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全国の小中学校の指導要録や通知表に記載される、「行動の記録」。
文部科学省が下記の通りに定めた10の評価項目について、児童生徒が「各項目ごとにその趣旨に照らして十分満足できる状況にあると判断される場合」に「◯」を付ける、とされています。
引用:行動の記録の評価項目及びその趣旨(文部科学省)
児童生徒の学習評価の在り方について(報告)(文部科学省)
評価にまつわる大きな関心事の一つとして、入試への影響度が挙げられますが、「行動の記録」が審議の対象となることを明文化している学校も存在します。
例えば千葉県では、
「〇が1つもない場合は、審議の対象とする。」
「〇が2つ以下の場合は、審議の対象とする。」
といった文言が、公立学校の一般入学者選抜に関する資料に記載されています。
参考:令和7年度 一般入学者選抜の選抜・評価方法(千葉県立千葉北高等学校 )
通知表に記載されることも多く、入試にも影響する「行動の記録」ですが、「児童生徒の行動内容と項目の関連が明確でない」「各学校により運用ルールが異なっている」といった疑問の声もあがっています。
そういった「行動の記録」の評価の実態について、全国の先生方に聞いてみました。
※「行動の記録」ではなく、文章で記す「総合所見」についての意見であると思われる回答については、本記事では掲載を割愛しました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年9月27日(金)〜2024年11月5日(火)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :54件
Q1.「基本的な生活習慣」「自主・自律」「創意工夫」といった内容に関して児童・生徒を評価し指導要録に記載する「行動の記録」について、現状として明快な評価ができていると思いますか?
「行動の記録」に関して「明快な評価ができている」と答えたのは、回答者54名中2名のみ、全体の4%でした。
その他の回答者は「明快な評価ができていない」と答え、その状況について様々な報告や意見が寄せられました。
完全とはいえないが基準を設けて評価している【小学校・副校長】
主観的にしか評価できないため。【小学校・教員】
そもそも人によって判断基準が違うから。また、◯をつけたくても、数の制限があるから。【小学校・教員】
項目が細かすぎる割には評価の基準が個人にとても左右されるため、必要性を感じない。【小学校・教員】
クラスの中での相対的な評価になってしまっていると思うから。つまりクラス替えをすると評価が変わる可能性が高いと思う。【小学校・教員】
生徒の個別の活動について、教員に見えていたり、教員が知っていたりすることのみ評価ができ、見えていない部分は評価できない。【中学校・教員】
学んでいるのは「児童・生徒」なのだが、教員による教員のための評価ではないか。教員からみた良い子と、教員が教員の目指す行動を指導した子の評価が高くなっている。【事務職員・小学校】
行動の記録の文言が、具体的にどういう行動を指しているのかが分からない。【小学校・教員】
指導要録の項目では何をもってどのように評価しているのかが見えないが、要録をつけることは義務なので仕方ないと思っている。【小学校・教員】
数値化も難しく、一元的な評価ではその児童生徒の本質を見抜くことは難しいと考えています。【中学校・教員】
Q2. 「行動の記録」の評価にあたって、「◯をつける数は1人4~6個」というような運用ルールが学校等で定められていますか?
「定められている」「定められていない」の回答がちょうど同数の結果となりました。
校種別の傾向として、小学校で「運用ルールが定められている」が47%だったのに対し、中学校では「運用ルールが定められている」が73%となり、小学校より厳密にルールを定めている状況が伺えました。
Q2-2. 運用ルールの詳細を教えてください。(100字以内)(任意)
・学級全体の◯の数を集計し、学年内で多すぎる/少なすぎる学級がないか確認し、大体同じ数になるように調整することになっています。
・△はつけてはいけないことになっています。【小学校・教員】
原則どの児童にも◯(評価される点)も△(今後の課題とされる点)も1つ以上ある、△の数が◯の数を超えないように(成績表は児童のがんばりをみとめ、今後の意欲を引き出すためのものだから)【小学校・教員】
管理職によっては、最低限どの項目にも1人は◯をつけるように言われる方がいる。また、同じ項目に偏りすぎていると、「他にないのか」と言われたこともある。【小学校・教員】
1学期は3つまで。2学期は4つまで。3学期は5つまで。と決まっています。増えていく方が嬉しい気持ちになるから、だそうです。【小学校・教員】
だいたい1学期は何個程度、2学期3学期と少しずつ増やしていく、という暗黙の了解がある。よほどのことがない限り、○の数が横並びになるようにしている。【中学校・教員】
ひとつもつかない生徒がいないように。【中学校・教員】
最低◯を1つ多くても5つまで【中学校・教員】
中1で最大3つ、通常1つ
中2で最大4つ、通常2つ
中3で最大5つ、通常3つ を原則に運用ルールを定めている。【中学校・教員】
進級とともに◯の数は特別なことがない限り増やす方向ですが学校ごとに運用は違うと感じます。「生命尊重自然愛護」は評価できるような教育活動を学校として設定しづらいと感じています。【中学校・教員】
明文化されてはいないが、口頭ではアドバイスされる。【小学校・教員】
ルールは定められていないが、若手の頃に際立った1つか多くて2つと教えられたことがある。【小学校・教員】
運用ルールは明示されていないが、学年内でいくつくらいか、というような話はしている。ただし、それで上限が決められるわけでもなく、なんとなく自分が他の学級に合わせてきたように思う。【小学校・教員】
運用ルールとまではいかないが、「○はひとつはつけましょう」とか「多くても6つぐらいにしましょう」とか、確認しあっている。【小学校・教員】
Q3. 上記の内容に関連して、あなたが思っていることや考えていることを教えてください。(100字以内)(任意)
行動の記録は、誰が得をするのか分からない。マイナスなことを伝えるツールとしては機能していたかもしれないが、今は三角はつけないので、役割は終えたのではないだろうか。【小学校/中学校・教員】
通知票は必ず作成しなければならないものではない。中学校では内申書作成のための評価結果を、本人と保護者にサービスとして公表しているにすぎない。行動の記録も、そのサービスの一環なのだろう。不要である。【中学校・教員】
行動の記録は前年度の内容を参考にせざるを得ないですし、◯の数に対して指導が入るのもおかしいと思います。また我が子の通知表の記載を見ても一面しか見えません。不要です。【小学校・教員】
行動の記録で◯をつけたことを所見に書くよう指示されることも少なくない。であれば所見に書くだけで十分なので、行動の記録は必要ない。【小学校・教員】
不平等であるし、明快な基準も定められないので、行動の記録は不要。【中学校・教員】
理想を求めすぎて、現状何のためにやっているのか分からない制度となっている代表的な例。【高等学校・教員】
多様性を尊重する時代に、評価の意味合いが薄れているにもかかわらず、大きな労力を注いでいる状況は続いている。評価の在り方、必要性等を見直していく時だと思う。【小学校・校長】
指導要録の書き方、内容も見直す必要があると思う。作成が学年末になることがほとんどで、異動と重なれば大変になる。書き方も地域や学校によってバラバラで困る。【小学校・教員】
指導要録の項目の見直しや、通知票のあり方はセットで考える必要があります。また3学期制と2学期制のあり方も同時議論が必要不可欠です。【中学校・教員】
行動の評価は本当に必要なのかを今一度問い直して欲しい。内申点で進学できる実情があるが、不登校児童の評価など納得できない点が非常に多いと感じる。【小学校・事務職員】
子どもたちをおとなが思ういい子にあてはめようとするような記録はいらないかと思います。子どもたちに伝えたいことは、自分の声で直接伝えればいいかと思います。保護者の協力がいるときは、保護者に直接でいいかと【小学校・教員】
要録作成が、年度末の事務処理でもかなり大変で、なくなってほしいなと思います。【小学校・教員】
(勤務校は◯と△で評価する形式)支援を必要とする児童をはじめ、特に△をつけることに疑問あり。適切な支援がされないまま「不適切な問題行動」とされているケースも。問題行動ほど単純化できない。【小学校・教員】
「生命尊重自然愛護」でモヤモヤ。例えば花の水やりを忘れずにしていたら該当するか?どちらかといえば活動に責任があり「責任感」「勤労奉仕」につけている。評価は担任の主観が大きくなることも否めないと思う。【中学校・教員】
指導要録は在籍の記録だけでいいと思う。【小学校・教員】
そもそもの「行動の記録」は、文科省資料に「十分満足できる状況にあると判断される場合」と書かれているように、絶対評価として○を付けることが念頭に置かれていますが、実際の運用にあたっては「クラスの中での相対的な評価になってしまっていると思う」といった声や、「最低でも1つ」「進級とともに○の数を増やす」といったルールを設けているという声があがるなど、絶対評価としての運用に難しさがあることが伺えました。
そのような評価の難しさの解消に向けて、いくつかの自治体では「行動の記録」における「十分満足できる」状況や、校種・学年ごとの評価表を例示しています。地域内や学校内で評価方法や基準を揃える際には、このような資料を参考にするのもよいかもしれません。
参考:
学習評価及び指導要録の 改善等に関する指導資料(愛媛県教育委員会)
「学校に求められるこれからの児童・生徒指導」 -発達課題の視点から見た児童・生徒指導の評価について-(栃木県教育委員会)
ただ、アンケートには「行動の記録」の在り方そのものについての否定的な意見も多く、「道徳では行動を評価しないということに決まったはずなのに、これで評価するというように一貫していません」といった意見や「多様性を尊重する時代に、評価の意味合いが薄れているにもかかわらず、大きな労力を注いでいる」という意見のように、他の教育活動・理念との一貫性の観点からそもそもの必要性を疑う声も多くあがりました。
School Voice Projectでは、今後も引き続き皆さんと一緒に、適切な評価の在り方について考えていきたいと思います。
【このようなアンケートを作成したいと思った方へ】
「フキダシ」は、現役の教職員の方が無料で登録できるWEBアンケートサイトです。このアンケートは、WEBアンケートサイト「フキダシ」内にある『みんなに聞きたいこと』に寄せられた投稿から作成されました。投稿内容をもとに定期的にアンケートを作成しますので、フキダシでアンケート化してほしい話題がありましたら、ぜひユーザー登録をして投稿してください!
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
学校の校則・ルールを、生徒・先生・保護者が対話をしながら見直していきたい!
そんな想いからスタートした認定NPO法人カタリバの「みんなのルールメイキング」と、NPO法人School Voice Project( SVP )がオンラインイベント「学校における”対話と民主主義”を本気で考えよう!」を共同開催しました。(当日のプログラム等の詳細は こちら )
後編では「みんなのルールメイキング」事業担当の浜田さんの話と、ルールメイキング教員アンバサダーである3名の実践例から、反対派の先生ともどう対話するか?を探ります。
SVPの武田さんが目指しているビジョン・ミッション、および北欧の学校事例から学ぶ”対話”と”民主主義”のステップが知りたい方は、ぜひ以下の前編をお読みください。
※登壇者のプロフィールもこちらからご覧ください。
司会(逸見) 第1部の後半は、認定NPO法人カタリバ『みんなのルールメイキング』浜田さんのお話を伺います。自己紹介からお願いします。
浜田 19歳のときから、マイプロ(マイプロジェクト)として「みんな辛くても我慢しているのに、あの人はずるい!ではなく、みんなが幸せになれるよう、環境を自分達で変えていこう!と思う仲間を増やすこと」を掲げています。
SNS上でよく目にする「あの人だけずるい」「こんな要望はおかしい。みんなで我慢するべき」。そんな攻撃的なコメントを見るたびに、悲しい気持ちになるんです。
でも、そういう攻撃的な発言をする人も、きっと何か辛いものを抱えているはずで。自分も何かを変えたいと思っているけれど、その方法が分からない。だから攻撃や我慢という形でしか表現できない。「本当はこうなってほしい」「ここを変えたい」という思いを、建設的なアクションに変えていけないかと考え、主権者教育に関わる活動を続けています。
ですが、武田さんの話(前編)で、「民主主義の第一段階からつまずいている」という話があったように、大人になってから突然「自分の声を上げよう」といわれても、そのハードルは非常に高い。
例えば、「自分の暮らす街をどうしたいか?」を語り合う場が開かれたとして、そういった場に参加するのは、大学生までのいわゆる「学校」に通っていた時代に、社会について関心を持つ機会があった人や、自分で何か環境を変えた経験がある人が中心だと聞きます。
だとすれば、そういった経験を早い段階で積む機会を多くの人が持てるようにしたい、という思いが今のマイプロに繋がっています。
逸見 学生時代から活動を始めたとのことですが、そのころはどんな活動をしていたんですか?
浜田 小学生を対象とした模擬選挙に関わったのが、始まりでした。
逸見 模擬選挙での経験が、今の活動につながっているんですね。
浜田 はい。ただ、模擬選挙には限界も感じました。例えば給食のメニューを決める模擬選挙なら、自分の好きなものを選んでも誰も傷つきません。でも実際の社会では、自分の意見や「好き」を主張することで、対立が生まれることもある。そういったリアルな体験をすることも大切だと考えていたところ、ルールメイキングに出会いました。
ルールメイキングでは「対立」ではなく「対話」を大切にしています。ここでいう「対話」は、気軽なおしゃべりや情報交換としての「会話」でも、どちらが正しいかを決めるための「議論」でもありません。お互いの背景を深く理解し、本音で意見・視点を交換し合うことで、新しいアイディアや可能性を見出していくプロセスなんです。
それでもプロジェクトの途中段階では、「先生は押し付けてくるだけ」「生徒はわがままを言うだけ」という対立構造が生まれがちです。
また最近は、対立し傷つけあうことを恐れるがゆえに、対話が表面的になってしまうという課題も感じています。例えば、利害関係のない他校の生徒との交流では楽しく話せるのに、自分の学校でルールを決める段階になると、気を使いすぎて感想の共有だけで終わってしまったり、「なぜそう思ったの?」と理由は聞いてはみるものの、「私はこう思います」「はい、分かりました」と、本音の対話を続けられず、一問一答で終わってしまったりすることがあります。
対話が大切だということは、おそらく誰もが理解していると思います。でも「対話っていいよね」だけでは越えられない壁があります。そこで私たちは、対話がうまく行かない状況を、「対話のスキルの問題なのか」、「そもそも挨拶すらできない関係なのか」「目標の共有ができてないのかというように分解して考えるようにしています。
例えば目標の共有ができていない場合は、「いい・悪い」のジャッジの前に、まず「幸せな学校づくり」というテーマで対話を始めます。「幸せってそもそもいつ感じるんだろう?」と問いかけ、今の学校の「残したいところ」と「変えていきたいところ」を出し合う。そうした対話の場を、具体的なルールの良し悪しの話に入る前に意識的に設けています。
良い対話を実現するため、哲学対話や組織開発の手法など、ルールメイキングとは少し違った分野からも学んでいます。まだまだ試行錯誤の段階ですが、現場の先生方と一緒に、よりよい方法を見つけていければと思っています。
武田 対立解消や、ファシリテーションのトレーニングは必要だよなと感じています。子どもも大人も。民主主義のスキルですよね。
カタリバさんの活動は、子どもたちだけでなく、教職員たちのコミュニティも作りながら社会を変えようとしているのが素晴らしくて。時にトップダウンの改革が必要なこともありますが、基本的には現場の教職員が学び合いながら変えていくスタンスは、私たちSchool Voice Projectともまさに同じです。
浜田 ありがとうございます。実は教職員自身による小さなルールメイキングが、すでに進んでいる学校もあるんです。「今話しかけないでください」カードを作って集中タイムを設けたり、BGMを工夫したり。私たちは広く事例を知っていますが、現場で生きている教職員たちこそが、実際の状況をよく理解されています。お互いの持ち味を活かして、助け合える仕組みを作っていきたいですね。
逸見 どんなに小さなことでも、職場で新しいことを始めるのは勇気がいりますよね。私自身もそうで。仲間と一緒に考えていけることが心強いです。
司会(逸見) では、ここから『第2部:現場ではどのようなことが起こっている?』に移ります。ルールメイキング教員アンバサダーとして活躍している内田卓先生・小瀧智美先生・辻屋雅明先生より、それぞれの取り組みを紹介いただきます。
内田 つくば市立研究学園小学校では「ちょこルル(ちょこっとルールメイキング)」という取り組みを行っています。ICTを活用して全員の意見を画面に反映させることで時間を短縮し、普段あまり発言しない生徒の声も平等に拾い上げています。学級活動の中で、自分の意見が反映される経験を重ねることで、子どもたちの主体性を育てていきたいです。
小瀧 前任校での実践をいろんなメディアに取り上げていただいて、今も様々な方から声をかけていただいてます。
最近、「世の中には理不尽がたくさんあって、学校は理不尽を学ぶところだよね。今の子どもは我慢できないよね」という先生の声を聞きました。でも、学校は理不尽を我慢する場所じゃなくて、むしろそれを解決する方法を学ぶ場所だと思うんです。
ただ、生徒の声を聞くためには、まず教員側が自分を大切にできる環境が必要で。労働環境も大変だし、教員自身が理不尽さを感じている中では、子どもたちの声に耳を傾ける余裕もないんじゃないか。そこが今、もやもやしているところです。
辻屋 山梨県笛吹市立春日居小学校で、私個人は「高度に自由を行使できる子供の育成」を最終目標に掲げています。自由とは好き勝手にすることではなく、合意形成や他者理解、道徳性や思考力など、様々な力を総合的に発揮するものだと考えています。
具体的な取り組みとしては、「シャープペンシルの禁止」の撤廃や、「学習に関係ないものの持ち込み禁止」を「先生やみんなと相談する」というルールに変更しました。特に良かったのは、校則の変更手続きを校則自体に組み込み、毎年見直す仕組みを作ったことです。
司会(逸見) ここからは、第2部のクロストークを始めます。事前質問では、反対する教職員への対応について、多くの質問が寄せられていました。
取り組みを続ける中で、モチベーションが折れそうになることもあったと思います。教職員間の多様性をどう認め合い、巻き込んでいったのか、お聞かせいただけますか?
小瀧 やっぱり生徒たちの姿が、一番の原動力になりますね。準備を重ねた生徒たちが、反対される悔しさで涙を流す姿はもう見たくないと思って。あえて反対派の先生のところに個別に話をしに行ったりもしました。個別に話すと、分かってくれる先生も多くて。私自身も辛い瞬間は何度もありましたが、少しずつ理解が広がっていったように思います。
内田 つくば市の場合は、市全体での取り組みだったので、みんなで一緒に始められたのがよかったんです。1年目は「実際どうやったらいいのか」ってみんなで考えるところからはじまって、2年目からは各学校で色んな工夫ができるように。段階的に進めていけたのは大きかったですね。
辻屋 今、まさに悩んでいるところですね(笑)。始めるときは細かく説明して分かってもらえても、新しい先生がどんどん入れ替わってくると、最初の理念が理解されなくなって形骸化してしまう。ここの引継ぎはもっと丁寧にすればよかったなって。
ただ最近、言葉だけで納得してもらうのは難しいかもしれないとも思うようになりました。6年生なので下級生の前でリーダーシップを発揮する場面もあるんですけど、そういう子どもたちの成長する姿を見てもらうことで、「やっぱり効果はあるんだな」って実感してもらえるといいのではないかと。
浜田 このような場に来られる教職員の皆さんは、もともと「こういう取り組みはいいな」って思って来てくださっていると思うんです。でも実際の学校現場では、新しいことを始めることへの不安が大きい。「反対」というよりも、「これをやったらどうなるんだろう」という不安が、最大の障壁になっているように感じます。
だからこそ大切なのは、「校則を変える」という話からではなく、「子どもたちにこういう力をつけていきたい」という、誰もが共感できるストーリーから始めること。そして実際に取り組んで、具体的な変化を見せていく。不安を感じている先生にとっても、納得できる形で示していく。そういう視点も大切かなって思っています。
武田 変えていくときには「あの手この手」でやっていくしかないですよね。本当に様々な苦労があるんだろうなと想像します。
皆さんのお話の中で、二つの気づきがありました。一つは、これって終わりのないプロセスなんだなということ。今年うまくいったなって思っても、来年また元に戻そうという動きが出てくるかもしれない。でも、そういうこともあるものとして歩んでいくこと自体に、価値があるんだなって感じています。
もう一つは、対話の本質についてです。意見の違う人と向き合うとき、単に「なぜそう思うんですか?」って聞くだけでは、水掛け論で対話が深まらない。その人がそういう考えを持つに至った背景にある経験や、見てきた景色を知りたいなって。
私たちが「ルールメイキングが大切だ」と思うようになった背景にも、それぞれのエピソードや出会いがあるように、否定的な意見を持つ先生にも、様々な経験や事情があるはず。踏み込んで理解し合おうとすることはすごくエネルギーがいりますが、そこまで深く対話することにも意味があるのかなと感じました。仲間と一緒に「難しいな」って言いながら、共に歩んでいきたいです。
ルール作りというよりも、自分の必要を要求できること、というのが大事なんですよね。
ルールメイキングでもありつつ、探究という感じがしますよね。いろんな人と対話して、調査して、やってみるという。まさに探究サイクルな感じがします。
ちょこルル、名前がいいですね!
どんな取り組みに対しても、反対派はいますよね。浜田さんがおっしゃる通り、子ども達がどんな姿になることを目指すのかという共通理解を対話を通してしていく必要がありますよね。武田さんがおっしゃる「背景」もとっても大事。自分の主張も大切にしつつ、相手にも考えがあることも理解して対話することが大切なんだなと思いました。
ルールメイキングを実践したい・実践している先生や学校職員のほか、教育委員会の立場から学校の実践を支援する行政関係者の方々も参加することができるコミュニティです。
https://rulemaking.jp/partner-lp/
関東エリアでルールメイキングに取り組む児童生徒・教職員が集い交流するイベントを2024年12月27日に実施します。ぜひご参加ください!
https://entaku.school-voice-pj.org/events/34be6e579b18
規則上の勤務開始時刻、守られていますか?
「勤務開始時刻前に朝の打ち合わせがある」
「委員会や部活の指導がある」
中には「勤務開始時刻は朝8:00。…だけど、児童生徒の登校完了時刻は7:50」といった学校もあるとか。そこで今回は“半強制的な早朝残業”の実態について、全国の小中学校・高等学校の教職員から声を集めました。
※ このアンケートは2022年に引き続き2回目の実施となります。前回のアンケート結果は下記の記事をご参照ください。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年10月4日(金)〜2024年10月28日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら )
■回答数 :70件
Q1. 勤務校において、勤務開始時刻(学校や自治体で定められた時刻)前に組織として行っている日常的な業務はありますか。(複数選択可)
※「組織として行っている業務」には、いわゆる”暗黙の了解”を含みます。
全体の84%の人が「勤務開始前の日常的な業務がある」と回答しました。全ての校種で「登校指導」と答えた人が最も多く、全体では63%に上りました。
また、小学校の53%、中学校では44%の人が「校内の児童生徒指導・支援」と回答しました。中学校では部活動・委員会などの「児童生徒の課外活動指導・支援」に時間を割いていると答えた教職員が44%となり、他の校種より割合が高くなりました。「その他」にはプールの当番や電話対応、グラウンドのライン引きなどを行っているという記述回答が見られました。
前回調査との比較では、新型コロナウイルスの第5類への移行を反映してか「児童生徒の健康観察」が36%から13%へと大幅に下落しており、「なし」と答えた割合も5%から16%に上昇しています。
朝の日直業務、プールの塩素チェックや機械による塩素注入【小学校・教員】
児童が登校している。欠席連絡対応。スクールバス対応。【小学校・教員】
運動場のライン引き、プールの水質管理など【小学校・教員】
生徒指導の一環で登校見守り立番【中学校・教員】
朝読書【中学校・教員】
時間割調整【中学校/高等学校・教員】
図書館開館作業【中等教育学校・教員】
欠席連絡などの電話対応【高等学校・教員】
「その他」の内容では、小学校でプール関連の業務が多く挙げられたほか、欠席連絡等の電話対応についての業務が校種問わず挙げられていました。
Q2. 勤務校では、通常、教職員の勤務開始時刻と、児童生徒の登校開始時刻、登校完了時刻はどのような順に設定されていますか。
*1 登校開始時刻…児童生徒が登校してよいとされる時刻(門が開く時刻など)
*2 登校完了時刻…児童生徒がその時間までに登校しなければならない時刻
「登校開始時刻が勤務開始時刻前に設定されている」と答えた教職員は合計で85%に上りました。登校開始から登校完了までの間に勤務開始時間が設定されている人が全体の51%となり、校種別では中学校が67%と最も多くなりました。勤務時間開始以降に児童生徒が登校し始めると答えた人は1割程度でした。
回答者の地域別にみると、「登校完了時刻が勤務開始時刻前に設定されている」と答えた回答者は西日本(近畿・中国・四国・九州・沖縄)に多く、それ以外の地域の2倍の割合となりました。
これらの結果は前回のアンケート結果とほぼ変わらず、登校開始・登校完了・勤務開始の時刻には2年間での変化があまりなかったことが示唆されました。
Q3. 設問2で答えた業務に関して、起こっている問題を選択してください。
全体の79%が「事実上の勤務開始時刻が早くなっている」と答え、校種別で見ると小学校の86%、中学校の83%に上りました。また「特定の教職員に負担が集中している」と回答したのは全体では44%で、中学校では61%となり他の校種と比べて20%以上高くなりました。
また、回答には年代の差も見られ、20~40代の87%が「事実上の勤務開始時刻が早くなっている」と答えた一方、50~60代では64%と20%以上の開きがありました。
Q3-2. 起こっている問題の詳細を教えてください。
本来なら勤務開始→登校開始→登校完了の流れが正しいはずだが、そうすると必要な授業・活動時間や休憩時間(実質上ゼロだとしても)が確保できない。
部活動の朝練習可能期間は7:00には顧問は出勤する。
毎日6:30には3~5人の職員が出勤している。
体育教師は勤務開始時間前にグラウンドに白線を引かなければならない。
問題解決のためには、業務量削減、授業時間削減をするしかない。
無理です。【中学校・教員】
本校は8:30が勤務開始時間なのだが、1時間目の開始時刻が8:30。予鈴は8:25に鳴っている。必然的に勤務開始時刻よりも生徒は早くに登校するし、1時間目の授業がある場合、勤務開始時刻よりも早く到着する必要がある。
私たち教職員もこれが本来おかしいことに気付いて来なかったし、声を上げてこなかったことに非常に最近違和感を感じるようになった。【高等学校・教員】
あいさつ運動を子どもだけでさせることができないため、付き添いが必要になっている。
教室を空けないために朝の会を始める前に職員室で欠席児童の確認を行う必要が生まれている。
勤務開始前であるが、子どもがいるために生徒指導や怪我の処置を対応することがある。【小学校/義務教育学校・教員】
遅刻を一定回数すると早朝登校5日間の生徒指導があり、毎朝30分前に生徒を登校させるので、私たち生徒指導部も勤務時間より30分以上前からの仕事になるのが大きな負担である。またそういう指導を受ける生徒が5日クリアするのは大変難しく、結局2週間ほど勤務時間前の業務が続く。管理職は勤務時間の変更には応じてくれるが、30分早く帰れる日などほぼ皆無なので、タダ働き状態が通常化している。せっかく30分早く出勤して生徒の指導で、授業準備などができる訳でもないので辛い。【高等学校・教員】
勤務開始時刻前に児童が登校してくるため、色々な対応が必要となるが、それでも勤務時刻にならないと来られない人もいるため、結局来れる人に負担と責任が偏る。【小学校・教員】
児童の登校開始時刻と教員の勤務開始時刻が30分ずれており、そのギャップを減らそうとしたこともあった。しかし子育て中や出勤に時間のかかる職員がいるため勤務開始時刻を早くすることが難しく、登校時刻を遅らせるのは保護者の反対にあいそうで話を進められない、という状態になっている。結果的には、早く来ている職員が児童の対応をしていることが多い。他の職員に無理強いできないので、管理職の先生が早く来ざるを得なくなっている様子もある。【小学校・教員】
自分の勤める学校は、勤務時間開始が始業時間と同じ。欠席連絡なども含めた電話も勤務時間の30分前には繋がるようになっていたり、登校してきた児童の対応や登校班含むトラブルの対応も勤務時間前から入ったりすることが当たり前になっている。プール当番も勤務時間前。実質、勤務している状態(対応が必要とされること)が当たり前になっていることに疑問がある。子育て世代の同僚はお子さんの送迎の関係で早めに出勤することに無理があるし、一部の人に負担がかかりやすい環境でもあると思う。【小学校・教員】
登校指導は主に生活指導部が行っているので、生活指導部に多大な負担が偏っている。
生活指導以外の教員も関わっているが任意なので、登校指導をしない人は全くしていない。【高等学校・教員】
子どもの登校時間を遅くしたい(勤務開始時間のあとに)という意見を出しても、保護者が仕事に出ないといけないのでこれ以上遅くできないという話になってしまいます。(下校時間も) 家庭が大変なのはわかります。でもその責任を負うのは福祉行政ではないでしょうか。教育行政はあくまで教育に責任を負うために、教師が授業に専念できる勤務環境を保障してほしいです。【小学校・教員】
以前勤めた学校では、開門の前に教室にいた児童が他の子の物を盗るという事案が起こった。できるだけ開門を外で待たせる方向転換になった。【小学校・教員】
開門を勤務開始時刻と同時にしているので、門前で待機する児童が多くなり、近隣に迷惑がかかっています。【小学校・教員】
本校は勤務シフトという制度があるので、始業は規則上8:30ですが、これを15分単位で繰り上げることができるため、8:30のHRのための準備等の早出も勤務内に収めることができています。【高等学校・教員】
本校朝の時間 7:50 登校開始 → 8:10 勤務開始 → 8:15 登校完了
日直は勤務時間前から業務が始まる。教頭は、日直の補助他、登校時の緊急対応、教職員の出欠席に対する業務調整のために、毎朝、7:10頃から勤務している。
登校開始を8:30にするには、行政の広報活動が欠かせないが、市費対応職員に対する対応と比較して、県費負担教職員への対応は、甘くなってしまう。勤務開始時刻を、8:10 から 7:40 に変えていきたいと考えている。【小学校・校長】
司書教諭をしています。図書館は、8:05から貸出を始めていますが、勤務時間前であるにもかかわらず、覗いたり、場合によっては指導することもあります。また、朝はスムーズに貸出返却ができるよう、児童の登校前にパソコンをたちあげるなどの細かい作業も行っていますが、わかってくれる人は、学校司書の方ぐらいです。【小学校・教員】
早く来なければいけないときに、その分早く帰らせてほしいと伝えたら、4%上乗せの分だと思うように!と、教頭に言われました。帰っていい!と言われる校長もいました。何も言わない人がほとんどです。教師の善意に甘えています。【小学校・教員】
時間割調整は急な欠勤が出た場合、時間割変更や自習監督が必要になる。出勤している教員がその任務に当たることになるが、時間割係が調整して担当者を決める。なるべく自習ではなく授業をした方が良いという共通理解があり、急に授業ができる人を探すのが難しい。また授業をすると少し手当がつくが、監督だとつかないということもあり、自習監督を頼みにくい場合もある。【中学校/高等学校・教員】
登校時刻と勤務開始時刻を合わせることは、今の学校現場においては困難です。若い教師の中には法律を傘にして勤務時間前に仕事をすることに反論する人も出ている。しかしそれでは学校は回らない。【小学校・教員】
「勤務開始時刻前の日常的な業務がある」と答えた人は全体の84%に上りました。その内容については「登校指導」と答えた人が63%と最も多く、次いで「校内の児童生徒指導・支援」「部活動・委員会など、児童生徒の課外活動指導・支援」の順でした。
また、教職員の勤務開始時刻と児童生徒の登校時刻の設定についての質問では「登校開始時刻が勤務開始時刻前に設定されている」と答えた教職員が合計で85%となりました。
勤務開始時間と児童・生徒の登校時間が合わないことで起こる問題について、79%が「事実上の勤務開始時刻が早くなっている」と答えました。「本校は8:30が勤務開始時間なのだが、1時間目の開始時刻が8:30。予鈴は8:25に鳴っている。必然的に勤務開始時刻よりも生徒は早くに登校するし、1時間目の授業がある場合、勤務開始時刻よりも早く到着する必要がある。」といった回答もありました。
「特定の教職員に負担が集中している」と回答したのは44%でした。「開門を勤務開始時刻と同時にしているので、門前で待機する児童が多くなり、近隣に迷惑がかかっています」との回答もあり、児童生徒の都合と教職員の正規の勤務時間との兼ね合いが難しいことを示すアンケート内容となりました。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
学校の校則・ルールを、生徒・先生・保護者が対話をしながら見直していきたい!
そんな想いからスタートした認定NPO法人カタリバの「みんなのルールメイキング」と、NPO法人School Voice Project( SVP )がオンラインイベント「学校における”対話と民主主義”を本気で考えよう!」を共同開催しました。(当日のプログラム等の詳細は こちら )
このイベントには、全国から約40名の教職員や教育関係者が参加。現場で奮闘する教職員たちの生の声から、学校における対話の重要性や、子どもたち・教職員ともに作る民主的な学校づくりについて活発な意見交換がされました。
前編では、SVPの武田緑さんが海外の学校の事例を用いてテーマを掘り下げていきます。
武田 緑(たけだ みどり)
NPO法人School Voice Project理事兼事務局長。全国の学校や教育委員会で【DE&I(多様性・公正・包摂)】をテーマにした研修・講演・執筆、ワークショップやイベントの企画運営、学校現場や教職員への伴走サポートを提供している。
「多様なバックグラウンドや個性を持った全ての子どもや先生たちが、しんどい思いをせずに、心地よくたのしく過ごせる学校をつくっていきたい」という思いで活動中。
School Voice Projectとは?
設立3年目。「学校現場の声を見える化し、対話の文化をつくる」をミッションに、100名を越える現職・元教職員メンバーの参画によってスタート。一人ひとりの教職員が日々働きながら感じ考えていること=「学校現場の声」を見える化し、課題解決へとつなげるための組みとして、WEBアンケートサイト「フキダシ」・WEBメディア「メガホン」・教職員のオンラインコミュニティ「エンタク」の運営、さらに政策提言・ロビイング活動に取り組んでいます。 https://school-voice-pj.org
浜田 未貴(はまだ みき)
認定NPO法人カタリバ『みんなのルールメイキング』職員。相談窓口や自治体連携などを担当している。マイプロは「みんな辛くても我慢しているのに、あの人はずるい!ではなく、みんなが幸せになれるよう、環境を自分達で変えていこう!と思う仲間を増やすこと」。
『みんなのルールメイキングプロジェクト』とは?
2019年より活動している、生徒が中心となり先生や関係者と対話しながら校則・ルールを見直していく取り組みです。「校則」を題材に「目指したい学校づくり」のきっかけをつくっていくことを目的に、「対話を通して納得解をつくるプロセス」を学校へ届けるサポートを行っています。
現在、全国で約400校ほどパートナー登録があり、School Voice Projectがカタリバと共同でサポートを担当している関東エリアからも、100校ほどの学校が参加しています。 https://rulemaking.jp/about/
逸見 峻介(へんみ しゅんすけ)
本イベントの司会担当。埼玉県公立高校教員。2022年度には生徒指導部主任として、民主的で対話的な組織を目指して改革を行い、「生徒支援部」へと改称する。ワークショップデザイナー・NPO法人School Voice Project理事・みんなのルールメイキングプロジェクト教員アンバサダー。「人間っていいな!面白いな!」と思える人を増やすため、日々必死に生きている。対話の場 Open Education などを主催。
司会(逸見) 本日のイベントは「学校における”対話と民主主義”を本気で考えよう!」をテーマに、安心安全の場で話ができればと思っております。まずはSchool Voice Projectの武田さん、海外の学校の例もたくさん見てこられたとのことで、事例を交えてお話しいただけますか。
武田 今回のテーマは、School Voice Projectとしても私個人としても大事にしたいと思っていることで、とてもいいテーマをカタリバさんからいただきました。
私が惹かれる学校に共通しているのは、個人の能力発達や人との競争などの「あるべき」よりも、「イマ・ココと将来がしあわせであること」などを大切にするようなWell-beingと、「子どもの参画があたりまえ」であるようなDemocracy(民主主義)が真ん中にあるという点です。
10代の頃から、ユニークな取り組みをしている国内外の様々な教育現場を訪問してきたのですが、「学校における”対話と民主主義”」という点では、特に北欧の学校から多くのことを学びました。
例えば、デンマークの「森のようちえん」。園舎がなく、雨の日も雪の日も一日中森で過ごす幼児教育の場です。禁止や制約がほとんどなく、自分が何をしたいか、どうしたいかという内から湧き出る気持ちやニーズを、まっすぐ自己表現し続けることができる環境の中で、子どもたちはとても自信に満ちていて、「私は・僕はやれるんだ」という感覚を強く持っていました。
同じくデンマークの小学校では、多様性を尊重する姿勢が、教室のレイアウトにも表れています。全員が同じ方向を向いて座るのではなく、壁向きの席もあれば、グループ席もある。グループで過ごすのが好きな子、一人で集中したい子など、それぞれの学び方に合わせて席が配置されている。
スウェーデンの小学校では、子どもたちが学校生活について意見を言える仕組みが整備されていました。要望がたくさん挙がってくるんです。「遠足が木曜に設定されたけど、木曜は体育も図工もあって楽しい日だから木曜日以外に変えてほしい」とか、給食委員会では「ジャガイモが固いから柔らかく茹でてほしい」「魚料理が多すぎるから肉料理を増やしてほしい」とか。素朴な声ですよね。
浜田 ルールメイキングの活動でも、「次回研修日程がクリスマスで嫌だ……」という子どもの声から、実施日が変わった事例がありました。素朴な声って大事ですよね。
日本だと、そういった素朴な声を出すこと自体が「わがまま」と捉えられることもあるように思います。
武田 自己主張=わがまま、みたいな認識になってるんですが、そうではないと思うんです。主張してみてからじゃないと、周りに迷惑かけるかどうかも分からないはずで。自己主張のみで、他者の主張を聞かないのが「わがまま」なのだと思います。
先ほどのスウェーデンの例では、子どもたちの素朴な要望に対して、先生たちも真摯に応えるんですよ。遠足の日程は変わったし、ジャガイモは柔らかくなった。
だけど全ての要望を聞くわけではなくて、ダメな場合は「なぜそうしているのか」を丁寧に説明します。「魚料理を多くしているのは環境への配慮や、栄養バランスを考えてのことだよ」と説明されれば、子どもたちも理解して納得します。
武田 デンマークのある中学校では、生徒たちが「メンタルヘルスの問題を抱える生徒が増えているが、カウンセリングを受けられるのは経済的に恵まれた家庭の子どもたちだけ」という問題に気づき、生徒会が動いて、専門のケアスタッフを学校に常駐させるべきだと提案し、役所と交渉しているそうです。
Democracyは、一段目として「自分が何をしたいか」「何が嫌で何を望んでいるか」を理解することから始まります。
二段目に、隣の子も同じように大切なニーズを持っていること、でもそれが自分とは違うかもしれないことに気づきます。
すると三段目の「じゃあ、どうする?」という対話が生まれるんです。
四段目以降は、対話がさらに発展することで、クラスの問題、学校全体の問題、そして最終的には社会の問題へと広がっていきます。
デンマークの教育を見ていて感じたのは、「私はこうしたい」という段階から、他者と対話してコミュニティを自治していくこと、そして「選挙に行って自分の意見を社会に反映させる」という段階までがちゃんと地続きで、直結しているということ。だからこそ、投票率も高いのではないでしょうか。
浜田 ルールメイキングの活動の中で、子どもたちに「学校に伝えてみたいことある?」と聞いても、「え、分かんない。今のまんまで十分だと思う」と返ってくることがあります。例えば先生が「制服を自由にしたいと考えてみてもいいんだよ」と投げかけても、「そんな~」と言われることがあるそうです。民主主義の一段目でつまずいていますよね。
武田 民主主義とは、一人ひとりの声を尊重することだと思っています。そして気づかれにくい小さな声は、「聴いてもらえるな」という信頼があって初めて出てきます。
なので、まず「聴いてもらえる環境をどう作るか」が、非常に大事なのではないでしょうか。
みんな違うから、思いは重ならない。それでも声を聞き合いながら、出し合いながら、対話して、共通解を探し続けるプロセス。これこそが民主主義なんだと思います。
このプロセスを続けていくと、学校の包摂性が高まり、苦しい思いをする子が減っていくのではないでしょうか。そして、「自分には変える力があるんだ、自分のアクションには意味があるんだ」という自己効力感が高まっていく。その結果、授業に参加したくなる、クラスに参加したくなる、そして社会に参加したくなるのではないかなぁと思います。
浜田 日本の学校の中でもやもやしたことがあっても、子どもたちはまさかそこが変えられるとは全く思っていないことがほとんどではないでしょうか。「自分の身近な環境すら変えられないのに、社会が変えられるとは到底思えない」感覚が、根底にあるように思います。
武田 この問題は子どもたちだけでなく、大人にも当てはまりますよね。民主的な教育を実践していく当事者であるはずの先生たちは、果たして一人ひとり尊重されていて、自分のアクションから学校や社会を変えていける実感を持てているのでしょうか。教職員だって、尊重されたいし、包摂されたいし、声を聞かれたいし、対話の場が欲しい。
だからこそ、私たちSchool Voice Projectは教職員の声を大切にし、対話の場を作り、支え合えるコミュニティを作ることから始めています。教室に、職員室に、学校教育に、そして教育行政に、民主主義と対話を増やしていきたい。それが私たちのミッションです。
司会(逸見) ありがとうございます。北欧の例から、コミュニティを作った背景までお話いただきました。次回は、浜田さんよりルールメイキングプロジェクトの取り組みと、現場で実践する先生たちの体験談をお伺いします。
(北欧の学校の)おかずや行事の調整、家でのやりとりみたいですね〜
ルール作りというよりも、自分の必要を要求できること、というのが大事なんですよね。
インドのことわざで、「自分は誰かに迷惑をかけて生きてるんだから、自分も誰かの迷惑を許しなさい」というのがあるそうです。このことわざ好きです!
では、学校における“対話”や“民主主義”は、実際の現場でどのように実践されているのでしょうか。後編では、浜田さんが語るカタリバの『ルールメイキング』の取り組みと、ルールメイキング教員アンバサダーの3つの事例から、「反対派」との対話のあり方を探ります。(後日公開)
ルールメイキングを実践したい・実践している先生や学校職員のほか、教育委員会の立場から学校の実践を支援する行政関係者の方々も参加することができるコミュニティです。
https://rulemaking.jp/partner-lp/
関東エリアでルールメイキングに取り組む児童生徒・教職員が集い交流するイベントを2024年12月27日に実施します。ぜひご参加ください!
コロナ禍を通して、親睦会や忘年会の自粛、または機会の見直しを図る組織が全国的に増えました。
親睦会は、職員同士の相互理解を深めることのできる貴重な機会です。しかし、その多くが勤務時間外の飲み会として行われることや、学校によっては参加を断りづらい雰囲気があることも事実。ベテラン層と若手層との間で意見が食い違っている学校もあるようです。
そんな学校の親睦会の必要性について、全国の学校教職員に聞いてみました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年8月23日(金)~2024年10月7日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :104件
Q1. 私の学校では、職員の親睦会が存在し、飲み会をしたいベテランとやりたくない若手で意見が割れています。職員の親睦会は必要だと思いますか?
年代別に見ると、40代の肯定的意見が一番多く、全体の65%が「必要だと思う・どちらかというと必要だと思う」と回答しました。次に肯定的な意見が多かったのは30代以下で、否定的意見が過半数を占めたのは50代のみでした。
また、校種による働き方の違いを反映してか、小学校では17%の回答者が「必要だと思う」と答えたのに対し、中学校では10%、高等学校では0%と結果にばらつきが見られました。
コミュニケーションを深めることに特化した時間が必要であるから。【小学校・教員】
若手の扱いに戸惑うからこそ、お互いを知る機会と時間がほしいから。【小学校・教員】
普段、高学年の先生としか絡みがなく、中学年低学年の先生と交流する機会になるから。特に高学年は若手が少ないので、若手と交流する機会が欲しい。【小学校・教員】
ゆっくり話す時間や場が勤務時間内にないから【中学校・教員】
多忙な勤務時間では報・連・相で会話は終了。同じ学年部でもお互いの家族構成すら知らない。もし授業の緊急入替があっても、理由がわかると「お大事に」という気持ちになる。そんな気持ちを共有できる組織だと、よい影響を広げていく。経験者として断言できる。【中学校・教員】
子供が小学生の頃までは、休憩は取らずに最低限の仕事をするにとどめて、定時に帰ることが求められました。そうすると、同僚とコミュニケーション・雑談をしている時間が全くありません。雑談をすると仕事が終わらず、土曜日に来て帳尻を合わせていました。飲み会があると、普段は話せない人と話せたり、深くゆっくり話せたりします。そうすると、普段の仕事上での信頼関係も得られやすく、仕事がしやすくなると私は考えています。【小学校・教員】
強制はしない方がいいと思うが、歓送迎会ぐらいはあった方が、お互いのことを知る機会として必要かなと思う。それをきっかけにコミュニケーションが円滑になることもあると思う。【小学校・教員】
ゆるく繋がることは必要だと思う。絶対出ないといけないみたいな同調圧力にならない程度に。【小学校・教員】
私自身は歓迎会や打ち上げなど、職場の飲み会が好きでしたが、やはりコロナを機に人とわざわざ会うということについて吟味するようになりました。飲み会は勤務時間外なので、有志でやればいいですし、歓迎会や懇親会は、職員の相互理解を深める研修扱いで勤務時間内に位置付ければいいと思います。【小学校・教員】
必要とまでは思わないが、気楽に親睦会が企画できるような職場であってほしいと思う。今はパワハラ、コンプラなどいろいろ気にし過ぎているような気がします。強制はよくないが、飲みニケーションの利点もあると思います。【高等学校・教員】
仲良い人とだけ仲良くして、そうじゃない人とは当たり障りなく…というのはどうかなと思う。ないならないで、職員の分断が進んでしまう気がするので、最低限親睦会の行事はあった方が良い。あと、直接子どもに関わらない社会的な一般常識(葬儀、お見舞い、お祝いごと、のし、香典や祝儀袋の書き方など…)は親睦会で学んだ。飲み会のためだけに存在するのではないことは念頭においておくべき。【小学校・教員】
学期の節目、年度の節目、大きな行事後にはあってもよいとは思う。しかし、管理職へのお酌が強要されるような雰囲気なら、パワハラにあたるため、行わない方がよい。兎にも角にも、管理職の雰囲気次第。【小学校・教員】
したい人だけですれば良い。それぞれの家庭の事情、個人的な事情がある中、強制的に行う必要はないと思う。【小学校・教員】
本当にやりたい、行きたい人は行けばいいけど、強制されるのはNG。強制してはなくても、行かないと何となく気まずいとかもあると思うけど、本来なら、お互いを理解して、そのことで仕事に支障がでないように振る舞うべき。【小学校・教員】
ベテランの先生のもつ技や考え方を聞く時間は必要だと感じるが、別にそれは飲み会の場でなくても良い。【中学校・教員】
仕事を通して親睦を深める意味はある。しかし、飲み会を通さないと親睦が深まらないような職場環境は良くないと思うから。【高等学校・教員】
ただでさえ就業時間内に業務が終わらない仕事なのに、就業時間外まで欠席しづらい親睦会を開催して職員を拘束するのはいかがなものかと思う【小学校・教員】
あっても無くても良い。あれば親睦が深まるとは思うが、日頃の業務が忙しすぎるので皆早く帰ることが一番職場にとって良いことだと考える。【中学校・教員】
本当に必要と論ずるなら勤務時間内に時間を取ってやるべき。時間外にやるって事は絶対必要とは言えないという何よりの証拠。【小学校・教員】
お金と時間のむだ。プライベートに侵食してほしくない。【特別支援学校・教員】
前任校は、年齢層が高く、20代の私と飲みたいだけだろうなと思う飲み会が多数あり、行きませんでした。行くとハラスメントにあいました。【高等学校・教員】
先輩のありがたいお話が本当にありがたければ有意義ですが、そうだったためしがありません。【小学校・教員】
多数あります。
・「飲める人」は楽しいが、「飲めない、飲まない人」には概して苦痛
・年長者による武勇伝、説教、イジリになりやすい
・愚痴や不在者への悪口大会になりやすい
・宴が始まれば結局、いつもの仲良しで固まってしまう
・そもそも勤務時間外に仕事関係で拘束される謂れはない【高等学校・教員】
Q2. 上記の内容に関連して、あなたが思っていることや考えていることを教えてください。
採用になって最初の半年ぐらいは、私も参加したくありませんでした。参加して、褒められたり、励まされたりしているうちに、明日につながる手ごたえを感じるようになり、積極的に参加するようになりました。【小学校・校長】
長年続けてきた古い考え方ややり方は変える必要がある。ただ、職員室内では気軽に話せないこと等交流を図ることは大切と考えている。【中学校・教員】
異年齢、異世代と交流することで知識も広がるし、模範も反面教師も見つかると思う。参加不参加は個人の自由だが、開催はしたほうがいい。雑談の中に教訓は生まれる。【中学校・教員】
育児や介護をしている職員、持病がある職員はどうしても夜の会には参加できない。そもそも日中の仕事で疲れ切っている。夜の飲み会には親しい間柄だけで行い、「職場の親睦」は勤務時間内に行えるかたちが望ましい。【中学校・教員】
勤務時間外に、まとめて集められるから「えーっ」となる。会議を見直して、本当に必要な話し合いが、勤務時間内でできるようにしたい。【小学校・教員】
私自身は歓迎会や打ち上げなど、職場の飲み会が好きでしたが、やはりコロナを機に人とわざわざ会うということについて吟味するようになりました。飲み会は勤務時間外なので、有志でやればいいですし、歓迎会や懇親会は、職員の相互理解を深める研修扱いで勤務時間内に位置付ければいいと思います。【小学校・教員】
放課後の時間で雑談の中で相談とか話が出来れば飲み会をしなくても親睦は深まっていくのではないかと思います。ただ、現状働き方改革の中で授業準備等で放課後に皆さん雑談をする余裕がないのも現実です。【小学校・教員】
飲み会だけでなく、体育館でミニスポーツをしたり、多目的室でおしゃべり会をしたり、親睦を深める機会が大事だと感じています【小学校・教員】
親睦会の一歩手前、職員室の一角に、もっと気軽におしゃべりできるリビング的な空間があったらいいな、といつも思ってる。固定された席では、なかなか関われない先生がいたり、仕事に集中したい人もいたりするので。【小学校・教員】
アルコール文化に変わる、交流の場が必要。子どもも含めて気楽に集まれるような場所を校内に作った方がいいと思う。改めて、時間と場所を設定することほど、煩雑なことはない。【中等教育学校・教員】
組織化するとタスクが増える。毎年、会計を持たされる事務職としてはなくしてほしい。せめて平等にしてほしい。【小学校・事務職員】
行きたい人だけ行けばいい。親睦会の積立費で年会費を取るのは反対【高等学校・教員】
正確には「親睦会」と「飲み会」は別物です。親睦会は飲み会もしますが,それ以外の仕事もあります。特に慶弔関係のお祝いやお悔やみは,個人として出すことになると職員数が多い職場だとお返しも大変になります。「あの人からもらって,あの人からもらってない」とならないように,代表してクラブから渡してもらえると,とても助かります。【小学校・教員】
あってもいいかなと思いますが、例えば飲み会等に参加しない場合は返金制度を設定するなどの必要があるかと思います.【小学校・教員】
私が所属する地域では、親睦会というと、歓送迎会、退職のお祝い会、運動会の打ち上げ、忘年会というのが一般的です。コロナの影響で最近は歓送迎会だけというように、最小限の回数になっています。【小学校・教員】
うちの学校は校長が投げかけて職員の意見を吸い上げてくれました。その結果、学校全体で飲み会をするみたいなことはやらないことに決まりました。お酒を飲まないと仲良くなれないと思う人はやればいいと思います。【小学校・教員】
親睦会で出し物はやめてほしい。考える余裕がないし、お笑い的なことを求められるのも苦痛。あと親睦会の準備をする担当になると大変。【小学校・教員】
他県の先生とも関わることができる余裕と時間があればいいなと思います。【小学校・教員】
年上が奢る、あの人は奢ってくれないとか、若いのにあいつは付き合いが悪い、とか業務に全く関係ないところで不当に評価されることもある。参加してリフレッシュになることはまずなく、帰って休むべき。【小学校・教員】
決して強制、頻繁にする必要はないと思います。最近自分の仕事だけこなして、コミュニケーションが薄い若手教員が増えていることが気がかりです。話す時間をとることで仲が深まり仕事が円滑に進むと思います。【中学校・教員】
学校に勤務する全職員で参加する「新入職員歓迎会」「忘年会」「転退職職員送別会」はぜひ続けてほしい。校種や学校規模によって、「学年親睦会」や「行事打ち上げ」があると、さらによい。【中学校・教員】
一日のうちの多くを学校で過ごしているのだから、それ以上、同僚との時間を増やす必要がない。家族との時間やプライベートの時間を優先すべき。【小学校・教員】
若い人(だけじゃないけど)は、どのようにして職場の人たちと関わり合いたいと思っているのか知りたい。勤務時間外の集いなんてそれぞれ個人の自由だとは思っているが、やはり一抹の寂しさは感じてしまうな。【小学校・教員】
アンケートの結果からは、親睦会そのものよりも、強制的な参加を促すような雰囲気や、勤務時間外での実施を問題視する声が多く上がりました。
昨今は業務の多忙化と同時に働き方改革が推し進められていることもあり、職場での対話を生むような余白が、極端に減っているであろう現状も伺えます。
一方で、何気ない交流や、お互いに胸襟を開く対話の大切さは、多くの人がその価値を認めていることもわかりました。「相互理解」「仲間づくり」「チームワーク」「コミュニケーションが円滑に」など、様々な言葉でその価値が伝えられています。
どんな状態の職場が「心地よい」と感じるかは、人によって違いますし、世代や立場の違いによる感覚のズレがあることもありますが、その違いを分断につなげるのではなく、何気ない交流や対話による相互理解を経て、お互いの尊重につなげていくことが大切なのかもしれません。
現状に余裕を生むのは難しい面もあることと思いますが、本記事内で紹介した回答者の声や交流の実例を、少しでも参考にしていただければ幸いです。
【このようなアンケートを作成したいと思った方へ】
「フキダシ」は、現役の教職員の方が無料で登録できるWEBアンケートサイトです。このアンケートは、WEBアンケートサイト「フキダシ」内にある『みんなに聞きたいこと』に寄せられた投稿から作成されました。投稿内容をもとに定期的にアンケートを作成しますので、フキダシでアンケート化してほしい話題がありましたら、ぜひユーザー登録をして投稿してください!
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
不登校状態の児童生徒の評価・成績をどうつけるのか? …この問題に直面したことのある方も多いのではないでしょうか。教室にいない(ことが多い)児童生徒の学びを評価するということは難しく、現状は通知表の評価欄が「斜線」になることも多いようです。
文科省は、不登校児童生徒の適切な評価を促進し、誰1人取り残されない学びを一層推進するため「学校教育法施行規則」の改正を予定しています。「当該児童が欠席中に行った学習の成果を考慮することができる」との文言が追加される方向です。
当然ながら、評価・成績は進路選択にも大きく影響します。実際、不登校の中学生は、内申書・調査書に成績が載らないことが多いために、進路選択の幅が狭まっているという現状もあります。
一方で、欠席中の学習の成果を成績に反映することには実務的な難しさや公平性の問題も指摘されています。
そんな「不登校の児童生徒の成績・評価」について、全国の学校教職員から声を集めました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年8月2日(金)〜2024年8月26日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら )
■回答数 :50件
Q1. 不登校児童生徒が欠席中に行った学習の成果を成績に反映させることについてどう思いますか?
「反映させるべき」「どちらかというと反映させるべき」と答えた人が全体の68%に上りました。肯定的な回答の中には「反映させるべきだが難しい」という意見も多く見られました。また消極的な回答の中にも、学校だけが評価するシステムを変革するなど、より積極的な対応をするべきとする意見が寄せられました。校種別では、中学校では72%が反映することに肯定的である一方で、高等学校では57%の人が反映することに消極的な回答を選択しました。
学習しているなら他の生徒と同じように評価してあげたいと考えます。【中学校・教員】
勉強をして努力したものは、キチンと評価してあげるべき。
ただし、その評価方法は、全体の共通事項として、平等性を確保するなどの配慮も必要だと思う。【小学校・教員】
通知帳などでは本人が頑張ったこと、やったことは評価してあげたい。もちろん、評価の難しい、不可能な項目は保護者の方にも説明、了承を得た上で斜線を引いて渡したこともあります。【小学校・教員】
学校で行った学習だけが認められるというのは、視野が狭いなと思います。不登校児童生徒の自己肯定感を上げるためにも、柔軟な成績評価が必要だと思います。そもそも小学校は成績評価はいらないと思いますが。【小学校・教員】
内容にもよると思いますが、学校以外の場所で何らかの課題にとりくんだとして、それを一律に評価しない、という姿勢は学校の姿勢としてはよくないと思います。学校以外の場の学びであったとしても、できるだけ積極的に認めていくことが子どもの自己肯定感にもつながるのではと思います。
ただし、成績が内申となり、入試の結果に反映される材料となることで問題は複雑になるとは思います。【中学校・教員】
同じことを行っているのであれば、成績に反映しやすい。そうでないのならば、難しい。【中学校・教員】
どう反映するかが大きな課題で、以前、校長から言われたことは、学校で行っている教育活動に同等で、評価できることが必要だと。教員の負担も増える中で、なかなか難しいと感じる。【中学校・教員】
公平にしようとして学校の課題を渡すと、生徒本人に精神的負担になる。学校の課題以外で評価しようとすると公平性に欠け、教員の心理的負担が大きい。【中学校・教員】
今の教育での評価は同じものを並べて評価するもの。学校の宿題であれば成績に反映できるが、関係ないことについては反映できない。学校での評価自体を変えない限り、公平な対応ができない。不登校の生徒の方が簡単に良い成績が取れてしまうような対応はできない。【中等教育学校・教員】
本人の実力かどうか分からない状況であることと、“主体的で対話的で深い学び”になりにくい状況であることなど、学習の評価に取り入れることは難しいと思う。【小学校・教員】
教科性にもよりますが、本人が行ったものかどうか判断できないものもあるため。
オンラインなどで実際に取り組んでいる様子が確認できるなら良いと思う。【高等学校・教員】
直接評価していないものを自分の名前で出すわけにはいかない。【小学校・教員】
不登校の子どもの様子をリアルに見ていない人が適切な評価ができると思えない。担任も困るし、保護者もモヤモヤするし、子どもは見向きもしないだろう。
受験の内申書に関してもリアルに見ている人が書いてもよいとする受験方法に変えていったらよいのではないかと思う。(FCI今治高校のように)【小学校・職員】
学校がつける成績の価値を下げる方がいいと考えている。しょせん学校の成績なんて極一部分だけを見とったものなんだから、これだけにとらわれないでいようね、っていう空気が望ましい。
また、成績に反映させるために、不登校の人に対して、この課題をやったら認めますよという形で課題を提示することにもなりかねない。それは双方にとってデメリットだと思う。【高等学校・教員】
学校外で学んだ内容については、学んだ場所で成績を残してもらえばいいと思う。
進学のための内申書なども学校だけではなく、それぞれから提出する仕組みにすればよいと思う。多用な学びの場があっていいし、学校がそれを集約しなくてもよいと思うから。【小学校・教員】
「内申点を与えてあげる」という発想から、「内申点がなくとも、自分にふさわしい進学先を選べる制度をつくる」という発想に変更したほうがよい。これは、長期入院などで内申点がつかなかった生徒、帰国・入国してきたばかりで日本の学校に照らし合わせられる成績がない生徒などにも有効である。
それと同時に、「必要とする生徒(精神的に疲れ切り、学習どころではない生徒も多々いるため、全員ではない)には適切な学習の機会を与える」環境を整えることを行ってほしい。必要なのは「成績に反映させる」ことではない。【中学校・教員】
不登校であったとしても、児童生徒が学び成長していくのは確かである。しかし、その過程や地域・社会団体の中で行われている学習や成長については、学校が管轄していくことには無理がある。【小学校・教員】
Q2. 不登校児童生徒が欠席中に行った学習の成果を成績に反映させることについて、教員にとっての大変さ(難易度・負担度など)はどの程度だと思いますか?
「とても大変だと思う」「まあ大変だと思う」と答えた人が全体の68%でした。校種別では小学校に勤務する43%の人が「とても大変だと思う」と答え、中学校の39%、高等学校の29%と比べて多く見られました。不登校の児童生徒を評価するための職員を増員する必要があるとの意見もありました。
登校している生徒との公平性を保つのが難しい【中学校・教員】
普段から、評価の際は「公平性」と「説明責任」を常に意識するよう指導されている。不登校の生徒の評価ではこの2つともかなり難しい。【中学校・教員】
不登校生徒の学習内容の評価のためには、個別対応が必要な場合が多い。まず、本人と連絡を取り、学習活動や課題のやり方、授業への参加の方法、時間、場所など、取り組める方法を細かく相談する時間が必要になる。そして、ようやく成績に反映できる状態になるので、一日の授業の持ち時間が多いと負担が大きくなる。【義務教育学校・教員】
不登校児に対してプリントなり補足説明など準備が増える【高等学校・教員】
「訪問による対面指導」という文言があるが、過労死レベルの超過勤務を毎月行っている教員にできるはずがない。中学校の各教科の担当が複数回訪問する・対面することを想像するだけで非現実的であることは明白である。
※特別な職員を配置し、その教員が特別に評価する、というのであれば納得はいく。「通級指導」の個人表と同じような扱いであれば、個別の継続的な見取りが可能である。生徒のことを第一に考えた「学習の機会の保障」と、「個人にふさわしい評価の在り方」を考えるべきである。【中学校・教員】
どの程度、生徒さんとコンタクト、コミュニケーションを取るかによると思いますが、1週間に1度くらいならできるかなと思います。毎日だと担当教員に負担がかかり過ぎると思うので、複数で分担するとかサポーターを雇用するなどの学校レベルでの施策が必要だと思います。【中学校・教員】
目の前で学習している姿を見ていないので、評価はやりにくい。本来の「評価」の目的から考えると必要感はないが、受験への影響を考えると大変でもやるのがいいのかとも思う。【小学校・教員】
まず担任が毎日の様子を記録、把握できるわけじゃないし、そもそも目標に対しての評価をするには無理がある。子どもや保護者も不信感を抱いている場合が多い中、気持ちよくその評価を受け取れるとは思えない。【小学校・職員】
評価というものの仕組みと手順が明確にされていれば、それほど大変ではない。人を支えるのは、数字だけではありません。【中学校・教頭】
教務、管理職チェック次第で負担感は変わると思う。ざっくり評定を出すことが許されるなら負担はなく、登校している子と同じ回数評価し、評定を出しなさいと言われると評定を出すための手間と時間はかかる。【小学校/中学校・教員】
エクセルで処理している以上、評価を入力するだけ。【中学校・教員】
Q3. 不登校児童生徒が欠席中に行った学習の成果を成績に反映させることについて、学校に来ている児童生徒の評価・成績と異なる基準になること(公平性の問題)についてどう思いますか?
公平性について「問題」だと考える人と「問題ではない」と考える人が同数となりました。校種別では高等学校の71%が「問題ではない」と回答しました。年代別では20代の回答者に「問題」だと考える人がいなかったのに対し、50代では56%が問題だと答えました。
異なる基準で反映することが本当に「公平」と言えるのか、よくわかりません。【小学校・教員】
個人の課題や実技テストは、問題なく評価できる。提出期限や評価基準はそろえている。ただ、グループワークやグループ発表などは、参加していないのに同じように評価するのは難しいと感じている。【義務教育学校・教員】
高校受験で評価を使用している以上、公平性を無視することは難しい。【中学校・教員】
相対評価をつけなくてはならないので、大変問題。相対というからにはやっていることが同じという前提があるから。不登校の生徒だけ特別につけることは不公平で心が痛む。【中等教育学校・教員】
お互いの成績を平気で見せあったりする生徒同士の関係から考えると、学校に来ていないのにどうしてこういった成績がついているのという疑問は必ず生じると思う。説明責任は生じるので、そのことについて責任がある立場の管理職がすべての教員に共通理解する場面を作ることが不可欠。【中学校・教員】
一律でない観点による評価自体、意味がなくなってくると思うため。評価自体が不要になってくるのでは?【小学校・事務職員】
そもそも個別に最適な学びを実現しようと思うと、従来の成績評価は合わなくなってくると思います。もはや3段階評価や5段階評価をやめてしまって、その子その子の強みや弱みを記述する形で良いのではと思います。(そうすると、先生が大変ですけどね)【小学校・教員】
不登校は、各自の成長・発達段階の違いで起こり得ると思うので、公平・不公平というモノサシで見るのではなく、まず現状を肯定的に捉えることが必要だと思います。ですので、「不公平」という見方を変えることが大事だと思います。【中学校・教員】
学びの文脈は、教室にいるときでさえ教師がコントロールしきれるものではありません。公平であるべきとの考え方そのものが間違っていると思います。【中学校・教員】
目標に対しての達成度で評価してあげれば、課題の内容や学び方のちがいにこだわらなくてもいいのではないかと考えます。【中学校・教員】
現在は絶対評価なので、他の生徒との比較をそれほど気にするべきではないと思いますので、公平性はあるていどにして、学校外での学びを積極的に評価すればよいと思います。ただ、入試という競争に使われてしまうので、難しいところが出てくるとは思います。【中学校・教員】
基準がダブルスタンダードになること自体が問題です。ただし、その子を認める手段は、共通の評価、成績だけではありません。【中学校・教頭】
不登校だとしても実力はあるのに「学校に来ていない」という理由だけで「学校に来ている子どもよりも高い評定をあげるわけにはいかない」となってしまう方が問題だ。【小学校/中学校・教員】
Q4. 文科省の動きとは別に、高校受験の際に一定割合の「内申点不問枠(=当日試験や面接などで受験に挑戦することができる枠)」を設けることで、不登校児童生徒の進路選択を保障しようと求める民間の動きもあります。「内申点不問枠」についてどう思いますか?
内申点不問枠について「賛成」「どちらかというと賛成」という意見が全体の84%を占めました。「どちらかというと反対」「反対」という回答は一般的な教員では21%、主幹教諭などその他の職種では0%でした。埼玉県ではすでに実施しているとの回答もありました。
高校受験をそもそも内申書不問にすれば良いと思います。内申書の成績は先生の主観も入ると思うので、よっぽと高校入試の筆記試験のほうが客観性を担保できると思います。【小学校・教員】
欠席日数や生徒会の役員などが高校入試に影響するのはおかしいと思っています。入試もそもそも定員より多い人数が受験して選抜するためにあるのですが、これからどんどん少子化が進んでいくので、これからは原則マッチングで学校を選ぶ時代になっていくと思っています。入学してきた生徒さんを丁寧に育てていくことが学校選びの大きな軸になると思っています。【中学校・教員】
賛成だが、一定の割合というように表現してよいのか。そもそも、成績を入試に使わないようにする方が良い。【中学校・教員】
成績に関わる公平性の問題は難しいので、この際成績は必要なのかと感じている。また、成績のための学習は本質的ではないと思う。ただ成績がない状態で、授業を成り立たせるためには、教員の授業改善を行っていかなければと感じている。【中学校・教員】
学校が、教師が変わらないことで登校できずにいる子どもが一定数いるので、不問枠がある方がいいと思う。「これって不登校に入ってる?」という時期に、不登校不問枠がないと保護者と子どもで「学校に行かないと高校に行けなくなるよ!」という誤った対応につながりやすい、親の焦りにつながりやすいと考えるので、不問枠はあった方が良いと思う。【小学校/中学校・教員】
不登校で高校へ行く意欲がある子にとっては、勉強を頑張ろうという気持ちにもなるし、救いにもなると思います。ただ、それができるのであれば、不登校ではなかった子で希望する子にもそのような枠で受験できるようにする必要もあるのかなと思います。そうなると,歯止めが効かない気もします…【小学校・教員】
学校内での課題や活動をとりくめる生徒にとっても、そうでない生徒にも納得感ができる制度だと思います。ただ「どの程度の」不登校の生徒まで適用するのか、たとえば欠席日数などで判断するのかといった課題が出てくるのでは。その線引きによっては、競争の激しい学校などでは「あと何日欠席すると枠での受験ができる」など、競争に作用してしまうおそれもあるかもしれないと思いました。制度設計のバランスが鍵だと思います。【中学校・教員】
不登校生徒に「内申点を与える」ことを目標にするのではなく、「個人に合った学習支援を本人が望めば行う。進学時は内申点を気にせず進学できる制度を用意し、私学や通信も含め、個人に合った進学先を選べる環境を整える」ことが最も重要なことだと考える。【中学校・教員】
実際に埼玉県では実施しているが、普通に受けるよりも学力は必要となるため、問題はない。【中学校・教員】
勉強だけすれば良いと技能教科の学習に真面目に取り組まない生徒は合計すると評定が低くなる。また、真面目にいろんなことを取り組んできた生徒を評価することも必要ではないだろうか。【中学校・教員】
学びのプロセスの評価が内申点だと思うので、そのプロセスがしっかりと評価されるべきだと思います。【中学校・教員】
高校ですが、高校の勉強を全て捨てて某東大専門塾優先という生徒が少なくない。内職する、早退する、欠席・遅刻する、宿題はやらない、遠足来ない。中学でもそのようにならないか?【中等教育学校・教員】
不登校状態の児童生徒の評価について「成績に反映させるべき」「どちらかというと反映させるべき」だと考える教職員は全体の68%でした。しかし、そのための作業が「とても大変だと思う」「まあ大変だと思う」と認識している人も全体として68%に上ります。成績に反映させることで教職員の負担が増えることを予想し「特別な職員を配置し、その教員が特別に評価するというのであれば納得はいく」という意見も寄せられました。
不登校の児童生徒の評価・成績が、学校に来ている児童生徒と異なる基準になることによって起こる公平性の課題については「問題」だと考える人と「問題ではない」と考える人が同数となりました。「高校受験で評価を使用している以上、公平性を無視することは難しい」という意見がある一方で「学びの文脈は、教室にいるときでさえ教師がコントロールしきれるものではありません。公平であるべきとの考え方そのものが間違っていると思います」との回答もありました。
高校受験の際に一定割合の「内申点不問枠(=当日試験や面接などで受験に挑戦することができる枠)」を設けることについては「賛成」「どちらかというと賛成」という意見が全体の84%を占めました。「(競争に作用しないよう)制度設計のバランスをとることが鍵」とする声も寄せられました。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
2023年9月~12月にSchool Voice Projectが行った授業の持ちコマ数に関するアンケート調査では、校種に関わらず、多くの先生がコマ数の多さに負担を感じている現状が明らかになりました。
その約半年後の8月、文部科学省は教師の処遇改善や学校の働き方改革の加速化のための「教師を取り巻く環境整備 総合推進パッケージ」を発表。教職調整額を引き上げる方針などが話題となりましたが、授業の持ちコマ数に関しても 「小学校中学年の学級担任持ちコマ数は週3.5コマ減、新採教師の持ちコマ数は週5コマ減」 という具体的な目標が示されました。(参考:教師を取り巻く環境整備総合推進パッケージ,文科省)
しかし、実際には全国で深刻な教員不足が続いており、このままでは学校活動や授業の質を維持できない、という声も少なくありません。指導の質の維持・向上のためには、教員一人あたりにつき、どの程度のコマ数が理想であり、そのためにどのような解決策を図れるのでしょうか。School Voice Projectでは再度、全国の小中学校・高等学校の教職員から、授業の持ちコマ数の現状やそれに対する意見、理想のコマ数に関する声を集めました。
前回のアンケート調査との比較も交えながら、その結果をお伝えします。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年9月5日(木)~2024年9月24日(火)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :107件
※現在、一般的に小学校では学級担任制(一人の学級担任の教員がほとんどの教科を教える体制)、中学校・高校では教科担任制(一人の教員が専門教科を受け持ち、複数の学級で授業を行う体制)が採られています。そのため、例えば、小学校における持ちコマ=6コマとは6回の異なる授業を行うことを意味する場合が多いですが、中学校・高校においてはそうではないことが多いです(3つのクラスで異なる授業を2回ずつ行う等)。また、特別支援学校においては、個別の指導計画に沿って授業が行われるため、他の校種とはさらに事情が異なります。その点を加味して下記のアンケート結果をご覧ください。
Q1. 現在、受け持っている週の授業コマ数はいくつですか?
※ここでのコマ数とは、会議等を含めない“授業”のコマ数です(以下の設問でも同じ)
前回の調査と同様、児童生徒の学齢が低い校種であるほど、授業のコマ数が多いという傾向が見られました。
小学校は、前回と同じく全体の74%の教員が20コマ以上を担当。中でも25コマ以上を担当する教員は24%から38%に増加し、負担がより増えていることが伺えました。特に学級担任や通級を担当する先生からは、逼迫した現場の様子を訴える声が多く届けられました。
中学校では、21コマ以上を担当する教員が全体の21%から33%に増加。高等学校では、16コマ以上を担当する教員は全体の55%となり、前回の57%と比べて大きな変化は見られませんでした。
Q2. 現在の持ちコマ数で、児童・生徒に充実した授業ができていますか?
こちらも前回と変わらず、担当している授業コマ数が多いほど、充実した授業ができていないと感じている人が多い傾向がありました。
持ちコマが25以上の人に限定すると、実に全体の78%が「あまりできていない・できていない」と回答していました。また校種別では、持ちコマ数がかさむ傾向のある小学校の先生に「できていない」の回答が最も集中しました。
持ちコマ数が少なくても、空きコマに会議、教室に入れない生徒への対応、急な生徒指導対応、急に休んだ職員の代替など、様々な対応が入り、持ちコマ数以上に忙しい。これ以上持ちコマが増えると残業がさらに増えるだけだと感じている。【中学校・教員(10~14コマ)】
多すぎると余裕がなくなるので、15コマ以内に収めるべきだと考えます。【中学校・教員(10~14コマ)】
今勤務している学校は一人あたりの持ちコマが少ない方です。前任校では、20コマ近く持っている教員が大半でした。その結果、教材研究は放課後や休日の仕事となり、教員同士で授業について話す機会もとれませんでした。【中学校・教員(10~14コマ)】
現在、高学年で算数、社会、道徳、図工を受け持っています。専門教科ではない社会の授業がある前日の夜は、たいてい寝る時間がありません。準備のため12時を超えたり、早めに寝て午前3時に起きて授業準備をすることが多いです。朱書きの指導書通りの授業をすれば、それは解消されるのでしょうが、つまらない授業をやることは特にむずかしい学級ではデメリットが大きすぎます。【小中学校・教員(15~19コマ)】
現在勤務している学校では理科、音楽、家庭科の専科がいる。また、隣のクラスの担任と科目ごとに担当を決めることで、一人当たりの教科数を減らしているため、今の運用の形でも昨年度より大幅に働きやすくなっている。家庭科、音楽、体育、などは専科がいてくれると助かる。【小学校・教員(20~24コマ)】
「児童・生徒にとって望ましい授業の質を維持するため」の授業準備の時間が、今のコマ数では十分に取れず、残業や持ち帰りの仕事を増やして対応せざるを得ない。【中学校・教員(20~24コマ)】
担任の先生、主任の先生の授業数の負担が少なくなるよう、自分のクラス、学年に関われるように配慮されるので、調整役の副担、臨任は必然とコマ数は増えます。25コマ以下の場合毎日1〜2コマ空きがあるとプリントの印刷とレポートの添削等ができますが授業準備をする余裕はないので自宅に持ち帰りすることで授業の質を保ってます。【中学校・教員(20~24コマ)】
あまりできていない・できていない
自分が授業をしない時間は、TTとして子どもたちへの個別の支援や家庭訪問、聞き取りの対応などをしているので、授業準備等に当てることができない実態もある。【小学校・教員(10~14コマ)】
たとえば、持ちコマ数が多くても一教科だけなら、少しコマが多くなっても、その条件を受け入れていた先生はこれまで何人もみてきました。具体的には、地歴公民の場合、日本史・世界史・地理など科目が多岐に渡るので、3年日本史だけを持てるのであれば学校での標準時数より多めに持ってもいいという場合です。授業の準備が1科目だけならば、準備をする種類が減るので、満足のいく授業計画や教材研究、生徒の課題へのコメントなどもできます。【高等学校・教員(10~14コマ)】
2単位の8クラスで受け持つ生徒は約300名である。評価や個に応じた指導は難しい。空き時間は校務分掌の業務に追われ、授業に関する仕事は勤務時間内ではほとんどできない。【高等学校・教員(15~19コマ)】
本校ではどの教員も平均して週18コマほど持っているが、誰かが病気等の理由で長期離脱になると、その分のカバーができない。ギリギリにしすぎているため、非常時に学校が回らなくなる。【高等学校・教員(15~19コマ)】
小学校で20時間以内。今、特別支援学級担任と専科を掛け持ちして、教務主任も持っている。支援学級担任はトイレに行く余裕もない(肢体不自由、重度障害)他の先生の時数を減らすために専科もしているが、教材研究もままならず、結局5時過ぎにしている現状だ。【小学校・教員(20~24コマ)】
理科専科で5,6年生24コマの授業を受け持っているが、理科の場合、予備実験などの準備も多く、高学年2学年の理科専科はかなりきつい。空き時間はほぼない。6年は特に時数が足りず、指導要領の内容をこなすことで精一杯。【小学校・教員(20~24コマ)】
学校の方針で毎日子どもの日記を見ているため、空き時間のうち1時間は日記への返信に消えていきます。自分の裁量で使える空き時間がもう少し欲しいです。【中学校・教員(20~24コマ)】
全く余裕がありません。生徒に無駄だと思うことにこそ価値が生まれる、と言いながら、朝7時半から夜8時過ぎまでやっても終わらない仕事。空き時間が少なすぎて、授業準備が1番後回しになっています。定時で帰る人たちはどこかで見切りをつけて、授業以外はしないとか、担任なしとか…そんなふうになりたくないからやっていますが、そんな働き方を割り切ってやってる人の方が疲弊していない皮肉。【高等学校・教員(20~24コマ)】
小学校1年生を担任していますので、毎日5時間授業です。それでも、授業の準備をしっかりしようとすると、定時に帰るなど夢のまた夢です。低学年は授業の準備や教材研究が楽ということはありません。ノートに書いてもらおうとするととても時間がかかるので、ワークシートを使わざるを得ないことがあり、そのワークシートも子供の実態を見て作っているので、時間がかかります。【小学校・教員(25コマ以上)】
特支担でずっと個別をやっているので、空きコマがない。個別の時間も一度に何学年か来るので、教材研究しなければならない教材も多い。もっと一人一人に合わせた学習にしようと思ったら、もっとコマ数を減らさないと準備できない。あと、コーディネーターという立場上、いろいろな学級に児童観察に行かないといけないので、その時間を自分の学級の児童に支障がないように確保できる時間がほしい。【小学校・教員(25コマ以上)】
生徒の自分以外の授業の様子を把握したり、保護者と連絡を密に取るには空き時間が必要。落ち着いて物を考える余裕の無い勤務時間は異常。【中学校・教員(25コマ以上)】
日本語学級の担当をしています。夏休み明けの来日児童が毎年多数入級してきますが、教員数は前年度末の児童数を基準に決められているので、現任の教員でなんとかしなければならず、担当児童数や持ち時数が膨大になります。【小学校・教員(25コマ以上)】
Q3. 児童・生徒にとって望ましい授業の質を維持するため、あなたが適切だと考える持ちコマ数の上限はいくつですか?
授業の質を維持するために望ましいコマ数は、小学校では「15~19コマ」と回答した人が71%と最も多い一方で、中学校では「10~14コマ」と回答した人が54%、高等学校では77%と共に最多でした。こちらも他のアンケートと同様、前回と同じ結果となりました。
また小学校だけで見ると、15未満のコマ数を選んだ人が20%増となり、授業の質の維持のためにコマ数の削減を望んでいる人が多いことが伺えました。
担任、校務分掌、生徒指導、保護者対応など教員の仕事は多岐にわたる。仕事の1人あたりの範囲が広すぎてその日の授業の準備ですら、満足のいくものができない。どこか妥協せざるを得ない状況だ。そんな事では子どもへしわ寄せがきて、十分な教育は受けられていない。【中学校・教員】
時短勤務で10時間で働いていた時、時短勤務終了後にも自宅で授業準備をしていましたが、それでやっと回っている、人間らしい生活ができると思いました。担任で16時間持っている今は睡眠時間を削ってるし、家事育児をパートナーにだいぶお願いしてなんとか回っている状況です。【高等学校・教員】
授業準備、提出物の確認、生徒の定着度の理解などを考えると週12コマ程度が妥当なラインだと考えます。【高等学校・教員】
1日3コマが限界です!4コマになると、授業の質が下がります。3コマ授業して、2コマが会議や当番に当てられ、結局、実質の空きコマが1コマしかない状態もおかしいと思います。【高等学校・教員】
高校なので小学校に比べたら断然持ちコマは少ないと思う。しかし実際は会議も入るし、生徒指導(突発的な教育相談的な対応含む)が入ると空きコマはなくなる。評価もパフォーマンス評価に時間がかかる。観点別になり、パフォーマンス課題への取り組み方(プロセス)を評価するという視点が強化された(教員によるが)点は良かったと思うが、時間はかかる。【高等学校・教員】
自分の専門と授業を繋げながら授業実践ができるほどの余裕が欲しいです【高等学校・教員】
持ちコマ数を減らし、代替となる教員が担当することで 子ども自身がいろいろな先生から学ぶことができます。それは1年生でも同じことです。【小学校・教員】
他の業務、授業準備があることを考えると1日6時間のうち、半分は空いていることが望ましいです。【小学校・教員】
毎日2時間、空き時間があればノートもみられるし、個別指導もできる!【小学校・教員】
小テストや業者テストの採点、プリントやノートの評価を土曜日の午前中に出勤してまとめてやっています。2〜3時間かかります。それらを毎日1時間ずつ空き時間ができて、その中でできたら、週末のサービス残業もなくなりますし、評価もたまらない、子供達へのレスポンスも早くなるので学習効果も上がるのでは、と考えます。私の授業で子ども達が理解できているかという自分の授業への評価はしますが、成績表に反映するための評価をなくせば、空き時間がなくてもいいかもしれません。【小学校・教員】
週20時間以内が限界だと思います。そもそも、勤務時間内に業務を終わらせるためには、毎日4時間+給食のみという時間割が必須です。午後の退勤時間まで全て使っても終わらないほどの業務量です。もちろん、休憩時間はゼロです。最大で毎日5時間授業とし、持ち時間数は上限20。そうでなければ、文科省の言う「超過勤務20時間以内」の達成は不可能です。【中学校・教員】
数だけで言えば、12~15時間がちょうどいいのかなと思います。それ以上少ないと、授業づくりを頑張りたい先生たちは寂しくなるように思います。【中学校・教員】
20コマを超えると、日々の心の余裕ももてず、授業以外の仕事を放課後(もっと言うと勤務時間外)にしないといけなくなる実感がある。自分の少ない空きコマの間にどれだけ仕事ができるかという考え方になり、空きコマを利用して他の先生の授業を見に行ったり体調不良で保健室を訪れた生徒や別室に通う生徒に会いに行ったりするような、マストじゃないけれどやれたらいいようなことに足を踏み出しづらい。【中学校・教員】
20コマと24コマは大きく違う感覚があります。また、時数だけでなく教科数がいくつあるかもしれません。担任を持っているか、持っていないかも大きな差がある気がします。それから、クラスの規模も関係するので、時数だけでは、計れない部分もある気がします。【小学校・教員】
特別支援学級なので、担任以外に授業を任せにくいところがあります。特別支援学級に限って言えば、定員8人を減らすとか副担任をつけるとかして、担当の教員を増やすことで、持ちコマを減らしてほしいです。【小学校・教員】
私は専科教員ですが、担任経験もあります。全学年担任しましたが、担任として20コマ持つのと専科として20コマ持つのは全然違い、正直担任で20持ってたほうが楽だったなと思います。1時間の勝負度合いが違うのと、1年の次に6年の授業が来ることもあり、なかなか切り替えが大変です。空きコマに学級の支援へ行くよう言われていましたが、それを続けている間に心身が疲弊し、休職寸前になったため、今年は支援を外してもらって、代わりに校務分掌が少し多めになりました。コマ数の数字だけ見て「空いてるから動けるだろう」と思われるのはつらいです。【小学校・教員】
特別支援学校教員です。最低でも1日1コマの空きがあれば、業務と心にゆとりができます。並行して、業務の削減が必要。形式的な申請書類等は今すぐにでも減らせると思います(が、減らない)【特別支援学校・教員】
Q4. 授業の持ちコマ数について、あなたの意見を自由にお書きください。(任意)
総時数やカリキュラムの見直しが必要
学習内容の見直しをして、今の時代で本当に必要な内容を精選して取り組むべきだと思います。プログラミング教育やキャリア教育、外国語、道徳の教科化などやることが増えているので、その分他の部分で内容を見直して欲しいです。【小学校・教員】
総時数を減らして欲しいです。教員に空き時間が増えたとしても、子供は減りません。教員の働きやすさと同時に子供の学びやすさを考えたら、総時数を減らす以外にないと思います。授業日数を増やして、1日あたりの指導時数を減らすと言いますが、子供が強いられる時間はトータルでは変わりません。【小学校・教員】
小学校段階で教科担任制にしすぎると、発達段階も絡み、学級経営がうまく成立しなくなると考えます。担任の負担が重すぎない20時間程度になるよう、教科担任よりも授業時数、教科の削減を求めます。【小学校・教員】
教科によって教員の持ち時間が変わり、周りの先生の中には1日に1コマしか空き時間のない教員がいます。放課後は会議、生徒指導、部活動指導に追われる中、絶対に授業準備が勤務時間内には終われない状態です。学ぶ内容を減らし、教員数をそのままにしてもらえればいいと思います。現状を考えれば、少なくとも総授業時数、教える内容を減らすのは大前提ではないかと思います。【中学校・教員】
学習指導要領に示されている学習内容が多すぎる。歴史を教えているが、用語が多すぎて生徒が覚えることに汲々としている。共通テストは改善されてきているが、私立大学を含めた入試改革が必要と感じる。【高等学校・教員】
持ちコマ数だけで判断できない側面がある
結局、病休や育休などで学校現場にいなくなる先生の代わりがいないのでみんなで補助している。時間数は関係ないと思う。来ている人は休む人の代わりにも授業をする。【中学校・教員】
持ちコマ数だけで考えるのは難しいです。テキスト数のほうが大きい要素かもしれません。授業コマ数を減らすのを考えるよりも、授業以外の業務を減らすことを考えるほうが重要だと思います。【中学校/高等学校・教員】
2単位の8クラスで受け持つ生徒は約300名である。評価や個に応じた指導は難しい。空き時間は校務分掌の業務に追われ、授業に関する仕事は勤務時間内ではほとんどできない。【高等学校・教員】
教員の負担は、単に授業のコマ数だけでは測れません。担当する授業の種類、分掌や学年や教科等の会議、クラブ指導、HR指導、1クラス当たりの生徒の数など多岐にわたる要素が関係してくるからです。また、3観点評価の導入により評価方法が以前とは比較にならないほど複雑になり、その負担増(というか、その負担に見合うほどの効果が期待できないという徒労感)もあります。【高等学校・教員】
教科によって差があると思う。実習をしてレポートを課す教科、小テストの採点が必要な教科と、体育や音楽のように時間外に生徒の提出物をこまめにチェックする必要がない教科とは、持ち時間に差があって当然だと思う。さらに言えば、学校や教科担当者によって、実習がない、実習させてもレポートは書かせない、レポートを書いても内容は見ずにハンコだけのような教員は持ち時間を減らす必要はない。校長がどのような教育がなされ、どのような指導をしているか把握すべきだと思う。【中等教育学校・教員】
「週案の時数が労働時間」と見なされる習慣が教員の世界には根強く、週案に反映されない時間に仕事をしがちな特別支援教育コーディネーターや通級指導担当は、どうしても「仕事をしていない」ような見られ方をすることが多い。本校は教員に対する管理職の理解があり信頼が厚いので、週案の時数外での仕事があることはわかっているので、時数に捉われることがなく、働きやすい。学級担任はどうしても時数が多くなってしまう(それでも25コマぐらいが限界)が、私のように自由に動き回れて全学年の様子がわかっている人が学校に一人いるととても助かると思う。【小学校・教員】
負担軽減のために、何が必要か
理科や音楽や書写などの専門的な科目は専科の先生に見てもらえたほうが、授業の質も上がるしほかの研究の時間にも充てられそうです。【小学校・教員】
会議の時間を減らすことが教員の福利厚生、授業の充実につながる気がします。【中等教育学校・教員】
コロナ禍をへて、標準時数を上回らなくとも、適切な指導ができていればよいという風潮になったことを受け、余剰時数を削減し、放課後の空き時間を確保できるような計画を立てる。また、教科担任をひけるような人員の確保、校内での交換授業等を積極的に行い、教材研究の負担軽減、複数の教員による指導体制の構築を進める必要がある。【小学校・教員】
加配を積極的に進めてほしい。市の予算で会計年度任用職員も採用してほしい【特別支援学校・教員】
行事や大会により、時数が足りなくなってしまうことは避けたいです。授業以外の業務を大幅に削減し、全員担任制を全国各地で導入し、質の高い指導を実現すべきです。【中学校・教員】
その他の意見
教員の労働時間の削減が課題となる中、一向に改善が進まない。最も有効な手段が一人当たりの授業の持ちコマ数を減らすことだと以前から考えています。【小学校・教員】
午前中はフルであってもいいので、午後からは探究や習熟の時間にして他の先生に任せたい。【小学校・教員】
理科と社会がクラス数によって1番最初に教員数が減らされるのが納得いきません。
学校によっては国数英でも授業数が多くて習熟度などしていないところもあります。まずは教員の数を増やすこと。そのために、部活動指導員だけでなく、教員の労働環境を良くすることが大切だと思います。【中学校・教員】
コマ数の不平等が、職員間の分断を招いています。なんとかして欲しいです!【中学校・教員】
現状、持ち方数というよりも担任をしている教員のほとんどが毎日一限目から授業が入っていることがしんどいなと思います。学校ごとの教員の勤務形態にもよるかとは思いますが、朝礼を行いその後約10分後に授業が始まるのは欠席生徒などにも連絡ができません。私は昨年度などは週4日一限から授業でした。【高等学校・教員】
毎日日中1コマは空きがあるか、放課後に教材研究する時間があるといい。やらねばならないことが多過ぎて、きめ細かなことをしたくても準備の時間がなく、日中は子ども達への対応に追われ、一日一日を過ごすのに精一杯になってしまう。保護者や議員、地域の人など日中放課後などに気軽に学校を訪問してもらったり、対話したりしたい。子ども達のために私たちにゆとりが必要であることを知ってもらい、お互いに何ができるのかを一緒に考えたい。【中学校・教員】
前回のアンケート調査と同様、小学校の教員の授業コマ数が最も多く、児童・生徒の学齢が上がるほど少なくなる傾向が見られました。
しかし、授業以外の業務に割かれる時間や、受け持つ科目数や人数規模、評価活動の負担が増していることなど、一概にコマ数だけでは判断できない実態があることもわかりました。
今回のアンケート調査では、現場の窮状と、その改善を求める切実な声が多数寄せられたため、なるべく多くの意見を記事の中で引用いたしました。校種を問わず、教員の多忙解消と、それによる授業の質向上や教員の心身の健康の保証は、依然として急務であると言えます。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
文科省は2019年、教職員の時間外勤務について上限を「月45時間、年360時間」とするガイドラインを設けました。しかし、業務削減についての具体策は後手に回り、現場の努力に委ねられているのが現状。管理職から早い時間の退勤を勧められ、仕事を持ち帰ったりタイムカード打刻後に残業をしたりするケースも多く見られます。給特法により、公立学校の教員には残業代が出ることもなく、過酷な労働条件は長年に渡って問題になっています。そこで今回は、全国の小中学校・高等学校の教職員から声を集めました。みなさんの時間外勤務はどのくらいですか?
※このアンケートは、WEBアンケートサイト「フキダシ」内にある『みんなに聞きたいこと』に寄せられた投稿から作成されました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年7月19日(金)〜2024年9月2日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :84件
Q1. 1ヶ月の時間外勤務の平均時間はどれくらいですか?
※土日・祝日の出勤や早朝の時間外勤務も含みます。
全体の平均値は49.9時間でした。校種別の平均値は中学校が67.5時間と最も多く、次いで小学校の46.9時間、高等学校の42.8時間でした。
文科省が2019年のガイドラインで定めた教職員の時間外勤務の上限は月45時間ですが、月45時間以上の人の割合は中学校が75%、小学校が57%となり、もっとも低かった高等学校でも38%と、高い割合となりました。また、一般的に「過労死ライン」と呼ばれる月80時間以上の時間外勤務も、全体で19%、特に中学校では44%に上る回答者が該当していました。
時間外勤務の平均値に性別や雇用形態による差はほぼ見られませんでしたが、職種の比較では「一般的な教員」が51時間だったのに対して「主幹(首席)教諭」は55.7時間となり、約5時間の開きがありました。
Q2. 上記の内容に関連して、あなたが思っていることや考えていることを教えてください。
もっと効率よくできればという思いと、勤務時間内に自分のための時間をそもそもほとんど取れないことが問題だという思いがあります。子どもが帰ったあと、会議がある日がほとんどです。子どもが早く帰ってくれれば。【小学校・教員(時間外勤務:80時間)】
ガイドライン通りに部活動を行うだけで45時間は超過する。休憩時間はゼロ。【中学校・教員(時間外勤務:80時間)】
勤務時間は17時までだが、クラブ活動の時間は17時30分まで。全員がクラブの顧問をしているため、ほぼ毎日少なくとも30分は勤務時間外で仕事をすること前提に教育活動が成り立っているのはおかしい。【義務教育学校・教員(時間外勤務:45時間)】
業務内容から学校でしなければならないデータばかりのため、時間内に終わらせることができないアンケートや照会は時間外や土日にしなければ締切に間に合わない。【小学校・教頭(時間外勤務:100時間)】
職場で時間外勤務している時間は、一日平均3時間(始業前1時間、終業後2時間、土曜日2~3時間)ですが、家に帰ってからも翌日の授業準備をするので、月平均100時間ぐらい入っているかな、と思っています。【小学校・教員(時間外勤務:70時間)】
本校は19:40で強制退勤となります、それによって特に若手の先生方は授業づくりに時間がかかるために持ち帰っての仕事となります。しかし、それは勤務時間に反映されないことが大きな問題と感じています。【中学校・教員(時間外勤務:60時間)】
学校は18時30分に管理職によって施錠される。残業したいわけではないが、仕事が終わらず結局持ち帰りをする。さらに管理職は数値、結果を求める。【小学校・教員(時間外勤務:60時間)】
育児のために部分休業を取っているし、それを理由に仕事をたくさん抱えないようにしている。出産前に比べれば減っているが、授業準備やテスト作成はかなり自宅でやっている。【高等学校・教員(時間外勤務:13時間)】
本当は、定時出勤・定時退勤したい。管理職が職員の定時を守ろうという考えでない限り、勤務時間内にやり切れる業務量にはならず、難しいだろう。児童の登校時刻が勤務時間前なのが、教員の時間外勤務の要因の一つ。【小学校・教員(時間外勤務:25時間)】
とにかく睡眠時間がほしい。ただそれだけ。【小学校/中学校・教員(時間外勤務:90時間)】
しんどいです。【中学校・教員(時間外勤務:75時間)】
仕事が終わらない。生徒の理解が悪く、教材の作り直し、提出物の採点、生徒の起こした問題についての話し合い。疲れ切って帰宅し、風呂にも入れない。買い物もできない。生活に支障をきたしている。【中等教育学校・教員(時間外勤務:15時間)】
家の都合で遅くまで残れないため、休み時間や隙間時間も必死で仕事し、できなかった分は持ち帰って、なんとか早くに帰れるようにしているが、休憩もなく毎日何かに追われていて、帰っても家事があり、疲弊している。【小学校・教員(時間外勤務:30時間)】
100超で校長面談。100ギリギリ超だと、後からチョイ削りの要求。【高等学校・教員(時間外勤務:115時間)】
授業時数は減らず、人は増えず、時間が多いからなんとかしろと言われる気がする。持ち帰って仕事をする人やタイムカード打刻後のウラ残業が増えています。【中学校・教員(時間外勤務:100時間)】
在校時間が多いと管理職に怒られるだけでなく県教委へ反省文?を出さなければいけないので、みんな実際よりかなり少なく記録し提出しています。【小学校・教員(時間外勤務:80時間)】
「業務改善」を理由に、子どもに関わる重要なことも簡易化されたり十分な検討がされなかったり。でも業務改善は確かに切実で、意見しにくい。【小学校・教員(時間外勤務:75時間)】
勤務時間内で終えようと思うと、クオリティーの低さが目立ってしまい、結果的に誰も得しない。かといって,こだわろうとすると勤務時間外に取り組むことになってしまい結果的に勤務時間を管理できない自分が悪者扱い【小学校・教員(時間外勤務:40時間)】
朝はギリギリに出勤して、大体19時ころには帰るようにしています。15年目になりますが、だんだん残業は減ってきました。【小学校・教員(時間外勤務:45時間)】
なるべく仕事の優先順位をつけて早く帰宅するよう努めています。仕事のやり方の要領を身につけてきたからできますが、若い方や仕事熱心な方はなかなか早く帰れる状況にないのが現状ではないかと思います。【小学校・教員(時間外勤務:30時間)】
全員が定時退勤できるような業務改善を行っています。先生の意識改革も必要だと思っています。【小学校・教員(時間外勤務:5時間)】
早く帰るための工夫も限界を感じる。実質的な業務を削ることをしないとこの数字が減ることはないと思う。【小学校・教員(時間外勤務:55時間)】
仕事量を勤務時間に収まるように減らしてほしい。授業や集団づくりなど、子どもと向き合う時間をとりたい。【小学校・教員(時間外勤務:52時間)】
行事を精選し、指導方法も共有しながらやれると、もう少し時間外勤務は減るのでは?と思うが、行事は多いまま、指導は、各々で…という雰囲気があるので、結果、時間外勤務が減らない【小学校・教員(時間外勤務:40時間)】
現場の「働き方改革」では限界がある。子どもや保護者へのパフォーマンスを下げて改革している。なのに、教育委員会は次々と新しい仕事を増やしてくる。全国学テから脱退するとか、委員会でできる削減もしてほしい。【小学校・教員(時間外勤務:35時間)】
働いた分だけお金をくれ。何でもかんでも教員にやらせるな。【中学校・教員(時間外勤務:140時間)】
多少の残業は仕方ないので残業代を出してほしいです。ベテランの先生方から作業効率の悪い仕事を押し付けられることもあります。【小学校・教員(時間外勤務:30時間)】
必要な仕事をしたのに残業代も出ず、好きでやったことだと言われてしまうことに、ひどく理不尽を感じます。【小学校・教員(時間外勤務:50時間)】
月45時間の超勤でもきついと感じるし、「立派な」超勤だが、職場、また教育現場には「まだもっと苦労している人がいる(だから、45程度で色々言うな)」という空気があり、恐ろしいと感じる。【特別支援学校・教員(時間外勤務:45時間)】
非常勤講師の仕事として授業時間のみ想定されていることと、その実際があまりにもかけ離れている。印刷、授業準備、教材注文、評価作成、会計簿作成など、授業時間内に収まり切れないことが多々ある。【中学校/義務教育学校・職員(時間外勤務:20時間)】
事務職員なので定時内に終わるよう全力で取り組んでいる。よけいな時間外手当をつけないため。教員は帰りが早い人も遅い人もいる。自由に残業できるし、管理する人がいない。そんな環境なので定時で帰る気苦労がある【小学校・事務職員(時間外勤務:10時間)】
1カ月当たりの時間外勤務について、全体では「45時間以上」と回答した人が57%、「80時間以上」は19%に上りました。
「80時間以上」という回答の中には「授業時数は減らず、人は増えず、時間が多いからなんとかしろと言われる」など、時間外勤務が多すぎると管理職から指導を受けるという声もありました。また「ガイドライン通りに部活動を行うだけで45時間は超過する」「子どもが帰ったあと、会議がある日がほとんど」という記述もあり、部活動や会議に時間を取られていることが分かりました。
「40~79時間」と答えた人の回答には、強制退勤や施錠の時間が決まっているとの記述がありました。「家に帰ってからも翌日の授業準備をするので、月平均100時間ぐらい入っている」という声もあり、持ち帰って仕事をしている人が多く見られます。一方で「15年目になり、だんだん残業は減ってきました」など、経験の蓄積によって業務改善が進んでいる様子も見受けられました。
「5〜39時間」では「家の都合で遅くまで残れないため、休み時間や隙間時間も必死で仕事し、できなかった分は持ち帰って、なんとか早くに帰れるようにしているが、休憩もなく毎日何かに追われていて、帰っても家事があり、疲弊している」という回答も。非常勤講師として授業時間のみが勤務時間とされている人や、事務職員であるために周囲に気兼ねして時間内で働いていると回答した人もいました。
また、すべてに共通して「とにかく睡眠時間がほしい」など、生活に支障が生じている様子や「残業代が必要」と、給特法の維持に疑問を持つ声も聞かれました。
【このようなアンケートを作成したいと思った方へ】
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▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
2024年春、東京都は都内公立小中学校で使われている男女別出席簿を、すべて「男女混合出席簿」に移行する方針を固めました。背景には、無意識の性差別の助長を防ぐといった狙いがあります。(参考:東京新聞)
そんな中で、子ども同士、また教員から子どもへの呼び方についても、男女を問わず「さん」付けをすることが慣習的に広まってきています。こちらもジェンダー平等意識の高まりやLGBTQへの配慮といった目的がありますが、必ずしもルールとして明文化されてはいない様子です。
子どもの呼び方について、全国の学校現場にはどのようなルールや現状、意見があるのでしょうか。全国の小学校の教職員に聞きました。
※このアンケートは、WEBアンケートサイト「フキダシ」内にある『みんなに聞きたいこと』に寄せられた投稿から作成されました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年6月14日(金)〜2024年7月15日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :82件
Q1. あなたの学校では、子ども同士が子どもを呼ぶとき、男女問わず「さん」を付けることが、学校のルールで決められていますか?
子ども同士の呼び方について、「『さん』を付けるルールがある」と回答した人は、全体の16%にとどまりました。「ルールがある」という回答は小学校のみで見られ、小学校に限ると26%が「ルールがある」と答えていました。
「ルールがある」という回答には「公式の場所では『さん』を付ける」というルールや、校長によるルール作りなどの声が挙げられました。一方で、全体の80%以上を占める「ルールはない」学校においても、「さん」付けの指導や暗黙のルールがある、という声は一定数寄せられました。
また、「さん」付けではなく、「相手が嫌だと感じる呼び方はしない」というルールの存在について言及した人もいました。
授業などの公式の場所では「さん」づけで呼ぶ 休み時間などは基本的に自由だが、何らかの敬称をつける方が望ましいという姿勢【小学校・教員】
ジェンダーの問題や1人の人として尊重するという意味合いでそういうルールを校長が作り、年度初め、学校経営案の説明時に周知されていた【小学校・教員】
指示したことは今まで一度もありません。小学校で「さん」付けだった生徒たちも、中学入学後は相手との関係に合わせて使い分けています。【中学校・教員】
明確なルールはありませんが、慣習として授業中は男女問わず「さん」づけをするよう指導しています。それ以外では、クラスや学年の雰囲気によってあだ名や呼び捨てなど様々です。【小学校・教員】
ルールとしてはないが、学習中はさん付けで…が暗黙のルール。【小学校・教員】
ルールはないが、呼び捨てにしないよう指導しています。【小学校・教員】
Q2. あなたの学校では、教員が子どもを呼ぶとき、男女問わず「さん」を付けることが、学校のルールで決められていますか?
教員が子どもを呼ぶときのルールに関しては、「『さん』を付けるルールがある」という回答が全体の28%となり、子ども同士の場合に比べると若干多い結果となりました。また、校種別にみると小学校は40%、中学校が11%が「ルールがある」という回答でしたが、高校・中等教育学校ではすべての回答者が「ルールはない」と答えました。
しかし、「ルールはない」と答えた中でも、子ども同士の場合と同様、共通認識や文化として「さん」付けを行っている、という声が多く見られました。また、「ルール」が何を指すかという認識や、現場での「さん」付けの浸透度合いによって、答え方には揺れがあることが見受けられました。
ジェンダーの問題や1人の人として尊重するという意味合いでそういうルールを校長が作り、年度初め、学校経営案の説明時に周知されていた。【小学校・教員】
暗黙のルールになっています。【小学校・教員】
特にルールというほどではないが、みんな普通にそうしている。【小学校・教員】
それが望ましいことは共通認識としてありますが、ルールとして設定されているわけではありません。【小学校・教員】
「ルール」として明文化されていませんが、「さん」をつけて呼びましょう(「くん」で呼ばない)という文化が浸透しています。【中学校・教員】
そのようなルールはないが、子どもたちを尊重する意味で多くの職員が「さん」付けで呼んでいる。【中学校・教員】
Q3. 上記の内容に関連して、あなたが思っていることや考えていることを教えてください。
我が子が先生から呼び捨てにされていたら、敬意がないというか、大切にされていない感じがして嫌です。対等な関係を目指すため、距離感を保つため、アンガーマネジメントのために“さん”付けはいいなと思います。【小学校・教員】
さん付け、慣れると違和感はありません。呼び捨てにされるより、かなり「大事にされてる感」があるように思います。教師と児童ができる限り対等な関係に近づく一歩でもあると思っています。【小学校・教員】
一人一人人間で、尊重される。「さん」をつけられると、自分も嬉しいし。何よりも、相手を尊重しているので。【特別支援学校・教員】
「公的」な場(授業や職員室・会議)では名字に「さん」を付けて呼ぶことを意識しています。「私的」な場(休み時間や部活動など)では、本人との関係性によっては、下の名前やニックネームで呼ぶこともあります。【中学校・教員】
教員はさん付けが基本だが、しない場面もある。ただ「ルール」と言われたことはなく、それが当然。子ども同士は長い付き合いなどもあり、さん付けを促すと驚かれることも。最低限、授業中はつける。【小学校・教員】
学習中は「さん」付けで呼ぶことで、学習と休み時間との区別がついてよいです。子ども同士の「さん」付けルールはありませんが、教師が使っていると、自然と子どもたちも使っているように感じています。【小学校・教員】
公平性、ジェンダーやLGBT、児童へのリスペクトの感覚を忘れないという気持ちで「さん」一択です。先生の中には高学年児童を「くん、ちゃん、呼び捨て、あだ名」と相手によって変える人がいて、気になります。【小学校・教員】
子ども同士は意識している子が多いが、むしろ教員が崩してしまっている人が多い。困難校なので、名前呼び捨てで子供をまとめていく人も多く、やはり高圧的な方に多いと思います。【小学校・教員】
さんをつける方が良いのは理解できるが、生徒との距離感が出てしまう気がします。また、さんをつける教員も少ないので、迷っています。【高等学校・教員】
呼ばれたくない名前で呼ばれることは避けたいですが、呼び方を指定することは思考停止だと思います。【小学校・教員】
全員を「くん」で呼びましょうよりも「さん」の方が良い。が、「暴力的に全員同じように扱う」ことへの抵抗感がかなり大きい。見た目で性を押し付けるのはいけないが、それを上回る違和感をずっとぬぐえないでいる。【中学校・教員】
どのように呼ぶかを決める必要があるのか?あるならなぜ必要なのか?話し合う必要があると思います。呼ばれたい名前で呼ぶことが本来の互いを認め合うことではないでしょうか?【小学校・教員】
ルールにするのであれば、呼びたい名前で呼んであげる、ならいいのになと思います。年度のはじめに何と呼ばれたいかを子どもに聞くし、何て呼んでほしいかを伝えています。【小学校・教員】
大人社会もそうなので、さん付けに慣れることは良いと思う。【小学校・教員】
人の敬称は、お互いの関係性や立場のちがいによってつけられるものである。教師と子どもは教える人と教えられる人との関係であり、一方的に教師だけが子どもにたいして『さん』をつけるのをルール化するのはおかしい。【小学校・教員】
子どもには呼び捨てにしないよう指導していますが、本心では幼馴染の子どもたちが親しみを込めて呼び捨てにし合うのを微笑ましく思っています。さん付けは中高生になってからではいいのでは?【小学校・教員】
「さん」付けをルールとしている学校は、子ども同士・教員から子ども、共に多いとは言えない一方で、現場での慣習的な「さん」付けが年々広まっているということが、アンケートの結果から伺えました。一方で、呼び方を統一すること、教員から呼び方に関して指導することに対する違和感の声も、多く寄せられました。
また、『自分の「呼ばれたい名前」を机のシールや自己紹介カードに書き、あだ名で呼び合う』という取り組みを行っている、といった声も挙げられるなど、回答された方がそれぞれに「子どもの呼び方」に対して向き合っている様子が伺えました。
名前は、その人そのものを表す、とても象徴的で大切な要素です。最近では「子どもだけでなく教職員もそれぞれの呼ばれたい名前で呼びあう」という学校や、社内で互いにニックネームで呼び合う「ニックネーム制」を採用している企業も出てきています。(参考:大分合同新聞,ヤッホーブルーイング)
「『さん』に限らず、教員と子どもたちとの適切な関係が築けることが大切だと思います」という声の通り、ルールや統一の有無に関わらず、多様な子どもたちのニーズや感情に向き合う姿勢が大切なのかもしれません。
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教職員×学生・生徒で、立場を越えて語り合ってみよう!
2024年7月24日に座談会「 子どもも大人も幸せな学校をつくるには?」がオンライン開催されました。座談会には学生団体・ミライエコールの3人とSchool Voice Projectのメンバーが参加。教職員など、学校教育に関心のある人約30人もオブザーバーとして耳を傾けました。先生から意見を聞いてもらえない学生・生徒、忙しすぎて余裕のない教職員、がんじがらめのルール……。学校生活のつらさを「幸せ」に変える方法は、どこにあるのでしょうか。
ミライエコールは、東京大学の学生を中心とした学生団体で、中高生がよりいきいきとした学校生活を送れるように、生徒が学校生活に関する自分の意見や思いをより言いやすい環境を目指しています。現在は、ウェブメディアへの教育に関する記事の掲載、学校生活の実態を把握するためのアンケート調査事業、生徒の主体性等に関するイベント運営などの活動を行っています。詳しくはウェブサイトをご覧ください。https://mirai-ecole.com
「学校現場の声を見える化し、対話の文化をつくる」をミッションに、100名を越える現職・元教職員メンバーの参画によってスタート。一人ひとりの教職員が日々働きながら感じ考えていること=「学校現場の声」を見える化し、課題解決へとつなげるための組みとして、WEBアンケートサイト「フキダシ」・WEBメディア「メガホン」・教職員のオンラインコミュニティ「エンタク」の運営、さらに政策提言・ロビイング活動に取り組んでいます。 https://school-voice-pj.org
山口 世夏(やまぐちせな):
東京大学文学部3年。小中高と、学校の理不尽なルールや出来事について、他の生徒や先生に意見を伝えた上で、話し合いをするようにしてきた。特に高校では、生徒会長として学校の風通しの悪い制度や雰囲気を変えようと活動した。そのときの体験がきっかけで、大学の同級生らとともに、学校で生徒が自分の思いや意見を言いやすくなることを目指して、学生団体ミライエコールを立ち上げ、現在活動中。
伊藤 亜優美(いとう あゆみ):
早稲田大学教育学部1年。中学時代、校則への意見や不満を学校へ訴えにくい雰囲気に疑問を抱いたことがきっかけで学校制度に興味を持つように。高校では校則について考える中学生向けの授業の企画運営に携わる。現在は大学で教育制度や生涯教育、社会教育など広く勉強中!
可知 櫂(かちかい):
慶應義塾志木高等学校2年生。生徒会本部に所属し、学内での活動とともに外務役員として対外交流を実施。その際、生徒と先生との意見の乖離を問題視し、現状の打開のため学外の学生団体に所属。現在も活動中。
日本中高生協議会代表。生徒会活動振興会準会員。
逸見 峻介(へんみ しゅんすけ):
埼玉県公立高校教員。2022年度には生徒指導部主任として、民主的で対話的な組織を目指して改革を行い、「生徒支援部」へと改称する。ワークショップデザイナー・NPO法人School Voice Project理事・みんなのルールメイキングプロジェクト教員アンバサダー。「人間っていいな!面白いな!」と思える人を増やすため、日々必死に生きている。
主催:対話の場 Open Education など。
大野 睦仁(おおの むつひと):
音楽なしでは生きられない札幌市内の公立学校に勤務する教諭。ココに通う子どもたちと、ココで働く先生たちと一緒に、「学習者主体の教室づくり/対話を通した職場づくり/内省を生かす自分づくり」を模索中。
「教師力BRUSH-UPセミナー」代表/札幌市近郊サークル「Go-Ahead」代表。
司会:武田緑(NPO法人School Voice Project理事)
山口:私は高校のときの経験がきっかけとなってミライエコールを設立しました。まずはその体験談をお話します。
入学当初から服装についての校則に疑問を感じ、ルールを変えるために生徒会に入りました。でも、役員間の話し合いは平行線で話が進みません。2年生の時に会長になることを決めましたが、他の役員や生徒会の顧問から立候補を止められました。
あまり学校生活について自分の意見を言う人がいない高校で、おそらく何かを変えること自体への抵抗感があったのではないかと思います。私は校長先生に訴え、立候補して会長になりました。全校生徒を対象に服装規定についてのアンケートを取ろうしましたが、先生や他の役員の反対にあいました。その後、やっとのことで意見書を職員会議に提出しました。後日になって、職員会議の日に「生徒会長は権力を乱用している」などと書かれた書類が、生徒指導部長から先生たち全員に配られていたことを知りました。
大学生になって一連の体験を周りの友だちに話したところ「自分たちで何かできるかも」という話になったのです。
伊藤:校則については、私も理不尽に感じました。
私立の中高一貫校に通っていたときのことですが、例えば人の名前を呼ぶときは名字に「くん」か「さん」付けにするとか、お店の立ち寄りについて場所や時間の制限があるといったルールがありました。先生からの評価を生徒が気にしていて発言することが難しく、窮屈に感じました。
私はその雰囲気に耐えられず、高校1年生のときに通信制高校に転校しました。そういった経験から生徒が安心して意見を言えるようにする必要があると感じ、ミライエコールで活動しています。
可知:僕は埼玉県の私立高校の2年生で、生徒会に入っています。
「大学みたい」と言われる学校で、例えば1時間目の授業の先生が出張になるとその授業が休講になります。朝、掲示板を見て「1、2、3限が休講」となると学校に来た意味がなくなってしまいます。僕はデジタル掲示板の作成を企画しましたが、却下されてしまいました。理由は「伝統だから」という一言。
ちょうどその頃から生徒会で学校間交流などの外部活動を始めていました。他校にも自分たち同様の悩みがあると気づき、学生自ら活動できる環境を整えていきたいと思いました。
逸見:私は埼玉の県立高校で教員をしているのですが、2年前に生徒指導主任をやっていて、生徒指導部から生徒支援部へと名前を変えました。教員も生徒も、自分の声を出すことは難しいだろうなと思うことがあります。何かを変えるための提案について、プロセスを民主的に進めていくことができていない人も、方法を知らない人もいる。これは構造的な問題で、根が深いと思います。
司会:生徒指導や生徒会などで話し合って決めたことも、職員会議全体とか管理職の先生から「それは無理です」と言われて終わり、といった話も聞きます。
大野:「子どもと大人が幸せな学校」の実現を目指して頑張っていても、道のりは遠いなと思うことがあります。でも大事なことは、その間にも子どもたちは毎日学校に行っているということです。大きな未来や遠い未来も考えつつ、近い未来も考えていく必要がある。小さな前進を実感できたり、共有できていく余裕が教室にも職員室にもあるといいんじゃないかと思う。具体的に言えば、先生方は春休みが1年間で一番忙しい時期なんですよね。その期間を少し長くすることによって余裕を持って子どもたちと向き合えると考えています。
山口:例えば生徒から意見が出た場合、先生たちの中でどのぐらい共有されるかが気になります。
逸見:口頭での意見だと伝言ゲームになり、結局変換されたりするんですよ。でも書面の場合だと記録に残るので、話題になる確率は上がると思います。
司会:普段から大人が生徒の声に対応していれば、書面を提出して訴えるといったことも必要ないかもしれないですよね。日常のコミュニケーションがないから、何かが出てきたときに対立・対決モードになるのかもしれません。
大野:札幌の小学校は保護者のアンケートを年に2回とっていて、教員全員が必ず保護者全員のアンケート結果を見ます。教員も年に2回意見集約があり、全員分の要望などが全員に共有されるんですね。だから誰かに言ったら止められちゃうとかいうことは、基本的にはないと思います。児童についても年2回の面談日が設定されています。
あと毎朝、何か言いたいことがある人が誰かと話せるチェックアプリもあります。担任に話したくないことは、担任以外の先生と話をしたいというところにチェックをすると、その日のうちに関われる。全体よりも1人1人の思いを吸い上げる流れになっているような気がします。
伊藤:先生の中でも生徒に寄り添いたいとか変えたいっていう先生と、変えたくないっていう先生で分断があるのかなと感じます。
大野:分断はありますよね、間違いなく。教員の仕事をしていると方向転換の難しさが本当にわかるので、そこにしがみつく気持ちも分からなくもない。そういう人たちは職場の中でもある程度年齢が上になっていて、発言権がある場合もある。なかなかその分断の溝を取り除くのは難しい。
山口:札幌市の学校は制度的な面で進んでいるという印象を受けました。それができる学校とできない学校の違いはなんなんだろう、どうしたら変えていけるのだろうと思います。
逸見:例えば「近くの学校はこう変わったらしいですよ」とかいうと「そうなんだ、うちも見直さないとね」となることがあるんです。
私は何かを変えたいときには、同期に一斉にLINEして「どうなってる?」って聞いています。SNSを使って情報を受け取る・発信する・調べるとか、探究的なスキルがあると、変わっていく可能性があると思います。
大野:まず、こういう会を通してつながりを得ることはやっていけることの1つ。あとは「◯◯さんがそこまで言うなら仕方ない」って周りの先生が思うぐらい仕事をするとか、普段から人間関係にめちゃくちゃ気を遣ったりとか、めっちゃ泥臭いことをやっていくしかないんですよね、残念ながら。
反対する人がいたら、懇親会でわざわざその人のそばに行って懐に入るような話をするとか……そういう一面も持ってやっていかないとなかなか幸せな環境にはなっていかないと思います。
可知:全国的に「変えよう」という意識を普及させていかないと、いい意味での同調圧力というか「周りがやってるから、僕たちもやろう」とはならないと思います。
伊藤:私立の学校ってよそはよそ、うちはうちみたいな思考を持っている人が多いと感じます。トップの人の意識を変えることが大事なのかなと思いました。
山口:私は、まずは問題提起をすることだと思っています。問題を問題だと思われていない現状があるので、それを示すためにも調査事業で数で示すことは必要。そうじゃないと極端に言えば「気のせいじゃない?」みたいに片付けられちゃうと思うんですよね。
今困っている人を助けたくて発信したものが、多くの人に刺さることがある。必ずしも学校教育全体を俯瞰する問題意識を持っていなくても、今困っている生徒や先生方に発信が届くようにすることで自然と連帯が生まれるのかなと考えました。
逸見:先生たちにも、生徒のことをすごく思ってやっている人はいます。だからあまり「先生たちは」ってくくらないでほしいなってちょっと思います。生徒にもすごい人たちがいっぱいいるから、われわれも力を借りた方がいいと思いました。
大野:それぞれの地域でもっと年齢を問わず「こんなことに困ってるんだよね」と話せる場を作れたらいいな。そして今日対話した学生の方のような人材がもっともっと増えれば、本当に学校は変わっていくんじゃないかなと強く思える時間になりました。
伊藤:校則を変えるという一つのイベントで先生と生徒が協力するとか、対話をするということをすれば、どちらにとってもメリットがあるのではないかと思いました。学校の抱える課題を解決することが、ネガティブな印象から少しポジティブな印象になりました。
可知:やっぱり感想で一番に出てくるのは「難しいな」というところです。そこをどうやって攻略していくかがこれからの未来に対してすごく大事なことになってくる。だから、こういう活動を諦めずに続けていこうと思いました。
山口:学校で自分の意見をはっきりと言う人は今の時点では少数派かもしれませんが、全国でかき集めることによって心強くなれると思います。今、学校生活を送っている中高生や、大変な思いをしている先生方に活動を届けていけたらなと思いました。
文部科学省の中央教育審議会は2024年5月、教員が特定の教科ごとに授業を受け持つ「教科担任制」について、今の対象である全国の公立小学校5・6年生から、さらに3・4年生にまで拡大すべきとする審議を特別部会で取りまとめました。(詳しくはこちら)
長らく学級担任制を中心としてきた小学校ですが、2022年度の本格導入以降、既に高学年では教科担任制が広く実施されています。中学年にも教科担任制が広がる動きについて、現場の教職員はどのように考えているのでしょうか。全国の小学校教員に聞きました。
■対象 :全国の小学校に勤務する教職員
■実施期間:2024年7月12日(金)〜2024年8月12日(祝)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :61件
Q1. 小学校中学年における教科担任制についてあなたの意見を教えてください。
小学校中学年への教科担任制導入に関しては、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて57%、「どちらかというと心配・懸念が強い」「心配・懸念が強い」が合わせて43%と、前向きな意見がやや上回りました。
Q1-2. 上記の選択肢を選んだ理由をお書きください。
授業準備の負担が軽減する。担当する教科が少なくなる分、1つの授業準備に時間をかけられ、授業の質が上がる。【小学校・教員】
教材研究の負担が減り、質の高い授業を行える。教員にも得意不得意があるので、不得意な分野を得意な方に任せられるのはありがたい。【小学校・教員】
自分自身、理科専科をやっています。担任よりはるかに質の高い授業ができていると思います。【小学校・教員】
理科、図工、体育等専門性を求められる教科がある【小学校・校長】
子どもたちや保護者への対応を考えると,教科担任制は必要だと思う。子どもにも教師にも、人間関係の合う合わないがあるし,複数の目で子どもたちを見ることは組織的な対応に繋がるし、働き方改革の意味でもよいと思います。【小学校・教員】
担任の先生の負担軽減になり、空き時間が確保できて、その時間に仕事ができる。仕事ができる時間がうまれることで、ゆとりをもった働き方ができ、定時に帰れる人が増える。多くの大人の目で子どもたちを見ることができる。【小学校・教員】
前向きな意見では専門性が求められる教科を得意な教員に任せられることによる授業の質の向上、複数の大人が見守ることで子どもの多面的な理解につながる点などが挙げられました。
小学校中学年の教科担任制は学級経営や子どもと教師との関係性づくりの面でとても懸念が強く、反対である。国語や算数など教科担任で分けられてしまうと、まだ発達段階で成長途上の中学年では弊害が生まれそうです。【小学校・教員】
休み時間のトラブルの解決、配布物の集約、持ち物の整頓など、教科指導よりもまだまだ、「学校生活」についての指導の割合が大きい学年なので。【小学校・教員】
学習において具体的操作期から抽象思考への過渡期でもある中学年は、教科横断的にカリキュラムを組むことが有効である。教科ごとに担当が変わってしまうと、思考の流れの変化に戸惑う子どもたちへのケアが届きにくい。【小学校・教員】
教科横断的な取り組みがしにくくなる。柔軟な時間割調整ができなくなる。【小学校・教員】
そもそも、今の人員数のままでは難しい。【小学校・教員】
小規模の学校で、教務以外級外がいません。特別支援学級の交流もあり、担任同士での交換はしていますが、時間割を組むのが本当に大変です。【小学校・教員】
小学校免許の養成課程において、専門性を持っていないのに専科的に授業を進めていく事には無理がある。得意な教科に当たればいいが、経験が少なく苦手な教科を割り当てられれば不幸な結果につながる。【小学校・教員】
懸念点として、中学年は生活でも学習でもまだ包括的な支援が必要な年齢であること、人員不足への懸念、得意不得意に留まる教員の専門性への疑問などが挙げられていました。
Q2. あなたの学校では中学年で教科担任制を導入していますか?
既に所属校で中学年での教科担任制を導入していると答えた回答者が56%となっており、試行や部分的な導入が進んでいる様子が伺えます。
Q3. 設問2で「はい」と答えた方への質問です。どのような方法で中学年への教科担任制を導入していますか。教科ごとに選択をしてください。
教科担任制による実施が多い科目は音楽・理科・外国語活動・図工で、これらは中学年の教科担任制を導入している小学校の半数以上で実施されていました。逆に担任による実施が多い科目は道徳・総合で、実施は導入校の20%未満でした。実施形態については、音楽・理科が専科の教員による実施が多い一方、社会は多くが授業交換による実施が行われているなど、教科ごとに特徴が見られました。
Q4. 設問2で「はい」と答えた方への質問です。実際に運用してみてのメリットを教えてください。
メリットとして、全体の59%が「教員の負担軽減」を挙げていました。一方、「小・中学校間の連携向上」は高学年の教科担任制導入の際に謳われたメリットでしたが、中学年の教科担任制を導入してい回答者でメリットに挙げていた人は1人もいませんでした。
Q5. 設問2で「はい」と答えた方への質問です。実際に運用してみてのデメリットを教えてください。
メリットよりも、デメリットの方が意見が割れました。「教科横断的な学習が難しい」「柔軟な時間割調整ができない」「担当しない教科の指導力が下がる」を挙げる人が多かった一方、「担任による包括的な見守りができない」を挙げる人はわずか9%に留まりました。
Q6. すでに開始されている、小学校高学年における教科担任制について、あなたの意見を教えてください。
既に導入されている高学年における教科担任制については、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて74%と、中学年の57%を大きく上回っていました。また、教科担任制が一斉導入される直前(2021年10月〜11月)のアンケート調査での60.7%から13%増えています。2022年度の本格導入から約2年半が経過し、現場から一定の指示を得ているようです。
担任の負担が減ったことは素晴らしい。【小学校・教員】
高学年の教材研究の負担が減るから。【小学校・教員】
高学年では、人間関係が難しく、解決に時間のかかるようなトラブルも起こりやすいため、多くの教員が関わり変化に気づいたり声をかけることができることに大きなメリットを感じる【小学校・教員】
高学年を色んな大人の目で見ることで、子どもも担任だけではない人と関わることができるのは人間関係形成の上で役立つ。【小学校・教員】
中学校に向けて担任でない人の授業を受ける機会が増えるのは良いと思う。【小学校・教員】
多用な教員との関わりができ児童の見方考え方が広がり、中学校での教科担任制への移行がスムーズになる。【小学校・教員】
学校規模や子どもの状況など、学校ごとに異なる状況の中で、必ずしもそれが機能しない場合も想定されるため「〜すべき」という形で一律に導入を求めるのではなく、可能な選択肢として提示されるべき。【小学校・校長】
もちろんその際には、学級数プラスαの人員配置や、教員一人ひとりのキャリア形成における教科指導の経験担保など、包括的な視点・施策が欠かせないと思う。【小学校・校長】
中学年と同様に教員の負担軽減や授業の質向上がメリットとして挙げられています。子どもの多面的な理解につながる点は中学年と同様ですが、中学年では「(大人の目で)子どもを見る」と答えた方が多かったのに対し、高学年では「多様な人との関わり」が重視されている点が特徴的でした。
保健行事やイレギュラーな行事が入ると時間割調整が困難な様子がみられる。【小学校・教員】
水泳指導や行事の際に時間割の変更が難しく、クラス間で時数に差が生まれたり、当日などの急な変更に対応を求められたりするのは困る。【小学校・教員】
教科横断的な授業の展開が難しくなるだろうなと感じています。【小学校・教員】
従来は学級担任が行なっていた教科横断的なカリキュラム・マネジメントの実施が難しくなる。【小学校・教員】
担任が見た方がいい部分もあると思うから、2クラスを3人で担任するくらいが適当。【小学校・教員】
人が配置されず、結局は、教科担任制でなく、交換授業にしかならない。それは、かなり負担が大きい。【小学校・教員】
人の配置にもっと文科省が本気になって取り組んでほしい。【小学校・教員】
1〜3クラスだと教科担任とはほど遠い教科交換であり、負担軽減にはならない。【小学校・教員】
小学校免許の養成課程において、専門性を持っていないのに専科的に授業を進めていく事には無理がある。【小学校・教員】
既に導入が進んでいる分、時間割調整の難しさや人員不足など、運用のハードルが具体的なシーンで挙げられていました。
Q7. 仮に小学校低学年にも教科担任制を拡大するとしたら、あなたの意見を教えてください。
低学年への教科担任制拡大については、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて42%と、中学年・高学年よりも慎重な意見が多く見られました。
低学年の担任が1日中、子どもたちと付きっきりなので、専科があると心のゆとりがうまれる。専科教員が増えることで、担任の負担軽減につながる。【小学校・教員】
担任の業務が多すぎる。担任はホームルームティーチャーとして、国語、道徳、総合くらい教えて、あとは細々と児童の世話する、他の授業の補助みたいな、アメリカだとそんな感じですが、そのくらいでいいと思います。【小学校・教員】
子どもの多様性に、1人の教員だけではカバーしきることは難しいと思う。いろいろなタイプの教員がかかわることで、自分のよさをだしていける環境をさぐっていくこともあっていいと思う。【小学校・教員】
朝から帰るまでずっと一緒にいるのは精神衛生上あまりよくないと思うから。【小学校/中学校・教員】
低学年においても、あるいは低学年でより強く、子どもの特性と教員あるいは学級の不適合が生じている現実があるため、教科担任制をはじめとする環境の弾力化は有効だと思う。【小学校・校長】
困難学級も、担任だけでなく、複数の目で見て指導支援できる。【小学校・教員】
担任と子どもの関わりが強い低学年であるからか、1人の担任と子どもたちがずっと一緒にいることによる教員・子ども双方への負担を減らす期待が伺えました。
低学年は担任の先生とのつながりが、まずは大切だし、そこまで専門性の必要とされる教科はないと考えている。【小学校・教員】
低学年は幼児教育の延長線上にあるべきで、「教科」という枠組みで、子どもたちの学習を切り分けるべきではありません。【小学校・教員】
とくに1学期は、教科や45分という枠で分ける方が難しい。(オムニバス型であったり国語といいつつ生活や算数の内容もたくさんありますし。)【小学校・教員】
低学年で教科を分担させる手間がかかる。【小学校・教員】
低学年の子どもには教科担任制は反対する。いま1年生の担任をしているが、入門期だからこそ多岐にわたって同じ大人が指導することで子どもの混乱が生じにくい。【小学校・教員】
低学年は担任との繋がりが大事です。【小学校・教員】
教諭のやり方も違うので、低学年が落ち着かなくなる可能性が高い。【小学校・教員】
低学年も全てを担任が指導するべきとは思わない。算数少人数や、音楽、図工、体育など専門性の高い教科はメリットも多いだろう。しかし、T2として担任も見守りには入る方がよいと思う。【小学校・教員】
中・高学年よりも、担任とのつながりが大切になる発達段階や、まだ教科の専門性が中・高学年より高くない学習の特性から、担任との安定した関係性の方を重視する声が多く挙げられました。
現在は小学校高学年のみが対象の教科担任制を中学年にまで拡大することに関しては、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて57%、「どちらかというと心配・懸念が強い」「心配・懸念が強い」が合わせて43%と、前向きな意見がやや上回りました。
実際に所属校で中学年での教科担任制を導入している学校は、回答者の56%となっていました。高学年での教科担任制の運用経験から、現場の判断で対象学年を広げている様子が見てとれます。実施している教科は音楽・理科・外国語活動・図工が多く、逆に総合・道徳は担任による実施が多いという結果でした。
また、導入してみてのメリットとして「教員の負担軽減」を挙げた回答が全体の59%と、全体の過半数以上を占めました。一方で、「時間割を組むのが大変」「担任の先生が子どもと過ごす時間が減る」といったデメリットも指摘されています。
高学年または低学年への教科担任制については、学年によって意見が分かれます。
高学年ではすでに多くの学校で教科担任制が行われており、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて74%と、多くの先生が良さを実感しているようです。
一方、低学年への導入については「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて42%と、他の学年よりも比較的導入に慎重な様子が見られました。「まだ担任の先生との関係が大切」という声も目立ちました。
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工藤 美季(くどう みき):
元教員で、現在は山形でファシリテータ―・教育コンサルタントとして活動中。個人事業のtsunaguでホワイトボード・ミーティング®を中心にしたファシリテーション研修やセミナーを行いつつ、一般社団法人terraの代表理事として「不登校」に関わる支援を中心に子ども、保護者、学校の支援を行う。
現在は日々多くの不登校生と関わっていますが、教員として約30年間子どもと関わってきた中で、「不登校」といわれる子どもとの出会いは実は後半ほんの数名だけでした。それでも教員になりたての頃より何倍も増えている不登校生を目の当たりにし、ニュースになっている数字の増加を体感する30年だった気がします。
私が教員をやめたのは2021年3月。
今の仕事から不登校の子どもたちのために教員を退職したように思われているのですが実は違っていて、2018年から学び始めたファシリテーションをもっとたくさんの子どもたち、先生たち、地域に届けたいということで個人事業設立でした。育児のための短時間勤務の後補充としての非常勤講師、福岡のフリースクールのオンラインコースの手伝いで退職後1年目がスタートしました。
それらの活動を当初は個人事業の中で行っていたのですが、思っていたより市内の不登校数が多いこと、市の適応指導教室(支援センター)につながっている人数が少ないこと、市内にフリースクールがないことなど知り、個人事業から一歩進んだ体制を整えたいと考えるようになりました。
天童市には約130名の不登校がいるといわれています。しかし外部機関につながっている児童生徒は10名に満たない状況でした(この状況は今もあまり変わりません)。子どもが困っているというより、どこにもつながれない、相談できない、学校との毎日の連絡で疲れている保護者がいました。現在も「どこに相談したらいいのかわからなくて……」と相談に来られる方がいます。
上記のような課題から、フリースクールのような子どもの居場所の提供だけでなく、支援学級の増加、保護者の相談場所などを学校の外からサポートする仕組みを作っていく必要があるのではと考えて設立したのが一般社団法人terraです。
現在terraで行なっている事業は下記の4つです。
この4つを柱に事業を行い、まもなく2年になります。
現在terraを利用しているのは主に小学生で学校に時々顔をだしたり、担任の先生と定期的に会っていたりするお子さんが中心ですが、全く学校に行かないというお子さんもいます。スクール利用の保護者の方とは定期的に面談の形でお話をする時間をとっています。個別に相談にくる内容では発達障害にかかわる学校との面談やお子さんへの支援についてが多いです。親同士がつながる場としては親terraがあるのですが、現在terraで取り組んでいる「こどもまん中社会へのアクション」としての子どもの権利の勉強会などでの繋がりも生まれています。
その中の1つ、「親の会」では、私自身も耳が痛くなるような声も上がってきます。
基本は親も先生も子どもの成長を願っているのですが、親の会ではやはり学校の対応への苦しさの声が聴かれます。
私も現職時代は、欠席しがちな児童が休むとまず電話、そして家庭訪問という流れを何度となく繰り返していました。電話の向こうでとても申し訳なさそうに謝る保護者の声を聞いたとき「この電話は本当に必要なのだろうか」と思い悩むこともしばしば。そんな疑問を持ちながらも学校の対応のマニュアルに沿って毎朝電話をし、家庭訪問をし、保護者面談をする日々でした。当時の自分の気持ちを思い出してみると、「教室にクラスの子がみんないることが当たり前」ということを疑いもせず「理由なく休むことへの不安」が大きかったように思います。
とにかく学校に来て授業を受けてもらうために「まずは学校に連れてきてください」と車に乗せ、登校後は教室までみんなで誘導する……、など、いろんなことをしてきました。当時は「当たり前」「仕方ない」と思って行ってきたこれらのことですが、それが保護者にとって、そして本人にとってどうだったのか問い返す日々です。
「電話が鳴るたびに心臓が止まる思いだった」
「給食を止めたいといったら、もし学校に来た時食べれなくなりますと言われて止めなかったけど、結局1年間一食も食べなかった」
「『欠席が30日になると不登校になります』と言われ何が何でも学校に連れて行かないとと泣き叫ぶ子を引っ張っていきながら苦しかった……」
「親の会」で保護者の話を聞いていると、教員と保護者はそれぞれ「子どものため」に動いているはずなのにどこかでずれが生じ、大きな溝になっている場合があることが感じられます。保護者も我が子に学校に行ってほしいと思うから、まずはなんとかして学校に行かせなくては。みんなと同じように勉強に……と学校に向かうように働きかけます。それでも思うように動かない。そんな苦しみを抱えて過ごしています。
そんなとき、「◯◯してほしい」という保護者や本人の思いと「◯◯しなければ」という学校の思いはなかなか噛み合いません。上記で紹介した給食の件をはじめ、連絡の方法や卒業アルバムのことなど、そういった例はたくさんあります。どのような場合でも、「本人がどうしたいか」が抜け落ち、周りの大人がよかれとおもうことをあれこれ画策しているように見えます。
では、どんな風に噛み合わせていったらいいのでしょう。そういったずれは不登校だけでなく、相談で多い「発達障害」にかかわる内容でも同じです。
保護者相談はスクール利用の保護者の方だけでなく発達障害の診断を受けて相談や担任との面談に向けての相談など様々です。話を伺っているとおそらく先生も悩んでいるだろうと感じることがたくさんあり、何件かは教育委員会や管理職と共有し一緒に支援を考えているケースもあります。
保護者むけの事業を中心に紹介してきましたが、活動のメインはやはり子どもの居場所。フルイドスクールterraは学校と家庭の中間地点のイメージです。現在週2コース、週3コースそして単発利用(回数券)で利用ができます。
「不登校だからフリースクール」といったイメージではなく、学校や他の施設、自宅、そしてterraから自分で過ごす場所を選びフレキシブルに学びや体験を楽しんでほしい。そんな願いを込めて「フルイド(流動・流体)」という名称を使っています。
現在は体験型のワークショップのようなプログラム(お灸、お花、ヨガなど)や、自分たちで計画を立てて実行する電車でおでかけ、おひるごはん作りなどを行っているほか、さくらんぼの時期にはサクランボの仕分けやパック詰めなどを仕事として大人の人と一緒に行います(その様子はさくらんぼプロジェクトとしてインスタやHPで紹介しているのでぜひご覧ください)。また、最近ではイベントごとのチラシも子どもたち自身が作成しています。
プログラムへの参加も基本自由。自己選択・自己決定を基本にしています。昨年度からは市の適応指導教室(アウタースクール)の利用者の方もプログラムに参加できるように連携しています。理想は、学校の授業とterraプログラムと自由に行き来しながら受講できるようになることです(なるかな……)。
スポーツクラブで自分の受けたいプログラムを受けるように、カルチャークラブをはしごするように、学校の学びとterraでの学びが流動的につながっていったら、「ちょっとしんどい」が楽になるのではないでしょうか。
私自身も現職時代「担任が何とかしなきゃ」「まずは担任が家庭訪問して、面談して」と抱え込んでいきました。「とにかく学校に連れてきてください」と保護者に伝え、学校の中でなんとかする……。そんなふうに「頑張って登校させること」を一生懸命行ってきたつもりでした。
しかし、中学卒業間近のスクール生と雑談をしていたときのこと。話の流れでスクールのことを知ったきっかけを聞いてみたところ、その子は中学1年の秋から学校に行かなくなり、その年の冬にはフリースクールや適応指導教室のことを知っていたとのことでした。でもその頃はもう引きこもりたく、人に会いたくない、そんな状況だったと。結局、それから1年たった中学2年の年明けからやっと動き始めることができたとのこと。「小学校のときは頑張って行っていたけど中学でエネルギーがきれた」という本人の言葉が印象的でした。
この話を聞いたとき、自分が頑張って登校させた結果、中学でのエネルギー切れを生み出していたかもしれない……。そんなことを考えました。
いま私が活動を通して思っていることは、「先生が一人で抱え込む必要はなく、もっと肩の力を抜いていい」ということです。無責任でなく周りの施設や関係者にゆだねる。そんな時期もあっていいと思っています。
「多様性」「インクルーシブ」などの言葉をよく耳にします。その言葉によって学校に行かないこと、障害のある子どもたちがしかたないと切り分けられるのではなく、ポジティブに共に前に進むことができる。そんな社会になった時「不登校」という言葉がなくなっていくのではないでしょうか。
そのためには、学校が担任が一人で悩み抱えるのではなく、外部リソースをもっと活用していいと思うのです。学校の外には連携のポイントはすでにたくさん生まれています。「共に」支える仲間でいきましょう。