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メガホン – School Voice Project

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すべての子どもが安心して学校に来られるように、ソーシャルワークの視点から子どもたちを支援する専門家であるスクールソーシャルワーカー(以下、SSW)。全国的に配置の拡充が進んでいるものの、その専門性が十分に理解されていない現状もあります。

学校現場にソーシャルワークの視点が入ることで、子どもたちを取り巻く環境はどのように変化するのでしょうか?

『包摂する教室 「子どもの声」を聴くために欠かせないもの』の著者であり、2016年よりSSWとして学校現場と関わりを持つ小谷綾子さんに、SSWの役割や教職員がソーシャルワークの視点を持つことの価値を聞きました。

子どもたちの「環境」に働きかける人

——— SSWとは、そもそもどんなことをする人なのでしょうか?

一言で表すと、「すべての子どもが安心して学校に来られるように、環境に働きかける人」です。

家庭環境に何かしら問題を抱えている子どもたちが、学校で見過ごされないようにアプローチをしていくことに重きを置くと思われがちなですが、SSWはそのような子どもたちのため「だけ」にいるわけではありません。今日元気に学校に来られている子ども「も」、明日も元気に来られるような環境をつくっていく。そんな考えをベースにしています。

——— SSWの立場から見る「環境」とは、なんでしょうか?

「環境」というと、物理的な環境に意識が向きがちだと思いますが、子どもたちを取り巻く人の人間関係も「環境」に含まれると考えています。例えば、先生と子どもの相性や先生と管理職の相性も環境の1つです。大人のコンディションはすべて子どもに還元されるので、時にはそういった関係性にアプローチしていくこともあります。

——— 実際に出勤してからは、学校でどのようなことをしますか?

私は学校配置型(※)のSSWなので、担当する小学校に出勤した後は、管理職や児童支援を担当する先生、コーディネーターの方と打ち合わせをします。週1日の勤務なので、それまでの1週間の出来事や相談内容を共有してもらい、それに応じて、その日の過ごし方を決めていきます。先生と一緒に児童相談所に行くこともありますし、保護者との面談をすることもあります。特に予定が入らないときは、校内を歩いて子どもたちの様子を見るようにしています。学区内の中学校から要請があれば、そちらに出向くこともあります。

※ SSWの配置形態は、教育委員会を拠点として複数校を広く支援する「教育委員会配置型」と、特定の学校に拠点を置いて活動する「学校配置型」に大別される。(参考:文部科学省 SSWガイドライン

——— 先生からは、具体的にどのような相談があるのでしょうか?

「教室を飛び出す」「友達とよく喧嘩する」「先生に攻撃的な態度を取る」など、相談内容はさまざまです。虐待の可能性がありそうな、気になる保護者の話をされることもあります。

そのような話を聞いた際には、「どのようなことが気になるのか?」「なぜ問題だと思ったのか?」など、まずは先生のお話をじっくりと聞きます。例えば、「教室で暴れる」という相談があった場合は、「いつから暴れるようになったのか?」「どんなタイミングで暴れるのか?」なども聞き、その行動が起こる前との境目に何が起きたのかを探っていきます。

もしかしたら、家で虐待されているのかもしれないし、友達との関係が上手くいっていないのかもしれない。もしくは、先生自身のコンディションの影響で「問題」として見ていたのかもしれません。その子どもの問題ではなく、先生自身の問題であることもあり得るので、先生の考え方には必ず触れるようにしています。

そんな風に、ちょっとした相談から先生のお話を聞いて深く掘り下げていくことで、いろんな可能性を考えていきます。もし「教室に入れない」という相談を受けたとしても、単純に「教室に戻すためにどうしていくか」という話はしません。

「資源につなぐ」だけではない

——— 特に印象的だった出来事はありますか?

別の自治体でのことになりますが、ある中学校で「最近、学校に来ていない生徒がいる」と相談を受けたことがあります。先生に話を聞いていくと、家庭訪問をしようとすると保護者はいつも学校まで来てくれるようで、なかなか生徒と会えない状態が続いていました。

先生にとっては、「学校まで来てくれる協力的な保護者」という印象があったようですが、不登校の子どもを持つ保護者にとって、学校に行くことは心理的な負担もあるはずです。それなのに、いつも学校に来てくれていたわけです。保護者のそのような行動も生徒を取り巻く環境の1つとして考えていくと、その点は気になることでもあったので、「家庭訪問をされたくない理由があるのではないか?」ということを先生にお伝えしました。

あるとき、先生が家庭訪問をすると、家の中は床が見えないくらい物が溢れていたんです。一方で、きょうだいは学校に行っていました。さらに話を聞いていくと、その生徒には発達特性があり、他のきょうだいのように、自分で学校に行く準備を整えられない状態であったこともわかりました。

そのご家庭は、地域からも孤立している状態であったため、最終的に、児童相談所や社会福祉協議会、生徒の発達面をサポートする機関などの資源に繋いでいきました。

※ 個人のプライバシー保護のため、本質的な内容を損なわない範囲で、事例の一部を改変して記載しています。

——— 課題が見えてきたからこそ、必要な資源につなぐことが出来たのですね。

そうなんです。SSWの仕事は、単に「資源につなぐこと」だと思われがちですが、実際はその前から始まっています。先生からのちょっとした相談からヒアリングを重ねていき、「背景にはどんな可能性があるのか?」を考えていきます。そして、子ども自身を取り巻く環境を紐解いていくことで、必要な資源につなぐことができるんです。例えるなら、SSWの役割は「交通整理」のような感じかもしれません。

ソーシャルワークの視点を学校現場に取り入れる

——— 学校の中で、SSWの認知度は上がってきていると感じますか?

全国に目を向けると、まだまだSSWの存在やその役割は正しく認知されていないように思いますが、私が関わっている学校では、少しずつ認知度が上がっているように感じます。最近は中学校からの要請も増えてきましたし、先生方と一緒に福祉的な視点と教育的な視点を合わせて、生徒を取り巻く環境について考えられるようになりました。

別の学校の話になるのですが、7年ほど前にある中学校の学年主任から相談を受けたことがあります。「この春、入学してくる子どもたちの中で不登校生はゼロです。この先、不登校になる子どもがいたとしたら、それは中学校の責任です。そうならないためには、どうしたらいいですか?」という内容でした。

私からは、ソーシャルワークの視点を交えながら、「生徒の、いわゆる“問題行動”とされるような表出に対して指導するのではなく、なぜその生徒がそういう表出をしたのかに目を向けたらいいのではないか」とお伝えしました。例えば、提出物を出さない生徒がいた場合、学校では提出物を出すように迫る働きかけをしがちですが、出せない理由があることを前提に話をしていくことが必要なんです。

その中学校では、「SSWだったらどう考えるか?」という視点で生徒と接することを続けていました。最終的に、その学年が卒業するときに不登校だった生徒は1人だけだったんです。先生からいただいたメールには、1人を不登校にしてしまったことへの責任が綴られていましたが……。

この中学校のように、先生方が持っている教育の専門性にソーシャルワークの視点を加えることで、学校システムを変化させていきやすいのではないかと思っています。

※ 参考:『包摂する教室 「子どもの声」を聴くために欠かせないもの』p.250 著者:小谷綾子

※本メディアを運営するNPO法人School Voice Projectは、政策提言プロジェクトの1つとして、#スクールソーシャルワーカーを増やそう!キャンペーンを展開し、配置時間・予算の拡充・常勤化・スーパーバイザーの配置などを国や文科省等に提言し、記者会見等での社会発信も行なっています。

不適切な行動をどう受け止めるか?

——— SSWとして学校現場にいて、課題に感じることはありますか?

子どもの言動に対して、「その言動は子ども自身が起点になっている」と過度に思っているところが気になります。

例えば、暴言を吐く子どもがいたときに、学校では、「その子自身の意思で暴言を吐いた」と捉え、指導の対象にしがちだと思います。一方で、ソーシャルワークの視点では、「その子が暴言を吐くに至る背景や意味がある」と考えます。つまり、環境に目を向けるんです。どんな人も環境によって表出は変わるもので、100%自分の意思で行動しているとは、本来考えにくいのです。

「その子は、暴言を吐くことでしかそこにいられないのかもしれない」

「暴言を吐くことまでして、なぜここに適応しようとしているのか?」

そんな風に考えていくことで、暴言を吐く行動の背景に何があるのかを探っていくことができます。学校では、「子ども自身がそうしている」のではなく、「子どもがそうさせられているのかもしれない」という視点で、子どもを見れるようになるといいなと思っています。

——— 大切な視点だと思います。一方で、そういった視点を受け入れにくい先生もおられるのではないかと思います。そのような場合は、どうされるのでしょうか?

ソーシャルワークの視点が伝わりにくいと感じたときは、「この子にどんな大人になってほしいですか?」「そもそもあなたはなぜ先生になろうと思ったのですか?」などと聞くようにしています。すると、先生自身の想いを話してくれます。

それを叶える際の視点として、2つの研究を紹介します。1つは、子ども期の逆境的な体験が、将来どのような影響を与えるのかについての研究です。身体的虐待や心理的虐待など8項目を「逆境的な体験」としていて、それらを体験した子どもは、自殺未遂やアルコール依存、違法薬物の使用など、精神的・身体的な健康への負の影響が大きくなるという結果が出ています。

画像作成・提供:小谷綾子さん

※ 参考:Vincent J Felitti 他による「The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study」(1998年)。アメリカ疾病予防管理センター(CDC)と医療保険会社による共同研究データの論文に基づく。

一方で、ポジティブな体験がおとな期に与える影響についての研究もなされています。その研究結果によると、逆境的な体験をしても、ポジティブな体験の数が増えるほど、健康への負の影響を与える割合は低下することがわかっています。

ポジティブな体験とは、「学校に居場所がある」「自分に心から関心を持ってくれる親以外の人がいる」など、7項目。そのうちの3〜5項目を満たせると、おとな期のさまざまな健康リスクが低減され、逆境的な体験があったとしても、それを打ち消すことができるのです。

ポジティブな体験には、学校にいる大人たちがアプローチできることも多く含まれています。

画像作成・提供:小谷綾子さん

※ 参考:山岡祐衣「子ども時代の逆境的体験と肯定的な体験―ポジティブなペアレンティングを支えるために―」(『チャイルドヘルス』2024年Vol.27 No.5、診断と治療社)

子どもと先生の間に愛着関係がないと、先生の想いは届きません。なので、まずは子どもが安心できる環境をつくることが必要なんです。その子が「ここにいていいんだ」と思える状態があって、初めて先生の指導も届くものだと思います。そんなお話をすると、多くの先生は理解してくださいます。

一方で、「(体罰を含めて)厳しく指導してもらったからこそ、今の自分がある」という成功体験を持つ先生もおられます。ただ、それは先生自身の傷の部分でもあると思います。暴力を受けていた過去をいい体験として意味づけすることで、自分の中に取り入れているのかもしれません。本来、暴力を受けていい子なんていないのですが、そんな風には思えず、葛藤を抱えていることもあります。

そういう先生には、状況や関係性によって「本当はそんな指導は受けなくても良かったのかもしれませんね」とお伝えすることもありますし、そのまま蓋をしておくこともあります。

「いつもとちょっと違う」を気軽に話して

——— 小谷さんが望む学校のあり方を教えていただけますか。

ハウツーに頼らない学校になってほしいなと思っています。目の前にいる子どもの状態やその子の家庭環境は、一人ひとり違います。そして、それぞれの先生のアイデンティティや子どもとの関わり方も違う。ソーシャルワークの視点では、すべてのケースにおいて環境が違うので、ハウツーが当てはまるわけがないんです。過去の事例を参考にすることは大事ですが、「ハウツーがあれば上手くいく」ということはあり得ないと思っています。

では、何が大事なのか?それは、学校現場でいろんな先生が「子どもの表出が少しおかしいな」と思ったときに、「この子の背景に何があるんだろう?」と考える視点を持つことだと思っています。それによって子どもに対する大人の関わり方は変わるので、結果的に子どもの表出は変わっていくと思うんです。

例えば、授業中に立ち歩く子どもがいた場合、その行動だけを見て立ち歩かないように指導する先生はまだおられます。それ自体が間違っているわけではありませんが、「なぜ立ち歩かないといけない状態なのか?」にもっと目を向けてほしいと思っています。そうすると、ハウツーに頼らなくても、解決策は見えてくるものなんです。

——— 最後に、SSWと関わりのある先生にメッセージをいただけますか?

もし勤務されている学校にSSWが来ていたら、些細なことでもいいので、困っていることについて相談してみてほしいなと思います。教室で起こった何気ない1コマを切り取って、「これってどんな意味があったんですかね?」という話でも大丈夫です。

そんなちょっとしたことから、「実は家庭で虐待されていた」という事実がわかることもあります。子どもはそういった体験を言語化して伝えてくることはあまりありませんが、何らかの形で表現しているものです。「いつもとちょっと違うな」と先生が思ったときは、相談のタイミングだと思ってもらえるといいかもしれません。

SSWは、先生とは違う立場として世界を広げてくれる可能性がある人なので、あまり怖がらずに関わりを持ってほしいなと思います。

「こんなタイミングで妊娠するなんて…」

高校3年生の担任を受け持つことが決まった春、男性管理職に妊娠報告をしたときに言われた言葉を、今でも忘れられないという田中めぐみさん。

女子校に勤務していたときに感じたつらさや違和感を胸に、「こういう発言をする男性に育ってほしくない」と感じ、2022年度に男性性やジェンダーを専門とした教育実践家へと転身しました。現在は、研修や講演、執筆活動をしつつ、京都の男子中高一貫校で、高校2年生と3年生を対象にした選択制の「男性性研究サークル」という講座を担当しています。

2022年度と2024年度には、同校の公民の授業でジェンダー教育を扱っていた田中さんに、ジェンダー教育の実践内容とその背景にある思いをお聞きしました。

結婚、出産の経験から、「男性社会」に違和感を持つように

——— どのような体験があって、ジェンダー教育に関心を持つようになったのでしょうか?

社会科の専任教諭として女子校に勤めていたときに、結婚と妊娠、出産を経験しました。そのときに職場で言われたことが、今の活動につながっています。

2015年に妊娠し、管理職に報告をしたときに「こんなタイミングで妊娠するなんて」と言われてしまったんです。そう言われたのは、翌年度に私が高校3年生の担任をすることが決まった3月頃のことでした。当時の私はその言葉を間に受けて「申し訳なかったな…」と思い、ボロボロと泣きながら帰ったことを覚えています。進学校でもあり、高3は生徒にとって特に大事な1年間です。管理職のその発言に納得し、自分を責めました。

その後、無事に出産したのですが、2人目の妊娠を検討しているときは、「中学1年生か2年生の担任のときに妊娠するのがいいのかな?」と考えていました。

もう一つ、忘れられない出来事があります。結婚したときには戸籍上の姓が夫の名前に変わり、職場での呼称も変わりました。ただ、今までとは違う名前で呼ばれることに慣れなくて。旧姓使用に戻したいと思って、育休復帰のタイミングで事務の方にそのために変更申請をしました。旧姓で働いている女性の先生もおられたので、当然変更できると思っていたんです。

ところが、「これまでそんな人はいない」と言われ、対応してもらえなかったんです。「そうなんですね」と表面上は納得しつつ、内心驚きました。最終的に、復帰して1年後に通称で旧姓使用をさせてもらうことになりました。そのとき、男性事務長に「離婚も再婚もしていないのに通称使用をする人なんていない。あなたがわがままを通して事務員に手間をかけたのだから、事務員に謝りなさい」という趣旨のことを言われてしまったんです。妊娠のタイミングのこともそうですし、「女子校で働いてても、こんな体験をするんだ…」と思いました。

妊娠のタイミングや旧姓使用のことで、その時期の私はダブルパンチを食らっている感じで、「ここで長くは勤められないだろうな」と思っていたんです。なので、中学1年生からの持ち上がりで中学3年生の担任になったときに、「私もこの学年の生徒たちと一緒に今年度で卒業しよう」と決めました。

———つらい体験があったのですね。退職されてからは、なぜ男子校で教えることになったのでしょう。

退職が決まってから、「男子校で非常勤講師をしてくれないか」という依頼がたまたまあったんです。それで、2022年4月からは学び直しや他校での講師、妊活もしながら、週1回だけ男子校で中学3年生の公民の授業を受け持つことになりました。

振り返ってみると、妊娠報告をしたときに「こんなタイミングで…」と発言した管理職は、中年の男性。そして、旧姓使用の申請に対応してくれた事務職員も同じ年代の男性でした。男子校で授業をするとなったら、「こういう発言をする男性に育ってほしくない」と思ったんです。

それで手に取ったのが、弁護士である太田啓子さんの名著『これからの男の子たちへ:「男らしさ」から自由になるためのレッスン』でした。この本のように、先人たちの知恵を借りつつ、現場を解きほぐしていくような授業をしていきたいと思ったんです。結果的に、2023年度は第2子の出産のためにお休みをしていたので、公民の授業は2022年度と2024年度の2年間担当させてもらいました。

“正しさで責める”から、生徒のしんどさを軸とした授業へ

———公民の授業では、どのような授業をされていたのでしょうか?

2022年度は、ジェンダーやフェミニズム(※1)、ホモソーシャル(※2)などをテーマに、いろんな立場の方に外部講師としてお話をしていただきました。ただ、授業後に生徒たちに書いてもらうコミュニケーションシートには、こういったテーマに対して抵抗するような言葉がなくなりませんでした。それを読む私自身もつらくなってきてしまって。生徒たちが授業についてきていない感じもありました。考えてみれば、「正しいこと」を押し付けられる生徒自身もしんどかったんだと思います。

そんな気づきがあり、2年目となる2024年度は、「生徒たち自身が今いるしんどさから見つけていくこと」を軸にして授業をつくるようにしました。自分や他者のしんどさに目を向けることで、お互いの信頼関係を築くことから始められるのではないかと思ったんです。

※1 フェミニズム:「ジェンダーに関わらず、すべての人が平等な権利と機会を持つべきだ」という信念や、それを目指す運動のこと。(参考:国連ウィメン日本協会
※2 ホモソーシャル:恋愛や性的な感情を伴わない、同性同士の強い結びつきのこと。主に男性社会において、女性への蔑視や同性愛への嫌悪を共有することで結束を高める、排他的な関係性を指して使われる。(参考:PRIDE JAPAN LGBTQ+用語集

———2024年度からは、授業の組み立てを変えたのですね。

そうなんです。最初に扱ったテーマは、「教育虐待」でした。ただ、実際に保護者から教育虐待を受けている生徒がいる可能性もあります。なので、教育虐待をテーマにした授業をすることは事前にアナウンスした上で、「そのテーマを扱っているときは、そこにいないように振る舞ってもいいし、廊下に出てもいいし、保健室に行ってもいい。それによって、成績を変えることはしない」と伝えました。保健室の先生にも協力していただきました。

———授業はどのように進めていったのでしょう?

教育虐待について扱ったときは、子どもが実の親を殺してしまった2つの事件を紹介しました。実際に起こった事件で、どちらも背景には教育虐待があったことも伝えた上で、教育虐待をテーマにしたNHKの番組も視聴しました。

こういった知識を伝えた上で、感じたことや考えたことを紙に書いてもらうと、生徒たちからは「順位をつけるような仕組みは変えるべきだと思う。学歴社会はいらない」「周りと比べるのではなく、自分自身を見てほしい」などの感想が出てきました。

中には少し心配になった感想もあります。それに対しては、講師である私が直接指摘するのではなく、他の生徒の感想も合わせて紹介するようにしています。その方が、より生徒たち自身が自分ごととしてこのテーマを捉え、深く考えてもらうきっかけになるのではないかと思っています。例えば、「教育虐待をさも殺害の理由として正当化しているように感じた」という、少しきつめの感想がありました。それに対しては、他の生徒の「日本の社会のありようが親に影響し、親が教育することによってそれが子どもに影響するのではないか」「教育虐待の考えを広めることで、少なくなると思った」などの感想を紹介するようにしています。

日本の受験戦争があまりにも過酷であることに対しては、国連子どもの権利委員会でも繰り返し懸念を示されているほど(※3)で、その環境に親も巻き込まれていることを構造として見る必要があります。しんどさを感じている生徒がいるとしたら、「それはあなたのせいじゃないよ」というメッセージを伝えたいと思っています。

※3 国連子どもの権利委員会は、日本の「過度に競争的な教育制度」への懸念を表明している。(参考:国連子どもの権利委員会『日本の第4・第5回政府報告に関する総括所見』CRC/C/JPN/CO/4-5、2019年

———授業は、生徒の声も丁寧に扱っているのですね。何か意識していることがあるのでしょうか?

授業は、『たった一つを変えるだけ:クラスも教師も自立する「質問づくり」』という本を参考に、生徒の質問をベースに進めるようにしています。毎授業の最後に、感想や質問などをコミュニケーションシートに書いてもらい、それを次回の授業づくりに活かしています。

教育虐待について授業で扱うときにも、事前に質問を書いてもらっていました。「教育虐待を未然に防ぐために、私たち個人ができることは何か?」「子どもが親の教育に対して嫌だと思えば、それは教育虐待をしていることになるのか?」などの質問が出てきて、それらをベースに授業を進めていきました。

———教育虐待を扱った後は、どのようなテーマに移行していったのでしょうか?

社会学者であり臨床心理士の西井開さんを外部講師として招いて、「男性の生きづらさ」や「男性同士のコミュニケーション」について学んでいきました。男性同士で起こりがちな「いじり」や「からかい」のコミュニケーションに加わらないと、「お前、ノリ悪い」と言われてしまったり、弱さを見せにくかったりすることがあります。

特に、私が勤務していた男子校は進学校であり、能力主義的な考えも結びついていくことで、しんどさでがんじがらめになってしまうこともあります。そういった文化があることを見ていきながら、西井さんからは、少しでも生きづらさを減らせるような考え方やそれぞれができる小さなアクションについて話していただきました。

土曜講座は、自分の感覚を言葉にする場

———現在は、同じ男子校で土曜講座を担当されているのですね。公民の授業とは、どのような違いがあるのでしょうか?

「男性性研究サークル」という講座で、10人以下の少人数でやっています。60分間のうち前半20分くらいは前回の振り返りや私からのテーマ提示で、その後は全員で円になっておしゃべりするような対話的な授業です。

大切にしているのは、「しゃべりっぱなし・聞きっぱなし」にすることです。大前提として知識の大切さはありつつ、正しい答えを教える授業ではなく、「自分の感覚を言葉にする場」にしていきたいと思っているんです。それができるのは、評価が必要ない土曜講座の良さかもしれません。通常の授業では話にくいことも、少人数のこの場では言えることがあるようで、「実はこういう場面で、親にこんなことを言われて…」と話し始める生徒もいます。

土曜日の昼食時間には、SOSの出し方や受け方について考える自主サークルもやっています。そこに来てくれるのは、中学3年生のときに、公民の授業を受けてくれていた生徒たちです。親友には話せないことでも、ここではしゃべれるテーマがあるようで、自分の言葉で話したときに受け止めてもらえる場や関係性があることの大切さを感じています。

そこには専任の先生も顧問として携わってくれていて、先生自身が子育ての悩みを生徒に聞いてもらうような場面もあるんです。その先生にとっても、生徒から癒しをもらえるような時間になっているようです。

———先生も自分の悩みを生徒に話すことがあるのですね。

そうですね。私自身、公民の授業を担当しているときから、「私はこうやって生きています」と生徒たちに見せることを大切にしています。例えば、初回の授業では、私の1週間の過ごし方を紹介することもあります。曜日によっては夫が子どもの保育園の送迎を担当していますし、土曜日は私が仕事なので、夫が家事や育児をすべて担当しています。そんなプライベートな話もしました。

男子校で勤務したからこそ、見えてきたこと

———男子校でジェンダー教育をすることの難しさを感じる場面はありますか?

私自身、女性として男性社会の中を生き延びてきました。そんなマイノリティの立場であるからこそ、見たくなくても見えてしまうものがあると思っています。それを伝えたくて、初めて男子校で授業を担当したときは、「正しさで責める」ことをしてしまいました。ただ、それではうまくいかないと気づいたんです。

今は、少人数での土曜講座を担当しているので、生徒との信頼関係ができています。その状態であれば、私が言ったことは生徒にそのまま理解してもらえることが多いのですが、外部講師として単発で男子校で授業をするときはそうはいきません。

例えば、アラフォー女性である私が、「女性としてこんなことが辛いんです」と生徒たちに伝えても、あまり刺さりませんが、マジョリティ性の高い男性教員の話は聞き入れてくれることが多いんです。それがわかっているので、あえて男性の先生にも授業に入っていただき、私がジェンダー的な話をした後に、「先生はどう思いましたか?」とお聞きするようにしています。すると、「生理中に動けなくなっている妻を見て、生理のしんどさを初めて知った。自分が甘かった」「夫婦でタクシーに乗ると運転手さんは敬語で喋るが、妻から『私1人だったら、タメ口なのよ』と聞いて驚いた」などと話をしてくれます。すると、ジェンダーに対する生徒の理解度も深まるようです。

話す人によって生徒の受け取り方に違いがあることには悔しさもありますが、その場の空気に柔軟に対応することも必要だと思っています。生徒たちには、「ジェンダーについて学ぶことで、あなたたち自身は生きやすくなるだろうし、それによって周りもハッピーになりやすいよね」と、遠回りであっても伝えたいと思っています。

“私たち”は、この社会を頑張って生き延びている

———最後に、現場にいる教員としてできることを教えていただけますか?

まずは、先生自身が失敗や困難に直面したときに自分を過剰に責めず、自分自身に優しさを向けてほしいと思っています。先生がしんどい状況であることは、実は言わなくても生徒には伝わっているものです。なので、しんどさは生徒に言ってしまうのも一つだと思います。

例えば、先生たちも能力主義の構造の中にいる現状があります。成績をつけるときには、「あなたにはいろんな面があって、とても素敵な人であることはわかっている。成績はこの一面だけを切り取ってつけているのであって、それだけがすべてではないよ」と伝えてしまうとか。もし私が生徒の立場だったら、それを言われるだけで救われるなと思います。このように、先生自身の考え方を生徒に伝えることの大切さは、組織開発家である勅使川原真衣さんと対話したときに気付かされました。

大切なのは、生徒と自分を違うものとして切り離さないことだと思っています。男性社会の中で同じように生きていたら、生徒も自分もしんどいと感じることは同じかもしれない。「この社会の中で、私たちは本当に頑張って生き延びているよね」という気持ちで関わっていくといいのではないかと思います。

あとは、ジェンダー教育は完璧な知識がなくても始めていいものです。生徒からの問いをきっかけに、自分自身が感じたことを話してみてもいいですし、専門家の方の本を読んで紹介してもいいと思います。

一方で、私がやってきたことは、非常勤講師で時間の融通がきいたからできたことでもあると思っています。専任の先生に「同じことをすべき」なんて、口が裂けても言えません。自分が担当している授業の中で少し触れる以外にも、外部講師を招いて授業をしてもらってもいいと思います。

最後に、私が尊敬する性教育実践者のあかたちかこさんの言葉を紹介したいと思います。

「あなたの表現は、あなたが望む世界の創造に、今日もきちんと加担しているか」

この言葉を、いつも忘れないようにしています。空気を読まずに水を差す人としてそこに在ることで、救われる人がいます。それは過去の私自身でもある。

これからも学び、たくさんの人と一緒に感情を言葉にしていく中で、「今の自分なら助太刀できる」と思える人が増え、その思いが、困っている人のそばに立ち、第三者として声を上げる行動につながっていったらいいなと思っています。