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他者と違う。だから面白い。「対話型鑑賞」で、“心”を育てる

  • 建石尚子

絵画や写真、音楽などの芸術作品を複数人で見て対話を重ねる「対話型鑑賞」。鑑賞者に作品の解釈や知識を教えるのではなく、作品を見て感じたことや考えたことを伝え合います。

今回は、美術や図工の時間に対話型鑑賞を取り入れている小学校教員の城野知佐さん、中学校の美術科教員である川崎佳代さん、高等学校の美術科教員である森本彩さんに、学校で対話型鑑賞を取り入れる意義や生徒の変化について伺いました。

答えを求めず、いつもの会話のように対話を楽しむ

ーー 皆さんにとって、授業の中で行う「対話型鑑賞」とはどのような時間でしょうか?

川崎:対話型鑑賞は、1つの作品について正解を求めずに対話を重ねていくことだと思っています。授業で行うときは作品の情報はすぐには伝えず、生徒同士で気づいたことや感じたことを伝え合います。なので、対話する人やタイミングが変わると、当然対話の展開も変わってくるわけです。他者の発言で作品の見え方がガラッと変わり、話がいろいろな方向に広がったり分かれたりして、一つの作品についてたくさん思考を巡らす、とても創造的な時間だと感じています。

対話型鑑賞をすると、それぞれの見方や考え方の違いを体感できます。それは、お互いの違いを認め合いながら対話をしていくレッスンにもなっているのではないかなと思います。

(兵庫の中学校で美術を教える川崎佳代さん)

森本:その視点はすごく大事ですよね。対話型鑑賞をすることで、生徒自身も自分の世界が広がっていく実感があるのではないかなと思います。中には「どうやって絵を鑑賞したらいいのかわからない」という生徒もいました。つまり、それまでは作品に対する知識しか学んでこなかったので、作品そのものの見方がわからずにいたんです。

以前、ゴッホの絵画『3足の靴』で対話型鑑賞をしたときに、ある生徒が「脱いだ靴を並べて、崖の上から飛び降りようとしている」と言ったんです。そこから「ほんまにそう見える!」「でもこれ室内ちゃうか?」「いや、室外やろ」「え、雪山じゃないの?」と、いろんな見方についての意見が交わされました。私も含めて、固定概念がパーンと壊された感じになるんです。すごく盛り上がりますよ。

城野:作品を鑑賞することの面白さを体感できることは、対話型鑑賞の魅力の1つですよね。相手の考えを知ることで興味を持てたり、違う意見が出ることで対話が盛り上がったりする。その結果として、いろんな見方や考え方ができるようになるんだと思います。

普段、授業の中で話し合いをする場面では、子どもたちに「答えを出さなければいけない」と感じさせてしまう場面が多いのではないかなと思います。対話型鑑賞は、答えを出すことよりも、友達といつも通りの会話をするような感覚に近いんです。答えがなく、たわいもない会話を楽しむような感じです。そんな体験を通して、生活を楽しめるようになってほしいなと思います。

(左:城野知佐さん・大阪の小学校教員|右:森本彩さん・三重の高校教員)

自分では気づかないような「新しい視点」に触れる

ーー 特に印象に残っている出来事はありますか?

川崎:ある授業で、『風神雷神図屏風』の対話型鑑賞をしたことがあります。絵画を見た生徒たちからは「雷を起こそうとしている」「喧嘩しているんだ」といろんな意見が出ました。その中で、ある生徒が「2人は恋人同士なんじゃない?」と言ったんです。理由を聞くと、「2人とも出会い頭にニコニコしていて、嬉しそうだから。『やっと会えたね』と言って喜んでいる」と。そこからさらに対話が広がってきました。違う意見が出ることの面白さを感じますね。

また、以前勤務していた学校で『モナ・リザ』の絵を見せたときは、ある生徒が「眉毛がないからヤンキーや」と言ったんです。作品に対する知識が前面に出ていると、なかなかそういう発言はできないものなんですよね。作品について誰も気づかなかったようなことを指摘する生徒がいることで、そこから対話が広がっていく。

城野:面白い視点ですね。私が印象的だったのは、友達の作品への見方が変化したなと感じたことです。先日、学校で開催した作品展では、5年生の児童が2年生の児童の作品を見て「シンパシーを感じる。自分の作品と通じるところがある」と言っていました。

1つの作品について狭い見方しかできないと、「上手い」「下手」「可愛い」などの感想で終わってしまうと思うんです。でもそうではなく、頭の中で自分の作品と並べてみたり、作品そのものが伝えようとしていることを想像したり、いろんな視点で作品を見ようとしているのではないかなと感じました。

森本:1つの作品との向き合い方は変わってきますよね。私の学校では、授業の中で絵を描くとき、以前は多くの生徒が1、2時間くらい考えるとすぐに描き始めていました。今は4、5時間考えるようになったと思います。例えばお花を描く場合、「どんな種類の花があるんだろう?」「自分は何を表現したいんだろう?」「こう描いたらどんな風に見えるだろう?」などと考えるようになりました。

対話型鑑賞で1つの作品についていろんな見方や考え方をしてきたから、自分たちが作品をつくる立場になったときに、相手に何を届けたいのかを考えるようになったんだと思います。

自分の世界観を自由に出し、心を育てる時間

ーー 対話型鑑賞を続けてきて、気づいたことや感じたことはありますか。

城野:学校の授業で行う「鑑賞」と言うと、友達の作品を見ていいところを見つけてコメントする活動が多いのではないかなと思います。それ自体が悪いわけではないのですが、思考力や判断力、表現力も含めるような活動をしていきたいと思って、対話型鑑賞を取り入れました。その結果、先ほどお話ししたように友達の作品の見方にも広がりが持てているような実感があります。

川崎:まさにそうですね。美術に関する知識を得ることも大切ですが、それ以上に、自分で感じたことや考えたことを表現することに意味があると思っています。それぞれの世界観を自由に出し合いながら、人の視点のおもしろさに出会ったり、言語化されていなかった自分の価値観に気づいたりする。受け皿の深いアートだから、そんな対話ができるのだと思います。

例えば、社会課題や日常の出来事についての対話だと、意見のぶつかり合いが起こる可能性があります。けれど作品についての対話であれば、誰かを傷つけたり自分が傷ついたりすることなく、お互いの意見を出し合えるんです。作品についての意見が違ったとしても、それぞれの人生にはあまり影響しないからです。その過程で、自分の考えに偏りがあることに気づくこともある。自分自身の見方や考え方の枠を広げてくれるものだと思っています。お互いが大切にされている感覚を持てるから、意見を出し合えるんだと思います。

森本:安心感があるからこそ、心が育っている感じがしますね。私の勤務校では卒業後に海外に行く生徒が多いので、最初は「日本の作品を自分の言葉で説明できるようになること」をねらいとしてやっていました。対話型鑑賞を続けてきた今は、「感動する心や相手を尊重する心を育てること」に繋がっているのではないかと感じています。どちらかというと、後者の方を意識しているかもしれません。

対話があたたかい場になることで、生徒たちは「こんなこと言っていいんや」「これもありなんや」と感じ、安心して発言することができます。それが自己肯定感にもつながっていくと思うんです。

ーー 川崎さん、森本さん、城野さん、ありがとうございました。

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建石尚子

1988年生まれ。中高一貫校で5年間の教員生活を経て、株式会社LITALICOに入社。発達支援に携わった後、2021年1月に独立。現在は教育に関わる人や場を中心に取材や執筆をしている。「メガホン」の運営団体であるNPO法人School Voice Project 理事でもある。

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