学校をもっとよくするWebメディア

メガホン – School Voice Project

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2024年1月、奈良教育大学附属小学校にて、長年に渡り履修漏れや授業時間の不足といった学習指導要領に沿わない指導がなされてきたという報道がありました。

・毛筆の授業を筆ペンで実施
・図工での教科書の不使用
・教える内容の「年次違い」
・教科としての道徳の不実施(全校集会で「道徳的指導」を実施)
・音楽での「君が代」の指導の不実施
などがあったとのことです。(参考:報道記事

また、職員会議が最高決定機関として扱われ、校長のガバナンス(組織統治)が効かない状況にあったとも報告されています。

履修漏れについては卒業生も含めて補習実施などの対応がとられる予定です。(参考:奈良教育大学附属小学校HP

1月19日、文部科学省は、全国の附属校を置く国立大学に対して、ガバナンスにのっとった意思決定や、学習指導要領に基づく適切な履修が行われているかどうかなどを点検するよう通知を出しました。(参考:報道記事

フキダシでは、この件について現職の教職員の方がどのように思っているか、緊急アンケートを実施しました。

アンケートの概要

■対象  :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年1月21日(日)〜2024年1月29日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら
■回答数 :140件

アンケート結果

設問 今回の出来事についてどう思う?

今回の出来事について、あなたが感じていること、考えていることをぜひ教えてください。
※理路整然とまとまった文章でなくて構いません。もやもやを呟いたり、感情を吐露するような文章でも結構です。

いただいたコメントの内容を大きく「報道された奈良教育大学附属小学校の状態について」「そもそもの学校教育のあり方について」「その他」に分け、さらにそれらの意見について“以前の奈良教育大学附属小学校の状態”に対して「擁護的」「批判的」「その他」と分類したうえで掲載します。

※ 注
・1つの投稿に複数の観点が含まれる場合、該当の箇所のみを抜き出して掲載しています。
・1つの投稿の別の箇所を複数の観点から紹介している場合があります。
・投稿中にある法律上の解釈等は回答者の見解でありSchool Voice Projectの公式見解ではありません。
・詳細は全文ダウンロード等でご確認ください。

観点① 報道された奈良教育大学附属小学校の状態について

報道された奈良教育大学附属小学校の状態については、擁護的な内容のコメントが約60件、批判的な内容のコメントとその他の内容のコメントが約40件ありました。種類別では、調査結果や授業内容についての擁護的コメント、より詳しい情報がないと判断できないとするコメント、同校内での教員内の対立について言及したコメントがそれぞれ約20件ずつと多く見られました。

擁護的意見

調査結果・授業内容について

どこでもやっている教員裁量での指導上の工夫に当てはまるものが多いのではないのかと思う。調査公表された不適切な指導内容が、あまりにも瑣末な問題すぎてびっくりした。【小学校・教員】

学習指導について、具体的には外国語科の代名詞の指導は、何を根拠にどう判断して『不足している』としたんでしょうか?代名詞を使わない外国語の授業などありえません。本当に不足しているのでしょうか?また3年国語のローマ字指導の不足について、採択教科書の標準時数を下回っていたと書いてありますが、こんなものをもって未履修の判断をするなどあり得ません。ローマ字の指導について、概念的な解説と演習は、2単位時間もあれば十分です。その後は、具体的な場面を通して、ことあるごとに指導していくのです。

調査のあり方の開示と、妥当性の検討について、強く求めたいです。
私がわかる限りの調査のあり方を見ると、現場で子供に力をつけようと奮闘している教員を馬鹿にしていると感じています。【小学校・教員】

毛筆が筆ペンであったことや自作プリントであったことは目的から外れるものでなく、許されるべきだと思う。
今の学習指導要領で定められた指導量は多すぎる。時間を生み出すために何か工夫しなければいけない。教育大学の附属なら、尚更事情はあると考えられる。
また、私の知る限りでは、図工の教科書はほとんど開くことなく授業していたし、人間同和教育で自作教材や旧副教材を用いたこともある。
教科書内容をベースにしながらもより良い手段があるのなら、それを選ぶことも多様な方法の1つだと思う。【小学校・教員】

子どもたちにどのように効果的に教えるのかという教材研究の成果だと思います。現行の学習指導要領を解釈し、よりよい教育を作り出そうとされていたのではないでしょうか?
これに対して、おかしいという方々には何か別の意図を感じます。
逆に褒められてしかるべきだと思います。【小学校・教員】

年次を超えた学習はあって然るべきだと思います。そうでないと個別最適化なんてできないのではないでしょうか。【中学校/高等学校・教員】

既に何人かの専門家が指摘しているように、そのいくつかは学習指導要領上許容される範囲内のものです。例えば図工の教科書を使っていない先生など、日本全国いくらでもいます。独自のプリントを使って授業を行ったことのある先生などいくらでもいます。それが不適切な授業にあたるのならば、日本全国全ての先生は不適切な授業を行っていることになるはずです。現行の学習指導要領は、内容が今までで最も多く、消化していくだけで精一杯なのが実情です。そういう実情にも触れず、全てを「不適切な授業」として扱うマスコミの報道の仕方にも疑問があります。【小学校・教員】

学校のガバナンスについて

奈良附属の教育実践には報道にあること以上の民主的で深い内容があり、一公立の教諭としては励まされてきました。会見での校長も納得いきませんでした。ガバナンスの問題なのでしょうか。民主的なリーダーシップの問題はなかったのでしょうか。【小学校・教員】

通常の組織では、トップが勝手に決めるということはあり得ないと思いますし、過去に対立があって法改正されたと聞いていますが、たとえ職員会議が諮問機関であったとしても、民主主義の国である以上、教職員の声を無視するのは法律にも憲法にも反しているのではと思います。【小学校・教員】

その他の擁護的意見

宮下学長には音楽教育の研究で強く影響を受けた者です。奈良附属小学校の先進的な研究に学んできた者でもあります。学習指導要領や学校教育法に準拠することの重要性も理解しますが、全てその枠内でカリキュラムが運用されるならば、研究校の存在意義は無くなります。教科書を使用しない積極的な教育的意図もあるはずです。この件によって、研究の自由が脅かされ、実践が萎縮することが残念でなりません。世論の冷静な判断を期待したいものです。【中学校・教員】

卒業生も含めて補習実施がされるとのことで、義務教育期間の履修義務はどのようになっているのか疑問に感じた。
不登校の生徒でも、地元の公立小学校に在籍し、卒業となる。単位取得が必要な高校ではなく、小学校でそのような措置をとる必要があるのだろうか。【高等学校・教員】

補習授業をするとありますが、卒業生が集められて、「道徳」の授業を受け、君が代を歌い、書道をさせられる姿を想像すると、ゾッとします。【小学校・教員】

校長が率先して法規と自校の現状の違いをこと細かく表にして示すというのがとても残念ですし、この報道で先生方がやっぱり公立学校には可能性がないとあきらめてしまうのが非常に不安です。【中学校・校長】

指摘されている内容が、子どもにとって不利益があるとはあまり思えない内容であった。大人の事情で、どこか指摘できるところがないか探して、やっと見つかったもののような気がしました。学校がメディアに振り回された例の一つのように感じた。当該学校の教員からしたら、不満が高まる結果となりそう。【中学校・教員】

奈良教育大学付属小学校の研究大会には、ほぼ毎回参加させてもらっていますが、いつ見ても素晴らしい取り組みばかりです。また、こどもの事をよく見て授業されているのがよく分かる実践記録も読ませてもらっています。英語教育も言葉という視点から取り組み、その第一人者を呼んできて職員研修されたり、特別支援教育や作文教育でも、すごく参考にさせてもらえる取り組みばかりです。
今回、私は、保護者の声も直接、間接的に聞くことができましたが、圧倒的に今の教育のあり方を支持されています。教員からの話では、低学年の児童達が、一連の報道で、とても動揺している様子が伺えます。高学年の児童達は、今までのような学習ができなくなるのかと不安に感じています。そういうのが伝わってきます。
保護者の声にも「元市町村の教育長をしていた人が、自分の意見を聞かない教員に対して力業で言うことを聞かせようとした結果の騒動」と言っています。私は、「付属小学校のこれまでの教育実践全般にケチをつけたい人が、不適切指導は,特定の教科だけでなく全教科にわたっていたというストーリーにしたかった」のではないかと勘繰っています。【小学校・教員】

奈良教で行われている教育が今回の報道で破壊されていくことを非常に残念に思っています。
子どもたちのことを考え、学校づくりを進めてきた学校です。いろんな子どもが通るように考えてきた学校です。先生たちがいろんな研究団体で学びながら、実践作りをされてきた学校です。
そんな学校が、「校長の言うことを聞かない。」「一部教科で教科書を使っていない。」「道徳が十分にされていない。」「教える学年が違う。」などの指摘で、強制的に国の教育政策や教育制度の中に押し込まれていく。これは各学校の独自性を否定する強烈な管理統制であり憤りを感じます。【小学校・教員】

校長は「自分の意見を人前でしっかりと話せる子が多い。それは教員が子どもたちに寄り添い、自主性を大切にしてきたからと言える」と話す、と読売報道にあった。これまで長い間つくりあげてきた「教員が子どもに寄り添い、自主性を大切にしてきた」教育を、元中学校教員で校長経験のなく教育長から転身した校長が自分の言いなりにならない教員たちを統制したかったのかと思えてしまう。「適正な学校運営を妨げた」として、処分を検討しているとも報じられているが、それによって子どもたちや保護者といっしょにつくってきた教育がこわされてしまう。そうしてまでめざそうとする「適切な学校運営」は、子どもたちや保護者が願っていることだろうか。【高等専門学校・職員】

批判的意見

調査結果・授業内容について

まずは法律は守った上で、独自の教育活動をする話です。
それを、国立附属だからといって、先進的実験的な授業をするために、ルールを蔑ろにしていいとはいえないはずです。
もし、教科書通りにしないというのであれば、事前に、しかるべきところに許可を得て免除してもらいすべきことです。【中学校/高等学校・教員】

国立の学校である以上、君が代を教えるべきですし、学習指導要領に定められたことを行うべきです。
国立の特殊性も理解できます。研修等も県や市とは別になり、どこまでチェックが行われてきたかはわかりません。また、教育実習を多く受け入れることで教育課程通りにはいかないことも理解できます。
ただ、結果的に生徒に補修授業をするなど1番あってはならない生徒に負担をかけることになったことには十分に考えなければならないと思います。【中学校・教員】

校長と教員との衝突原因ははっきりとしないが、奈良教育大附属としての文脈の中で良いとされてきた教育が学習指導要領や教育基本法に則っていなかったことは明らかだろう。この問題には、公教育に対する解釈のずれがあるように思う。※今までの最高裁の判決結果から学習指導要領が法規としての性質を持っていることを前提に進める。
教師が懸命に学び「良い教育」を考え実践しているので学習指導要領(本体)を守らなくても問題がないのか。これは法治国家の公教育である限り問題があることは明らかであろう。私、私たちの考える「良い教育」の土台には、国としての政策が必要である。これをなくして、本当に私、私たちの「良い教育」を求めるのであれば私塾で行うべき内容だ。【小学校・教員】

学習指導要領に沿わない指導がなされてきた理由はわかりませんが、なぜそのような事態に陥ってしまっていたのか、そのことを明確にしたうえで、丁寧な説明責任が必要であると思います。今後このような事態に陥らないようすることが大切だと思うとともに、おかしいことをおかしいと発言した少数派の教員の勇気は凄いと思います。【高等学校・教頭】

学校のガバナンスについて

職員会議は、
1 小学校には、設置者の定めるところにより、校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができる。
2 職員会議は、校長が主宰する。
これは、法令根拠なので、奈良附属のやっていたことは、だめです。校長が主宰です。【小学校・教頭】

教科書を使用することも、職員会議の件も教員であれば常識です。それを継続的に知らないふりをしていることは、意図的にきまりを守らなかったことにほかなりません。
その意識がなく、いい教育をしているからといって、ルールを守らず理解を得ようとする考え方は浅いといわれてもやむを得ないです。【中学校/高等学校・教員】

その他の批判的意見

報告書の通りだと思った。複数の知人が奈良教附属小のすぐそばに住んでいるが、近所のママ友間、塾などで附属小の子達の学力の低さは有名。兄弟の上の子を入学させたママ友は、実態を知って下の子の入学は考えなかったそう。やっとメスを入れてくれた!とはご近所の共通認識かと。何でも英語は英語という時間がなく、会話はほぼやらないらしい。単語だけ。国立ではあるが研究指定校でないことは報道されていない。文科省のHPを確認するとわかる。保護者には好評とのことだが、先生方の面倒見はとてもよい。研究開発の指定校でもないのに独自な教育をやってしまっているから問題なんでしょうね。【小学校・教員】

付属の一部の学校では、特例校として先進的な教科の研究をしていると聞いたことがあります。教科書も使っていないことも研究授業ではよく見ます。
ただ今回の件は、新学習指導要領が施行されて数年経っているにも関わらず教務主任、管理職の認識不足では済まされないと思います。現に児童は、再履修をするので再発防止のために教育課程の編成計画と修正、時数の確認の徹底を教育委員会が周知をして今後の再発防止が必要だと思います。私も教務の仕事を行っていますが膨大な業務量です。行事予定作成一つとっても終わりのなき仕事です。分掌の割振りについてもこの際議論が進むといいですね。【小学校・教員】

その他(情報不足・校内の対立についてなど)

今回の指導要領と異なったカリキュラムで授業が展開されていたことについて、実際に授業を行っていた教員の声が聞きたい。私は高校の教員ですが、生徒の状況によって指導の内容や順序を変えることは珍しくない。学校としてのガバナンスが効いていなかったとしても、各教科内で指導内容について必ず合意形成の作業は行なっているはずです。指導要領から大きく指導内容が変更していたことが間違っていたとしても、指導要領に示された順序、時間数で教科書に書いてある通りの指導をすることが正しいとは全く思わない。必要なことは越えてはいけない枠組みを確認しながら、この学校に必要な指導を模索すること。この丁寧な作業を文科省や教育委員会は指導する側として最後まで付き合わなければいけない。
今回の問題に対する対応策はHPの文章を読むと校長の意思が含まれているように見える。それこそ、職員会議での採決が否定され、現場の視点がなかなか反映されない状況でこの対応策が全ての公立学校に求められる指導の基準とされることが恐ろしい。【高等学校・教員】

多くの学校は守っていることで、どんなつもりでそうなったのかわからないので、コメントできる立場にないように思います。
受験に強くなるのが目的だったら違うと思うし、
取り組んでいないとする項目全部を引っくるめるのも違うと思うし、
君が代指導はなくなればいいと思うけど、毛筆指導とか、それ以外でやっておいてあげた方がいいと思うものもあるし。【中学校・教員】

校長先生を含めまさに現場で働く先生方のホンネはどこに? もちろん、ちゃんと「ホンネ」があって欲しい、という願いを込めての呟きです。
Webサイトに掲載されている報告書に目を通してみました。この報告書や回復措置を立案するために時間を割かれた先生方の苦労を察します。このように、形式的に着地させることがゴールではないでしょ、と強く言いたいです(誰に言ったらいいんだろう…)。議論すべきは、教育実践がどれだけ豊かなものだったか、であって、それがたとえそうでなかった(と誰かが判断した)としてもそれは断罪されることではない。なぜならば、教育は試行錯誤の連続で、その評価はすぐには表れないものだから。【中学校/高等学校・教員】

具体的な改善策を考えるにあたっては、一つひとつ項目を検討していくべきであり、大雑把に「反体制的」と片付けるのは違うと思う。【特別支援学校・教員】

いい悪いはともかく、職員室の仲が良くないのかなあと感じた。

管理職と教諭職の意思疎通ができていたり、職員会議などの機能が働いていたら内部で是正ができたのではないかと思う。

使うエネルギーのベクトルが残念。【小学校・教員】

校長と現場が対等な対話と合意形成できていないことが問題であって,指導内容にはさほど違和感はありません。【中学校/高等学校/中等教育学校・教員】

報道や校長の文書だけみると、こういうことをしている時点で教員集団との信頼関係を重視していないことが想像できます。校長と職員集団との対話・少なくとも議論の場はあったのかどうかが気になります。おそらく決裂したからこのような結果になったのでしょうが…【高等学校・教員】

観点② そもそもの学校教育のあり方について

そもそもの学校教育のあり方については、奈良教育大学附属小学校の以前までの体制も仕方ない・理解できるといった擁護的な内容のコメントが約110件と、批判的な内容のコメント(約10件)を大きく上回りました。種類別では、指導要領についてのコメントが約60件と多く、特に「指導要領はすべての内容を厳密に守るべきものなのか」といったコメント(約30件)や「現行の学習指導要領の量が多いためもれなく実施することは困難」といったコメント(約20件)が目立ちました。

擁護的意見

学習指導要領の位置づけ・法的拘束力等について

学習指導要領を一生懸命考えてくれたのはわかるし、「教科書をある程度やってね」はわかるけど、
・教科書を教えることは手段であって目的ではない
・もし、必須にするなら、学びの多様化学校や不登校はなんなのか
は考えてほしいなと思います。【中学校・教員】

カリキュラムマネジメント、教科横断的ってなんだったの?って感じです。
今回のことは学習指導要領の「解釈の仕方」の問題と捉えています。【小学校・教員】

「不適切」な授業って何なんやろ~?と感じました。教科書はあくまで教材であって、その場の生徒や時事に合わせて、授業方法は何が適切かを考えていくものやと思います。学習指導要領の意図とそれほどまでもかけ離れた授業だったのか疑問です。【高等学校・教員】

認定教科書を頼らず、独自なプリントで授業を進む学校を全部摘発したら私立進学校全滅する。この件に関して詳しくないが、多くの場合、我々教員は好き勝手でやっているのではなく、目の前の生徒の実情をしっかり見てそれに踏まえてカリキュラムを調整して作っている。優秀な教員の専門性を信じて、主体性を重んじて、裁量をあげたほうが教員の力を発揮する本来あるべき姿である。こういうのあるから教員になりたがらない、創造性発揮できないなら何が楽しいの。
単純に英語の話で言うと、そもそも、指導要領では「気づき」にとどまり、文法の説明は禁じられています。小学生対象に代名詞やら動名詞やら教えたところで理解できないし、第二言語習得理論的にも御法度。この小学校の子たちは多分英語嫌いになれずに中学生になれる。【小学校・教員】

学習指導要領は、暗闇を照らすランプのようなイメージでした。
進む方向をやわらかくぼんやりと照らすもの。
歩き方や歩幅、スピードは私たちに任されていると考えていました。
だから、私たちは子どもを見ながら、子どもとともに、ときに子どもの意見も多分に取り入れながら教育という道を朗らかに歩いていました。
それを否定されたような気持ちです。
傷つきました。
教育とは行政の言う通りにするものである。
言う通りにできないのであれば、罰する。
そう言われた気持ちです。
だったら、ビデオ教材でいいじゃないか。
否定された気分です。【小学校・教員】

報道を見ていて、あれで指導要領違反ならば一般の学校では逮捕されるような人がいくらでもいるよなと話題になっていました。それこそ、何世代も前の指導要領のやり方で、今の指導に合ってない指導をする人。苦手だからという理由で特定の教科をやった事にして実際はやっていない人。そもそもプログラミング教育ってどのようにしてやるのか?未だにみたことありません。そもそも現状の指導要領ってどれだけ守られているのか?それを把握している人はいるのか?と思います。【小学校・教員】

新学習指導要領の「主体的で対話的で深い学び」という理念は素晴らしいと思うが、歴史的に形成されてきた教科ごとの細則はあまりに細かく、この理念の実現にはむしろ妨げになっているのではないか。こうした細則に縛られることなく教員たちが工夫して理念を実現していける体制こそ求められていると思う。【中学校/高等学校・校長】

学習指導要領は守らなければならないものなのか? 以前に裁判になったときには、その内容については訓示的なものにすぎないという判例が出たと聞いています。多様な子どもたちがイキイキと学べるように現場で工夫しているのに、「国が一律に決めたもの」に従わないことがそんなに悪いことなのか、疑問です。【小学校・教員】

きちんとすべてできている学校はどれぐらいあるのだろうかと思います。
現場では本当にすべてを網羅することはできないように感じます。【小学校・教員】

学習指導要領はあくまで基準であり、教育課程の編成権があるのは各学校。その編成主体も、名目上は校長だが、目の前の子どもの実態を見て、実際に教育活動を行う教師や教師集団に実質的な教育課程の編成権があるのは明白。学習指導要領は官報に告示しているという理由で法的拘束力あり、と捉えられている場合があるが、学習指導要領のすべての文言に法的拘束力があるというのは誤解。基準として現場の裁量の余地が残されている部分のみにしか法的拘束力はないというのが最高裁判例。学習指導要領の全ての文言に法的拘束力があるというのは単なる勘違いに過ぎない。【中学校・教員】

まず学習指導要領は法的義務の効力を有するかをめぐっては、学術研究の世界では、未だ未決着な議論のさなかである。また教科書の扱いについても、歴史的にも(総意とは決していいきれない)議論が残ることは周知の通りで、これを「多数決の論理」で一般化しようとする発想が、色濃く残る「非民主化を進める統治の動きにどう応えるか」という社会問題だと考える。【高等学校・教員】

学習指導要領の量について

あまりの時数の少なさには問題があるかもしれませんが、国の時数がそもそも多すぎて、各現場では表上の時数と実際の時数がズレているのは、多くの職場で書かれています。もし時数通りにしたら、運動会や水泳で体育はほとんど終わり、学芸会などの発表会、六年生を送る会や修学旅行の準備の時間は取れません。つまり行事はできません。【小学校・教員】

カリキュラムオーバーロードと言われているように、子どもにとっても教師にとっても明らかに内容が許容量を超えているのに・・・そして未だに働き方改革が進んで居ない現状なのに、指導要領を守れとは現場に何を求めているのかが分からなくなります。溢れる学習量をこなすために、子どもにとっても教師にとってもつらい状態が働き方改革を停滞させているのではないでしょうか。【小学校・教員】

それだけ多忙なのではないか。指導要領や内容量を精選すべきでは。の議論になるべき。
やらなかった事実よりも、なぜできなかったのかの原因を探るべき。【小学校・教員】

学習指導要領に反しているという点では問題のある指導だったのだろう。
ただし、そもそも学習指導要領によって決められた授業時数や内容が膨大過ぎたのではないか。そうした構造的な問題を考えなければ、今回のような問題は今後も起きると思われる。【高等学校・教員】

そもそも授業時間が多すぎて、毎年、どうクリアするかに苦労しています。
指導要領に縛られてしまうと、目の前の子どもたちを見なくなります。
ほんとに大事なのは、目の前の子どもではないでしょうか。【中学校・教員】

文科省が、働き方改革に積極的な動きを見せず、現場に負担を強いた結果のものだと思います。
そもそも学習指導要領の内容が多く、その割に「個別最適な指導」やタブレット端末の導入、主体的・対話的深い学び等、学習指導に関して求められていることが多すぎる。【小学校・教員】

コロナの伝搬も続いているので、もう少し柔軟に対処できたらいいのにと思いました。また、最近は教える内容が増えていて大変だ、との声もお聞きしますので、学習指導要領に基づいて完璧に教えるのは難しいとも思います。また、私が生徒のときは、歴史が明治維新まで教えてもらったところで終わってしまいました。そういう学校は多いと思いますが、特に問題とされていなかったように思いますが、どうしてでしょうか。外国ルーツの学習者に学習指導要領に基づいた項目をすべて教え込むのも難しいです。学習指導要領のほうに見直しが必要と思います。【小学校/中学校・職員】

学校のガバナンスについて

そもそも校長(管理職)の権限を強くしてトップダウンで教育のあり方が変わっているという公立学校の仕組み自体に問題を感じているので、職員会議が最高決定機関である、ということは、本来どの学校も目指すことだと考えている。職員会議が校長の判断でひらいてもひらかなくてもいい、ひらいたとしてもそこで出た意見を取り入れるか取り入れないかも校長に任せる、という法律自体がおかしいのであって、奈良教大附属小は民主的な職場づくりをしようとしていたのではないか、と見ている。【高等学校・教員】

校長のガバナンスに関して
一組織としての意思決定は様々な方法がありうる。どれも一長一短で、
職員会議を最高決定機関として扱うことが必ずしも良いとは思わないが
昨今は、行政組織の末端としての学校が強調されすぎているように感じます。
子どもや学校の状況は学校ごとに違いが大きいので、
下から吸い上げる仕組みも必要です。【高等学校・教員】

民主主義を教える学校において、職員会議が最高決定機関であるべきと思います。そうでない学校がほとんどだと思いますが。【中学校/高等学校・教員】

国立学校のあり方について

附属は実験的、先進的な授業をやる所という認識だったので、何を今更というのがまず思ったことです。【中学校・教員】

国立の附属小学校であれば、先進的な取組を実践して、国に還元するのが役割ではないでしょうか。学習指導要領の内容は、全てやらなければならないとは考えていないと、つい最近文科大臣がおっしゃっていませんでしたか?逆に国に提言してもらいたいぐらいです。こんなことで、全国の附属小学校が点検されるなんて、信じられません。【小学校・教員】

全国の教育大の附属学校こそオルタナティブの可能性を追究してほしいと思っていました。いかに柔軟に法令を解釈しながら学校の自律をすすめていくかを研究する学校であってほしかったです。【中学校・校長】

特に国立大学附属校では、もっと特色を活かして良いのでは?今回のように、それぞれの想いを持って、プリント学習を中心とした受験に対する対策を講じていたのは、特色と言える。【小学校・教頭】

大学の附属学校は研究機関なので、研究のための教育課程の特例校として、認められていたのではないですか?
大学の附属学校は研究のために、大学の教授陣が頻繁に出入りして、研究を進めるための授業について指導助言を繰り返しているはずなので、学校のガバナンスではなく、大学のガバナンスに問題がありそうだ。【特別支援学校・教員】

その他の擁護的意見

とても違和感を覚えています。報道されている内容はそんなに「不適切」な指導なのか?この程度と言っては何ですが、どこの学校でもよくあることで、時間など制限がある中で、柔軟に対応しているだけなのではないでしょうか?それなのに、なぜいま、この奈良教付属小学校だけがこんなに取り上げられて糾弾されているのか?特定の誰かや団体の強い意図を感じます。【高等学校・教員】

細かな法令を遵守することはもちろん必要だが、法令順守していても、あまり効果を感じていない学校は多くあるのではないかと思う。どのような子どもたちが育っているのか、教育基本法前文にあるような人材を効果的に育成できているなら、何が正しいのかわからなくなる。教育改革が求められている中、法令順守だけで改革が進むのか、疑問がある。極論かもしれないが、例えば、明治維新は当時の法令を順守していない。
教職員の専門性を信頼して、自由度を増やしていけないものかと感じている。信頼に値する教員を採用、配置し、任せる。法律や行政が、また世論が変わっていくことを期待している。【小学校・校長】

ひとことで言えば、悔しいです。
教育の専門性をこのように踏みにじられるとは。
現場の教職員が子どもの声と姿から練り上げてきた教育実践の価値はなにものにも代えがたいものです。私たち教職員にその自由がなければ、まさに「AIでいいでしょ」ということになります。【高等学校・教員】

いろんな特色ある学校が、公立の小中学校の中に存在します。テストや通知表がない学校のことは、映画にもなっています。そういう取組がつぶされないようにしたいです。むしろ、指導するのではなく、「よくやった!自分たちで考えて工夫している!」と認めてもらいたいものです。【小学校・教員】

文科省でも多様な教育を推奨し、フリースクールでも出席扱いにするなどの柔軟性を学校教育に求めているのに、子どもの実態に合わせた附属小の教育課程が否定的に捉えられるのはありえない。
日々の子供の状況を把握し、子どもの最善の利益を求める現場の裁量を生かした教育活動をすすめていかなければならない中、今回のような「上」からの「拘束」は現場の創造的な努力を奪い、教師を単なる作業者におとしいれ、教育をだめにする。【中学校・教員】

私が今回出来事で改めて感じたことは、学習指導要領の考え方こそがsociety3.0の賜物で今の時代に即したものではないのだということである。society5.0を目指し子どもを人として見る教育をしていくのであれば、教師をプロフェッショナルとして信じ、もっと自由に現場で変えていける余白が必要である。この議論の行き着く先が学習指導要領の在り方に向かってくれることを切に願う。【小学校・教員】

批判的意見

学習指導要領に沿って授業をするのは、当たり前のことです。
学習格差を生まないために学習指導要領があるのでは、ないでしょうか?【高等学校・教員】

国立の附属校に勤務している、ということで、自分はエリートだ、とおかしな感覚に陥っている先生に、昔、出会ったことがあります。また、いままで勤務してきた職場には、我がもの顔で、王様のように振る舞っている教員が何人もいます。
今回の内容をみると、上記の教員と重なり、苦しくなります。
管理職の指導だけに任せられても、同じ職場にいるから、やりづらさを感じる方もいらっしゃるかと同情します。
「生徒には、いじめ調査はあるが、ぜひ、教員にもいじめ調査をやってほしい!」と管理職に、つたえたことがあります。
今回の事件は、教員の資質を問われる事件にも関係するかと感じます。【高等学校/中等教育学校・教員】

我々が附属に期待するのは、学校の取り組みを通してこれからの地域の公立学校が進んでいくべき方向性を示してもらうことであり、それが附属学校の使命なのではないのか。「附属でこんなことやってた、うちでも!」となってない現状があるのはなぜか。附小は公立学校ではないが、私立学校でもない。指導要領を遵守することは、附小の良さを否定することなのか?指導要領の枠組みの中で最大限できることをやる、という姿を見せてほしかった。附属学校は、思想に関係なく、通っていない子も含めて全ての子どもとその子どもに関わる教師のためにあるのではないのか。【小学校・教員】

観点③ その他(文科省の対応、報道のあり方など)

その他の意見については、文部科学省の対応への批判や今回の報道への批判などがありました。それ以外にも「この件が現場を委縮させてしまうのではないか」といった危惧の声なども寄せられました。

文科省に対する意見

この手のニュースは数年ごとに浮上する。
その学校がやり玉に挙げられているように思うし、文科省、教育委員会からの「言う通りやらなければ、さらし者にするぞ」という無言の圧力にも感じる。【特別支援学校・教員】

生徒を真ん中においた教師たちの懸命な教育実践に対し、「学習指導要領」を金科玉条のごとく扱いその忠実な実践を強要するものであり、教育委員会と文部科学省による介入以外の何物でもないと考える。教育の画一化と管理統制をいっそう加速させるものである。【特別支援学校・教員】

学習指導要領に沿わないことが不適切と判断されるのであれば、文科省大臣としての「学習指導要領の見直し」や「あくまでもベースとして学習指導要領を示しており、実際には学校や教育委員会の判断」とする発言は何だったのか。
学習指導要領に沿っているかアンケートを取り始めれば、さらに現場判断力が弱くなり、当事者意識の無い他人事で責任逃れの上位下達組織が増えてしまう。【小学校・教員】

文科大臣の過去の発言と「遺憾」という今回の発言の矛盾には納得がいかない。教育大学附属小学校としての使命は十分果たしている。文科大臣は現場を守る発言をすべき。奈良教育大学はやってきたことを誇りに思ってアピールしてほしい。【中学校/高等学校・教員】

国立の附属小学校であれば、先進的な取組を実践して、国に還元するのが役割ではないでしょうか。学習指導要領の内容は、全てやらなければならないとは考えていないと、つい最近文科大臣がおっしゃっていませんでしたか?逆に国に提言してもらいたいぐらいです。こんなことで、全国の附属小学校が点検されるなんて、信じられません。そのために行政と組んでやられたことなんですか?と聞きたい。世界の先進国の真逆を行く今回の報道に、怒りしか感じません。【小学校・教員】

先日、文部科学大臣が「学習指導要領はあくまで基準」という発言があったという記事を拝見しました。その上で今回の履修問題に関して、文部科学大臣が「遺憾である」と発言したという記事を拝見しました。この2つの発言に、現職の小学校教諭も矛盾を感じている人が多くいるように思います。学習指導要領の法的拘束力について、大臣の2つの発言の整合性についての解説の記事、または文部科学省からの解説があると、多くの教員が来年度以降のカリキュラムマネジメントに対し、不安を減らせるかと思います。【小学校・教員】

報道・マスコミに対する意見

記事を目にした時の最初の印象は、小学校の取組について重箱の隅をつつくような指摘に窮屈さを感じました。
内部の告発だったというニュースもあり、その組織のコミュニケーションの苦しさを感じる面もありましたが、これが記事になり世に広がることで、そのコミュニケーションの問題以上に「不適切指導」という言葉だけが独り歩きするように感じました。
記事をきっかけに、学習指導要領と私たち学校教育の取組の関係を捉え直してみると、やはりその指摘と言葉の独り歩きによって、今後わたしたちの現場が、報道を見聞きした方によって、重箱の隅をつつくような指摘を受けたり、揚げ足をとられるような注意をされるようなことが起こらないか心配です。
また、この報道の表面的な話題によって、わたしたち現場の者が萎縮したり「学習指導要領からはみ出さないようにしなければならない」のような、発展的実践や研究を阻害するようなことがあっては、学校教育にとっては大きな損失になるようにも感じています。【小学校・教員】

とても政治的な背景のニュースで、これを見た子ども達の心情が心配。
教育課程の編成について、世論が受ける印象と実際のところは違うので、偏向報道と言われる所以だと思いますが、注目しないといけない部分だと思います。【小学校・教員】

真相はよくわかりませんが、単純にもっと違うレベルで「教育」について報道すれば良いのに、と思います。日本の教育について根底から見直さないといけないこの時に、時数の話だなんて。しかも手抜きの極悪学校でもなく、独自の研究を重ねている先生たちのいる学校のことで。正直「残念だな(本音はバカなの?)日本の報道」って思ってしまいました。
学校がさらに迷走してしまう。多様性豊かな教育への道がまた遠のいてしまう。画一的で創造性の乏しい教育だけが残り、その結果さらに教師も子どもも疲弊してしまう‥。
国の未来や地球の未来を思う気持ちが少しでもあるのなら、報道にはできること、すべきことがもっとたくさんあるはずだと思います。【小学校・教員】

付小に一時期勤務したことがあるので、システムや職員室の雰囲気、教職員の雰囲気などを知ってる者です。知らない立場の人が、報道だけを見聞していたら、大いに誤解されそうな内容だと感じました。
教職員は勿論、保護者や児童が傷ついているのでは?
以前からパワハラ的な言動が目立ち、更にマスコミを使う校長に腹立ちを感じます。
何故、マスコミはこういう時に、真実を伝えてくれないのでしょうか?【小学校・教員】

その他

締め付け強化は誰のため?と思う。現場は萎縮し、事なかれ主義で淡々と工夫もせずに、アイデアを出したり考えたりすることを賞賛するのだろうか。ルールを守ることだけを考え、教えるのが学校のあるべき姿なのか。「誰のため」の「何をどのように」するのが望ましいのか。本質を考え、叩くばかりをやめて寛容に見守る姿勢が学校外の人々に求められているのではないかと思う。しかしながら今回の件のような流れは“コンプライアンス”重視の世の中の中で、ますます強く厳しいものになるのではないかと感じている。【高等学校/高等専門学校・教員】

公立学校が、自己規制や萎縮してしまわないか心配。子供が主語と広まって来たが、逆方向に進む事が危惧される。【小学校・校長】

学習指導要領に則っていない、ガバナンスが効いていない、など、どこまでも教育を管理し、学校や教員は常にお上に妄信的に従うべきである、というようなこの空気は、とても危険なように思います。【高等学校・教員】

今後は保護者やマスコミのチェックがより厳しくなり、教育現場や個々の教員はますます裁量が小さくなるのではという危機感もある。
加えて、「道徳や君が代の不実施」が今回の不適切指導の一つにあることから、保守的とされる政治家や政党の過剰な介入があったのではと予想される。【高等学校・教員】

報道の仕方にも悪意があり、それらを見て勘違いした保護者の学校に対する眼差しが、より厳しくなるだけでなく、勘違いした管理職や教育行政が、教師や学校の創造的な実践の機会を批判したり奪ったりしかねません。さらに、それらの声(聞こえてなくても)をおそれ、教員が萎縮し「言われた通り、教科書通り」の実践が量産されてしまうことも危惧されます。【小学校・教員】

教育の国家統制自体に反対します。
あくまで、教員の良心と保護者との合意にもとづいて行われるべきと考えます。【小学校・教員】

・最終的には憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」に関わってくることだと思っています。まさにインクルージョン、民主主義に直接関わることです。
・多様性は社会を強靭にします。奈良教育大学附属小学校のような学びもあれば、一条校のような学びもあり…社会全体で色々な強みを持った人々が集まるからこそ、社会は強くなります。【高等学校・教員】

まとめ

今回のアンケートは計9日間という短期間での実施となりましたが、報道に対する社会的な注目度の高さも影響してか、140件と多くの意見が集まりました。

全体的には、報道で「不適切」とされた奈良教育大学附属小学校の以前の状態を擁護する立場の意見が多く、全体の約8割を占めていました。また、今回の一連の報道を通じて「そもそもの学校教育のあり方」を論じる意見も多く、全体の約6割はそのような観点での内容を含んでいました。

ほかにも、今回の文科省の対応や報道のあり方に言及する意見なども多く見られ、具体的な教育実践から将来的な教育や社会のあり方にいたるまで、いつも以上に多様な観点からの意見が寄せられたことが特徴的でした。

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すでに公開されている教職員アンケート結果やWEBメディアの記事の内容等は報道の際に使用いただいて構いません。その際は【出典:NPO法人School Voice Project 】クレジットを入れていただき、事後でも結構ですのでご一報ください。

「今の街は、いい意味で学校にすべてを求めていない感じがしています」

そう話すのは、東京都台東区で暮らす楠本美央(くすもと みお)さん。12年間、公立小学校の教員として働いた後、現在は小学校の非常勤講師をしながら、地域コーディネーターとして活動を広げています。

「学校にすべてを求めていない」とは、どういうことなのでしょうか。その奥にある楠本さんの思いと、学校と地域の両方で働くからこそ見えてきたことを聞きました。

「週4学校、週1地域」という働き方

—— 現在は、どのような働き方をしていますか?

週4日は小学校の非常勤講師として働いて、週1日は地域のジェラート屋さんで通りかかった人に無料でコーヒーを提供するフリーコーヒーをしたり、教育や地域をテーマとしたイベントの企画・運営をしたりしています。公的な立場ではないものの、ジェラート屋さんや知人が運営している団体が主催しているイベントでは地域コーディネーターとして関わらせてもらっています。

※地域コーディネーターとは、地域住民等の中から地域と学校の橋渡し役として活動する人。基本的には教育委員会に配置される。
(出典:https://www.mext.go.jp/content/20210526-mxt_chisui02-000015394_4.pdf

—— どのようなきっかけがあって、学校と地域の両方で働くことにしたのでしょうか?

自分のライフステージが変わっていったことが理由の一つです。子どもが生まれて子育てをしながら働くようになってから、学校の中でやりがいを感じながらやっていたことがどんどんできなくなっていったんです。それまでは、自分の仕事はすべてやった上で、学校の授業内容に合わせていろんな人を講師に招いたり、土日の学校でワークショップをやったりしていました。

子育てをするようになってからは定時で退勤するようになり、校務分掌の仕事さえも減らしてもらうようになりました。そんな状況で、先生たちを巻き込んで「こんな企画やりませんか?」なんて言えなくなってしまったんです。もちろん誰もやるなとは言っていないのですが、どうしても縮こまってしまう自分がいました。

これまでと同じ働き方が難しくなってきたことに加え、もう少し地域と関わりたいなという気持ちもあったので、地域コーディネーターのような立場で地域や学校と関わっていく働き方も視野に入れて考えるようになりました。私が住んでいる地域では公的な立場として地域コーディネーターの配置があるわけではないので、個人の活動として地域のつながりを広げられないかと模索しています。

—— ジェラート屋さんでの活動は、具体的にどのようなことをしているのでしょうか?

この前は、ジェラート屋さんで絵の具遊びのワークショップをやってくれた方がいました。その方は美大出身で描くことが好きなのですが、今は全然違う分野の仕事をしていて。子育てがひと段落したタイミングだったそうで、「街の子どもたちに向けて、音楽を聴きながら絵の具で遊ぶ場をつくりたい」と言ってくれたんです。アイデア出しから始めて、当日の運営まで一緒にやっていきました。

その方との出会いは知人からの紹介だったのですが、ふらっとコーヒーを飲みに立ち寄ってくれた人とつながり、それをきっかけに一緒にワークショップを開催することもあります。

街に救われた経験を、街に返す

—— 地域での活動のどのようなところにやりがいを感じますか?

フリーコーヒーをしていると、普段ジェラートを買いに来る人とは違った人との出会いがあります。何かを買いに来ただけだとなかなかそこから交流が生まれることはないけれど、立ってコーヒーを飲みながらだと自然に会話が生まれることがあります。そういう場面は、すごく好きなんですよね。

絵の具遊びのワークショップをしてくれた方は、「子どもたちと描くワークショップをやってみたかったけれど、教室を開くほどではなくて…」と話してくれました。場を提供して、企画から運営までを一緒に考えながらサポートさせてもらうことで、新しいことに挑戦するハードルはぐっと下がると思うんですよね。その体験をともに味わうことができるのは、私自身の喜びにもつながっています。

—— 何が地域で活動する原動力になっているのでしょうか?

私自身が、街に救われた経験があったんです。今から10年くらい前、家庭のことで全く先が見えなくなるくらい苦しい時期がありました。もともとは別のところに住んでいたのですが、私の状態を見かねた学生時代の友人が声をかけてくれて、この街に引っ越すことにしたのが始まりです。当時の私は、心がボロボロになっていて、悲しみの感情しかありませんでした。

そんな状態で迎えた物件探しの日。不動産屋の方と友人だけがいるのかと思ったら、私とは面識のない赤ちゃん連れの夫婦も来ていて「家探してるの?一緒に見るよ」と言うんです。1人暮らしの物件を、なぜか大人5人でゾロゾロと見て回りました(笑)それがすごく新鮮で、外から来た人でも歓迎してくれている感じがしたんです。

実際に住み始めてからはよく街の飲み屋さんに行き、そこで出会った人たちとしゃべって、泣いたり、笑ったりして。誰かが私を支えてくれているというより、街が私を支えてくれている感覚でした。東京でもこんな暮らしがあるんだなって。いつからか、住んでいる家の最寄り駅に帰ってくると、すごくほっとするようにもなりました。その体験があるから、次は私が地域に対してできることをしていきたいと思っているんです。

外部連携よりも、先生にゆとりを

—— 地域コーディネーターとして活動する一方で、小学校の講師としての顔もお持ちですよね。地域と学校の両方を見る中で、変化したことはありますか?

今はどの学校でも地域や外部の人と連携していく流れが強くなっていると思います。既にいろんな人が出入りしている状態で、私自身は「こんな人を呼びませんか?」と自分からさらに連携を進めようと思う気持ちは薄れてきています。

先生たちがこれ以上忙しくなってしまうことには抵抗があって。もちろん先生から「こんなことをしたい」「こんな人を呼びたい」という声を聞いたら、一緒に何かしていきたいとは思っています。けれど、必要以上に外部の人との連携を推し進めることよりも、一人ひとりの先生がゆとりを持って子どもたちと向き合える時間の方が大切なんじゃないかなと思っています。

そして、子どもたちに向けて何かをしたいのであれば、場所は必ずしも学校でなくてもいいと思うようになりました。それぞれの専門性を背景に、「学校では〇〇教育が必要だ」という意見を耳にすることがあります。それはどれも大切だと思うけれど、外から言われた意見によって先生がどんどん苦しくなっている現実もあると思っています。

なので、「〇〇教育が必要だ」と思うのであれば、学校じゃなくても、街中で自分たちでやったっていいと思うんです。今の街は、いい意味で学校にすべてを求めていない感じがしています。気になることがあったら、自分の家でご飯会を開いたり、学校以外の居場所をつくったり。そういう街が少しずつ広がっていったらいいなと思っています。

学校にはいろんな体験が凝縮されている

—— 地域での活動を広げつつも、学校に関わり続けるのはなぜなのでしょうか?

やっぱり、学校は好きな場所なんです。地域で活動する中で、学校の存在意義についてより考えるようになりました。

コーヒーを飲みに行くこともイベントに参加することも、地域でやっていることはどれも行っても行かなくてもどちらでもいい。その方の立場や状況にもよりますが、地域での活動は心地いいところだけを取っていられる側面もあるのではないかなと思います。

でも、学校は必ずしもそうではありません。行かないという選択肢もあるけれど、多くの子どもは毎日行く場所だと認識しています。そして、誰がいて何をするかもほとんど決まっている。それ自体は悪いことではないと思っています。一定の制限がある場所で過ごすことは、苦しさを感じることがあるかもしれないけれど、だからこそ学べることがある。

実際に社会で生きる中では、人間関係が上手くいかなかったり、挫折を味わったりすることがありますよね。それでもまた頑張ったり、少しでもよくしようともがいたりする。そんないろんな体験が、学校には凝縮されている気がするんです。もちろんそれが価値だと言えるのは、子どもの権利が保障された上でのことです。

だから、子どもにとっても先生にとっても、学校がいい場所であってほしいというのはずっと願っていることです。地域で活動することで、その思いはより強くなったかもしれません。