれる存在が生徒の中にいることによって、権力的な部分は弱くなるかもしれないけれど、同時に責任や重圧も減ると思う。
きしもと 確かに支配的になりすぎてたら、トラブルは全て自分の責任になる。一方で、子どもたち主体で運営できるようになってきたら、肩の荷が下りる。でもそれは、子どもに責任をなすりつけるという意味ではなくて、何かが起きた時に、子どもたちの課題として子どもたちと取り組んでいけるという意味なんですよね。
子どもたちの意見が出た時の嬉しさ、「言ってくれた!じゃあ、一回それでやってみよう」と、たとえ失敗してもそこから反省するという対話を通じて、関係性が生まれるのだと思います。
そうそう、子ども参加は先生を楽にするんですよね。コミュニティが、人がたくさん乗っているおぼんみたいなイメージだとすると、おぼんを先生一人でつかんでるとひっくり返らないようにするのは大変だけど、子どもも一緒におぼんをもってくれてたら、そう簡単にはひっくり返らない。
自分の考え方・保育が、これまでの経験や関わってきた同僚の影響を受けていて、それを「呪縛」と捉えて共有してくれたスタッフがいました。「自分が支配的になっている」ということに気づける環境は大切。
楽をする」のが「手を抜く」というイメージをもっている先生が多い気もします。(そう思われてしまうのでは、という自分もいます)楽をする、というか、こちらの手が空く分、子どもを見守ったり楽しんだりすることにリソースを避ける感覚でいます。
齋藤 子どもの意見の尊重と、教員のしんどさの軽減は、繋がる問題なのかもしれません。
きしもと まさにその通りだと思います。子どもの権利条約が示す主体性とは、子どもが権利の主体、つまり一人の人として今を生きていて、意見を持っているということです。思っていることがあるし、言いたいこともあるし、様々な要素をその子は必要として持っている権利の主体。1人の人として今を生きていますよという主体性ですね。
僕も1回失敗したんですけど、意見というと、子ども会議しましょうというのが一番に出てくるんですよ。ただ、意見が言える場を設けるのも大事ではあるけれど、「あなたの意見聞きますから、この1時間で意見を出して」というのは、日常で意見を尊重されていない子どもには難しい。
子どもの権利条約に書かれている「意見」は、会議での「Voice(意見)」や「Opinion(見解)」だけでなく、“その子がどう感じているか、どう思っているか、どう見えているか”という「Views」を尊重することなんです。その子の感情や意思を、一人の人として尊重する日常のやり取りこそが、意見尊重と言えるわけです。
ひいては意見を言わなくても、あるいは言語化できていなくても、その子には1人の人として考えていること、感じていることがある。それが主体性だということなんですね。嫌そうな顔一つもしないとかでなく、嫌そうな顔をしてくれたりするもの、その子の主体的な意思の表明なんですよね。
僕自身、「私、そんな意見表明したくない、自分で決めたくない」と言われたことがあって、それも権利なんだなと気づきました。何かをするときに子どもが「え?」という表情を見せたら、以前の僕は「いや、決めたことだろう」と返してしまっていました。これでは、全然意見表明を尊重してないですよね。
「え?」という気持ちに対して「そっか、え?って気持ちなんだ。そうだよね」と、まず子どもの感情を認めることはできる。その上で、「僕はそんな顔をされたら頑張って準備したから嫌だな」「僕が傷つく」と、自分の主体性を伝える。大人の前でそんな顔をするな、ではなく、一人の人として感情を伝え合う。
嫌そうな表情をする表明があれば、後で「あの時しんどいことあった?」と聞くこともできる。そういう日常の小さな表情を拾い上げることが、子どもの権利を守ることにつながるのかなと思います。
齋藤 嫌そうな顔をするのが子どもの権利というか、嫌な時に嫌そうな顔ができるような場を作るというか。
テーマ③に書いたのですが、僕は教員時代に学び方や学ぶペースを自分で決めるという自己決定を意識して授業作りをしていました。学校って学ぶペースが早いことは認められますけど、ゆっくりペースや「今日はやりたくない気分なんだ」というところは、あまり尊重されない。でも、きしもとさんがおっしゃるように、日々の何かしらを承認されたり、尊重されたりしていないのに、意見を急に言えというのは難しい。学校の一番の日常は学習だと思うので、学習や授業時間における自己決定がもっと広がるといいと思っています。
きしもと 「学び方や学ぶペースを自分で決める」って、まさに金子さんが最初におっしゃってた頑張りたい子のところとつながると思うんです。例えば集中したいなと思ったら、どんなふうに集中するか。自分の空間で集中したいのか。騒がしい中ででも集中できるようになりたいのか。じゃあどんなふうに?と考えていく。
大人が「あなたにはこういう合理的配慮が必要だよ」と決めるのではなく、対話で一緒に作っていく。頑張りたい気持ちと、今は頑張りたくないという気持ちの折り合いを、その子中心に決めていく視点が大切だと思います。
しんどいことをしんどいと言える関係性が大切だと感じています。大人とこどもという関係ではなく、対1人の人間として関わっていきたいと思っています。
「邪魔しない」というのもけっこう大切な気がします… 大人が「楽しくしてあげよう」としなくても、子どもたちは「楽しい」を見つける天才だと感じます。大人が用意しなくても、上手に見つけて遊びますよね。

金子 私が出したテーマ④は、学ぶペースなどにも関連するのですが、「子どもの権利と権利のぶつかり合い」についてです。これまでは主に子どもと大人の権利がぶつかった時の話が多かったと思うのですが、子どもの権利と子どもの権利がぶつかった時は、どんな風に捉えたらいいでしょうか。
きしもと 学童では遊びの中で、自分の権利と相手の権利、自分の欲求と相手の欲求の両方を成立させる術を身に付けていくと言われているんですよね。
どちらかが負けるカードのぶつかり合いではなく、お互いが尊重される方法をお互いで決めることが権利尊重です。一方は騒ぎたい、もう一方は集中したいという場合に「あなたは我慢しなさい。こっちの権利が優先です」ではなく、「あなたは今騒ぎたいかもしれないけれど、あなたが騒ぎたいということを保障することで、周りの子の権利が保障されなくなったら、それはどちらかが我慢しているということになるよ」と。
そして、なぜ騒ぎたいのかを掘り下げ、その欲求を別の方法で満たせないか対話する。そこで「ここぐらいまでは頑張ってみようかな」と自ら折り合いのつけ方を身につけていく。戦わせるのではなく、お互いの権利が守られるための秩序を、対話の中で作っていくんです。
本来は、自分の権利も相手の権利も守られるために、どういうルールを作るかということが秩序なわけじゃないですか。そのためのルールだと思えば、「自分が守られるためのルールだから、自分も守ろう」と、きっとなっていく。自分が尊重されるからこそ、相手を尊重するようになる。
「尊重しなさいよ」で身につくものではなく、それこそ生活の中で身についていくものだと思います。
齋藤 僕は不登校でしんどくなってる子をたくさん見ているので、権利と権利がぶつかってすぐには解決できなくても、それはそれでいいくらいの気持ちで見守るスタンスです。「絶対解決しましょう」「君と君はぶつかってるから、対話しなさいね」もまた、しんどいから。
一緒に整理して、お互いの権利の見える化をしてあげれば、なるほど確かにそういう権利があるかって、子どもたちにも伝わるかもしれない。そういう仕組みがあるといいのかな。
きしもと 今話している3人でも、価値観は違いますからね。現場でも家庭でも、子どもたち同士でも、会話が必要ですよね。
遊びの中で合意形成の力をつけていくの、大切だと共感します。
対話で折り合い付けるスキルって大切ですよね〜。意見が対立した時がチャンスなのかも。
権利と権利はぶつかるもんだ、を前提に、「どう両立させるか」を擦り合わせて対話していくことの具体的なイメージを広めなきゃと思っています。
子どもの権利についての学びを子どもたち同士で学べる時間があると本当によいと思います。
金子 私のしんどさの一つは、自分でどうにかしようとしてるところにあったのかもしれません。子どもたちの声や意見を聞くことが必要だと考えていたのだけど、まずは子どもたちの「ビュー」を拾い上げ、一緒に良い生活をしたいと思って見てくれている存在が、子どもたちの中にもいると感じることが、私のしんどさを軽くしてくれるヒントになりそうです。その子どもたちのビューを、どうやって拾っていったらいいのかという部分を、これから考えていきたいです。
きしもと 色々なことを感じて考えている子どもたちの思いを、言葉を選びながら丁寧に受け止め、また言葉にしていくことが、子どもたちにとって大きな助けになるだろうと感じます。そういうこと…色々なことを感じて考えているということを、僕もしていきたいと思うし。
だって「じゃあ最後に主張を言いましょう」って言っても、多分出てこないですよ。「なんか色々考えましたね」で終わるのも、いいなと思う今日の時間でした。
その子が「自分で決める」ということが大前提のコミュニティや社会で、子どもにもそれが当然のこととして入ってたら、先生もそんなに悩まずにアドバイスしたり自分の意見を言ったりできるのかも。
冒頭紹介してくださっていた漫画の中にもありましたが、子どもが今何に幸せを感じているのか、今の幸せの積み重ねの先にしか子どもの将来の幸せはないんじゃないかと思っています。子どもの今の幸せに、何が一番必要でしょうかという、すり合わせが必要なのかなと思っています。
こどもが安心して過ごせるように選択肢を増やしていきたい。居場所だったり、できること、こどものつぶやきをひろいながら。
このような対話が非常に大切で、日常的に対話される環境づくりが大事だと思いました、学校でも家庭でも地域でも