学校をもっとよくするWebメディア
フジテレビ木曜ドラマ「いちばんすきな花」(2023年)は、僕が担任していたHさんとの共通言語でした。このドラマは多部未華子さん、松下洸平さん、今田美桜さん、神尾楓珠さんの4人が主演を務め、日常的で誰しもが考えたことのある永遠のテーマを扱っていたことで注目を集めていました。毎週金曜日にHさんと「今週はどのシーンが良かった?」「あなたは夜々ちゃんみたく考えたことある?」とよく話をしていました。僕は特に第5話が好きで、椿さんの次の台詞がとても印象に残っています。
1人で傷つき苦しみを抱えていた紅葉さんに、椿さんがこんな話をしている。
「うん。よかった。話す人いて。お腹痛いとき、お腹痛いって言っても治んないけど、痛いのは変わんないけど、紅葉くんは今お腹痛いんだってわかってたい人はいて、わかってる人がいると、ちょっとだけマシみたいなことは、あるから。」(フジテレビ「いちばんすきな花」第5話より。文字起こしは筆者)
「ふつうの相談」1が学校でできるかどうかは、仕事を安定して行っていく上で非常に重要です。「ふつうの相談」は東畑開人氏の言葉で、いわゆるカウンセリングのように個室で二人きりでなされるものだけを言うのではなく、廊下での立ち話や、用具庫での片隅でのひそひそ話、詰め所や職員室で交わされる職員同士の愚痴や世間話も含むものです。ふつうに相談することが、そしてふつうに相談に乗ることが、心にとっていかなる治療的意味をもつ、と東畑氏は述べています。
本当は同僚に相談してみたかったけれど、心配や躊躇があってなかなか相談できないことは、僕は一度や二度ではありませんでした。当時の自分を振り返ると、こんな違和感について本当は同僚に相談してみたかったのです。
「ふつうの相談」ができる職員室であれば、全国で苦しんでいる先生たちの大半の悩みはなくなるのではないでしょうか? そういう職員室を目指し、僕が研究主任という立場で実践してきたことをいくつか紹介します。
職員室ラジオは、公立小学校教諭にょんさんの実践です(カタリストfor eduのホームページに、にょんさんへのインタビュー2がありますので、ぜひご参照ください)。僕は“Spotify「ミチクサRADIO〜とある先生たちの日常〜」#9 3”で、その実践を知りました。にょんさんの「職員室全体での対話の場を作る前に、もっとつぶさに、一人ひとりとの関係性をつくることができないだろうか」という問題意識に共感し、僕も「職員室ラジオ」を始めることにしました。
職員室ラジオは、次の3つのステップでできます。
① 放課後の時間等を活用し、同僚と1対1で対話する。
② その様子をスマホで録音する。
③ 収録データを職員室で共有する。
空き時間に事務作業などの仕事をしながら聞いてもらったり、通勤途中で聞いてもらったりすることを考えて、ラジオ1本分の時間は最大15分を目安にしました。トーク内容は、対話型のカードゲーム「センセイトーク」4を使って決めました。ある同僚にお願いし、その人が聞いてみたいトークテーマのカードを何枚か選んでもらっていました。
「自分にとって一番お気に入りの場所は?」「自分にとってのストレス解消法は?」などライトな質問から「先生になろうと思った理由」「先生以外になろうと思っていた職業の話」「子どもの頃は学校が好きだったか?」など、その人のパーソナルな部分の話や「学校祭はどうしたらもっと楽しくなるのか」など実務的なことも話題になりました。
また、ある同僚はこんなエピソードを語ってくれました。
「実は前任校での苦労や失敗があったからこそ、今は笑顔いっぱいで周囲に元気を与えながら仕事している」
笑顔の裏にはそのような背景があったのかと初めて知り、とても印象的でした。
現代の職員室は「ちょっとお時間もらえませんか?」と同僚に話しかけることすら、躊躇してしまいませんか? 職員室ラジオが「ちょっといいですか?」と気兼ねなく発せられる雰囲気づくりに、少しでも貢献できればと思っています。そして、足湯に浸かると次第に身体が温まっていくような速度で、「考えること」「疑問をもつこと」「誰かの意見を聞こうとすること」を職員室からじわじわと広めていけたら嬉しいです。
MM法とはみんなでつくるミーティング法で、ファシリテーターの青木将幸氏が考えた会議手法5です。MM法の特徴は、一人ひとりに持ち時間があって「全員が、ひとつずつ、議題を持ち寄る」という構造にあります。「今、このメンバーで、本当に話し合いたいこと」を持ち寄って話し合いますが、時間を厳密に区切って進行するため、時間内に結論が出ないこともあります。ただ、結論が出なくても、誰かに受け止めてもらえた事実が話し合いの場にはあり、メンバーの表情を見るとみんなすがすがしい顔になる、と青木氏は説明しています。
校内研修では、「困り事相談会」という名称でMM法を実施しました。この時間のねらいは、次の3つでした。
① 「目の前にいる子どもの誰を見て、どんなことを考えているか」について、同僚の声をゆっくり聞く時間をつくること。
② 悩みや困っていることを相談することで、心のエネルギーを回復してもらうこと。そして、MM法を通じて「ふつうの相談」ができる職員室の雰囲気をつくること。
③ 教室の様々な状況を「問い」や「悩み」として持ち寄ることで、教師の子どもを見取る力を高め、教師のアンラーン(学びほぐし)を促進すること。
僕のグループでは、次の4つのテーマについて議論しました。
● 話しやすい事務とは?(こんな事務となら仕事をしやすい、コミュニケーションをとりやすいか)
● ありきたりな授業から脱却するにはどうすればいいですか?
● 生徒達はなぜ失敗をうまく経験値につなげられないのだろうか?
● 多様性を気にするあまり本音を話さず、相手と距離をとって人それぞれだから…と片付けてしまうのはなぜだろう? 個を尊重するとはどういうことだろうか?
MM法を終えて、ある同僚からこんなフィードバックをもらいました。
「職員室で周囲を見ると、みんな忙しそうにしている。話しかけるタイミングを見計らっていたら、今日が終わってしまったこともしばしばありました。また、こんなこと言っても受け止めてくれるだろうかという不安があったので、こうやって悩みを相談できる場があるのは嬉しいです」
実は、僕はこのフィードバックをくれた同僚にとって「ふつうの相談」ができる職員室になることを願って、今回校内研修の時間を使ってMM法を実施しました。だから、このフィードバックをもらえて、素直に嬉しかったです。フィードバックをくれた彼女とよく話していたことは「人が変わろうと思うのは、自分の感情を誰かに拾ってもらえたときだ」ということでした。
「プリントを使って授業すると、毎日授業準備が大変ですよね」
「必死に授業しながら同時に評料し、それを記録していくのは至難の業ですよね」
などと僕が声をかけ、彼女が時折弱音を吐ける場を用意してあげることを日々心がけていました。
うまく受け止めてあげられたときは、元気を取り戻し、少しずつ授業づくりを楽しんでいってくれました。変わろうとする気持ちが湧いてこないのは、心のエネルギーが不足しているからだ、と僕は考えています。
「学びカフェ」6は、佐藤由佳さんの実践です。校内研究のように公的に位置付けられたフォーマルな場ではなく、まじめに雑談する時間を設け、定期的にみんなで話し合うインフォーマルな学びの場が「学びカフェ」です。その理念をベースにして、僕は特にテーマを設定せずに、2. で紹介したMM法のように「最近考えていること」「悩んでいること」「話を聞いてもらいたいこと」をただ話すだけの会にしました。ただし、それだけでは人は集まらないので、道の駅に売られている美味しそうなお菓子を用意し、それに釣られてやってくる人たちと対話しました。
勤務校の職員室には収納棚があり、一人ひとつ割り当てられていました。ある日、その収納棚の扉を外して、図書コーナーを設置しました。教室環境を整える際には「教師の学びの過程をオープンソース化」7をしていて、学級経営や教科指導など関連する多くの書籍を教室に置いていました。この図書コーナーは、教室での取り組みを職員室でも同じように行ったものです。
4月は協同学習に関する本、5月はインクルーシブ教育についての本、8月は合唱指導や行事指導に関する本、9月は探究や教室ファシリテーションについての本、11月はいじめや不登校に関連する本など、仕事のサイクルに応じて本を並べました。
図書コーナーは、足を止めたり視線を向けたりしている人々の興味や関心を知るしかけとして活用していました。また、積読のままの本を同僚と持ち寄って、みんなで平積みする活動はとても楽しく、お互いの理解を深める機会にもつながりました。さらに、クリスマスに関連する絵本や可愛らしい猫が表紙の絵本を置くことで、無機質な職員室が華やかになったことは良い思い出です。
「校内研究」「校内研修」と聞くだけで「ああ…」とため息をついてしまう人はまだまだたくさんいるのに、「私たちはどんな職員室をつくりたいのか」「私たちはどのように学び、成長したいのか」「そのために私たちはどのような研修にしたいのか」について職員室で議論されることは、僕の経験上ほとんどありませんでした。
そこで、年度末に実施した校内研修の時間では、オンライン掲示板アプリ「Padlet」8使って「校内研究」「校内研修」に関する様々な情報を共有し、みんなで見ながら次年度の校内研修について意見交換をしました。
その結果、次年度は“プロジェクト型の校内研修”に挑戦することが決まりました。僕には、自分の声を大切に発信し、他者の声も尊重しながら変化を生み出す職員室に少し近づけた瞬間に感じました。残念ながら僕は4月に異動となりましたが、校内研修を通して「変えていける実感」を教師が取り戻すことにつながり、子どもたちが民主的なコミュニティのつくり手としての感性や力を育んでいける学校に、さらに近づいていってくれることを期待しています。
3月〜4月のこの時期は、異動する、退職する人、立場が変わる、受け持ちの変更、同僚の入れ変わりetc…多かれ少なかれ、何らかの変化がある時期です。その変化に伴う、さまざまな感情・気持ちが一人ひとりの教職員の中にきっとあるはず。今の教職員の気持ちを聞きました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年3月11日(月)〜2024年4月11日(木)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :45件
Q1. 年度切り替えの変化の時期、今抱いている感情を以下のリストから選んでお書きください。
※いくつでも結構です。
※相応しいものがなければリストに載っていないものを書いていただいても構いません。
新年度を迎える時期の気持ちとしては、「不安」「心配」「疲れる」「へとへと」など、気がかりな気持ちや心身の疲労を感じさせるワードが多く選ばれる傾向がありました。同時に、「あたたかい」「寂しい」「ドキドキ」などのワードを選んでいる人もおり、別れの寂しさと新年度への期待が入り混じっていることが伺えます。
Q2. 年度切り替えの変化の時期、今抱いている感情とその感情がどこから来ているのかを教えてください。(過去や現在の状況・環境・出来事、願いやニーズなど)
修了式から年度はじめまでの間は、来年度の配置がまだ分からないため、宙ぶらりんな気持ちになります。同僚との腹の探り合いも、落ち着きのなさの原因です。もっと管理職と話をする機会があって、どんなことがやりたいのかを聞いてくれるなら、こういう気持ちにならないのかもしれないですが、基本的に管理職はあまり話は聞いてくれません。何がやりたいのかなどは、時間をかけて聞かないと出てこないものだと思うのですが……。個人の希望をしっかり聞いた上で、来年度の組織編成をやって欲しいなと毎年思います。【小学校・教員】
来年度の校内人事がどうなるのかわからないと、自分の立ち位置が分からず不安になる。
部活動の顧問をもちたくないと希望しているが、毎年職員が減り、部活数は変わらない。来年度もこの生活が続く、もしくは今以上に厳しい状態になるのかと思うと気が重い。【中学校・教員】
ミッションをこなしてきて、成果も出したつもりが、希望も聞かれず望まない所へ異動にされた。大声で希望を述べその希望が叶えられた人がいる傍らで、希望を言うことも許されない人がいるのは公平じゃない。今日の新聞発表を見て、また落ち込んだ。悔しい。【小学校/中学校・校長】
特別支援学級の担任です。在籍する子どもの数が増えるのに、担当する先生が決まっていない。今年度担任だった先生は、私以外は異動してしまう。さらに、新入生が手のかかる子どもだとわかり、クラス分けも一から考え直さなくてはならない。子どもの様子も完全に把握しきれていないのに、4月2週目から学校生活や様々な行事が始まってしまうことに不安しかない。【中学校・教員】
年度末に向けて、通知表の作成、要録の作成、諸々に必要な所見の嵐……とにかく圧倒的に業務量が多くてへとへと。【小学校・教員】
なんとかギリギリにやらなければならないことを年度末までに仕上げたが、通勤時間も長く、仕事もなかなか終わらないので、疲労感が半端ではなかった。また、本来やりたい事ができないところで、周りにもなかなか理解者がいないので、無力感が大きい。【小学校・教員】
新年度準備期間が、短いため引き継ぎが十分にできない。書類完成後にいじめが発覚、同じクラスに当事者がいることから、クラス編成のやり直しを検討することに、これも、準備期間が十分取れてないことの弊害、新年度の準備には、丁寧に引き継げる時間が必要、十分な準備期間の確保を是非進めて欲しい。
とにかく今、置かれている教職員の環境は、地獄そのもの、真面目に取り組んでるものが心身ともに壊れていく。適当、要領良くできない教職員を救って欲しい。【小学校・教員】
初めて3年間担任した生徒たちの卒業式を終えて、次の年度に向けて気持ちが切り替わっている。次がこの学校で働くのが5年目かつ1年生の担任をするのも2回目ということで、なんとなく見通しが持てているし、自分が学年や学校の中で中心としてがんばっていくのだという気持ちも強い。学年主任の先生が尊敬と信頼できる人で、また同じ学年で働けるというのも自分にとって大きな安心材料。一方で、初めて同じ学年で働く先生や異動されてくる先生も多いので、どんな学年教師集団になるのか、チームワークがうまくいくだろうかという点においては少し不安と緊張がある。【中学校・教員】
昨年度全校1000人いた子どもたちが学校が分離したことで半分以下に減りました。また、職員数は昨年度の半分以下になりました。そのため、5つあったクラスは2つに減り、一人当たりの分掌や学年作業が増えました。周りから「大変そう」と言われますが、自分はやりがいを感じています。大変なクラスの担任に加え、体育主任も任されたため、この一年を走り抜ければ大きな達成感を感じるのではないかとワクワクしています。【小学校・教員】
現在の職場は3年目で、良い意味で慣れている。前例踏襲主義に陥らず、その場で判断しながら変えたいところは周りに相談しながら変えていきたい。【高等学校・教員】
4月から新設校に異動する。通勤時間がかなり短縮されることで楽になる。その意味では明るい気持ちで、新年度に臨めるが、新しい環境がどのようなものか見えてこないため不安もある。また当然ながら、以前の職場を離れる寂しさもある。【特別支援学校・教員】
職員が入れ替わったのに、その忙しさから十分に知り合う時間もとれず、毎年お互いのことがよくわからないまま始業式を迎えます。また、管理職との面談も十分に行われず、自分が組織でどのような役目を期待されているのかなどもわかりません。そういう状況だと、発言力のある先生だけが目立って、そうじゃない先生が何も言えなくなるんですよね。学級とおなじように、最初の1週間は教職員同士が出会う期間にしてくれたら本当にいいのですが……。【小学校・教員】
教職員の年齢層が高くなりすぎているので、是正してほしいと毎年願いますが、年齢層の高い先生のほうが圧倒的に多いため、難しいようです。年齢層の高い先生からはたくさんハラスメントを受けまして、一緒に働きたくないです。【高等学校・教員】
「誰も取り残さない」「先生が働きたいと思う」自治体を謳っているが、何やかんやとこじつけてのビルドアンドビルドにこれらのキーワードと現場が早速取り残されており、年度末から絶望的な気分になっている。【小学校・教員】
大人にとっても子どもにとってもwell-beingな学校を目指したいが、変えることを拒むベテランが多く、、意見を無視されることで無力感を感じる。誰のため、何のためが抜けていて、大人のための学校になっている気がして仕方ない。校内人事も声の大きい人が優先される傾向にあり、大変なことは何も言わない人や若手に押し付けるような人事になりがち。そこに不安や絶望感がある。【小学校・教員】
疲労や不安、ストレスを感じている言葉が多く集まりました。その理由としては、「希望した人事が通らなかった」「新年度の人事がわからず準備ができない」「年度末の業務が多く、新年度に向けた準備ができていない」など、人事や業務量についての内容が多くあがっていました。また、教職員間の関係構築が十分にできていないことや学校の運営方針が、ストレスの原因になっていることが伺える回答もありました。一方で、1年間を終えた達成感や新年度に向けた期待など、前向きな気持ちを表す回答も多く集まりました。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
さまざまなメディアでも取り上げられている通り、現在、日本の学校では「教員不足」が大きな課題の一つとなっています。
NPO法人School Voice Project では「#教員不足をなくそう!緊急アクション」というキャンペーンを立ち上げ、学校現場の厳しい実態の見える化・記者会見を通した問題提起を行ってきました。さらに問題を深く理解するため、教員を志望していたがやめた方々・現在、教壇に立っている方々の生の声を聞きました。
(協力:Teacher Aide / 株式会社トモノカイ)
■対象 :若手教員、教員志望の大学生、大学の一時期まで教員を志望していたがやめた若手社会人・大学生 ※ここでいう「若手」とは、大学卒業後5年以内の人を指す。
■実施期間:2024年2月8日(木)〜2024年3月11日(月)
■実施方法:学校現場の声を見える化するWEBアンケートサイト「フキダシ」及び大学生×教育バイトメディア「t-news」にてWEBアンケートを実施
■回答数 :598件
【若手教員・教員志望の学生の方向けの設問】
教員を目指すにあたっての懸念点について、以下のことはどの程度当てはまりますか。
【元教員志望の若手社会人・元教員志望の学生の方向けの設問】
教員を志すのをやめた理由について、以下のことはどの程度当てはまりますか。
若手教員・教員志望の学生(教員・教員志望グループ)と、元教員志望の若手社会人・元教員志望の学生(元教員志望グループ)間で、教員になる上での懸念点にどのような共通点・違いがあるのかを比較しました。
その結果、両グループで70%以上が、給料の低さ・業務量の多さ・自分が力を入れたい業務への時間の足りなさ・初任時の責任の大きさ・多様化する子どもや保護者のニーズへの不安に対して「とてもそう思う」「そう思う」と回答しました。また、元教員志望グループでは、教員・教員志望グループに比べ、給料・閉塞的な組織文化・教育実践の硬直性・サポートのなさへの懸念が大きい傾向が見られました。
クラスのことを任せられてしまう仕事の責任の大きさももちろんですが、そもそも教員免許を取る時間と努力、そして教員採用試験に合格する努力も教師になるには必要です。その時間と手間と努力、そして実際勤務する責任、これらに見合ったお給料が新卒からもらえているとは思えません。 教師になってから給与に不満を覚えて転職した知り合いがいるのですが、その方はベンチャー企業でいきいきと働いていました。その姿を見て、教師になる勉強をしたって絶対教師になる必要はないと感じさせられました。【教員志望・学部2年】
部活動顧問がほぼ無給なのは、教員養成課程を履修して初めて知りました。労働に対する対価が支払われないのは納得できませんでした。【元教員志望・博士3年】
職場に1人クセの強い先生(40代のベテラン)がおり、教員・子ども・保護者全てからクレームが出るくらいの人でした。(中略)どんなにクレームが出たとしても、教員は続けられるものなんだと知った時は、「私がやらなくてもいい仕事かもしれない」と察しました。どんなに仕事ができなくても、クビにはできない。年功序列で順番に上に上がって行かなくてはならない。しかし、なるべきではない人が校長になったら、その学校はどうなるのか。若手がいくらSOSを出したとしても、年功序列の制度は変わりません。またどんなに仕事ができなくても、税金で給料が安定的に上がっていく、ボーナスももらえる。仕事ができない人の代わりに、できる人が倍働く。なのに給料は同じ。そんな世界で働きたいと思える人がどのくらいいるのでしょうか。【元教員志望※教員経験2年あり・若手社会人】
教員という仕事は、子どもたちにこれから必要な知識教養を身に付けてもらうために教えると同時に、人として成長してもらうためにクラス担任を担うなど社会的意義のある仕事であると考え、志望しておりました。しかし、実際に教育現場で働く先輩からのリアルな現場の話や公務員としての給料面や休日日数、部活の顧問など必要な業務量がとても多い一方で、いきなり現場に投げ出され、教鞭、事務、保護者対応、部活などを兼務するのは自分には荷が重すぎると感じました。また、子供の未来を担う教師の未来は暗い労働環境というのが個人的には良くないとも思えたため、教員志望を辞めることにしました。【元教員志望・学部4年】
子どもの居場所作りや、個別支援が必要な子に対してじっくりと向き合う働き方をしたいと考えていたが、実習を通して教員の忙しさを目の当たりにした際に、先生になったら勉強を教えることしか(教えることすら?)できないように感じてしまった。【元教員志望・若手社会人】
結婚をして子どもを産みたいと昔から考えているため、教員になったら自分の子と関わる時間が生徒と関わる時間より少なくなってしまう可能性があることを考えると「他の子どもを教育している場合ではないのに」と心の余裕が無くなりそうだと考えました。【元教員志望・修士1年】
現在塾講師として働いているのですが、保護者様からの厳しいお言葉や要求がかなりある現状と知り、より多くの生徒、保護者と関わる必要のある学校の先生は私には向いていない、耐えられないと思いました。【元教員志望・学部3年】
近年の保護者の過干渉や、生徒の多様化のニュースなどを見ていて、自分にはそれに対応しきれる精神力が足らず、自分を壊してしまうのではないかという懸念が強かった。【元教員志望・若手社会人】
小学校の場合は確実に初任で担任を持たされるし、今は中学でも初任で担任を持たされる人も中にはいる。大学で授業のことだけ多くは学んできて、学級経営など学んできていなかったり、また教育実習でも20人規模の生徒の前でしか授業していない人もいるのに、教員になって1年目で30人規模の学級の担任をして、生徒指導、学級事務をしたり、保護者との関係づくりをしなければならなかったりすると、授業どころではなくなってしまう。誰しも、大学で学んできたことを活かして、よりよい授業を作っていきたいと思っているが、それが実際に現場では達成されず、心身の不調にも繋がると思うから。【教員志望・学部4年】
小学校の時の憧れだった先生が、当時は生徒のことを第一に考えてくださっていましたが、今は学校のルールに縛られて考え方が変わってしまったと伺って、やはり自分らしくを貫くのは難しい環境なのかなと残念な気持ちになったのも理由の一つです。【元教員志望・学部4年】
国全体が教育をサービス業とみている節があったり,教育の改善が一向に期待できない点が大きいですが,教育実習に行った際に現場の意識も文句ばかりで行動が伴っていなかったのを見て,教員になるのをやめました。【元教員志望・修士1年】
授業に集中して取り組みたいが、分掌や事務作業に追われる日々。その業務も前例主義で去年やっていたから、、いきなりやめられない。と、もちろんメリットもあるのだろうが効果に見合った時間になってない業務が多い。なくすと責任を負うのが嫌で、なくせない主任。管理職。若手がスクラップを提案すると、「経験が大事」「何事も学ぶことがある」と若いからと言った理由で意味を感じない仕事をしていると感じることが多い。【若手教員】
コロナ禍での文化祭開催の議論や、理系の共通テストの社会科受験科目の選択肢の幅など、伝統保守的な立場の先生方が多く、挑戦的な姿勢や新たな可能性を探ろうとする姿勢を感じられない事が多かった。【元教員志望・学部2年】
教職インターンシップにてお世話になった際、心身共に参っている新人の先生を多く見かけた。子どもたちがクラスという空間での習慣や、学校環境の変化、学年の変化、学級の変化に対応できないと教員としてもキツいと言っていた。また、中には、昔のやり方をそのままに、それはよくないと思うと、自由なやり方を制限するベテランも見かけた。サポートに入っていても連携が取れない、とる時間すらない、もはや、連携をとるためにコンタクトをとる時間でさえ勿体ないと感じる先生が多いように感じる。
結局、その学校の職員の組み合わせによって変わるところもあったり、管理職や教頭、校長が、言い方を悪くすると、どれだけ使えるか、他の職員に、自分に寄り添って考えているかによって変わったりもする。私の伺った学校では、残念ながら教頭が1人で慌ててしまって、インターン生の私はもちろん、その他の職員への対応も疎かで、連携が取れない環境であればどうしようかと考えることもある。【教員志望・学部2年】
【元教員志望の若手社会人・元教員志望の学生の方向けの設問】
いつ頃まで教員を志望されていましたか?
元教員志望グループに教員志望をやめたタイミングを尋ねたところ、62%が学部1年生時点でやめていたことがわかりました。学部2年生まで含めると80%以上にのぼり、大学生の比較的早い段階で教員志望をやめている学生が多いことがわかります。なお、この傾向は小学校・特別支援学校と、中学校・高等学校で比較しても大きく変わりませんでした。しかし、今回の調査では、早く教員志望をやめたグループと、遅くやめたグループで懸念点に違いは見つかりませんでした。
若手教員・教員志望の学生(教員・教員志望グループ)と元教員志望の若手社会人・元教員志望の学生(元教員志望グループ)間、両グループで、70%以上が、給料の低さ・業務量の多さ・自分が力を入れたい業務への時間の足りなさ・初任時の責任の大きさ・多様化する子どもや保護者のニーズへの不安に対して懸念があることがわかりました。特に、元教員志望グループでは、教員・教員志望グループに比べ、給料・閉塞的な組織文化・教育実践の硬直性・サポートのなさへの懸念が大きい傾向が見られました。
アンケートの結果から、給料や働き方の改善、精神的プレッシャーに対する支援、閉塞的な文化の改革などさまざまな観点での改善の必要性が再認識されました。これらの課題を解決していくことは、少なくとも「教員志望をやめる学生」の減少につながるのではないでしょうか。
※上記はあくまでアンケートの結果から導かれた仮説となります。例えば、「閉塞的な組織文化」に触れることによって教員志望でなくなるのではなく、何かしらの理由で教員志望でなくなった学生の方が「閉塞的な組織文化」へのアンテナが高くなるため懸念度が高くなったことも考えられます。今回のアンケートでは、あくまで「閉塞的な組織文化」への懸念度と教員志望度との相関関係が観察されたというだけで、因果関係を説明できるわけではない点にご注意ください。
※また、短い期間でパイロット的に行ったアンケートであるため、アンケート回答者は便宜的なサンプルであり、若手教員・教員志望の学生・教員元志望の若手社会人や学生を代表するものではありません。
▼ 本アンケート結果を踏まえた提言書は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
2023年、NPO法人School Voice Projectでスタートした「#学校の居心地プロジェクト」。
きっかけとなったのは、WEBアンケートサイト「フキダシ」に集まった、学校の居心地についての教職員の皆さんからの声でした。
「とても居心地がよいと思う」「まあ居心地がよいと思う」という肯定的な選択肢を選んだ人は約半数。職員室など、教職員が仕事をするための空間については、肯定的な回答は約3割。少なくない子どもたちや先生たちが、心地よいとは言えない環境で学んだり働いたりしている実態が見えてきました。(アンケート結果詳細はこちら)
「#学校の居心地プロジェクト」での取り組みの一つとなる「学校にYogiboを置いたら」実証実験では、全国から公募した5つの学校のさまざまな場所にYogibo(ヨギボー)を設置し、子どもたちや先生たちの心や学び、関係性にどのような影響を与えるのかを探っていきました。
今回は、「学校にYogiboを置いたら」の実証実験への応募を決めた福岡県飯塚市立飯塚小学校の長﨑裕也さんと、実際に教室内にYogiboを置いて子どもたちの様子を見ていた特別支援学級の坂口由美さんにお話を伺いました。
「#学校にYogiboを置いたら」の実証実験に応募しようと思った経緯について、「教職員の間で学校の居心地を考えるきっかけにしたいと思った」と振り返る長崎さん。そう思ったのは、大学時代にフィンランドの学校で3ヶ月間アシスタントをしていた経験も影響していると言います。
「フィンランドの学校では、教室にクッションやソファが置いてあり、自分で勉強する場所を選べる環境が整っていました。それを見て、日本の学校ももっとリラックスできる空間になるといいなと思ったんです」
今回の実証実験の協力校に決まった際には、教職員に「Yogiboの設置をきっかけに、教職員やすべての子どもたちにとっての居心地のよい環境について考えていきたい」という思いを伝えました。しかし、長崎さんの本意を伝えることへの難しさもあったと言います。
「学校にYogiboを置くこと自体には面白さを感じてもらえて、多くの教職員が好意的に受け止めてくれました。ただ、学校全体の居心地について考えるきっかけというよりも、あくまで特別支援学級の児童にとってのリラックスのための道具と捉えられてしまった感じがありました。通常学級にYogiboを置くことで規律が乱れたり、姿勢が崩れたりすることを懸念する声もありましたね」
実際にYogiboが届いてからは一定期間図書室に置き、その後は特別支援学級の教室に置くことになりました。図書室はどの学年も週1回の利用時間があり、その他にも中休み(2時間目と3時間目の間に設けられている10分間の休み時間)や昼休みには自由に利用することができます。
「Yogiboは子どもたちの人気スペースになっていましたね。子どもだと4、5人くらいが座れるので、みんなでぎゅっと集まって座って、一緒に本を読んでいる様子も目にしました。なんだかほっこりしますよ(笑)ただ、案の定Yogiboに飛び込む子もいたので、そのような様子を見かけた際には司書の先生が声をかけてくれていました」
図書館の次は、特別支援学級の教室に設置。担任の坂口さんは「Yogiboがあることで、子どもたちがリラックスして過ごす様子があった」と言います。
「クラスには落ち込んだりイライラしたりと、感情の浮き沈みが大きい子が在籍しています。気持ちが不安定になったときに、その状況を言葉にして伝えることが難しい子もいるので、そのときにはYogiboが役に立っているなと感じます」
ある授業では、イライラしたときの対処法についてそれぞれの児童が考える場面がありました。そのときに、「Yogiboでリラックスする」と書いている児童もいたようです。
「実際に、その子がイライラしていたときに『教室の後ろで、少し気持ちを落ち着けてきたら』と声をかけると、自分からYogiboが置いてあるところに行って、しばらく顔を埋めていましたね。しばらくしたらスッと戻ってきて、また勉強を再開していました」
さらに、特別支援学級にYogiboを置くことの良さを坂口さんはこう話します。
「子どもたちの様子を見ていると、『Yogiboに乗りたい』『Yogiboで遊びたい』という欲求があるだけではないように思います。柔らかいものに触れていたり、狭い空間にいたりすると安心すると自覚している子もいます。そういう子にとっては、Yogiboはリラックスできる場所にもなっているのではないかなと思います」
特別支援学級にYogiboを置くことを肯定的に受け止めている坂口さんですが、通常学級に置くことに関しては心配な点もあると言います。
「通常学級の場合は1つの教室に30人以上の児童がいるので、Yogiboを置くとなると空間の狭さが気になってしまいます。また、使う人数も増えるので、Yogiboの使い方についてルールを徹底することにも難しさがあるのではないかなと思います」
一方で、Yogiboの導入を後押しした長崎さんは「通常学級にもYogiboを置くことで、子どもたちがリラックスできる環境を学校内につくっていきたい」としつつ、教職員によってさまざまな意見があることにも理解を示します。
「教職員によって、これまで関わってきた子どもたちの実態が違うので、それによってYogiboの使い方について考え方の違いが生まれているのかもしれません。私が見てきたのは比較的落ち着いているクラスだったので、教室にYogiboを置いても問題ないなと想像できます。ですが、坂口先生のようにいろんなクラスを担当してきている先生にとっては、Yogiboを置くことに対しては慎重になると思います」
最後に、「休み時間の休憩スペースとしてYogiboを使ってほしい」と話す長崎さんに、理想としているYogiboの活用方法について伺いました。
「休み時間も含めて、学校にはずっと緊張感があるなと感じています。休み時間に外に出て思いっきり遊びたいときはあると思いますが、ただ体を休めたいときだってあると思います。そういうときに、椅子に座っているだけではなかなかくつろげないと思うんですよね。大人であれば、コーヒーを飲んだり自分で場所を選んだりできますが、子どもにはそういう選択肢も与えられていない。なので、もっと学校の中でリラックスできる空間をつくりたいと思ったんです。
ゆくゆくは、Yogiboを置くことをきっかけに学校の中にお昼寝スペースのような空間がつくれたらいいなと思っています。Yogiboを置くことを考えたときに最初に出てきた課題が、靴を脱いで過ごせるスペースが学校内にないことでした。靴を履いたままYogiboに乗るのは衛生的によくないと思っているので、まずは靴を脱げるスペースが必要だなと。そういう空間があるだけで、学校の居心地は変わってくるのではないかなと思います」
これまで多くの学校に存在していなかった、柔らかいクッションやソファなどが置かれた空間。少しずつではありますが、Yogiboをはじめ、子どもたちや教職員の居心地を考えた空間をつくっていく学校は増えてきています。
今回のインタビューからは、Yogiboを置くことが児童のリラックスできる時間に繋がっていることが伺えました。一方で、「どのようにYogiboを活用していくのか」「子どもたちの安全面や衛生面をどう守っていくのか」などについては、教職員間で対話を重ねていくことが不可欠ではないでしょうか。
実証実験に伴って贈られたYogiboは、今後も同校での使用が可能です。Yogiboを置くことをきっかけに、子どもたちや教職員によってのより良い空間づくりに繋がっていくことを願います。
文部科学省の調査によると、令和7年度から全国の多くの自治体でGIGA端末の更新が始まります。それに向け、現時点のICT環境の課題について、全国の教職員に聞きました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2023年11月29日(水)〜2024年2月19日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :195件
Q1. 現任校で授業や校務におけるICT活用はどの程度、推進されていると思いますか?
小学校では24%が「強く推進されている」と回答し、62%が「推進されている」と評価。中学校と高等学校も相対的に高い割合でICTを推進しており、それぞれ34%と39%が「強く推進されている」と回答しています。その他の校種でも62%が「強く推進されている」と答え、全体的にはICTの導入が進んでいることがわかります。
Q2. ご自身として、ICT活用をどの程度、推進していきたいと思いますか?
全体的にICT活用を推進する意欲が高い傾向が見られます。小学校では39%、中学校や高等学校も、36%と50%が「強く推進していきたい」と回答し、ICTの積極的な導入に前向きな姿勢が見受けられます。全体的に「推進していきたい」割合も高く、ICTを教育現場で有効に活用したいという共通の意欲が示されています。また、全く推進したくないと回答した割合は低く、教職員全体がICTの導入に肯定的な態度を持っていることが伺えます。
Q. 次の課題は、現任校でどの程度当てはまりますか?
Q3-1. 「転出入や故障に対応するための【生徒用】GIGA端末が足りない」に関して、どのようなシーンで困ったか・どのように対処したか、具体的なエピソードを教えてください。
年度当初など、新1年生端末の数がすぐにそろわない。故障者には代替えで対応するが、それも足りない時がある。【小学校・教員】
破損が多いが替えの端末がないので、破損しても我慢して使ってもらっています。【中学校・教員】
同一市内で転出入の場合は端末は市教委を通してのやりとりになるが、県外を含む市外からだと申請から届くまでに時間が1ヶ月以上かかり、教師用の端末を貸し出したことが何度もあった。教師用の端末を貸し出すときは付きっきりの時のみ。【小学校・教員】
日頃足りていないので、長期欠席の生徒分をほかの生徒が使っているため、久しぶりに来た生徒に本人の端末を渡せず、予備として教室にある常時充電を繋いでいないと使えない端末を使ってもらっている。【中学校・学習支援員】
Q3-2. 「学校事務職員や講師分を含めると【教職員用】GIGA端末が足りない」に関して、どのようなシーンで困ったか・どのように対処したか、具体的なエピソードを教えてください。
予備機は、学年に1〜2台足りないことがある。講師にあてがわれていることはほぼなく、使うときは、子どものものを借りたりしている。事務職員にタブレットは無い。【小学校・教員】
端末配布は学年担任プラス3台と決められているため、管理職や養護教諭、会計職員などは端末がないことになる。校務がクラウド化しているが、上記の方々に端末がないために、思うように進められない現状がある。【小学校・教員】
全員に端末が行き届いていないので、ペーパーレス会議の時は画面を隣の人とシェアしている時がある。【小学校・教員】
Q3-3. 「学校内で使用する際にGIGA端末の通信速度が遅くなることがある」に関して、どのようなシーンで困ったか・どのように対処したか、具体的なエピソードを教えてください。
文科省や市のアンケートを一斉に実施するのが困難。【中学校・教員】
複数のクラスが調べ物したり、全校でフォームスを使ったりすると一定数回線の影響でできなくなる。時差でやらせたり、再起動したりしてなんとかやった。【中学校・教員】
通信速度が遅くなってしまい、デジタル教科書に不具合が出て、授業が中断することがよくある。その都度、インターネットブラウザを再起動している。【小学校・教員】
学習者用デジタル教科書を開こうとしても、1クラスに2桁近く開かない生徒がいる。どうしても繋がらない時は、紙の教科書に切り替える。【小学校・ICT支援員】
Q3-4. 「学校Wifi(無線LAN)に繋がないと使用できず、 GIGA端末を校外学習や家庭学習で使用できない」に関して、どのようなシーンで困ったか・どのように対処したか、具体的なエピソードを教えてください。
無線LAN及び有線LAN環境が整っていない家庭もあり、無償貸与などのサービスを確保することも一苦労。【中学校・教員】
町探検や校庭の草花を写真でとりロイロノートでまとめていく学習だったが、Wi-Fiに繋がらないため、低学年に写真の入れ方を説明するのに手間取った。【小学校・教員】
生徒端末、教員が使用できる端末ともに基本的に校外学習時などでは使用できない。モバイルルータも使用できるものがあるが、人数に制限がある。【高等学校・教員】
校外学習に端末を持ち出しても、検索など行えないため、オフラインで使える地図を使用した。カメラとして使用する程度で持ち出すメリットが少ない。【中学校・主任/主事】
Q3-5. 「教育委員会や学校で設定されたルールにより、GIGA端末上で学習で使いたいアプリやWebサイトを使用できない」に関して、どのようなシーンで困ったか・どのように対処したか、具体的なエピソードを教えてください。
歴史学習の検索で武器の写真がフィルターにかかって、検索ができずお手上げだった。【小学校・主任/主事】
例えば、タイピングの練習等ができるアプリやサイトがあったとしても、ゲームとしてアクセス制限されることがある。【中学校・教員】
理科などではアプリの方が安価で分かりやすい内容の物があるが、有料アプリという事で使う事ができない。また、CMが入るものもダメだということで無料で良いアプリがあっても入れる事ができない。結局制限されたいいところ、使いやすいデジカメ程度の物になっている。【小学校・教員】
進学に必要な高校のホームページにアクセスできず、確認事項などの作業が進まず、自分のスマホを使うことになってしまった。職場体験で事業者への問い合わせをしないといけないときに受け入れていただく事業所のホームページにアクセスできず、自分のスマホからの対応になった。【中学校・学習支援員】
YouTubeが遮断されているため、見せたい動画がYouTube上にあると児童が好きなときに見るということができない。また、タイピングソフトを使おうとしたとき使えないものがあった。【小学校・教員】
Q3-6. 「計画充電のタイミング等により、授業での使用に合わせてGIGA端末の充電が間に合わないことがある」に関して、どのようなシーンで困ったか・どのように対処したか、具体的なエピソードを教えてください。
夜充電する設定だが、子どもが接続を忘れてしまうと充電できない。個別に、充電器をもっていきその場で充電しながら使用している。【小学校・教員】
毎時間端末を使っていると午後の授業などで充電がたりなくなり、複数の生徒から充電したいと言われる。その場合、コンセント周辺に入れ替わり立ち替わりコードを繋ぎながら、使わせている現状。【中学校・教員】
充電は家でしてくること、としているが実際、1時間目から6時間目まで使おうとすると、3時間連続で使った時点で充電が切れる。【中等教育学校・教員】
Q3-7. 「GIGA端末故障時の対応が煩雑である」に関して、どのようなシーンで困ったか・どのように対処したか、具体的なエピソードを教えてください。
保護者のサインが必要な書類作成の必要があります。故障の経緯などを書く欄もあり、協力が得にくい家庭の場合そのやりとりが大変なときもあります。【小学校・教員】
紛失、パスワードリセットなど市教委と連携しながら探索や再設定をする必要があり、担当や教頭の業務が増えている。【小学校・教員】
故障や破損が起きると、その時の状況を指定の書式に書き込んで校内担当者に提出しなければならない。その上で、管理職・教育委員会に破損状況を認めてもらわないと、破損タブレットを受け取ってももらえない。それだけで1台のタブレットが壊れて教育委員会に送るまで最低3日はかかる、1週間かかることも珍しくない。【小学校・教員】
教科の主任に相談したところ、すぐに対応してもらえた。が、以前勤務していた学校では、IT担当の外部から派遣された方がいる間(10時〜1時)にしか修理してもらえず大変困りました。【中等教育学校・教員】
Q3-8. その他、ICT環境(端末・Wifi・ルール整備)に係る課題として、困っていることを教えてください。
端末管理、整備などを担当する職員が必要。現在の人員では手に負えない。【小学校・教頭】
勤務している市では、ICT専門員がおらず、教員に任されているため、負担が大きい。ICT機器に長けている人がいる学校では、推進が進んでいるようだが、本校は得意な人が少ないため、推進は進んでいない。【小学校・教員】
ICT担当は、所詮教員の中でICTに比較的詳しいに過ぎない。専門の人間の配置がほしい。【中学校・教員】
ICT支援員が週1しか来ないので、困っている。【小学校・教員】
勝手にパスワードをかけ、それがわかんなくなってしまう児童がいると、解除できず業者に出すしかない。再設定に1ヵ月もかかるので、子どもがパスワードをかけらないような仕様にすべき。【小学校・教員】
授業中に関係のないアプリを開いている生徒も多く、生徒が授業に集中しないきっかけになっている。ゲーム依存のように、気づいたら触っているという生徒もおり、やはり、ある程度の規制をしないと、結果的に生徒の学習機会を奪ってしまっていると思う。生徒が聞こうと思う、興味深い授業をすることが求められ、もちろんそのために自己研鑽しているが、ゲームや、ネットサーフィンには負ける。【小学校・教員】
児童がどのページを覗いているのか、把握しにくいアプリしか入っていないので、抜け道ばかりで指導が大変です。【小学校・教員】
iPad依存症のようになっている生徒もいる。(授業中画面から目が離せない、登下校中も操作してしまう、家でも同様、など。)休み時間のゲームや画像(画像を保存すれば漫画も休み時間に読める)で充電を使い、肝心の授業で十分に使えない生徒もいる。市内のネットパトロールにひっかかった生徒への聞き取りも教員の仕事(家庭にいる時間に「死にたい」などの特定の言葉を検索した生徒の情報が学校に来る。もちろん保護者に連絡するのも教員)。「学習のために使うもの」として貸与しているが、生徒にとっては「おもちゃ」か「重い荷物」でしかない面もある。毎時間授業で活用している身としては、歯がゆい部分です。【中学校・教員】
都道府県によりルールがバラバラなので、異動された方への説明が大変。全国でとはいかないまでも最低でも各都道府県レベルでは統一してほしい。現場ごとの情報分掌担当者の負担が大きいです。【特別支援学校・教員】
ルールは管理職の考えによってマチマチである。なので、異動前の学校ではできていたことが異動先の学校ではできないということが生じている。子どもたちに自由に使わせる。トラブルはあって当たり前、それを子どもたち自身に乗り越えさせる。学校や大人の都合で制約をつけない。これらのことは、先進的に端末を使わせているところでは当たり前の考えなのだと理解しているが、後進的なところは制約に走るのだと認識を新たにした。【小学校・教員】
今年度だいぶ整備されたが、まだWiFiのことや、苦手意識のある先生が使うのが難しい仕組み(そのため何度も研修を行っている)、そして進級処理の煩雑さが感じられる。一教師が情報担当としてするにはなかなか重たい役だと感じている。【小学校・教員】
環境を整備するリーダーがおらず、リーダーを育てる手法もない。情報も共有されておらず、一元化もできていない。各校のリーダーも必要だし、教育委員会内の部署もマンパワー不足。【小学校・教員】
校種を問わず、全体的にICTの導入が進んでいることがわかりました。ICT活用を推進する意欲も高い傾向が見られました。一方で、具体的な課題については、GIGA端末の不足や通信速度制限、アプリの利用制限、故障、充電などさまざまな視点での声が寄せられました。
課題として最も多く上がっていたのは、小学校では「ルールにより、使いたいアプリやサイトを使用できない(66%)」、中学校では「生徒用のGIGA端末が足りない(66%)」、高等学校では「校内でGIGA端末の通信速度が遅くなることがある(54%)」「ルールにより、使いたいアプリやサイトを使用できない(54%)」でした。自由記述の回答では、ICTに詳しい専門家の不足やGIGA端末を学習に活かすことの難しさ、学校によるルールの違いを訴える声もありました。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
大阪府内の小・中・高生については、教育活動の一環として学校単位で大阪・関西万博へ無料招待すると報道がありました[報道記事]。他府県でも、大阪・関西万博へ遠足や修学旅行を検討している所もあるでしょう。
NPO法人School Voice Project が運営するWEBアンケートサイト「フキダシ」では、大阪・関西万博への無料招待について、現職の教職員の方がどのように思っているか、アンケートを実施しました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年2月10日(土)〜2024年2月26日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :156件
Q1. 大阪府下のすべての学校が大阪・関西万博2025に学校単位で無料招待されています。学校行事の1つとしてそれに参加することについてあなたはどう考えますか。
回答者数は、大阪の方が全体の2/3とやはり多くなっているためその点を差し引いて考える必要はありますが、近畿(2府4県)、全国へと回答者の層を広げて見てみても「反対」「賛成」「どちらとも言えない」の比率は大きくは変わりませんでした。
Q2. 設問1で「賛成」を選択した方は、理由を選んでください。(複数選択可)
「賛成」を選択した方の理由はこちらのグラフの通り、「貴重な体験ができる」が最も多く、次点が「教科学習・総合とつなげられる」、その次に多かったのが「学校・家庭負担の軽減」でした。現場にとって負担軽減になると考えている方はそれほど多くないことが分かります。
Q3. 設問1で「反対」を選択した方は、理由を選んでください。(複数選択可)
「反対」を選択した方の理由はこちらのグラフの通り、「目的に合っていない」が最も多く、次点が「何ができるかが不透明」、その次に多かったのが「行事が増えて負担」でした。現場にとって負担であるという意見も多いですが、それだけでなく教育的意義の観点から反対の立場をとっている方が多いことが読み取れます。
Q4. 設問1で「どちらともいえない」を選択した方は、理由を選んでください。(複数選択可)
「どちらともいえない」を選択した方には、「反対」「賛成」の両方の理由から、複数回答で同意するものを選んでもらいました。その結果「何ができるかが不透明」という項目に最も多くの意見が集まりました。
Q5. 2025年度、学校行事の1つとして大阪・関西万博に児童や生徒を連れていくとなった場合、どんな期待や懸念がありますか? 自由にお書きください。
歴史的な瞬間に立ち会える
大阪で育つ子どもたちにとって、この時代に万博に行けるタイミングは今しかできない経験だから、子どもたちの将来に何かしらの影響はあると期待する。大人の事情は様々あると思うが、将来がある子どもにとって学校の中ではできない経験は貴重である。
普段見ることができない、体験できないような経験ができること。幅広い視野を持つ一つの機会となること
一生に何度行くことができるかわからない万博を体験してもらえることはとても大きな意義があると感じる
普段では経験をできないことを子どもたちに行事として参加させることができるのは、たいへん有意義なものだと考えます
色々な国の文化に触れる事ができ、海外への興味関心が生まれる
社会や総合と絡めて体験的な学習ができるため、とても貴重な経験となるのではとも思う。参加するのであれば、児童がどんな学びを得て、どんな姿につながるのかが明確に示されたり、業務の簡略化ができるような仕組み(たとえばバスの手配は府がする、見学や体験にサポーターがつくなど)があったりすると良いと考える
世界の今がわかる、最新のテクノロジーや芸術に触れることができる
地元大阪にいながら、世界のことについて学べることが利点
ミラブルの開発者は70年の大阪万博の全身風呂から着想を得た。子どもたちが今回の万博を見て色んなことに挑戦してもらえるという期待
地域の方が万博に関わっておられるので上手く探究に繋げられれば実りあるものになりそう
こちらの持っていき方次第で、さまざまな授業と結び付けられる
小学校高学年以上については、「大阪・関西万博」の是非を問う学習を行うことが期待できます。開催までの経緯や、かかった費用、環境面での負担、経済効果、開催後の跡地利用まで、全てを調べた上で、開催の是非を問う、という学習を行えば、かなり深い学びになるのではないかと思います
物事がオンラインで進められていく中で、実物に触れる体験ができる。匂いや温度感など、その場でしかわからない。現地に行かないとわからないことがあるということを感じてほしい
ご家庭では行かない児童もいるので、とても貴重な経験になると期待しています
いろいろな子どもたちが、属性にかかわらず大阪万博を見ることができるのは、一定いいとは思う
勤務校が1000人近い大規模校のため、どのように現地に行くのか、交通手配や混雑時の対応、トイレや昼食場所の対応など挙げるときりがないほど懸念材料があるため行きたくない
人工島なので、軟弱地盤や有害物質の埋設、東南海地震などの災害時の対策や避難誘導ができない。生徒や自分を守ることができない場所への引率は、できません
危険性が大きい。アクセスは、地下鉄かバスだけで、10万人以上が殺到した場合の危険性は計り知れない
交通手段が現在のところ整っていないのも懸念材料である。万が一会場で地震等の災害が起きた場合、安全に避難できるとは思えず、地盤への不安もあるため、むしろ連れて行くべきではないと考えている
下見ができないと、計画を立てることが難しい(支援が必要な子の移動、施設見学の時間、事前・事後学習の材料がないなど)
震災で津波が発生した場合、避難のしようもない夢洲に子どもたちを動員すること。産廃やごみ焼却灰、化学物質などの土壌汚染が深刻な夢洲で子どもたちの健康に悪影響が懸念される
大変混雑されることが予想される万博内またはそれまでの道中で起こるトラブル(迷子・誘拐)のことを考えると、子どもの安全を確保できず、また教員の負担が増すことが考えられます。
手続きや事後報告で新たな事務作業が増えてしまう
ただでさえ授業時数が足りないため、抜けた分の授業を補填する必要が出てくる。また、会場までの交通ルートが混雑することが考えられるため、そのための対策を考えたり、当日も相当な労力を費やすと思われる。まだ全容がみえず、生徒にとって魅力のある、よいものかどうかの判断がつかない
日付の指定などをされるのであれば、例年の各学校行事などの日程に影響が出ないか。当日の様々な手筈の設定や周知・連絡が遅く、土壇場になって現場任せ(現場に全て丸投げ)の状態になり、こちらの業務が逼迫しないか。
学校によるかもしれないが、小学校の場合、特に小規模校の場合、交通機関も使うとなると児童の安全考えて、普段の校外学習より付き添いの教師の数の増やす必要性が生じてきます。今学校現場は担任が不在のところがあれば、病休含めさまざまな理由で休まれている教員の代替教員も配置されず、普段の校外学習でも実施するときは大変な状態になっています。(中略)一定の教育効果があるかもしれませんが、今多数の府民や教員の一番の願い。それは今の教育現場を考えたら、多様化してくる子どものニーズ(登校拒否児童含め)に応え、向き合うことができる量・質とも学校体制の強化に無料招待にかかる財源(税金)を使ってほしいという願いにあるのではないでしょうか。
混雑していると体験時間も待ち時間で終わってしまわないかが心配です
遠足という行事を生徒に行き先や工程、クラスのレクレーションなどを考えさせる機会と捉えている学校において、行き先を決められ、かつ創意工夫の余地を奪われることに危機感を感じる。(中略)遠足は各学校が時間をかけて意義を構築してきた行事である。また、ノウハウなども引き継がれているものである。それを奪ってまで万博を強制すれば、現場からの反発や分断が生まれ、結果として生徒や児童にとってマイナスになることが懸念である。
そもそも学校とは教育目標を果たすために、児童の成長を最優先して教育活動をしていく機関である。そのために教育の専門家である教師が、専門性に鑑みて活動を精査し創造していく事が求められているはずである。しかし、学校周辺の活動にはまずは児童ではなく自分たちの自己満足であったり、存在意義の広報のために必要としていない活動が少なくない。これを増やしていけば増やすほど、教師たちは考えなくなり、同時に本来の教育目標を果たすために現場はひっ迫していくのである。そのため関西万博の参加を教育活動とするのならば、まずは現場に余裕のある環境をつくるのが最優先である。その上での参加なら理解できる。
行事には目的が必要。多くは「協力して計画を立てる」「事前学習をする」「実際に体験する」「学びを振り返る」という流れだが、万博は班で行動計画をたてて見学するような場所とは言い難い。 (中略)「各国の展示の事前学習をして見に行って振り返る」だけでは、魅力に乏しい。すでに各学校で予定されている行事より学ぶ価値があり、よい経験になるかどうか。
そもそも万博に教育的なものがあるかが分からないので行ってただ見るだけになると、授業や他の行事を削ることは痛手だなと思う。
そもそも学校から連れていく理由がない。入場者数確保のために子どもを動員するというのであれば、教育ではない。遠足や校外学習の行き先は、学校が独自に決めることであり、無料招待などというごまかしによる、教育への不当な介入である。
万博を誘致した政治主導の政策に子どもたちを巻き込むのはあまり賛成しません(そもそも万博自体に懐疑的です)。震災の影響、物価の高騰によって、万博ができるのかという議論もあります。希望する学校はなど選択肢があると良いと感じます。
教育現場のことを府が決める意味がわからない。生徒にとって、教員にとって、行事は大変だけど充実感のあるもの、にするために対話しながら決めたりしていくものだと思います。(中略)魅力、懸念事項も整理できていない不確かなものに、生徒の貴重な行事の時間を使うのは、それも府が強制しようとしている現状には納得も、理解もできません。
子どもにチケットをくれて、行きたい人が行けばいい。学校単位で活かされるなんて「動員」としか感じない。本来やっている行事の意義よりも、上から押し付けられるイベントが上位に来る構図がおかしい。
そもそも、万博開催について、ここまでの府や市の政治の動きに違和感が募っています。反対の声が署名運動によって集まっていても、その声に耳を傾ける様子もなく、やると決定したらやるという強引なプロセスに強い疑問を持っています。また、予算(税金)の使われ方について、今の教育現場では、本当に教員も子どもも苦しい状況にあったり、生活の苦しさから子育てで悩みや苦しむ家庭があることや、子どもが大学まで通うお金が工面できず進学をあきらめたり、サポートが必要な家庭が少なくない状況にあります。万博に税金を使うなら、どのような家庭に生まれた子どもでも学習できる権利を保障するために税金を使うことを政治に強く求めます。万博より、「今苦しい状況にある家庭、子どもたちの教育環境への支援を」という強い願いがあるので万博には賛成できません。そういう考えを持っているので、子どもたちに「万博へ行く」ということの良さを伝えることができないです。
なぜ万博がを開催するのかわからない、莫大な税金を使うべき道が他にたくさんある、などすでにたくさんの生徒が疑問をはっきりと表明しています。教師も納得していない、生徒も疑問に思っている状態で、どのようなモチベーションで意義ある取り組みにできるのか、全く見えてきません。
生徒たちに、夢や希望、目標がもてるような博覧会になって欲しい。博覧会の予算がかさみ教育費に負担がかかったり、皺寄せが来ないかが心配。将来の宝である生徒たちに、人とお金をもっとかけて欲しいです。教育には、お金がかかるもので、まず義務教育にかけて欲しいからです。
今回のアンケートでは、学校単位で大阪・関西万博へ無料招待するという方針について、現職の教職員の方の意見を聞きました。
本記事では、わかりやすく整理するためにコメントの内容を「期待」「懸念」に分けて抜粋しましたが、実際には期待と懸念を両方併記で記入された方がとても多かったことが印象的でした。期待については、普段できない貴重な体験ができること、教科や総合の学習と結びつけることができる可能性について言及された方が多かったです。一方で懸念としては、安全確保の面での不安、教育的な意義のある活動にできるのかどうか(”行っただけ”にならないか)、教育への政治介入ではないかといった声が集まっています。「子どもたちを無料招待すること自体はよいと思う」という意見は多い一方、「学校行事として行く必要があるのか」「強制はされたくない」という意見も散見されました。
アンケート実施の時点で、「万博そのもの」や「無料招待」の内容(交通費は出るのか、日程調整はどうするのか、下見はできるのか、何を見学・体験できるのかなど)が不透明であることに不安を覚えてる方や、それが分からないから賛成反対の判断がしづらいというも多いようでした。少なくとも、従来、遠足や校外学習、目的、計画、下見、安全配慮などを行なって実施されており、そのプロセスが踏みづらい状況が起きているということは言えそうです。
現場の教職員の期待や懸念を聞き、それを踏まえた情報開示や方針決定がなされる必要があるのではないでしょうか。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
2024年1月、奈良教育大学附属小学校にて、長年に渡り履修漏れや授業時間の不足といった学習指導要領に沿わない指導がなされてきたという報道がありました。
・毛筆の授業を筆ペンで実施
・図工での教科書の不使用
・教える内容の「年次違い」
・教科としての道徳の不実施(全校集会で「道徳的指導」を実施)
・音楽での「君が代」の指導の不実施
などがあったとのことです。(参考:報道記事)
また、職員会議が最高決定機関として扱われ、校長のガバナンス(組織統治)が効かない状況にあったとも報告されています。
履修漏れについては卒業生も含めて補習実施などの対応がとられる予定です。(参考:奈良教育大学附属小学校HP)
1月19日、文部科学省は、全国の附属校を置く国立大学に対して、ガバナンスにのっとった意思決定や、学習指導要領に基づく適切な履修が行われているかどうかなどを点検するよう通知を出しました。(参考:報道記事)
フキダシでは、この件について現職の教職員の方がどのように思っているか、緊急アンケートを実施しました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年1月21日(日)〜2024年1月29日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :140件
今回の出来事について、あなたが感じていること、考えていることをぜひ教えてください。
※理路整然とまとまった文章でなくて構いません。もやもやを呟いたり、感情を吐露するような文章でも結構です。
いただいたコメントの内容を大きく「報道された奈良教育大学附属小学校の状態について」「そもそもの学校教育のあり方について」「その他」に分け、さらにそれらの意見について“以前の奈良教育大学附属小学校の状態”に対して「擁護的」「批判的」「その他」と分類したうえで掲載します。
※ 注
・1つの投稿に複数の観点が含まれる場合、該当の箇所のみを抜き出して掲載しています。
・1つの投稿の別の箇所を複数の観点から紹介している場合があります。
・投稿中にある法律上の解釈等は回答者の見解でありSchool Voice Projectの公式見解ではありません。
・詳細は全文ダウンロード等でご確認ください。
報道された奈良教育大学附属小学校の状態については、擁護的な内容のコメントが約60件、批判的な内容のコメントとその他の内容のコメントが約40件ありました。種類別では、調査結果や授業内容についての擁護的コメント、より詳しい情報がないと判断できないとするコメント、同校内での教員内の対立について言及したコメントがそれぞれ約20件ずつと多く見られました。
どこでもやっている教員裁量での指導上の工夫に当てはまるものが多いのではないのかと思う。調査公表された不適切な指導内容が、あまりにも瑣末な問題すぎてびっくりした。【小学校・教員】
学習指導について、具体的には外国語科の代名詞の指導は、何を根拠にどう判断して『不足している』としたんでしょうか?代名詞を使わない外国語の授業などありえません。本当に不足しているのでしょうか?また3年国語のローマ字指導の不足について、採択教科書の標準時数を下回っていたと書いてありますが、こんなものをもって未履修の判断をするなどあり得ません。ローマ字の指導について、概念的な解説と演習は、2単位時間もあれば十分です。その後は、具体的な場面を通して、ことあるごとに指導していくのです。
調査のあり方の開示と、妥当性の検討について、強く求めたいです。
私がわかる限りの調査のあり方を見ると、現場で子供に力をつけようと奮闘している教員を馬鹿にしていると感じています。【小学校・教員】
毛筆が筆ペンであったことや自作プリントであったことは目的から外れるものでなく、許されるべきだと思う。
今の学習指導要領で定められた指導量は多すぎる。時間を生み出すために何か工夫しなければいけない。教育大学の附属なら、尚更事情はあると考えられる。
また、私の知る限りでは、図工の教科書はほとんど開くことなく授業していたし、人間同和教育で自作教材や旧副教材を用いたこともある。
教科書内容をベースにしながらもより良い手段があるのなら、それを選ぶことも多様な方法の1つだと思う。【小学校・教員】
子どもたちにどのように効果的に教えるのかという教材研究の成果だと思います。現行の学習指導要領を解釈し、よりよい教育を作り出そうとされていたのではないでしょうか?
これに対して、おかしいという方々には何か別の意図を感じます。
逆に褒められてしかるべきだと思います。【小学校・教員】
年次を超えた学習はあって然るべきだと思います。そうでないと個別最適化なんてできないのではないでしょうか。【中学校/高等学校・教員】
既に何人かの専門家が指摘しているように、そのいくつかは学習指導要領上許容される範囲内のものです。例えば図工の教科書を使っていない先生など、日本全国いくらでもいます。独自のプリントを使って授業を行ったことのある先生などいくらでもいます。それが不適切な授業にあたるのならば、日本全国全ての先生は不適切な授業を行っていることになるはずです。現行の学習指導要領は、内容が今までで最も多く、消化していくだけで精一杯なのが実情です。そういう実情にも触れず、全てを「不適切な授業」として扱うマスコミの報道の仕方にも疑問があります。【小学校・教員】
奈良附属の教育実践には報道にあること以上の民主的で深い内容があり、一公立の教諭としては励まされてきました。会見での校長も納得いきませんでした。ガバナンスの問題なのでしょうか。民主的なリーダーシップの問題はなかったのでしょうか。【小学校・教員】
通常の組織では、トップが勝手に決めるということはあり得ないと思いますし、過去に対立があって法改正されたと聞いていますが、たとえ職員会議が諮問機関であったとしても、民主主義の国である以上、教職員の声を無視するのは法律にも憲法にも反しているのではと思います。【小学校・教員】
宮下学長には音楽教育の研究で強く影響を受けた者です。奈良附属小学校の先進的な研究に学んできた者でもあります。学習指導要領や学校教育法に準拠することの重要性も理解しますが、全てその枠内でカリキュラムが運用されるならば、研究校の存在意義は無くなります。教科書を使用しない積極的な教育的意図もあるはずです。この件によって、研究の自由が脅かされ、実践が萎縮することが残念でなりません。世論の冷静な判断を期待したいものです。【中学校・教員】
卒業生も含めて補習実施がされるとのことで、義務教育期間の履修義務はどのようになっているのか疑問に感じた。
不登校の生徒でも、地元の公立小学校に在籍し、卒業となる。単位取得が必要な高校ではなく、小学校でそのような措置をとる必要があるのだろうか。【高等学校・教員】
補習授業をするとありますが、卒業生が集められて、「道徳」の授業を受け、君が代を歌い、書道をさせられる姿を想像すると、ゾッとします。【小学校・教員】
校長が率先して法規と自校の現状の違いをこと細かく表にして示すというのがとても残念ですし、この報道で先生方がやっぱり公立学校には可能性がないとあきらめてしまうのが非常に不安です。【中学校・校長】
指摘されている内容が、子どもにとって不利益があるとはあまり思えない内容であった。大人の事情で、どこか指摘できるところがないか探して、やっと見つかったもののような気がしました。学校がメディアに振り回された例の一つのように感じた。当該学校の教員からしたら、不満が高まる結果となりそう。【中学校・教員】
奈良教育大学付属小学校の研究大会には、ほぼ毎回参加させてもらっていますが、いつ見ても素晴らしい取り組みばかりです。また、こどもの事をよく見て授業されているのがよく分かる実践記録も読ませてもらっています。英語教育も言葉という視点から取り組み、その第一人者を呼んできて職員研修されたり、特別支援教育や作文教育でも、すごく参考にさせてもらえる取り組みばかりです。
今回、私は、保護者の声も直接、間接的に聞くことができましたが、圧倒的に今の教育のあり方を支持されています。教員からの話では、低学年の児童達が、一連の報道で、とても動揺している様子が伺えます。高学年の児童達は、今までのような学習ができなくなるのかと不安に感じています。そういうのが伝わってきます。
保護者の声にも「元市町村の教育長をしていた人が、自分の意見を聞かない教員に対して力業で言うことを聞かせようとした結果の騒動」と言っています。私は、「付属小学校のこれまでの教育実践全般にケチをつけたい人が、不適切指導は,特定の教科だけでなく全教科にわたっていたというストーリーにしたかった」のではないかと勘繰っています。【小学校・教員】
奈良教で行われている教育が今回の報道で破壊されていくことを非常に残念に思っています。
子どもたちのことを考え、学校づくりを進めてきた学校です。いろんな子どもが通るように考えてきた学校です。先生たちがいろんな研究団体で学びながら、実践作りをされてきた学校です。
そんな学校が、「校長の言うことを聞かない。」「一部教科で教科書を使っていない。」「道徳が十分にされていない。」「教える学年が違う。」などの指摘で、強制的に国の教育政策や教育制度の中に押し込まれていく。これは各学校の独自性を否定する強烈な管理統制であり憤りを感じます。【小学校・教員】
校長は「自分の意見を人前でしっかりと話せる子が多い。それは教員が子どもたちに寄り添い、自主性を大切にしてきたからと言える」と話す、と読売報道にあった。これまで長い間つくりあげてきた「教員が子どもに寄り添い、自主性を大切にしてきた」教育を、元中学校教員で校長経験のなく教育長から転身した校長が自分の言いなりにならない教員たちを統制したかったのかと思えてしまう。「適正な学校運営を妨げた」として、処分を検討しているとも報じられているが、それによって子どもたちや保護者といっしょにつくってきた教育がこわされてしまう。そうしてまでめざそうとする「適切な学校運営」は、子どもたちや保護者が願っていることだろうか。【高等専門学校・職員】
まずは法律は守った上で、独自の教育活動をする話です。
それを、国立附属だからといって、先進的実験的な授業をするために、ルールを蔑ろにしていいとはいえないはずです。
もし、教科書通りにしないというのであれば、事前に、しかるべきところに許可を得て免除してもらいすべきことです。【中学校/高等学校・教員】
国立の学校である以上、君が代を教えるべきですし、学習指導要領に定められたことを行うべきです。
国立の特殊性も理解できます。研修等も県や市とは別になり、どこまでチェックが行われてきたかはわかりません。また、教育実習を多く受け入れることで教育課程通りにはいかないことも理解できます。
ただ、結果的に生徒に補修授業をするなど1番あってはならない生徒に負担をかけることになったことには十分に考えなければならないと思います。【中学校・教員】
校長と教員との衝突原因ははっきりとしないが、奈良教育大附属としての文脈の中で良いとされてきた教育が学習指導要領や教育基本法に則っていなかったことは明らかだろう。この問題には、公教育に対する解釈のずれがあるように思う。※今までの最高裁の判決結果から学習指導要領が法規としての性質を持っていることを前提に進める。
教師が懸命に学び「良い教育」を考え実践しているので学習指導要領(本体)を守らなくても問題がないのか。これは法治国家の公教育である限り問題があることは明らかであろう。私、私たちの考える「良い教育」の土台には、国としての政策が必要である。これをなくして、本当に私、私たちの「良い教育」を求めるのであれば私塾で行うべき内容だ。【小学校・教員】
学習指導要領に沿わない指導がなされてきた理由はわかりませんが、なぜそのような事態に陥ってしまっていたのか、そのことを明確にしたうえで、丁寧な説明責任が必要であると思います。今後このような事態に陥らないようすることが大切だと思うとともに、おかしいことをおかしいと発言した少数派の教員の勇気は凄いと思います。【高等学校・教頭】
職員会議は、
1 小学校には、設置者の定めるところにより、校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができる。
2 職員会議は、校長が主宰する。
これは、法令根拠なので、奈良附属のやっていたことは、だめです。校長が主宰です。【小学校・教頭】
教科書を使用することも、職員会議の件も教員であれば常識です。それを継続的に知らないふりをしていることは、意図的にきまりを守らなかったことにほかなりません。
その意識がなく、いい教育をしているからといって、ルールを守らず理解を得ようとする考え方は浅いといわれてもやむを得ないです。【中学校/高等学校・教員】
報告書の通りだと思った。複数の知人が奈良教附属小のすぐそばに住んでいるが、近所のママ友間、塾などで附属小の子達の学力の低さは有名。兄弟の上の子を入学させたママ友は、実態を知って下の子の入学は考えなかったそう。やっとメスを入れてくれた!とはご近所の共通認識かと。何でも英語は英語という時間がなく、会話はほぼやらないらしい。単語だけ。国立ではあるが研究指定校でないことは報道されていない。文科省のHPを確認するとわかる。保護者には好評とのことだが、先生方の面倒見はとてもよい。研究開発の指定校でもないのに独自な教育をやってしまっているから問題なんでしょうね。【小学校・教員】
付属の一部の学校では、特例校として先進的な教科の研究をしていると聞いたことがあります。教科書も使っていないことも研究授業ではよく見ます。
ただ今回の件は、新学習指導要領が施行されて数年経っているにも関わらず教務主任、管理職の認識不足では済まされないと思います。現に児童は、再履修をするので再発防止のために教育課程の編成計画と修正、時数の確認の徹底を教育委員会が周知をして今後の再発防止が必要だと思います。私も教務の仕事を行っていますが膨大な業務量です。行事予定作成一つとっても終わりのなき仕事です。分掌の割振りについてもこの際議論が進むといいですね。【小学校・教員】
今回の指導要領と異なったカリキュラムで授業が展開されていたことについて、実際に授業を行っていた教員の声が聞きたい。私は高校の教員ですが、生徒の状況によって指導の内容や順序を変えることは珍しくない。学校としてのガバナンスが効いていなかったとしても、各教科内で指導内容について必ず合意形成の作業は行なっているはずです。指導要領から大きく指導内容が変更していたことが間違っていたとしても、指導要領に示された順序、時間数で教科書に書いてある通りの指導をすることが正しいとは全く思わない。必要なことは越えてはいけない枠組みを確認しながら、この学校に必要な指導を模索すること。この丁寧な作業を文科省や教育委員会は指導する側として最後まで付き合わなければいけない。
今回の問題に対する対応策はHPの文章を読むと校長の意思が含まれているように見える。それこそ、職員会議での採決が否定され、現場の視点がなかなか反映されない状況でこの対応策が全ての公立学校に求められる指導の基準とされることが恐ろしい。【高等学校・教員】
多くの学校は守っていることで、どんなつもりでそうなったのかわからないので、コメントできる立場にないように思います。
受験に強くなるのが目的だったら違うと思うし、
取り組んでいないとする項目全部を引っくるめるのも違うと思うし、
君が代指導はなくなればいいと思うけど、毛筆指導とか、それ以外でやっておいてあげた方がいいと思うものもあるし。【中学校・教員】
校長先生を含めまさに現場で働く先生方のホンネはどこに? もちろん、ちゃんと「ホンネ」があって欲しい、という願いを込めての呟きです。
Webサイトに掲載されている報告書に目を通してみました。この報告書や回復措置を立案するために時間を割かれた先生方の苦労を察します。このように、形式的に着地させることがゴールではないでしょ、と強く言いたいです(誰に言ったらいいんだろう…)。議論すべきは、教育実践がどれだけ豊かなものだったか、であって、それがたとえそうでなかった(と誰かが判断した)としてもそれは断罪されることではない。なぜならば、教育は試行錯誤の連続で、その評価はすぐには表れないものだから。【中学校/高等学校・教員】
具体的な改善策を考えるにあたっては、一つひとつ項目を検討していくべきであり、大雑把に「反体制的」と片付けるのは違うと思う。【特別支援学校・教員】
いい悪いはともかく、職員室の仲が良くないのかなあと感じた。
管理職と教諭職の意思疎通ができていたり、職員会議などの機能が働いていたら内部で是正ができたのではないかと思う。
使うエネルギーのベクトルが残念。【小学校・教員】
校長と現場が対等な対話と合意形成できていないことが問題であって,指導内容にはさほど違和感はありません。【中学校/高等学校/中等教育学校・教員】
報道や校長の文書だけみると、こういうことをしている時点で教員集団との信頼関係を重視していないことが想像できます。校長と職員集団との対話・少なくとも議論の場はあったのかどうかが気になります。おそらく決裂したからこのような結果になったのでしょうが…【高等学校・教員】
そもそもの学校教育のあり方については、奈良教育大学附属小学校の以前までの体制も仕方ない・理解できるといった擁護的な内容のコメントが約110件と、批判的な内容のコメント(約10件)を大きく上回りました。種類別では、指導要領についてのコメントが約60件と多く、特に「指導要領はすべての内容を厳密に守るべきものなのか」といったコメント(約30件)や「現行の学習指導要領の量が多いためもれなく実施することは困難」といったコメント(約20件)が目立ちました。
学習指導要領を一生懸命考えてくれたのはわかるし、「教科書をある程度やってね」はわかるけど、
・教科書を教えることは手段であって目的ではない
・もし、必須にするなら、学びの多様化学校や不登校はなんなのか
は考えてほしいなと思います。【中学校・教員】
カリキュラムマネジメント、教科横断的ってなんだったの?って感じです。
今回のことは学習指導要領の「解釈の仕方」の問題と捉えています。【小学校・教員】
「不適切」な授業って何なんやろ~?と感じました。教科書はあくまで教材であって、その場の生徒や時事に合わせて、授業方法は何が適切かを考えていくものやと思います。学習指導要領の意図とそれほどまでもかけ離れた授業だったのか疑問です。【高等学校・教員】
認定教科書を頼らず、独自なプリントで授業を進む学校を全部摘発したら私立進学校全滅する。この件に関して詳しくないが、多くの場合、我々教員は好き勝手でやっているのではなく、目の前の生徒の実情をしっかり見てそれに踏まえてカリキュラムを調整して作っている。優秀な教員の専門性を信じて、主体性を重んじて、裁量をあげたほうが教員の力を発揮する本来あるべき姿である。こういうのあるから教員になりたがらない、創造性発揮できないなら何が楽しいの。
単純に英語の話で言うと、そもそも、指導要領では「気づき」にとどまり、文法の説明は禁じられています。小学生対象に代名詞やら動名詞やら教えたところで理解できないし、第二言語習得理論的にも御法度。この小学校の子たちは多分英語嫌いになれずに中学生になれる。【小学校・教員】
学習指導要領は、暗闇を照らすランプのようなイメージでした。
進む方向をやわらかくぼんやりと照らすもの。
歩き方や歩幅、スピードは私たちに任されていると考えていました。
だから、私たちは子どもを見ながら、子どもとともに、ときに子どもの意見も多分に取り入れながら教育という道を朗らかに歩いていました。
それを否定されたような気持ちです。
傷つきました。
教育とは行政の言う通りにするものである。
言う通りにできないのであれば、罰する。
そう言われた気持ちです。
だったら、ビデオ教材でいいじゃないか。
否定された気分です。【小学校・教員】
報道を見ていて、あれで指導要領違反ならば一般の学校では逮捕されるような人がいくらでもいるよなと話題になっていました。それこそ、何世代も前の指導要領のやり方で、今の指導に合ってない指導をする人。苦手だからという理由で特定の教科をやった事にして実際はやっていない人。そもそもプログラミング教育ってどのようにしてやるのか?未だにみたことありません。そもそも現状の指導要領ってどれだけ守られているのか?それを把握している人はいるのか?と思います。【小学校・教員】
新学習指導要領の「主体的で対話的で深い学び」という理念は素晴らしいと思うが、歴史的に形成されてきた教科ごとの細則はあまりに細かく、この理念の実現にはむしろ妨げになっているのではないか。こうした細則に縛られることなく教員たちが工夫して理念を実現していける体制こそ求められていると思う。【中学校/高等学校・校長】
学習指導要領は守らなければならないものなのか? 以前に裁判になったときには、その内容については訓示的なものにすぎないという判例が出たと聞いています。多様な子どもたちがイキイキと学べるように現場で工夫しているのに、「国が一律に決めたもの」に従わないことがそんなに悪いことなのか、疑問です。【小学校・教員】
きちんとすべてできている学校はどれぐらいあるのだろうかと思います。
現場では本当にすべてを網羅することはできないように感じます。【小学校・教員】
学習指導要領はあくまで基準であり、教育課程の編成権があるのは各学校。その編成主体も、名目上は校長だが、目の前の子どもの実態を見て、実際に教育活動を行う教師や教師集団に実質的な教育課程の編成権があるのは明白。学習指導要領は官報に告示しているという理由で法的拘束力あり、と捉えられている場合があるが、学習指導要領のすべての文言に法的拘束力があるというのは誤解。基準として現場の裁量の余地が残されている部分のみにしか法的拘束力はないというのが最高裁判例。学習指導要領の全ての文言に法的拘束力があるというのは単なる勘違いに過ぎない。【中学校・教員】
まず学習指導要領は法的義務の効力を有するかをめぐっては、学術研究の世界では、未だ未決着な議論のさなかである。また教科書の扱いについても、歴史的にも(総意とは決していいきれない)議論が残ることは周知の通りで、これを「多数決の論理」で一般化しようとする発想が、色濃く残る「非民主化を進める統治の動きにどう応えるか」という社会問題だと考える。【高等学校・教員】
あまりの時数の少なさには問題があるかもしれませんが、国の時数がそもそも多すぎて、各現場では表上の時数と実際の時数がズレているのは、多くの職場で書かれています。もし時数通りにしたら、運動会や水泳で体育はほとんど終わり、学芸会などの発表会、六年生を送る会や修学旅行の準備の時間は取れません。つまり行事はできません。【小学校・教員】
カリキュラムオーバーロードと言われているように、子どもにとっても教師にとっても明らかに内容が許容量を超えているのに・・・そして未だに働き方改革が進んで居ない現状なのに、指導要領を守れとは現場に何を求めているのかが分からなくなります。溢れる学習量をこなすために、子どもにとっても教師にとってもつらい状態が働き方改革を停滞させているのではないでしょうか。【小学校・教員】
それだけ多忙なのではないか。指導要領や内容量を精選すべきでは。の議論になるべき。
やらなかった事実よりも、なぜできなかったのかの原因を探るべき。【小学校・教員】
学習指導要領に反しているという点では問題のある指導だったのだろう。
ただし、そもそも学習指導要領によって決められた授業時数や内容が膨大過ぎたのではないか。そうした構造的な問題を考えなければ、今回のような問題は今後も起きると思われる。【高等学校・教員】
そもそも授業時間が多すぎて、毎年、どうクリアするかに苦労しています。
指導要領に縛られてしまうと、目の前の子どもたちを見なくなります。
ほんとに大事なのは、目の前の子どもではないでしょうか。【中学校・教員】
文科省が、働き方改革に積極的な動きを見せず、現場に負担を強いた結果のものだと思います。
そもそも学習指導要領の内容が多く、その割に「個別最適な指導」やタブレット端末の導入、主体的・対話的深い学び等、学習指導に関して求められていることが多すぎる。【小学校・教員】
コロナの伝搬も続いているので、もう少し柔軟に対処できたらいいのにと思いました。また、最近は教える内容が増えていて大変だ、との声もお聞きしますので、学習指導要領に基づいて完璧に教えるのは難しいとも思います。また、私が生徒のときは、歴史が明治維新まで教えてもらったところで終わってしまいました。そういう学校は多いと思いますが、特に問題とされていなかったように思いますが、どうしてでしょうか。外国ルーツの学習者に学習指導要領に基づいた項目をすべて教え込むのも難しいです。学習指導要領のほうに見直しが必要と思います。【小学校/中学校・職員】
そもそも校長(管理職)の権限を強くしてトップダウンで教育のあり方が変わっているという公立学校の仕組み自体に問題を感じているので、職員会議が最高決定機関である、ということは、本来どの学校も目指すことだと考えている。職員会議が校長の判断でひらいてもひらかなくてもいい、ひらいたとしてもそこで出た意見を取り入れるか取り入れないかも校長に任せる、という法律自体がおかしいのであって、奈良教大附属小は民主的な職場づくりをしようとしていたのではないか、と見ている。【高等学校・教員】
校長のガバナンスに関して
一組織としての意思決定は様々な方法がありうる。どれも一長一短で、
職員会議を最高決定機関として扱うことが必ずしも良いとは思わないが
昨今は、行政組織の末端としての学校が強調されすぎているように感じます。
子どもや学校の状況は学校ごとに違いが大きいので、
下から吸い上げる仕組みも必要です。【高等学校・教員】
民主主義を教える学校において、職員会議が最高決定機関であるべきと思います。そうでない学校がほとんどだと思いますが。【中学校/高等学校・教員】
附属は実験的、先進的な授業をやる所という認識だったので、何を今更というのがまず思ったことです。【中学校・教員】
国立の附属小学校であれば、先進的な取組を実践して、国に還元するのが役割ではないでしょうか。学習指導要領の内容は、全てやらなければならないとは考えていないと、つい最近文科大臣がおっしゃっていませんでしたか?逆に国に提言してもらいたいぐらいです。こんなことで、全国の附属小学校が点検されるなんて、信じられません。【小学校・教員】
全国の教育大の附属学校こそオルタナティブの可能性を追究してほしいと思っていました。いかに柔軟に法令を解釈しながら学校の自律をすすめていくかを研究する学校であってほしかったです。【中学校・校長】
特に国立大学附属校では、もっと特色を活かして良いのでは?今回のように、それぞれの想いを持って、プリント学習を中心とした受験に対する対策を講じていたのは、特色と言える。【小学校・教頭】
大学の附属学校は研究機関なので、研究のための教育課程の特例校として、認められていたのではないですか?
大学の附属学校は研究のために、大学の教授陣が頻繁に出入りして、研究を進めるための授業について指導助言を繰り返しているはずなので、学校のガバナンスではなく、大学のガバナンスに問題がありそうだ。【特別支援学校・教員】
とても違和感を覚えています。報道されている内容はそんなに「不適切」な指導なのか?この程度と言っては何ですが、どこの学校でもよくあることで、時間など制限がある中で、柔軟に対応しているだけなのではないでしょうか?それなのに、なぜいま、この奈良教付属小学校だけがこんなに取り上げられて糾弾されているのか?特定の誰かや団体の強い意図を感じます。【高等学校・教員】
細かな法令を遵守することはもちろん必要だが、法令順守していても、あまり効果を感じていない学校は多くあるのではないかと思う。どのような子どもたちが育っているのか、教育基本法前文にあるような人材を効果的に育成できているなら、何が正しいのかわからなくなる。教育改革が求められている中、法令順守だけで改革が進むのか、疑問がある。極論かもしれないが、例えば、明治維新は当時の法令を順守していない。
教職員の専門性を信頼して、自由度を増やしていけないものかと感じている。信頼に値する教員を採用、配置し、任せる。法律や行政が、また世論が変わっていくことを期待している。【小学校・校長】
ひとことで言えば、悔しいです。
教育の専門性をこのように踏みにじられるとは。
現場の教職員が子どもの声と姿から練り上げてきた教育実践の価値はなにものにも代えがたいものです。私たち教職員にその自由がなければ、まさに「AIでいいでしょ」ということになります。【高等学校・教員】
いろんな特色ある学校が、公立の小中学校の中に存在します。テストや通知表がない学校のことは、映画にもなっています。そういう取組がつぶされないようにしたいです。むしろ、指導するのではなく、「よくやった!自分たちで考えて工夫している!」と認めてもらいたいものです。【小学校・教員】
文科省でも多様な教育を推奨し、フリースクールでも出席扱いにするなどの柔軟性を学校教育に求めているのに、子どもの実態に合わせた附属小の教育課程が否定的に捉えられるのはありえない。
日々の子供の状況を把握し、子どもの最善の利益を求める現場の裁量を生かした教育活動をすすめていかなければならない中、今回のような「上」からの「拘束」は現場の創造的な努力を奪い、教師を単なる作業者におとしいれ、教育をだめにする。【中学校・教員】
私が今回出来事で改めて感じたことは、学習指導要領の考え方こそがsociety3.0の賜物で今の時代に即したものではないのだということである。society5.0を目指し子どもを人として見る教育をしていくのであれば、教師をプロフェッショナルとして信じ、もっと自由に現場で変えていける余白が必要である。この議論の行き着く先が学習指導要領の在り方に向かってくれることを切に願う。【小学校・教員】
学習指導要領に沿って授業をするのは、当たり前のことです。
学習格差を生まないために学習指導要領があるのでは、ないでしょうか?【高等学校・教員】
国立の附属校に勤務している、ということで、自分はエリートだ、とおかしな感覚に陥っている先生に、昔、出会ったことがあります。また、いままで勤務してきた職場には、我がもの顔で、王様のように振る舞っている教員が何人もいます。
今回の内容をみると、上記の教員と重なり、苦しくなります。
管理職の指導だけに任せられても、同じ職場にいるから、やりづらさを感じる方もいらっしゃるかと同情します。
「生徒には、いじめ調査はあるが、ぜひ、教員にもいじめ調査をやってほしい!」と管理職に、つたえたことがあります。
今回の事件は、教員の資質を問われる事件にも関係するかと感じます。【高等学校/中等教育学校・教員】
我々が附属に期待するのは、学校の取り組みを通してこれからの地域の公立学校が進んでいくべき方向性を示してもらうことであり、それが附属学校の使命なのではないのか。「附属でこんなことやってた、うちでも!」となってない現状があるのはなぜか。附小は公立学校ではないが、私立学校でもない。指導要領を遵守することは、附小の良さを否定することなのか?指導要領の枠組みの中で最大限できることをやる、という姿を見せてほしかった。附属学校は、思想に関係なく、通っていない子も含めて全ての子どもとその子どもに関わる教師のためにあるのではないのか。【小学校・教員】
その他の意見については、文部科学省の対応への批判や今回の報道への批判などがありました。それ以外にも「この件が現場を委縮させてしまうのではないか」といった危惧の声なども寄せられました。
この手のニュースは数年ごとに浮上する。
その学校がやり玉に挙げられているように思うし、文科省、教育委員会からの「言う通りやらなければ、さらし者にするぞ」という無言の圧力にも感じる。【特別支援学校・教員】
生徒を真ん中においた教師たちの懸命な教育実践に対し、「学習指導要領」を金科玉条のごとく扱いその忠実な実践を強要するものであり、教育委員会と文部科学省による介入以外の何物でもないと考える。教育の画一化と管理統制をいっそう加速させるものである。【特別支援学校・教員】
学習指導要領に沿わないことが不適切と判断されるのであれば、文科省大臣としての「学習指導要領の見直し」や「あくまでもベースとして学習指導要領を示しており、実際には学校や教育委員会の判断」とする発言は何だったのか。
学習指導要領に沿っているかアンケートを取り始めれば、さらに現場判断力が弱くなり、当事者意識の無い他人事で責任逃れの上位下達組織が増えてしまう。【小学校・教員】
文科大臣の過去の発言と「遺憾」という今回の発言の矛盾には納得がいかない。教育大学附属小学校としての使命は十分果たしている。文科大臣は現場を守る発言をすべき。奈良教育大学はやってきたことを誇りに思ってアピールしてほしい。【中学校/高等学校・教員】
国立の附属小学校であれば、先進的な取組を実践して、国に還元するのが役割ではないでしょうか。学習指導要領の内容は、全てやらなければならないとは考えていないと、つい最近文科大臣がおっしゃっていませんでしたか?逆に国に提言してもらいたいぐらいです。こんなことで、全国の附属小学校が点検されるなんて、信じられません。そのために行政と組んでやられたことなんですか?と聞きたい。世界の先進国の真逆を行く今回の報道に、怒りしか感じません。【小学校・教員】
先日、文部科学大臣が「学習指導要領はあくまで基準」という発言があったという記事を拝見しました。その上で今回の履修問題に関して、文部科学大臣が「遺憾である」と発言したという記事を拝見しました。この2つの発言に、現職の小学校教諭も矛盾を感じている人が多くいるように思います。学習指導要領の法的拘束力について、大臣の2つの発言の整合性についての解説の記事、または文部科学省からの解説があると、多くの教員が来年度以降のカリキュラムマネジメントに対し、不安を減らせるかと思います。【小学校・教員】
記事を目にした時の最初の印象は、小学校の取組について重箱の隅をつつくような指摘に窮屈さを感じました。
内部の告発だったというニュースもあり、その組織のコミュニケーションの苦しさを感じる面もありましたが、これが記事になり世に広がることで、そのコミュニケーションの問題以上に「不適切指導」という言葉だけが独り歩きするように感じました。
記事をきっかけに、学習指導要領と私たち学校教育の取組の関係を捉え直してみると、やはりその指摘と言葉の独り歩きによって、今後わたしたちの現場が、報道を見聞きした方によって、重箱の隅をつつくような指摘を受けたり、揚げ足をとられるような注意をされるようなことが起こらないか心配です。
また、この報道の表面的な話題によって、わたしたち現場の者が萎縮したり「学習指導要領からはみ出さないようにしなければならない」のような、発展的実践や研究を阻害するようなことがあっては、学校教育にとっては大きな損失になるようにも感じています。【小学校・教員】
とても政治的な背景のニュースで、これを見た子ども達の心情が心配。
教育課程の編成について、世論が受ける印象と実際のところは違うので、偏向報道と言われる所以だと思いますが、注目しないといけない部分だと思います。【小学校・教員】
真相はよくわかりませんが、単純にもっと違うレベルで「教育」について報道すれば良いのに、と思います。日本の教育について根底から見直さないといけないこの時に、時数の話だなんて。しかも手抜きの極悪学校でもなく、独自の研究を重ねている先生たちのいる学校のことで。正直「残念だな(本音はバカなの?)日本の報道」って思ってしまいました。
学校がさらに迷走してしまう。多様性豊かな教育への道がまた遠のいてしまう。画一的で創造性の乏しい教育だけが残り、その結果さらに教師も子どもも疲弊してしまう‥。
国の未来や地球の未来を思う気持ちが少しでもあるのなら、報道にはできること、すべきことがもっとたくさんあるはずだと思います。【小学校・教員】
付小に一時期勤務したことがあるので、システムや職員室の雰囲気、教職員の雰囲気などを知ってる者です。知らない立場の人が、報道だけを見聞していたら、大いに誤解されそうな内容だと感じました。
教職員は勿論、保護者や児童が傷ついているのでは?
以前からパワハラ的な言動が目立ち、更にマスコミを使う校長に腹立ちを感じます。
何故、マスコミはこういう時に、真実を伝えてくれないのでしょうか?【小学校・教員】
締め付け強化は誰のため?と思う。現場は萎縮し、事なかれ主義で淡々と工夫もせずに、アイデアを出したり考えたりすることを賞賛するのだろうか。ルールを守ることだけを考え、教えるのが学校のあるべき姿なのか。「誰のため」の「何をどのように」するのが望ましいのか。本質を考え、叩くばかりをやめて寛容に見守る姿勢が学校外の人々に求められているのではないかと思う。しかしながら今回の件のような流れは“コンプライアンス”重視の世の中の中で、ますます強く厳しいものになるのではないかと感じている。【高等学校/高等専門学校・教員】
公立学校が、自己規制や萎縮してしまわないか心配。子供が主語と広まって来たが、逆方向に進む事が危惧される。【小学校・校長】
学習指導要領に則っていない、ガバナンスが効いていない、など、どこまでも教育を管理し、学校や教員は常にお上に妄信的に従うべきである、というようなこの空気は、とても危険なように思います。【高等学校・教員】
今後は保護者やマスコミのチェックがより厳しくなり、教育現場や個々の教員はますます裁量が小さくなるのではという危機感もある。
加えて、「道徳や君が代の不実施」が今回の不適切指導の一つにあることから、保守的とされる政治家や政党の過剰な介入があったのではと予想される。【高等学校・教員】
報道の仕方にも悪意があり、それらを見て勘違いした保護者の学校に対する眼差しが、より厳しくなるだけでなく、勘違いした管理職や教育行政が、教師や学校の創造的な実践の機会を批判したり奪ったりしかねません。さらに、それらの声(聞こえてなくても)をおそれ、教員が萎縮し「言われた通り、教科書通り」の実践が量産されてしまうことも危惧されます。【小学校・教員】
教育の国家統制自体に反対します。
あくまで、教員の良心と保護者との合意にもとづいて行われるべきと考えます。【小学校・教員】
・最終的には憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」に関わってくることだと思っています。まさにインクルージョン、民主主義に直接関わることです。
・多様性は社会を強靭にします。奈良教育大学附属小学校のような学びもあれば、一条校のような学びもあり…社会全体で色々な強みを持った人々が集まるからこそ、社会は強くなります。【高等学校・教員】
今回のアンケートは計9日間という短期間での実施となりましたが、報道に対する社会的な注目度の高さも影響してか、140件と多くの意見が集まりました。
全体的には、報道で「不適切」とされた奈良教育大学附属小学校の以前の状態を擁護する立場の意見が多く、全体の約8割を占めていました。また、今回の一連の報道を通じて「そもそもの学校教育のあり方」を論じる意見も多く、全体の約6割はそのような観点での内容を含んでいました。
ほかにも、今回の文科省の対応や報道のあり方に言及する意見なども多く見られ、具体的な教育実践から将来的な教育や社会のあり方にいたるまで、いつも以上に多様な観点からの意見が寄せられたことが特徴的でした。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
「今の街は、いい意味で学校にすべてを求めていない感じがしています」
そう話すのは、東京都台東区で暮らす楠本美央(くすもと みお)さん。12年間、公立小学校の教員として働いた後、現在は小学校の非常勤講師をしながら、地域コーディネーターとして活動を広げています。
「学校にすべてを求めていない」とは、どういうことなのでしょうか。その奥にある楠本さんの思いと、学校と地域の両方で働くからこそ見えてきたことを聞きました。
—— 現在は、どのような働き方をしていますか?
週4日は小学校の非常勤講師として働いて、週1日は地域のジェラート屋さんで通りかかった人に無料でコーヒーを提供するフリーコーヒーをしたり、教育や地域をテーマとしたイベントの企画・運営をしたりしています。公的な立場ではないものの、ジェラート屋さんや知人が運営している団体が主催しているイベントでは地域コーディネーターとして関わらせてもらっています。
※地域コーディネーターとは、地域住民等の中から地域と学校の橋渡し役として活動する人。基本的には教育委員会に配置される。
(出典:https://www.mext.go.jp/content/20210526-mxt_chisui02-000015394_4.pdf)
—— どのようなきっかけがあって、学校と地域の両方で働くことにしたのでしょうか?
自分のライフステージが変わっていったことが理由の一つです。子どもが生まれて子育てをしながら働くようになってから、学校の中でやりがいを感じながらやっていたことがどんどんできなくなっていったんです。それまでは、自分の仕事はすべてやった上で、学校の授業内容に合わせていろんな人を講師に招いたり、土日の学校でワークショップをやったりしていました。
子育てをするようになってからは定時で退勤するようになり、校務分掌の仕事さえも減らしてもらうようになりました。そんな状況で、先生たちを巻き込んで「こんな企画やりませんか?」なんて言えなくなってしまったんです。もちろん誰もやるなとは言っていないのですが、どうしても縮こまってしまう自分がいました。
これまでと同じ働き方が難しくなってきたことに加え、もう少し地域と関わりたいなという気持ちもあったので、地域コーディネーターのような立場で地域や学校と関わっていく働き方も視野に入れて考えるようになりました。私が住んでいる地域では公的な立場として地域コーディネーターの配置があるわけではないので、個人の活動として地域のつながりを広げられないかと模索しています。
—— ジェラート屋さんでの活動は、具体的にどのようなことをしているのでしょうか?
この前は、ジェラート屋さんで絵の具遊びのワークショップをやってくれた方がいました。その方は美大出身で描くことが好きなのですが、今は全然違う分野の仕事をしていて。子育てがひと段落したタイミングだったそうで、「街の子どもたちに向けて、音楽を聴きながら絵の具で遊ぶ場をつくりたい」と言ってくれたんです。アイデア出しから始めて、当日の運営まで一緒にやっていきました。
その方との出会いは知人からの紹介だったのですが、ふらっとコーヒーを飲みに立ち寄ってくれた人とつながり、それをきっかけに一緒にワークショップを開催することもあります。
—— 地域での活動のどのようなところにやりがいを感じますか?
フリーコーヒーをしていると、普段ジェラートを買いに来る人とは違った人との出会いがあります。何かを買いに来ただけだとなかなかそこから交流が生まれることはないけれど、立ってコーヒーを飲みながらだと自然に会話が生まれることがあります。そういう場面は、すごく好きなんですよね。
絵の具遊びのワークショップをしてくれた方は、「子どもたちと描くワークショップをやってみたかったけれど、教室を開くほどではなくて…」と話してくれました。場を提供して、企画から運営までを一緒に考えながらサポートさせてもらうことで、新しいことに挑戦するハードルはぐっと下がると思うんですよね。その体験をともに味わうことができるのは、私自身の喜びにもつながっています。
—— 何が地域で活動する原動力になっているのでしょうか?
私自身が、街に救われた経験があったんです。今から10年くらい前、家庭のことで全く先が見えなくなるくらい苦しい時期がありました。もともとは別のところに住んでいたのですが、私の状態を見かねた学生時代の友人が声をかけてくれて、この街に引っ越すことにしたのが始まりです。当時の私は、心がボロボロになっていて、悲しみの感情しかありませんでした。
そんな状態で迎えた物件探しの日。不動産屋の方と友人だけがいるのかと思ったら、私とは面識のない赤ちゃん連れの夫婦も来ていて「家探してるの?一緒に見るよ」と言うんです。1人暮らしの物件を、なぜか大人5人でゾロゾロと見て回りました(笑)それがすごく新鮮で、外から来た人でも歓迎してくれている感じがしたんです。
実際に住み始めてからはよく街の飲み屋さんに行き、そこで出会った人たちとしゃべって、泣いたり、笑ったりして。誰かが私を支えてくれているというより、街が私を支えてくれている感覚でした。東京でもこんな暮らしがあるんだなって。いつからか、住んでいる家の最寄り駅に帰ってくると、すごくほっとするようにもなりました。その体験があるから、次は私が地域に対してできることをしていきたいと思っているんです。
—— 地域コーディネーターとして活動する一方で、小学校の講師としての顔もお持ちですよね。地域と学校の両方を見る中で、変化したことはありますか?
今はどの学校でも地域や外部の人と連携していく流れが強くなっていると思います。既にいろんな人が出入りしている状態で、私自身は「こんな人を呼びませんか?」と自分からさらに連携を進めようと思う気持ちは薄れてきています。
先生たちがこれ以上忙しくなってしまうことには抵抗があって。もちろん先生から「こんなことをしたい」「こんな人を呼びたい」という声を聞いたら、一緒に何かしていきたいとは思っています。けれど、必要以上に外部の人との連携を推し進めることよりも、一人ひとりの先生がゆとりを持って子どもたちと向き合える時間の方が大切なんじゃないかなと思っています。
そして、子どもたちに向けて何かをしたいのであれば、場所は必ずしも学校でなくてもいいと思うようになりました。それぞれの専門性を背景に、「学校では〇〇教育が必要だ」という意見を耳にすることがあります。それはどれも大切だと思うけれど、外から言われた意見によって先生がどんどん苦しくなっている現実もあると思っています。
なので、「〇〇教育が必要だ」と思うのであれば、学校じゃなくても、街中で自分たちでやったっていいと思うんです。今の街は、いい意味で学校にすべてを求めていない感じがしています。気になることがあったら、自分の家でご飯会を開いたり、学校以外の居場所をつくったり。そういう街が少しずつ広がっていったらいいなと思っています。
—— 地域での活動を広げつつも、学校に関わり続けるのはなぜなのでしょうか?
やっぱり、学校は好きな場所なんです。地域で活動する中で、学校の存在意義についてより考えるようになりました。
コーヒーを飲みに行くこともイベントに参加することも、地域でやっていることはどれも行っても行かなくてもどちらでもいい。その方の立場や状況にもよりますが、地域での活動は心地いいところだけを取っていられる側面もあるのではないかなと思います。
でも、学校は必ずしもそうではありません。行かないという選択肢もあるけれど、多くの子どもは毎日行く場所だと認識しています。そして、誰がいて何をするかもほとんど決まっている。それ自体は悪いことではないと思っています。一定の制限がある場所で過ごすことは、苦しさを感じることがあるかもしれないけれど、だからこそ学べることがある。
実際に社会で生きる中では、人間関係が上手くいかなかったり、挫折を味わったりすることがありますよね。それでもまた頑張ったり、少しでもよくしようともがいたりする。そんないろんな体験が、学校には凝縮されている気がするんです。もちろんそれが価値だと言えるのは、子どもの権利が保障された上でのことです。
だから、子どもにとっても先生にとっても、学校がいい場所であってほしいというのはずっと願っていることです。地域で活動することで、その思いはより強くなったかもしれません。
昨年、NPO法人School Voice Projectでスタートした「学校の居心地プロジェクト」。
きっかけとなったのは、WEBアンケートサイト「フキダシ」に集まった、学校の(物的・空間的環境な意味での)居心地についての教職員の皆さんからの声でした。
「とても居心地がよいと思う」「まあ居心地がよいと思う」という肯定的な選択肢を選んだ人は約半数、職員室など、教職員が仕事をするための空間については、肯定的な回答は約3割。少なくない子どもたちや先生たちが、心地よいとは言えない環境で学んだり働いたりしている実態が見えてきました。
(アンケート結果詳細はこちら)
「学校の居心地プロジェクト」での取り組みの一つとなる「#学校にYogiboを置いたら」実証実験では、全国から公募した5つの学校のさまざまな場所にYogiboを設置し、子どもたちや先生たちの心や学び、関係性にどのような影響を与えるのかを探っていきました。
この記事では、協力校の1つである北星学園女子中学高等学校の教員である黒岩萌実さんと高野路子さんに、Yogiboの設置による変化について聞きました。同校の教員や生徒向けに実施されたアンケートの結果も合わせてご紹介します。
—— 「#学校にYogiboを置いたら」の実証実験には、なぜ応募しようと思われたのでしょうか?
黒岩:私自身、アメリカに住んだりいろんな国に滞在したりしてきたのですが、その中でも日本は一番“ちゃんとしていないといけない国”だなと感じました。例えば、アジアの国であれば疲れたら当たり前のように路上で休んでいるのに、日本で同じことをしたらおかしな目で見られる。身なりや行動を含め、ちゃんとしなければいけない社会が生徒たちを苦しめている側面もあると思っています。
固いものばかりの学校にYogiboのような柔らかいものがあることで、生徒たちの心もほぐれていくのではないかなと。学校がもっとリラックスできる場所であることが直接的に不登校の生徒を減らすことにつながるかはわからないけれど、地続きなんじゃないかなとも思っています。学校の中に「居心地」という視点を入れることは、教員にとっても生徒にとっても、いいことだと思っています。
—— Yogiboを校内に設置する前には、居心地の良さを意識した空間はあったのでしょうか?
黒岩:校内にEnglish lounge(イングリッシュ ラウンジ)という広いスペースがあり、以前はそこにソファやビーズクッションが置いてありました。けれど、感染症の流行をきっかけに撤去することになってしまって。当時、「授業中に寝っ転がって本を読むのはよくない」という教員からの声もありました。
——実際にYogiboを置くことが決まったとき、教員からはどのような反応がありましたか?
黒岩:教員に向けてアンケートを取ってみると、想像以上に共感する声が多かったですね。回答者は教員数の半数ほどだったのですが、それでも反対意見がほとんどなかったことには驚きました。
高野:「本当はもっと居心地の良い場所があるといい」という声は、予想していたよりもありましたね。Yogiboが届いてからは、まずは教員たちで座ってみることからスタートしました。その時間は和みましたね(笑)
「学校の居心地と生徒たちの学びの成果は関連すると思う」と回答した方の主な意見
居心地のいい場所でリラックスした状態で勉強した方が、勉強がはかどるはずだから。
気持ちが落ち着いていないとやるべきことに向かうのは難しいと思うから。
1日の大半を過ごす学校で自分の居場所があることは、精神的な安定を生むことになると考えています。学びや友人、教員と過ごす時間が安心安全な場所であって初めて学習に集中できると思います。
学校の居心地は、言葉を換えれば学校の心理的安全性ということになると思います。心理的安全性が確保された場所では、生徒は誤りへの過度な恐れをなくし、誤りからも学びが生まれる土壌が生まれると思うからです。また、同様の心理的効果は教員の仕事の仕方にも良い波及効果を生むと思います。
——教室内にYogiboを設置してから、生徒たちはどのような様子でしたか?
黒岩:Yogiboを設置したのは5月からだったので、生徒同士の関係構築につながったらいいなと思い、中学1年生と高校1年生の教室に置くことにしました。実際に置いてみると、中学1年生のあるクラスではYogiboの上に生徒たちが重なり合って、自分たちのことを「ミルフィーユ」と言っていました(笑)それくらい仲良くなっていましたね。休み時間にリラックスできる環境があるからか、「Yogiboがあれば9時間授業でも大丈夫!」という声もありました。
高野:私が担任している高校1年生のクラスでは、「ここで漫画読むの最高!」と言いながら、放課後にYogiboに寝っ転がって漫画を読んでいる生徒がいました。Yogiboに独自の呼び名をつけている生徒もいましたね(笑)
あとは、実は以前、総合的な探究の時間の中で「学校が楽しくなるにはどうしたらいいのか?」をみんなで考えたことがありました。その中で「Yogiboを置く」という意見が出ていたんです。それもあって、Yogiboが来ることをずっと楽しみにしていた生徒が多かったですね。
—— Yogiboを置くことの難しさを感じる場面はありましたか?
黒岩:衛生面を気にする生徒が多かったのは意外でしたね。私は気にならないのですが、中にはYogiboを床に置くことへの抵抗感がある生徒もいるようです。
高野:Yogiboの下にレジャーシートを敷いてみましたが、あまり意味がなかったですね。ずれてしまいますし、ほこりもついてしまっていました。置く場所には工夫が必要かもしれません。あとは、割と同じ生徒がYogiboに座る傾向がありましたね。「他にも座りたい人がいると思うよ」とは言ったのですが、あまり変わらず…。そこはやはりクラスの雰囲気や人間関係が影響するかなと思います。
黒岩:今回はYogiboの設置が各クラス3日間だけだったので、特に譲り合うのが難しかったかもしれませんね。中学1年生では「常連さんだけが座ってるんじゃない?」と伝えたら、「今日からご新規キャンペーンやります!ご新規さん座ってください!」と周りの子に声をかけている生徒がいました(笑)
—— 最後に、学校の居心地についての考えを聞かせてください。
高野:教室には座っていい場所が基本的に自分の席しかありませんよね。「ちょっと貸して」と言って友達の席を借りることはあるけど、自由に座れる場所はほとんどありません。それぞれの机や椅子以外にも、フリースペースのような空間で好きなように過ごせる場所があるといいなと思っています。
黒岩:Yogiboを授業中に使うことに関しては、教員によってさまざまな考え方があると思っています。積極的に授業の中で使う先生もいれば、休み時間の使用に留めておいた方がいいと考える先生もいます。なので、教員や生徒でYogiboの使い方や居心地について話し合っていくことは、授業や学校についての価値観をアップデートするいいチャンスではないかなと思っています。
——黒岩さん、高野さん、ありがとうございました。
北星学園女子中学高等学校では、中学1年生と高校1年生の各教室に3日間ずつYogiboを設置しました。Yogiboを使用した生徒向けのアンケート結果をご紹介します。
多くの生徒は、3日間のうちに少なくとも1回はYogiboを使用したようです。最も回答数が多かったのは、1〜3回の使用で41%。一方で、11回以上使用した生徒は全体の26%にのぼり、回答者によって使用頻度にばらつきがあることがわかります。
すべての項目において、7割以上の人が肯定的な回答をしました。「とてもそう思う」「そう思う」と回答した人が多かったのは、「ワクワクする・楽しい(92%)」「リラックスできる・落ち着く(91%)」でした。
以下は、使用回数が0〜6回の人と7回以上の人に分けたグラフです。使用頻度が少ない人よりも多い人の方がすべての項目において「とてもそう思う」と答えた人の割合が高く、使用頻度と各項目の評価に相関があることがわかります。
10分休憩中にYogiboに早くダイブしたいので、授業準備を早く済ませることができました。これからもおいてほしいです!【中学1年生】
Yogiboがあったら、リラックスできるし休み時間にみんなで座りながら話したりしたら、あまりしゃべらなかった人とも喋れてみんな仲良くなれるから、ずっと教室に置いてほしいと思った。【中学1年生】
疲れがたまっているときにリラックスでき、次の授業に集中できることがいいと思いました。【中学1年生】
授業終わりにリラックスできたり、休憩できるのでYogiboが教室にあってよかったと思いました。でも、独占している人がいたので今後置くなら、2つくらいあると教室の全員が使えるのかな?と思いました。【中学1年生】
疲れた授業の後の休養スペースとなり、次の授業にも集中することが出来ました!!【高校1年生】
どうしても占領する人が出てくるので譲り合いの心は大切だが、気持ちよさそうにみんなで寝っ転がっているのを見るのは好き。もちろん座るのも、家に帰りたくなくなるほど好き。【高校1年生】
夏場はちょっと汗が気になるのでどうにかしてほしいですが、学校に行くモチベーションになってたり、友達と話す交流になってたのでとてもいいと思いました。【高校1年生】
置いてあると確かに授業とは違う自由さがあってrelaxはすごくできた。けれど欠点としては色んな人が使っているので不清潔さが出てきてしまうと思う。もしこれからも置くなら洗ったり、シュッシュなど匂いものをかけた方がいいと思う。【高校1年生】
多くの生徒にとって、Yogiboが置いてあることでリラックスできたり、友達との距離を縮めることに繋がったりしていることがアンケートを通してわかりました。一方で、実証実験では3日間のみの設置だったため、使える頻度に限りがあり「一部の人のみが使っている」という声もありました。その点においては、「譲り合いが大事」「ルールを決める必要がある」「Yogiboが2つあるといい」など、お互いが気持ちよくYogiboを使っていくためのアイデアも集まりました。
近年、中教審の特別部会の議論の中で取り上げられている授業の持ちコマ数(※)。教員の多忙解消に向けて、「持ちコマ数の上限を設定すべきではないか」という提言が研究者グループや教職員組合からも出されています。実際に上限を設定するとしたら、週何コマ程度になるとよいのでしょうか?
全国の学校に勤める教職員の方に、授業の持ちコマ数の現状とそれに対する意見を聞きました。
※参考:教師を取り巻く環境整備について緊急的に取り組むべき施策
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2023年9月15日(金)〜2023年12月31日(日)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :335件
※現在、一般的に小学校では学級担任制(一人の学級担任の教員がほとんどの教科を教える体制)、中学校・高校では教科担任制(一人の教員が専門教科を受け持ち、複数の学級で授業を行う体制)が採られています。そのため、例えば、小学校における持ちコマ=6コマとは6回の異なる授業を行うことを意味する場合が多いですが、中学校・高校においてはそうではないことが多いです(3つのクラスで異なる授業を2回ずつ行う等)。また、特別支援学校においては、個別の指導計画に沿って授業が行われるため、他の校種とはさらに事情が異なります。その点を加味して下記のアンケート結果をご覧ください。
Q1. あなたが今、週のうちに受け持っている授業のコマ数をご記入ください。
※コマ数とは、会議等を含めない「授業」のコマ数を指します(以下の設問においても同様)。
受け持っている授業のコマ数においては、勤務している校種によって大きな違いが見られました。児童生徒の学齢が低い校種であるほど、授業のコマ数は多く、小学校では全体の74%の教員が21コマ以上を担当していることがわかりました。
Q2. あなたは今、受け持っているコマ数についてどう感じていますか?
担当している授業コマ数について、半数以上の教員が「負担」「どちらかというと負担」と回答。校種別に見ると、担当しているコマ数が比較的多い小学校や特別支援学校においては特に負担を感じている人が多いことがわかります。
持ちコマ数別に見ると、担当している授業コマ数が多いほど、負担を感じている人は多い傾向が見られます。週26コマ以上担当している人においては、96%が「負担」「どちらかというと負担」と回答しました。
教頭のため、教材研究なども含めると教頭業務をする時間が勤務時間外に及ぶことが多くなるため。【小学校・教頭】
教務主任(担任外)の仕事が多く、時期によってはこのコマ数でも多いと感じます。【小学校・教員】
加えて会議が5コマあり、会議準備、授業準備が十分にできないと感じる。【中学校/高等学校・教員】
週10コマ以内という規定がある、市独自のポジションです。担任外として、授業以外の時間は「学校生活が困難な児童の支援」「不登校児童のお迎え」「補欠授業」「校外学習引率」「来客対応」等の対応をしています。業務内容が不規則なため予定が立てにくく、決められた授業時数が増えると対応できなくなります。【小学校・教員】
管理職であるため授業は受け持たず、学校全体の授業改善や学校改革に時間をかけている。自身が授業をやりたい気持ちはあるが、子どもたちと直接かかわる最前線の先生たちが、よりよい授業を行っていくための環境や仕組みの整備も重要な仕事であるため、週3時間は妥当と考えている。【中学校・教頭】
教務主任のため授業コマは軽減されており10コマ程度であるが、それ以外の仕事が多く妥当である。【中学校・教員】
会議や出張等含めると20コマになってしまいますが、それでも、負担なく準備ができています。【高等学校・教員】
半日勤務で、20コマ中15コマの授業のため準備に1コマしかない。さらに専門外の理科が6コマあり、実験や観察の準備、片付けが終わらない。【小学校・教員】
学年が3種類。中学は理科なので専門外の授業も行わなくてはならない。授業準備に何時間もかかる。精神的に追い詰められてつらい。実習をするとレポートの採点もある。【中等教育学校・教員】
学年主任、ICTの担当、教務の仕事などがあり、毎日が追われる感じがするから。【高等学校/中等教育学校・教員】
学校の中では妥当と言われる持ちコマ数だが、授業の質を保つ上では多いと感じている。 また、授業のコマ以外に会議がたくさん入り、実質授業準備が勤務時間に入らないから。【高等学校・教員】
他の人と比べると少ない方なので、妥当だとしたが、授業の準備と片付け、授業研究、道徳に総合や特活、学年が落ち着かない場合は巡視や入り込み、別室の対応と子ども達に直接関係することでも色々と仕事はあるので、あっという間に時間が過ぎる。【中学校・教員】
授業数は少ないと感じているが、主幹軽減を受けていて、教務主任や主幹としての仕事と両立するには妥当な時間と考えている。【中学校・教員】
授業以外の業務の多忙さにもよるが、空きコマに授業準備ができ、全般的に余裕があると感じているから。【高等学校・教員】
担っている役割から配慮されたコマ数であるため、通常(他の教員)は17程度にはなっている。そのため、授業の展開は楽だが、全体の業務としての余裕は大きくない。【中学校/高等学校・教員】
教材研究をする時間がない。ICTを活用した授業を新しく考える時間や準備をする時間もない。【中学校・教員】
授業準備、教材研究、授業片付けなど、に合わせて、校務分掌の業務をおこなうには時間がなさすぎるため。【小学校・教員】
空きコマを蝕むように大量の行事ごと(マラソン大会や水泳指導)があり、結局空きコマになっていないから。空きコマ数を増やすことも大切だが、同時に他の行事をもっと減らさないとフェイクの空きコマ数を増やすことにつながりかねない。【小学校・教員】
担任でない教務主任の立場として、やや多い時数であると感じているが、教務主任の業務量は時期によって変動するので、調整していけば可能。むしろ、これより少ないと担任の授業時数が多くなる。【小学校・教員】
1学年4クラスで教科3コマ。担任なので、学活、総合、道徳を実施。以前は担任もちで教科週3コマを6クラスしたこともあったので、週22コマであった。その時は、事務仕事はとてもじゃないが、勤務時間内に終わらなかった。それと比べたら、事務仕事出来る時間があり、妥当だと感じる。【中学校・教員】
これまでの学校(知的障害特別支援学校)では、待ちコマが25-28コマでほぼ空きコマがなかった。今の学校(ろう型)では高等学校に準じた授業のコマ数となり、負担が減った。【特別支援学校・教員】
児童6に対して教員が12人いるため。【特別支援学校・教員】
教科数も多く、指導要領の内容も増え、他の業務に圧迫され授業準備の時間もとれません。多忙を極め、本業の授業に力を十分にそそげないのが悔しいです。教員一人一人の時間的精神的余裕が教育の質を高めると思います。どうかコマ数を減らしてほしいです。【小学校・教員】
小学1年生の担任で過去に何回か経験があるので、25時間でもなんとかやっていけるが、中学年や高学年だと、教材研究が追いつかない。【小学校・教員】
週29時間のうち21時間だが専科の授業でもほぼ教室で見ておかないと行けないので、実質空きなんてない。【小学校・教員】
連絡ノート等の点検、教材研究等で1日2〜3時間は必要。今持ち時間が22時間だが、連絡ノートの点検すらできない日がある。【中学校・教員】
外国語専科で1教科のみだから。担任として複数教科をもつなら、私のいまの持ちコマ25は「多くて負担を感じる」になる。【小学校・教員】
時間講師なので、行事の分担や校務分掌などは一切ないため。【小学校・教員】
教科横断型のカリキュラムをたくさん作りたいので、できれば多くの授業を担当したいです。【小学校・教員】
非常勤講師なので、分掌、学級、部活もなく専任をしていた頃の10分の1くらいの負担感です。テストの採点と受け持ち生徒の名前把握は大変ですが、それもマークシートや自動採点が進めば、25コマ程度なら余裕を持って回せます。非常勤講師を増やすのも学校の負担を減らす方法の一つかもしれません。【小学校/中学校・教員】
昔と違って知識の教え込みではなく、今は主体的対話的で深い学びを目指さなければならない。そのためには多くの教材研究の時間が必要だが、全く足りていない。【小学校・教員】
毎日上記の授業時間だと、基本的に児童がいる時間は基本授業をしていることになる。そのための準備や片付け、評価は全て放課後になるが6時間を終えた後の3時15分以降からでは例え休憩時間を削ったとしても時間の確保はできない。さらには分掌もあるので確実の長時間の残業をせざる得ない。【小学校・教員】
宿題をみる時間、授業準備の時間がとれない。6時間目を終えて、毎日の集団下校指導を終えたら勤務時間が過ぎるので、全ての仕事が勤務時間外になる。【小学校・教員】
担任時代はそのくらいでちょうどいいかと感じていた。しかし専科になってみるとプリントや宿題のチェックが一度に一学年分来るなど、担任に比べて仕事量の調整が難しいことに気づいた。空き時間は補教や教室に居られない児童の対応、電話番に管理職の雑用も「専科」ということで多く回ってくる。また、一番大きなものは休んだ時に振替が必要なこと。教科担任も始まっているため、この数でも振替が効かない。【小学校・教員】
放課後に事務的業務や授業準備の時間が持てるため。【特別支援学校・教員】
何時間か受け持ってもらえればありがたいが、基本的にはしょうがないと思っている。【小学校・教員】
Q3. 教員の心身の健康を守るために 「最大でもここまでに収めるべき」と思うコマ数を教えてください。
教員が心身の健康を守るために担当できる最大のコマ数においては、「16コマ〜20コマ」と回答した人が最も多く、全体の63%に上りました。校種別見ると、「10コマ以下」と回答したのは小学校で4%であったのに対し、高校では54%と、回答に大きな違いが見られました。
Q4. 十分な授業準備をして授業の質を維持するために 「できればこの程度が望ましい」と思うコマ数を教えてください。
授業の質を維持するために望ましいコマ数は、小学校と中学校・高校で大きな違いが見られました。小学校では「16コマ以上20コマ以下」と回答した人が70%と最も多かった一方で、中学校では「11コマ以上15コマ以下」と回答した人が63%と最も多く、高校では68%でした。特別支援学校においては、「11コマ以上15コマ以下」と回答した人と「16コマ以上20コマ以下」と回答した人はほぼ同数でした。
Q5. 勤務時間内に業務が終わるために 「本来この程度に収める必要がある」と思うコマ数を教えてください。
設問4の「授業の質を維持するために望ましいコマ数」とほぼ同様の結果となりました。全体的に設問4よりも少ないコマ数を上げる人が多い傾向が見られました。
Q6. 授業の持ちコマ数について、あなたの意見を自由にお書きください。(任意)
授業以外の業務が多い現状ではもちコマが減ったところで授業準備に充てられるかは、はなはだ不安である。授業時間は14でも、ホームルーム、総合探求、自立活動(通級指導)、会議はそこに上乗せされていく。その仕組みをどうにかする方法はないか。【小学校・教員】
学校規模が半分くらいの学校に異動になり、時数は減ったものの教科書が前任校と違う為授業準備自体やり直し、そこに未経験の分掌業務(GIGAスクール、ボランティア等)が有る為負担自体は大きくなった。時数も大事だが、その他の業務の精選も至上命題だと思う。【小学校・教員】
学習指導要領が改訂になるたびに○○教育が増えそれに伴う新たな研修や授業準備が必要となり授業を圧迫している。新しい内容をいれるなら旧のものを減らし授業に余裕をもたせる。理想としては1日5コマの25時間。専科を入れて20時間以内にすればかなりの余裕が生まれる。時間割をいじくり放課後の時間をつくるのにも限界がある。【小学校・教員】
授業のみならず、分掌や担任、生徒指導の業務が重なっているかどうかによって、持ちコマ数の妥当性が変わってくると思います。なにもなければ高校でも18時間でもなんとか業務がまわると思います。かわりに諸々の業務を抱えていると、10時間でも多く感じると思います。【高等学校・教員】
現状だと、授業の他に、LHRや総探の時間、そして学年会や分掌の会議などが入り、空き時間がない日もあります。担任をしていると、その空き時間に保護者対応や生徒対応が入ったりして、授業研究に費やす時間はほぼ勤務時間にはない状態です。教員として、一番大切な仕事が授業なのだとしたら、現状の空き時間では、到底授業研究などする時間は存在しません。授業以外の仕事が多いことも鑑みて、持ち時間の議論をしなければならないように感じます。【特別支援学校・教員】
良い授業がしたい。本当に子供たちの力を伸ばしたい。そのためには、見取りや準備の時間がかかります。【小学校・教員】
持ちコマが多いほど、授業準備に使える時間が減り、質は落ちる。もしくは、質を落とさないために時間外労働をして、身を削ることになる。本来ならば、オリジナルな教材を作ったり、本を読んだり研修を受けたりして、もっと良い教育を子どもにしてあげたいと思っている。【中学校・教員】
18時間が一人の教員の授業数の上限にしてくれたら、こんなに余裕のない苦しい毎日でなくなるのは確実。今は余裕がないせいで、例えば、返却物に一言添えるとか、休み時間に子供と遊ぶとかはほぼできない。図工でいうと、土粘土とか版画などの題材は、準備や片付けの時間がないので、とても今の状況ではできない。そのくらい、時間がない。【中学校・教頭】
一番学び続ける必要があるのが教師だと思うので、そのための時間を確保していくべきだと思います。その上でしっかりと学びや成果を評価軸にしてほしいです。だからこそ、まずは時間数の軽減がに必要だと考えます。【中学校・教員】
私の場合、今は外国語専科なので25あってもそこまで授業負担はありません。持ち教科数の方が負担感に影響するように思います。担任であれば、1日4コマ×5日が限度だと思います。【小学校・教員】
高学年において全ての教科を一人で指導するのは限界。特に単学級であれば、一人で行事の準備等もしなくてはいけない。よって、教科担任を全ての学科に配置して、例えば技術系教科は教科担任が指導するなどし、できる限り減らすべき。【小学校・教員】
適切なコマ数は年齢やキャリア、授業以外の負担によると思います。専任や常勤で授業以外の仕事があるなら、現在の状況を考えると10くらいでもいいと思います。新卒などだと教材研究も時間がかかるので、コマ数多いと破綻すると思いますし、非常勤講師はコマ単位で収入が決まるので、制限されても困りますが、年を取ってくると体力的にしんどいかもしれません。とはいえ、授業をするのが教員の全てであり欧米は校務分掌や雑務はほとんどないので、それを考えると負担軽減のために上限つけるのは本末転倒で、雑務の負担を減らすほうが優先だと思います【小学校・教員】
中学のいわゆる技能教科の場合、1人で全校生徒の評価をします。もちろんテストも採点も。また、管理すべき特別教室も1人で複数箇所あり、実習の準備や道具の手入れなどもあります。コマ数「だけ」が指標になると辛いです。【中学校・教員】
持ち数だけでなく、何教科受け持っているかや、担任がどうかなども大きく関わってくると思う。【中学校/高等学校・教員】
私は小学校の教員です。持ちコマ数が多いほど大変だとは一概には言えないかなと思います。T1とT2では負担の度合いが全く異なるし、教科担任なら、1時間分の準備で数コマ同じ授業をすることもあるからです。週あたりT1(あるいは単独)で15コマ、T2(支援が必要な子のサポート)で5コマくらいが教員にとっても子どもたちにとっても最適な環境だと思います。【特別支援学校・教員】
余裕はあった方がいい。子どもたちは孤独で家庭という機能が崩壊しかかっている今、教師しかできない子どもへの寄り添いがあると感じている。授業準備への時間の余裕は他の意識へと繋がっていきます。【中学校・教員】
空き時間が保障されていることで、一日の流れに余裕が生まれます。毎日一言日記を書いているのですが、それに一言返事を書くこともでき、結果子どもたちとの関係が良好でトラブル対応に時間を取られることがほとんどありません。教師の時間的余裕って、すごく大切だと思います。【中学校・教員】
1日に2時間、空き時間があれば、放課後の仕事をそこで済ますことができ、退勤時間も早まると思う。また、児童指導が多い学校なので、毎日必ず空き時間があれば、他の子どもたちを待たせず、ゆっくり問題児童に向き合える。【高等学校・教員】
人員に余裕がある学校なので、全体を平均すると13コマ前後、中には5コマという人もいる。持ちコマが少ないと気持ちに余裕も出てくるので、まず人員を確保することが先決だと思う。【中学校・教員】
教科が数学の為、どうしても習熟度別少人数指導となり、毎年3学年すべてを教えることになる。教材研究など出来ず、経験に頼るしかない状況である。もっと教員数を増やすか、1クラスの人数を大幅に減らし、2クラス3展開などせずにクラスで授業ができると良い。とにかく余裕が欲しい。【中学校・教員】
担当している授業コマ数は小学校の教員が最も多く、生徒の学齢が上がるほど、コマ数が少なくなる傾向が見られました。校種を問わず、持ちコマ数が多く、負担だと感じている人が多いことがアンケート結果全体から読み取れます。
「コマが減っても授業準備に当てられるか不安」「授業の他に、LHRや総合の時間、学年会や分掌の会議などが入り、空き時間がない日もある」などの回答もありました。単に持ちコマ数が多いことへの負担感だけではなく、授業以外の業務の多さが負担感につながっている現状もあるようです。また、持ちコマ数だけではなく、担当教員の勤務年数や担当学年、教科数によっても負担感は違うという意見も目立ちました。
十分な空き時間があることは教員の負担感を減らすだけではなく、授業の質向上や教員が児童生徒一人ひとりに向き合う余裕にもつながっていきます。児童生徒がよりよく学んでいくために、教員が適切なコマ数で授業を担当することが不可欠ではないでしょうか。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
学校現場に勤める教職員の皆さんの中には、教職員組合の存在を「遠い」「知らない」と認識している人は少なくないでしょう。
私は6年間、学校現場を離れ、教職員組合の役員として勤めた経験がありますが、その私でさえ、普段の勤務の中で、教職員組合を意識することはそれほどありません。しかし、教職員組合が果たしている役割にはとても大切なものがあります。この記事では、その意義・役割・課題などをまとめて解説します。
そもそも組合(労働組合)とは、何でしょう。それは困った時の助け合いの組織です。例えば、水害で自分の家が浸水してしまったとします。そんなとき、自分の力で泥をかき出したり掃除をしたりして乗り切ることを「自助」と言います。自助が追いつかないような場合、消防や自衛隊など公的な機関による支援である「公助」を受けることもあります。しかし、自助や公助ではカバーしきれない問題もあります。そんな時に大きな力になるのが例えば、近所同士の自主的な助け合いやあらかじめ組織された互助会、駆けつけたボランティアによる支援などです。これを「共助」といいます。労働組合法2条には「この法律で『労働組合』とは、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう。」と示されています。つまり労働組合とは、労働者が賃金や働く環境の改善を求め自分たちの生活や健康を守る「共助」の組織といえます。
労働組合は普段は目立ちませんが、社会の中で大切な役割をもっています。労働者と使用者の力関係は、当然、使用者の側が上になります。使用者が、給料や雇用条件、労働条件を勝手に決めてしまうと、労働者は安心して働くことができなくなります。ですが、労働組合を作ることで、労働者は使用者側と対等の立場で交渉を行うことができます。それは、法規で定められた労働者の権利です。
ちなみに労働者が労働組合を作ってもいいと定めた法規は何か知っていますか。そう日本国憲法です。憲法第28条で「勤労者の団結する権利および団体交渉その他団体行動をする権利は、これを保障する。」と規定されています。この根底には憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」、25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があります。働く者が過酷な労働環境や低賃金に苦しむことのないように力を合わせて声を上げるための制度を保障しているのです。
一方、日本国憲法は12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と定めています。働く者が団結し、使用者側に声を届けなければ、給料を守ったり、労働環境を改善したりすることはできません。ただ、労働組合を結成するためには多大な手続きが必要なので、次々と生まれる企業に対して結成が追いついていないのが現状です。労働組合のない企業では、労働者が厳しい環境に追い込まれることも少なくなく、「組合がある企業がうらやましい」という声が聞かれます。
もちろん、よいことばかりではありません。労働組合を結成すれば、運営のための資金が必要になりますから、組合員になると一定の組合費の支払いが発生します。また活動を前進させるには、中心となって働く役員が必要です。役員にならなくても、組合員として組合活動に時間や労力を取られることもあります。
労働組合には大きく「ユニオンショップ」(全員加入制)と「オープンショップ」(自由加入制)があり、企業によって異なります。オープンショップ(自由加入制)の企業のもとでは、組合が勝ち取った給料や労働条件が組合員でない社員にも反映されます。「組合に入らなくても権利が与えられるならそちらの方がいい」と考える「フリーライダー(ただ乗り)」が生まれてしまい、加入している人からすれば釈然としない気持ちになります。
労働組合の努力によって改善された給料や労働環境は、労働組合のない企業にも波及し、社会全体の生活の向上に寄与しているのは間違いありません。一方で、組織率は年々低下し、憲法が保障する団結権が社会の中で十分に活かされていないのは悩ましい問題です。
前置きが長くなりましたが、ここからが教職員組合の説明になります。
基本的に公務員は労働組合法が適用除外になり、労働組合を結成することはできません。その代わりに地方公務員法第52条第3項に「職員は、職員団体を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる。」と規定されています。条文から分かるように職員団体はオープンショップ(自由加入制)となります。また、職員団体には、いわゆる労働三権のうち、団結権と交渉権は認められているものの争議権(ストライキ権)は認められていません。また交渉権はあるものの、団体協約を締結する権利も与えられていません。しかし、教職員の賃金が決定されるプロセスの中で、その実権をもつ教育委員会との交渉権をもつのは教職員組合だけです。働く環境を改善するために、教職員の声を集め、交渉によって様々な条件を変えられるのも教職員組合だけなのです。
※なお、他国では教員のストライキ権が認められている国の方が多いと言われています。例えば、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、デンマークなどです。一方、日本同様、ストライキ権が認められていない国としては、中国、シンガポールなどがあります。
教職員組合は戦後80年近くの歴史の中でさまざまな成果を上げてきました。詳細はここには書ききれませんが、分かりやすいところでは、産前・産後休暇、育児休暇の期間を広げ、出産、育児に関するたくさんの制度を獲得してきました。小学校の35人学級も、長年の教職員組合の訴えが実現したものです。現在、学校教育の大きな問題になっている教職員の長時間労働についても、教職員組合が国会議員との連携の中で、社会問題化し、「給特法」を改正することによって、月45時間、年間360時間の超過勤務時間の上限を法に位置づけるに至りました。ちなみに、これらの制度改正の裏側には輩出した国会議員・地方議会議員の活躍があります。そのために、多くの労働組合は、政策実現にむけ、法律・条例づくりに直接意見反映できるよう政治との結びつきを重視しています。
もちろん、他の労働組合と同様に、個々の組合員と管理職・教育委員会の間に発生するハラスメント、公務災害、権利行使などのトラブルの解決に向けて仲介や支援をしています。ただ、残念なことに、これら教職員組合の活動や成果は、多忙な学校現場では、あまり知られることがありません。
組合が教職員の給料を守っていることもあまり知られていません。教職員の給料は、毎年、各都道府県の人事委員会が民間との均衡を見ながら勧告を出し、県当局と教職員組合の交渉を通して確定されていきます。その民間の給料は各企業の使用者と労働組合の交渉を通して決定していきます。「春闘」と言って、全国の労働組合が結束して、横並びで「A社は◯円上げたからウチも◯円上げよ」というように賃上げ交渉をすすめます。その結果が、最終的に公務員の給料にも反映されていくのです。教職員組合は、人事委員会や教育委員会に対して、民間との均衡だけでなく、教職員の働く実態が賃金に反映されるよう交渉します。最終的に12月の議会で確定した賃金は、4月に遡って支払われます。毎年、12月の終わりに給料やボーナスとは別に数万円から十数万円ほどの「差額支給」があるのは、労働組合全体の賃上げ交渉の成果です。また、自治体によっては、財政事情により、給料のカットを行う場合もありますが、教職員組合や自治体の職員団体は強く反対し、もし下げられる場合でも、何らかの交換条件を引き出そうと粘り強く交渉します。
教職員組合が他の労働組合と大きく異なる点として教育研究活動(通称、教研)が挙げられます。目の前の子どもの実態を出発点として「平和を守り、真実を貫く民主教育の確立」「わかる授業、楽しい学校」をめざして、全国の教職員と議論し、その成果を自らの日々の教育実践に生かす教研活動は世界的にも高く評価されています。この「子ども中心」の考え方は、組合活動全体にも見られ、少人数学級の推進を訴えていることも、子どもたちや学校を競争に駆り立てる全国学力・学習状況調査に反対していることも、子どもたちにゆとりあるゆたかな教育を実現したいという願いがあるからに他なりません。
教職員組合への加入率は年々、低下しています。それは「組合費や活動などの負担がある」「加入しなくても給料や権利は守られる」「組合が何をしているのか見えづらい」ことが原因であることは、ここまでで説明してきたとおりです。日本国憲法が保障する団結権を教職員自らが放棄してしまう現状はとても残念です。
それ以上に、私は、人と人が支え合う風土そのものが日本全体で崩れ始めているのではないかと危惧しています。「何かあっても自分で何とかすればいい」「自己責任でいい」「誰かと守り合うなんてわずらわしい」という考え方が生み出す社会は、弱者やマイノリティーには厳しいです。「もしかしたらいつか自分も」という不安と隣り合わせでは、決して成熟した社会とは言えません。「助けて」という言葉を誰もが遠慮なく言える共助の社会を守る一端を教職員組合を含む労働組合全体が担っていることをぜひ理解していただきたいと思います。