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学校では毎年4月1日から新年度がスタートし、非常に短い期間で新年度準備を行っています。
この期間には本来であれば、教職員がしっかりとコミュニケーションをとりながら、学校のビジョンや目標を話し合ったり、新年度の体制やカリキュラムにを作っていくための時間を取りたいところですが、実際はそのような時間を取るのは難しいといえます。
新年度準備期間が短いと、様々な準備に十分な検討を行うことが難しく、ひとまず前年通りで進めるしかなかったり、超過勤務や休日出勤が状態化しているという現状があります。
そこで今回のアンケートでは、現職の教職員のみなさんに、新年度の準備時間が短いことによって発生している超過勤務についてお伺いしました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2023年4月10日(月)〜2023年5月8日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :122件
Q1. あなた勤務校では、今年度(2023年度)の始業式は4月何日ですか?
本アンケートにご回答いただいた122名の方の中では最短で4月5日(準備期間2日間)、最長が4月11日(準備期間6日間)でした。最も多かったのは10日(準備期間5日)、次が6日(準備期間3日)、続いて7日(準備期間4日)となりました。始業式日程は学校管理規則で定められており、多くの自治体では「(春季休業は)4月●日まで」という書き方になっています。2023年度は、年度はじめに土日が挟まったため、通常の年度よりも新年度準備の期間が短くなってしまっています。
※より広範囲の「始業式日程調査(全国版)」は別途閲覧できるように整理していますので、ご興味のある方は、下記画像をクリックしてご覧ください。
Q2. 2023年度の主な受け持ちが管理職等からあなたに知らされたのはいつですか。
※主な受け持ちとは、学級担任や校務分掌などの職務の割り振りのうち、主となる職務を指します。
主な受け持ちが知らされる時期については最も多いのが「修了式以降、3月中」で39%、次が「4月以降」で23%、続いて「3月中旬以降、修了式以前」が18%、「3月上旬」が12%、「2月以前」が8%となりました。
異動の方や初任者の方が含まれると思いますが、4月になってから担当を知らされた場合は、始業式までの数日間でクラスや教科や分掌の全ての準備を行う必要があり、例え平日6日間準備期間があったとしても、かなり厳しいスケジュールと言えます。3月に知らされたとしても、ポジションによっては、準備期間として十分ではないケースも少なくないと思われます。
Q3. 4月1日から始業式までの間における、平日1日あたりの超過勤務時間を教えてください。
※おおよその平均値でお答えください。
最も多かったのは「2〜4時間」、続いて「4〜6時間」、次いで「0〜2時間」、「6時間以上」となりました。児童生徒がいない時期にもかかかわらず、回答者の97%は残業をしていることになります。
Q4. 新年度準備期間の土日(1日・2日)に土日出勤をしましたか?
今回のアンケートでは、約半数、53%の方は「土日出勤はしていない」という結果になりました。土日どちらかのみ出勤したという方が36%、両方出勤したという方は11%でした。
Q5. 新年度準備期間の土日(1日・2日)に合計で何時間程度業務をしましたか?(持ち帰り業務を含む)
こちらは持ち帰り仕事も含めた、土日の業務状況を聞いたものです。設問4と照らし合わせると、土日出勤はしておらずとも、家で業務に当たっていた方が一定数いることがわかります。また、業務時間で見ると、「5時間以下」が最も多く30%、「5〜10時間」が18%、「10〜15時間」が9%、「15〜20時間」が4%、「20時間以上」が4%となっています。おそらく、学校組織におけるポジションや役割などの影響もあると思いますが、人によってかなりばらつきがあることが見えてきます。
今回は、年度始めの超過勤務や土日出勤、持ち帰り仕事の状況を現職の教職員の方に伺いました。いずれの項目についても、かなり人によってばらつきがあることがわかります。中にはほとんど超過勤務をせず、土日も休めている方もいらっしゃいますが、一方で、1日6時間以上超過勤務している人や、土日両方出勤している人、持ち帰り仕事の含めて土日に20時間以上働いている人がいることは看過できません。
今回の調査は、サンプル数が限定的ですので、より正確に実態を把握しようとすると、さらに大々的な調査が必要かと思います。School Voice Projectでは引き続き、「新年度準備を十分にキャンペーン」にて、現場の実情の把握と、政策提言・ロビイング活動に取り組んでいきます。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
絵画や写真、音楽などの芸術作品を複数人で見て対話を重ねる「対話型鑑賞」。鑑賞者に作品の解釈や知識を教えるのではなく、作品を見て感じたことや考えたことを伝え合います。
今回は、美術や図工の時間に対話型鑑賞を取り入れている小学校教員の城野知佐さん、中学校の美術科教員である川崎佳代さん、高等学校の美術科教員である森本彩さんに、学校で対話型鑑賞を取り入れる意義や生徒の変化について伺いました。
ーー 皆さんにとって、授業の中で行う「対話型鑑賞」とはどのような時間でしょうか?
川崎:対話型鑑賞は、1つの作品について正解を求めずに対話を重ねていくことだと思っています。授業で行うときは作品の情報はすぐには伝えず、生徒同士で気づいたことや感じたことを伝え合います。なので、対話する人やタイミングが変わると、当然対話の展開も変わってくるわけです。他者の発言で作品の見え方がガラッと変わり、話がいろいろな方向に広がったり分かれたりして、一つの作品についてたくさん思考を巡らす、とても創造的な時間だと感じています。
対話型鑑賞をすると、それぞれの見方や考え方の違いを体感できます。それは、お互いの違いを認め合いながら対話をしていくレッスンにもなっているのではないかなと思います。
森本:その視点はすごく大事ですよね。対話型鑑賞をすることで、生徒自身も自分の世界が広がっていく実感があるのではないかなと思います。中には「どうやって絵を鑑賞したらいいのかわからない」という生徒もいました。つまり、それまでは作品に対する知識しか学んでこなかったので、作品そのものの見方がわからずにいたんです。
以前、ゴッホの絵画『3足の靴』で対話型鑑賞をしたときに、ある生徒が「脱いだ靴を並べて、崖の上から飛び降りようとしている」と言ったんです。そこから「ほんまにそう見える!」「でもこれ室内ちゃうか?」「いや、室外やろ」「え、雪山じゃないの?」と、いろんな見方についての意見が交わされました。私も含めて、固定概念がパーンと壊された感じになるんです。すごく盛り上がりますよ。
城野:作品を鑑賞することの面白さを体感できることは、対話型鑑賞の魅力の1つですよね。相手の考えを知ることで興味を持てたり、違う意見が出ることで対話が盛り上がったりする。その結果として、いろんな見方や考え方ができるようになるんだと思います。
普段、授業の中で話し合いをする場面では、子どもたちに「答えを出さなければいけない」と感じさせてしまう場面が多いのではないかなと思います。対話型鑑賞は、答えを出すことよりも、友達といつも通りの会話をするような感覚に近いんです。答えがなく、たわいもない会話を楽しむような感じです。そんな体験を通して、生活を楽しめるようになってほしいなと思います。
ーー 特に印象に残っている出来事はありますか?
川崎:ある授業で、『風神雷神図屏風』の対話型鑑賞をしたことがあります。絵画を見た生徒たちからは「雷を起こそうとしている」「喧嘩しているんだ」といろんな意見が出ました。その中で、ある生徒が「2人は恋人同士なんじゃない?」と言ったんです。理由を聞くと、「2人とも出会い頭にニコニコしていて、嬉しそうだから。『やっと会えたね』と言って喜んでいる」と。そこからさらに対話が広がってきました。違う意見が出ることの面白さを感じますね。
また、以前勤務していた学校で『モナ・リザ』の絵を見せたときは、ある生徒が「眉毛がないからヤンキーや」と言ったんです。作品に対する知識が前面に出ていると、なかなかそういう発言はできないものなんですよね。作品について誰も気づかなかったようなことを指摘する生徒がいることで、そこから対話が広がっていく。
城野:面白い視点ですね。私が印象的だったのは、友達の作品への見方が変化したなと感じたことです。先日、学校で開催した作品展では、5年生の児童が2年生の児童の作品を見て「シンパシーを感じる。自分の作品と通じるところがある」と言っていました。
1つの作品について狭い見方しかできないと、「上手い」「下手」「可愛い」などの感想で終わってしまうと思うんです。でもそうではなく、頭の中で自分の作品と並べてみたり、作品そのものが伝えようとしていることを想像したり、いろんな視点で作品を見ようとしているのではないかなと感じました。
森本:1つの作品との向き合い方は変わってきますよね。私の学校では、授業の中で絵を描くとき、以前は多くの生徒が1、2時間くらい考えるとすぐに描き始めていました。今は4、5時間考えるようになったと思います。例えばお花を描く場合、「どんな種類の花があるんだろう?」「自分は何を表現したいんだろう?」「こう描いたらどんな風に見えるだろう?」などと考えるようになりました。
対話型鑑賞で1つの作品についていろんな見方や考え方をしてきたから、自分たちが作品をつくる立場になったときに、相手に何を届けたいのかを考えるようになったんだと思います。
ーー 対話型鑑賞を続けてきて、気づいたことや感じたことはありますか。
城野:学校の授業で行う「鑑賞」と言うと、友達の作品を見ていいところを見つけてコメントする活動が多いのではないかなと思います。それ自体が悪いわけではないのですが、思考力や判断力、表現力も含めるような活動をしていきたいと思って、対話型鑑賞を取り入れました。その結果、先ほどお話ししたように友達の作品の見方にも広がりが持てているような実感があります。
川崎:まさにそうですね。美術に関する知識を得ることも大切ですが、それ以上に、自分で感じたことや考えたことを表現することに意味があると思っています。それぞれの世界観を自由に出し合いながら、人の視点のおもしろさに出会ったり、言語化されていなかった自分の価値観に気づいたりする。受け皿の深いアートだから、そんな対話ができるのだと思います。
例えば、社会課題や日常の出来事についての対話だと、意見のぶつかり合いが起こる可能性があります。けれど作品についての対話であれば、誰かを傷つけたり自分が傷ついたりすることなく、お互いの意見を出し合えるんです。作品についての意見が違ったとしても、それぞれの人生にはあまり影響しないからです。その過程で、自分の考えに偏りがあることに気づくこともある。自分自身の見方や考え方の枠を広げてくれるものだと思っています。お互いが大切にされている感覚を持てるから、意見を出し合えるんだと思います。
森本:安心感があるからこそ、心が育っている感じがしますね。私の勤務校では卒業後に海外に行く生徒が多いので、最初は「日本の作品を自分の言葉で説明できるようになること」をねらいとしてやっていました。対話型鑑賞を続けてきた今は、「感動する心や相手を尊重する心を育てること」に繋がっているのではないかと感じています。どちらかというと、後者の方を意識しているかもしれません。
対話があたたかい場になることで、生徒たちは「こんなこと言っていいんや」「これもありなんや」と感じ、安心して発言することができます。それが自己肯定感にもつながっていくと思うんです。
ーー 川崎さん、森本さん、城野さん、ありがとうございました。
今年、子ども家庭庁が設立されたことで、ますます注目が集まるスクールソーシャルワーカー(以下:SSWと表記)。学校で働く、福祉の専門職です。
大学等で社会福祉を学び、社会福祉士や精神保健福祉士を取得して雇用されます。最近は、SSWの養成課程等を持っている大学もあり、社会福祉士を志す学生の一つの進路としても、関心が高まっています。『スクールソーシャルワーカー実務テキスト』 には、『貧困家庭、社会的養護、不登校、いじめ、虐待など、子どもたちが抱える課題の多くが、彼らの生活環境の問題から生じていることが多いが、その真のニーズは見えにくく、学校というすべての子どもが通る現場での発見(アウトリーチ)と支援が期待される』と書かれています。
学校が全ての子どもたちにとって安心安全な場になること、また、個別の子どもの支援だけではなく、学校文化の変革にも寄与できる可能性があるスクールソーシャルワーカーについて、解説していきます。
※一部『生活教育』2023年4・5月号(no.827)編集:日本生活教育連盟 に寄稿した物に、加筆修正をしております。
まずは、ソーシャルワークそのものについて説明します。国際ソーシャルワーク連盟が採択したソーシャルワークの定義には以下のように書かれています。
“ソーシャルワーク専門職は、人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題解決を図り、人々のエンパワーメントと解放を促していく。ソーシャルワークは、人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人々がその環境と相互に影響しあう接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である(IFSW;2007.7.)”
改めて書かれると少し難しいため、超意訳を用意しました。これは、私、小谷が研修等でソーシャルワークの定義を説明する際に必ず用いているオリジナルの“やさしい日本語訳”です。
“人が人として生きていくためには、心や体の健康だけでなく、社会の中で「ここにいて楽しいな。幸せだな」と思えるようなコミュニティに安心して所属できることも、とても大切。
今いる場所がドキドキしてしまうなら、そこを安心できるように変えていかないといけないわ。でも“安心”って状況によって違うから、その人本人との対話を通して、「安心じゃなくさせているもの」をどうやったら取り除けるのか一緒に考えて、その人が持っている力を最大限に発揮できるように応援していくの。
でも、やみくもに話を聞いて背中をバシバシ叩いて、自分の感覚だけで応援してもダメなのよ。それには、正しい理論を身につけた人が“安心できない場所”とその人との間に何が起こっているのか見極めて「安心」を作るためにはどうしたらいいか考えることがとても重要なの。
そして、もう一つ大切なことがあるの。全ての人々の権利を大切にして、そこに集うみんなに不公平がないようにしていくということは、絶対に忘れてはならないわ。そういうことをシャーシャルワークというし、そういうことをする人をソーシャルワーカーと呼ぶのよ。”
ソーシャルワーカーは、相談を聞いて困っている人を「どこかしらの何かにつなぐ人」と思われがちなのですが、それはソーシャルワークのごく一部です。ある人にとって困っていることと、その困りの原因との境界面に、どのようなことが起こっているのかを見極め(※)、どうしたらその“困っていること”が”困らない状況“になるのかを、困っている当事者の思いを大切にしながら状況を整えることが、ソーシャルワーカーの仕事なのです。
※アセスメント:「その方が今、どのような場所に立たされているか」ということを客観的な情報や本人・家族の言葉から浮かび上がらせる作業のことです。
この“状況を整える”ということを環境調整というのですが、困っていることの中には、もちろん福祉制度が解決してくれることもあるため、既存の物で解決できそうな場合には、
①どこかしらの何かにつなぐお手伝いをします。
(困っている状況を社会制度の仕組みで補うという調整です)
既存の福祉制度では解決できない時には、
②そのような仕組みを作るように働きかけます。
また、困っていることの内容そのものが、マイノリティとマジョリティの見え方の違いから来ている場合には
③マジョリティに対して啓発をします。
また、そういうことでは解決しない、親子、友達同士、先生との関係も、その人にとっての環境の一部ととらえ、
④うまくいかない人間関係の調整も行います。
このようにソーシャルワークは、”環境”という物を幅広く捉え、それらに対して調整をしていくのですが、上記の調整を行う時に、大切にすべき視点についてお話します。
自己決定というのは、様々な情報を知り経験した中で決めていくことです。、例えるなら、オレンジジュースしか知らない子どもがいつもオレンジジュースを注文していてもそれは自己決定とは言わず、リンゴジュースもサイダーもコーラもカルピスもいろいろ味わった中で、オレンジジュースを選ぶことが自己決定なのです。
人が物事を決定するためには、その年齢に応じた必要な経験が必要です。それがあるからこそ、適切に判断して進んでいくことができます。それらの経験を提供することができる環境を整えなければ、自己決定をしてくことができません。
例えば、階段しかない場所で、車いす利用者が上の階に行きたいと思ったとき「上の階までいつも担いでいきますからエレベーターはつけられませんが大丈夫です」と言われたとします。確かに、いつも担いでもらえるので2階には行くことはできますが、エレベーターがあるとわざわざその場にいる人に頼まなくても自分で(時には介助者と)2階に行くことができます。
結果的に、2階へ行くことができるということよりも”その場所へアクセスできる環境が整っているか”ということが大切であり、アクセスできる環境があることで”その場所に行く or 行かない”の自己決定を、簡単にしやすくなるのです。
そういう、その人が自分の力を最大限に発揮できる環境が整ったうえで、機会が均等にあるということが重要であり、そういう環境になっているのか、ということを見直すことが大切です。
以前は、ある人に何か問題(に見えること)が起こると、それはその人の問題と捉え、今ある社会の枠組みに合うように治療をするという考え方がありました。これを医学モデルといいます。
一方で、社会モデルとは、“個人の問題に見える背景”(障害、家庭環境、人種、国籍、言語的文化的背景の違いなど)と、“社会(国、法律、学校、地域など)が持っている枠組み”とのミスマッチが起こっていると捉え、その個人的な背景が包括されるための社会環境を、どのようにしたら作り出すことができるか、という視点で起こっている出来事を捉えます。
“障壁は社会の側にある”という立場で、個人に責任を帰さないという考え方です。
環境調整を行うためには、その分野の国際的な人権規約とそれに関連する国内法やガイドラインに基づいて行動することが求められます。
障害の分野であれば『障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)(2006.12)』、子どもの分野では『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)(1989)』がとても大切な規範であり、子どもの権利条約および、障害者の権利条約の理念をもとに、子どもたちを取り巻く環境を安心安全に作り直します。(子どもの権利条約については、過去記事をご参照ください)
そして、その調整は、”環境”に関わるすべての人の権利が守られるような調整でなければなりません。家庭であれば保護者と子ども、学校であれば子どもと教職員双方の権利が大切にされなければならないのです。
上記の視点を大切にしながらアセスメントを行い、人と環境との間にある“安心できない状況”=権利が侵害されている環境に対して、その人自身の自己決定を尊重しながら解決のプロセスに伴走していくことが、ソーシャルワークです。
上記のソーシャルワークが学校で展開されることがスクールソーシャルワークです。
学校は、子どもの生活の場ですので、主体は子ども。
子どもの生活を見ていくと、子どもが自発的に困ることはほとんどなく、子どもを取りまく環境の中で“困らされている”状態があり、その環境は、家庭の状況、学校制度、先生や友達との関係など多岐にわたります。
仮に、子どもに発達課題があったとしても、その子と環境とのミスマッチに由来する“困り”であり、考えるべきはその子が安心して生活できるような基盤(=環境)をどのように整えるか、ということなのです。
子どもが困っているとすぐに「子どもに支援をいれよう」と考えがちですが、まずはアセスメントをし、ケース会議で浮かび上がった客観的な情報から、子ども自身が直接的な支援を必要としているのか、家族の“困り”なのか、学校環境とのミスマッチなのか、見定めた上で支援を展開していきます。
また、特定の子ども自身への働きかけも大切ですが、すべての子どもが安心できる環境に作り替えていくことも、スクールソーシャルワークの一つです。“困り”)を抱えている子にとって、家庭や学校が、困らなくてもいい仕組みになっているか。適切におとなを頼ることができる状況が作られているか。そういう視点で全体を見渡し、すべての子どもが“困り”を抱え込まなくてもいい学校環境も同時に作っていきます。
子どもに起こってしまった問題を解決するのに大切な、SSWと教職員との協働。
適切な支援を行うためには、多角的なアセスメントが必要で、SSW、スクールカウンセラーの福祉・心理的な専門性と、教職員の専門性からその子を重層的に見立てていくことで、子ども像が浮かび上がってきます。
しかし、学校に福祉・心理の専門職が入ることで「子どもの困りごとは全て専門家にお任せ」なることもあります。そうなると、アセスメントに必要な教職員の専門性が抜けてしまい、多角的なアセスメントができにくくなります。
アセスメントが適切でないと、表出している困りに対しての本当のニーズにまで支援が届かず“専門家が入っているのに何も変わらない”という現象が生まれます。
学校は、子どもの第二の居場所(家庭:第一の居場所)。子どもが最も多く関わるおとなは学級担任(家庭:保護者)です。一番身近なおとなとの安心した関係の構築は、子どもの学校生活の土台になります。
多角的な見立てのもと、教室や校内でその子にとって何ができるのか考え、福祉・心理・教育の専門家が協働していくことが、子どもの最善の利益につながっていくのです。
スクールソーシャルワーカーは、児童虐待や生活困窮、障害、などの“困り”を抱えた児童や家庭を、外部機関につないでくれる人、という見られ方をしています。
しかしこのようにみてみると、SSWは学校に通う子どもたちの安全を作り出すことが一番の役割であり、その役割の中で、個別のケースに対して、外部機関につなぐことがあるだけなのです。
そして、ソーシャルワークの原則の1つ=“その場所にいる人すべての人の権利が守られること”を考えると、SSWの学校配置は、おとな(教職員、保護者)と子どもが安心して通うことができる学校を作る一助にもなると思います。
一方で、SSWの現状を見てみると、全国的にほぼ全てのSSWは非常勤・非正規雇用となっています。雇用数、勤務条件、学校での役割など自治体ごとのばらつきも顕著で、SSWになりたい人たちへの門戸が開かれにくい現状があります。また、SSWが学校に配置された後も、どのように教員と協働して”子どもの最善の利益”に関わっていくのか、手探りの状態が生まれてしまっているのが課題です。
School Voice Projectでは、このような状況が是正され、すべての子どもへの利益になるようなSSWの在り方について、今後も政策提言を行っていきます。
「生徒指導」は、これまで学校で当たり前のように使われてきた言葉です。多くの学校の校務分掌の中には生徒指導部があり、児童生徒の不適切な言動に対応したり、児童生徒同士のトラブルに対応したりすることも、「生徒指導」と言われています。
児童生徒の自立に向けた指導がなされている一方で、教員からの一方的な指導によって結果として児童生徒を苦しめることにつながる事例も耳にします。そんな中、2022年12月に「生徒指導提要」の改定が行われたことも影響し、児童生徒への関わり方を見直す動きが全国の学校で広がっています。
埼玉県立新座高等学校は、2023年4月に校務分掌の「生徒指導部」を「生徒支援部」へと改称しました。中心となって改革を進めたのは、昨年4月に生徒指導部長に着任した社会科教員の逸見峻介さん。「生徒指導部」の改称に踏み切った理由とこれまでの経緯について聞きました。
—— どのような思いから、「生徒指導部」から「生徒支援部」に名称を変えようと思ったのでしょうか。
元々「生徒が持っている力を大事にする組織にしたい」という思いがありました。生徒たちはそもそも「成長する力」を持っています。生徒たちの力を尊重して、先生が適宜サポートしながら、一緒に成長していくことが重要であると考えていました。
また、ニュースでは一方的な指導や体罰、問題校則※など、生徒指導のマイナス面が問題視されてきていますが、そんな生徒指導の在り方を見直すきっかけをつくりたいとも思っていました。
※本メディアでの「問題校則(ブラック校則)」の呼称について
行き過ぎた校則を「ブラック校則」と呼称することが一般的となっていますが、「ブラック〇〇」という表現が黒色へのネガティブイメージを固定し、人種差別や偏見助長へつながる恐れがあることから、本記事では基本的に「問題校則」の表記で統一しています。
先生が怒鳴ることで生徒が言うことを聞くこともあると思いますが、そのような関わりは生徒との対話を重視していないと思います。時にはそういった指導が必要なこともあるかもしれません。ですが、怒鳴ることで問題が改善したように見えても、本質的な改善にはつながりません。「先生が怖いから」という理由で改善するのは、生徒の自主・自律につながっていないと思うので。
大事なのは、生徒の実情に寄り添いながら、丁寧に対話をして共通理解を目指すことだと思います。生徒指導提要の改定や子どもの権利条約の重要性が改めて認識されてきている現在、生徒を丁寧に支援していくことが大切だと思います。
埼玉県内では、埼玉県立志木(しき)高校が組織の再編をして、「生徒指導部」から「生徒支援部」に変更したという事例を耳にしました。調べてみると、全国でも名称変更をしている学校の事例がいくつかありました。このようなことを踏まえると、「生徒支援部」の方が勤務校の教育活動にフィットするのではないかと思いました。
—— 名称を変更する前は、先生方はどのように生徒と関わっていましたか?
勤務校の先生は、すでに生徒の自主・自律に向けて支援するような関わり方をしていました。生徒を大切にするあたたかい雰囲気があったと感じています。
例えば、遅刻をしてきた生徒がいたときは「こら!遅せえじゃねえか!」と叱るより、「おはよう。どうしたの?」と聞くような先生が多いですね。先生たちはまず生徒の話を聞くことを大切にしていました。
とは言え、生徒”指導”という言葉を使う限り、一方的な指導をするような印象は残ってしまいます。昨今の社会情勢や生徒指導の在り方が問われている中で、名称の変更で勤務校をより良い方向に進めることができると思いました。
名称の変更をすれば、勤務校の強みである対話を大事にする文化をさらに活かすことにもつながるし、先生と生徒の関わり方を改めて問い直すことができたら良いなと思いました。
—— 具体的には、どのように名称を変えていったのでしょうか。
私が生徒指導部長になったのは昨年(2022年)4月で、そのタイミングで生徒指導部の5つの柱を先生方全員に提示しました。5つの柱は元々あったのですが、一部を改変しました。大事にしたのは「みんなで協力をすること」です。先生たちはこれまで多くの生徒を見てきていますし、それぞれの想いがあります。そんな先生たちの力を借りたいと思い、民主的で風通しの良い組織運営をしたいと考えていました。
同年の秋頃には、生徒指導部の名称を変えられないかと管理職に相談しました。管理職も名称を変える必要性を感じてくれて、具体的にどうすれば変えられるのか相談に乗ってくれました。その後、まずは生徒指導部の会議で提案して具体的な案を固め、名称を変更する案を職員会議で先生方全員に提案しました。管理職が前向きに受け止めてくれたこともありがたかったなと思います。
—— 名称の変更を提案した際、先生方からはどのような反応がありましたか?
皆さん前向きに受け入れてくれました。元々、学校全体で対話を重視し、生徒を支援するような関わり方をしている人が多かったことも大きな要因だと思います。
名称を変更したのは今年4月なのですが、実は、前年12月に先生方全員に校則やルールについてのアンケートを取っていました。それを元に校則やルールの改定をしていたので、多くの先生が生徒との関わり方について見直すことに意識が向いているタイミングだったのではないかなと思います。
—— アンケートを取ることで、感じたことはありますか?
中には、以前から「この校則は必要だろうか?」と疑問があってもなかなか言う機会がなかったり、言いにくかったりする人もいたようです。アンケートを取ることで、先生が感じていることを出し合い、見直していくことの重要性を感じました。
回答の中には、具体的な変更のアイディアだけでなく、「粘り強くやりましょう」「教育相談の分野ともっと連携して情報共有しましょう」などの意見もありました。さらに、生徒ときちんと向き合うことの意義を書いてくれる方がいるなど、素晴らしい意見に溢れていました。
皆さんに意見を聞けたことはとても良かったですし、私自身にとっても勉強になることが多くありました。アンケートはこれまで年度末に取っていたのですが、意見が出ても時間が足りずになかなか変更まで進まないことが多くありました。今回それを改善するために12月に取ったことで、1〜3月に具体的な議論を時間をかけて進めることができました。
—— 校則やルールについては、どのような改定をしたのでしょうか。
例えば、生まれつき髪の毛の色が黒ではない生徒は地毛申請をする必要があったのですが、生徒の人権を尊重することを重視して、廃止することを決めました。髪型についても、以前は校則違反をした場合は短い部分に合わせて髪を切るように指導していましたが、これもなくしました。なので、今は生徒としっかり対話をしながら、経過観察などを基本として丁寧に指導することになっています。
また、遅刻を4回以上した生徒は廊下の雑巾掛けをする指導があったのですが、これも話し合いの末、廃止しました。雑巾掛けは生徒にも懲罰的に捉えられてしまっていたので、遅刻の指導として時代にそぐわないと判断しました。
これらの校則の変更については、教員からの意見だけでなく、生徒の意見から変更まで進んだものもあります。生徒が目安箱に入れた意見を生徒会が丁寧に議論をして、生徒指導部(現在は生徒支援部)に提案をしてくれました。生徒会もとても頑張ってくれたので、感謝しています。
2022年3月からはホームページですべての校則を公開することも決定しました。生徒や保護者などからの共通理解を今まで以上に図ること、今後の校則の見直しがスムーズに進むようになることを目指して、いち早く公開に踏み切りました。誰もが校則についてホームページで確認できるようにすることは、生徒指導を見直し、より良いものを目指していくという学校の決意表明であると思います。
—— 生徒指導部の名称を変更するにあたり、特に大切にしたポイントはありますか?
先生方に提案するときは、どのような思いがあって「生徒指導部」から「生徒支援部」に変更するのかを丁寧に説明しました。背景にある思いは、「ぬくもりを中心に置くこと」です。これは私が最初の職場でお世話になった先輩教員が言っていたことに影響を受けています。
「効率化や合理化が進み、成果主義が中心となった現代、さらに人とのつながりも希薄になりつつある。このような社会の変化の中で、公立高校で一番大切なことは”ぬくもり”だ」と。その言葉が印象に残っていて、「生徒指導においても“ぬくもり”が大切なんじゃないか」と思ったんです。ちなみに、“ぬくもり”には「あたたかさ」「人と人との関わり」などの意味があるそうです。
“ぬくもり”があれば、生徒たちの持つ力を信じたり、厳しく指導しても一方的で終わらずに、生徒へのフォローに入る先生がいたりすると思います。また、この”ぬくもり”は、先生たちの間にも必要なものだと思います。管理職や教員、事務の方はもちろんですが、臨任、非常勤の方などを含めて職場全体に必要なんです。
教育現場は、多忙化や教員不足など多くの課題があります。ですが、そんな中でも生徒と丁寧に向き合っている先生や、若手の先生に寄り添って職場を良くしている方がたくさんいます。
そんな”ぬくもり”がもっと広がっていき、ハッピーな職場になったら、生徒も先生ももっと自分らしく過ごしていけると思います。その点、私の勤務校は良い環境だと思います。あたたかい雰囲気の先生が多く、生徒も元気なので日々楽しく過ごさせてもらっています。
“ぬくもり”を大切にしたいという思いは、生徒支援部の5つの柱にも込められています「職員全員と協力し、チームとして統一した指導を行う」「教員間のフォローアップを忘れない」など、先生にとって働きやすい職場をつくっていくことも意識しました。
—— 名称を変えたことで、どのような変化がありましたか?
4月に変更したばかりなので、変化を感じる場面はまだそこまで多くはないのですが、勤務校では肯定的に捉えてもらっています。「生徒支援部になったんだし、こうやって関わっていけたらいいよね」という会話も増えてきています。他校からは「自校でも生徒支援部に名称を変更したい」という声を聞くこともあり、とても励みになっています。
今後も生徒を中心においた支援ができるように、学校で働く職員同士が協力し合えるような雰囲気をつくっていきたいと思います。
—— 逸見さん、ありがとうございました!