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2024年春、東京都は都内公立小中学校で使われている男女別出席簿を、すべて「男女混合出席簿」に移行する方針を固めました。背景には、無意識の性差別の助長を防ぐといった狙いがあります。(参考:東京新聞)
そんな中で、子ども同士、また教員から子どもへの呼び方についても、男女を問わず「さん」付けをすることが慣習的に広まってきています。こちらもジェンダー平等意識の高まりやLGBTQへの配慮といった目的がありますが、必ずしもルールとして明文化されてはいない様子です。
子どもの呼び方について、全国の学校現場にはどのようなルールや現状、意見があるのでしょうか。全国の小学校の教職員に聞きました。
※このアンケートは、WEBアンケートサイト「フキダシ」内にある『みんなに聞きたいこと』に寄せられた投稿から作成されました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2024年6月14日(金)〜2024年7月15日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :82件
Q1. あなたの学校では、子ども同士が子どもを呼ぶとき、男女問わず「さん」を付けることが、学校のルールで決められていますか?
子ども同士の呼び方について、「『さん』を付けるルールがある」と回答した人は、全体の16%にとどまりました。「ルールがある」という回答は小学校のみで見られ、小学校に限ると26%が「ルールがある」と答えていました。
「ルールがある」という回答には「公式の場所では『さん』を付ける」というルールや、校長によるルール作りなどの声が挙げられました。一方で、全体の80%以上を占める「ルールはない」学校においても、「さん」付けの指導や暗黙のルールがある、という声は一定数寄せられました。
また、「さん」付けではなく、「相手が嫌だと感じる呼び方はしない」というルールの存在について言及した人もいました。
授業などの公式の場所では「さん」づけで呼ぶ 休み時間などは基本的に自由だが、何らかの敬称をつける方が望ましいという姿勢【小学校・教員】
ジェンダーの問題や1人の人として尊重するという意味合いでそういうルールを校長が作り、年度初め、学校経営案の説明時に周知されていた【小学校・教員】
指示したことは今まで一度もありません。小学校で「さん」付けだった生徒たちも、中学入学後は相手との関係に合わせて使い分けています。【中学校・教員】
明確なルールはありませんが、慣習として授業中は男女問わず「さん」づけをするよう指導しています。それ以外では、クラスや学年の雰囲気によってあだ名や呼び捨てなど様々です。【小学校・教員】
ルールとしてはないが、学習中はさん付けで…が暗黙のルール。【小学校・教員】
ルールはないが、呼び捨てにしないよう指導しています。【小学校・教員】
Q2. あなたの学校では、教員が子どもを呼ぶとき、男女問わず「さん」を付けることが、学校のルールで決められていますか?
教員が子どもを呼ぶときのルールに関しては、「『さん』を付けるルールがある」という回答が全体の28%となり、子ども同士の場合に比べると若干多い結果となりました。また、校種別にみると小学校は40%、中学校が11%が「ルールがある」という回答でしたが、高校・中等教育学校ではすべての回答者が「ルールはない」と答えました。
しかし、「ルールはない」と答えた中でも、子ども同士の場合と同様、共通認識や文化として「さん」付けを行っている、という声が多く見られました。また、「ルール」が何を指すかという認識や、現場での「さん」付けの浸透度合いによって、答え方には揺れがあることが見受けられました。
ジェンダーの問題や1人の人として尊重するという意味合いでそういうルールを校長が作り、年度初め、学校経営案の説明時に周知されていた。【小学校・教員】
暗黙のルールになっています。【小学校・教員】
特にルールというほどではないが、みんな普通にそうしている。【小学校・教員】
それが望ましいことは共通認識としてありますが、ルールとして設定されているわけではありません。【小学校・教員】
「ルール」として明文化されていませんが、「さん」をつけて呼びましょう(「くん」で呼ばない)という文化が浸透しています。【中学校・教員】
そのようなルールはないが、子どもたちを尊重する意味で多くの職員が「さん」付けで呼んでいる。【中学校・教員】
Q3. 上記の内容に関連して、あなたが思っていることや考えていることを教えてください。
我が子が先生から呼び捨てにされていたら、敬意がないというか、大切にされていない感じがして嫌です。対等な関係を目指すため、距離感を保つため、アンガーマネジメントのために“さん”付けはいいなと思います。【小学校・教員】
さん付け、慣れると違和感はありません。呼び捨てにされるより、かなり「大事にされてる感」があるように思います。教師と児童ができる限り対等な関係に近づく一歩でもあると思っています。【小学校・教員】
一人一人人間で、尊重される。「さん」をつけられると、自分も嬉しいし。何よりも、相手を尊重しているので。【特別支援学校・教員】
「公的」な場(授業や職員室・会議)では名字に「さん」を付けて呼ぶことを意識しています。「私的」な場(休み時間や部活動など)では、本人との関係性によっては、下の名前やニックネームで呼ぶこともあります。【中学校・教員】
教員はさん付けが基本だが、しない場面もある。ただ「ルール」と言われたことはなく、それが当然。子ども同士は長い付き合いなどもあり、さん付けを促すと驚かれることも。最低限、授業中はつける。【小学校・教員】
学習中は「さん」付けで呼ぶことで、学習と休み時間との区別がついてよいです。子ども同士の「さん」付けルールはありませんが、教師が使っていると、自然と子どもたちも使っているように感じています。【小学校・教員】
公平性、ジェンダーやLGBT、児童へのリスペクトの感覚を忘れないという気持ちで「さん」一択です。先生の中には高学年児童を「くん、ちゃん、呼び捨て、あだ名」と相手によって変える人がいて、気になります。【小学校・教員】
子ども同士は意識している子が多いが、むしろ教員が崩してしまっている人が多い。困難校なので、名前呼び捨てで子供をまとめていく人も多く、やはり高圧的な方に多いと思います。【小学校・教員】
さんをつける方が良いのは理解できるが、生徒との距離感が出てしまう気がします。また、さんをつける教員も少ないので、迷っています。【高等学校・教員】
呼ばれたくない名前で呼ばれることは避けたいですが、呼び方を指定することは思考停止だと思います。【小学校・教員】
全員を「くん」で呼びましょうよりも「さん」の方が良い。が、「暴力的に全員同じように扱う」ことへの抵抗感がかなり大きい。見た目で性を押し付けるのはいけないが、それを上回る違和感をずっとぬぐえないでいる。【中学校・教員】
どのように呼ぶかを決める必要があるのか?あるならなぜ必要なのか?話し合う必要があると思います。呼ばれたい名前で呼ぶことが本来の互いを認め合うことではないでしょうか?【小学校・教員】
ルールにするのであれば、呼びたい名前で呼んであげる、ならいいのになと思います。年度のはじめに何と呼ばれたいかを子どもに聞くし、何て呼んでほしいかを伝えています。【小学校・教員】
大人社会もそうなので、さん付けに慣れることは良いと思う。【小学校・教員】
人の敬称は、お互いの関係性や立場のちがいによってつけられるものである。教師と子どもは教える人と教えられる人との関係であり、一方的に教師だけが子どもにたいして『さん』をつけるのをルール化するのはおかしい。【小学校・教員】
子どもには呼び捨てにしないよう指導していますが、本心では幼馴染の子どもたちが親しみを込めて呼び捨てにし合うのを微笑ましく思っています。さん付けは中高生になってからではいいのでは?【小学校・教員】
「さん」付けをルールとしている学校は、子ども同士・教員から子ども、共に多いとは言えない一方で、現場での慣習的な「さん」付けが年々広まっているということが、アンケートの結果から伺えました。一方で、呼び方を統一すること、教員から呼び方に関して指導することに対する違和感の声も、多く寄せられました。
また、『自分の「呼ばれたい名前」を机のシールや自己紹介カードに書き、あだ名で呼び合う』という取り組みを行っている、といった声も挙げられるなど、回答された方がそれぞれに「子どもの呼び方」に対して向き合っている様子が伺えました。
名前は、その人そのものを表す、とても象徴的で大切な要素です。最近では「子どもだけでなく教職員もそれぞれの呼ばれたい名前で呼びあう」という学校や、社内で互いにニックネームで呼び合う「ニックネーム制」を採用している企業も出てきています。(参考:大分合同新聞,ヤッホーブルーイング)
「『さん』に限らず、教員と子どもたちとの適切な関係が築けることが大切だと思います」という声の通り、ルールや統一の有無に関わらず、多様な子どもたちのニーズや感情に向き合う姿勢が大切なのかもしれません。
【このようなアンケートを作成したいと思った方へ】
「フキダシ」は、現役の教職員の方が無料で登録できるWEBアンケートサイトです。このアンケートは、WEBアンケートサイト「フキダシ」内にある『みんなに聞きたいこと』に寄せられた投稿から作成されました。投稿内容をもとに定期的にアンケートを作成しますので、フキダシでアンケート化してほしい話題がありましたら、ぜひユーザー登録をして投稿してください!
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
教職員×学生・生徒で、立場を越えて語り合ってみよう!
2024年7月24日に座談会「 子どもも大人も幸せな学校をつくるには?」がオンライン開催されました。座談会には学生団体・ミライエコールの3人とSchool Voice Projectのメンバーが参加。教職員など、学校教育に関心のある人約30人もオブザーバーとして耳を傾けました。先生から意見を聞いてもらえない学生・生徒、忙しすぎて余裕のない教職員、がんじがらめのルール……。学校生活のつらさを「幸せ」に変える方法は、どこにあるのでしょうか。
ミライエコールは、東京大学の学生を中心とした学生団体で、中高生がよりいきいきとした学校生活を送れるように、生徒が学校生活に関する自分の意見や思いをより言いやすい環境を目指しています。現在は、ウェブメディアへの教育に関する記事の掲載、学校生活の実態を把握するためのアンケート調査事業、生徒の主体性等に関するイベント運営などの活動を行っています。詳しくはウェブサイトをご覧ください。https://mirai-ecole.com
「学校現場の声を見える化し、対話の文化をつくる」をミッションに、100名を越える現職・元教職員メンバーの参画によってスタート。一人ひとりの教職員が日々働きながら感じ考えていること=「学校現場の声」を見える化し、課題解決へとつなげるための組みとして、WEBアンケートサイト「フキダシ」・WEBメディア「メガホン」・教職員のオンラインコミュニティ「エンタク」の運営、さらに政策提言・ロビイング活動に取り組んでいます。 https://school-voice-pj.org
山口 世夏(やまぐちせな):
東京大学文学部3年。小中高と、学校の理不尽なルールや出来事について、他の生徒や先生に意見を伝えた上で、話し合いをするようにしてきた。特に高校では、生徒会長として学校の風通しの悪い制度や雰囲気を変えようと活動した。そのときの体験がきっかけで、大学の同級生らとともに、学校で生徒が自分の思いや意見を言いやすくなることを目指して、学生団体ミライエコールを立ち上げ、現在活動中。
伊藤 亜優美(いとう あゆみ):
早稲田大学教育学部1年。中学時代、校則への意見や不満を学校へ訴えにくい雰囲気に疑問を抱いたことがきっかけで学校制度に興味を持つように。高校では校則について考える中学生向けの授業の企画運営に携わる。現在は大学で教育制度や生涯教育、社会教育など広く勉強中!
可知 櫂(かちかい):
慶應義塾志木高等学校2年生。生徒会本部に所属し、学内での活動とともに外務役員として対外交流を実施。その際、生徒と先生との意見の乖離を問題視し、現状の打開のため学外の学生団体に所属。現在も活動中。
日本中高生協議会代表。生徒会活動振興会準会員。
逸見 峻介(へんみ しゅんすけ):
埼玉県公立高校教員。2022年度には生徒指導部主任として、民主的で対話的な組織を目指して改革を行い、「生徒支援部」へと改称する。ワークショップデザイナー・NPO法人School Voice Project理事・みんなのルールメイキングプロジェクト教員アンバサダー。「人間っていいな!面白いな!」と思える人を増やすため、日々必死に生きている。
主催:対話の場 Open Education など。
大野 睦仁(おおの むつひと):
音楽なしでは生きられない札幌市内の公立学校に勤務する教諭。ココに通う子どもたちと、ココで働く先生たちと一緒に、「学習者主体の教室づくり/対話を通した職場づくり/内省を生かす自分づくり」を模索中。
「教師力BRUSH-UPセミナー」代表/札幌市近郊サークル「Go-Ahead」代表。
司会:武田緑(NPO法人School Voice Project理事)
山口:私は高校のときの経験がきっかけとなってミライエコールを設立しました。まずはその体験談をお話します。
入学当初から服装についての校則に疑問を感じ、ルールを変えるために生徒会に入りました。でも、役員間の話し合いは平行線で話が進みません。2年生の時に会長になることを決めましたが、他の役員や生徒会の顧問から立候補を止められました。
あまり学校生活について自分の意見を言う人がいない高校で、おそらく何かを変えること自体への抵抗感があったのではないかと思います。私は校長先生に訴え、立候補して会長になりました。全校生徒を対象に服装規定についてのアンケートを取ろうしましたが、先生や他の役員の反対にあいました。その後、やっとのことで意見書を職員会議に提出しました。後日になって、職員会議の日に「生徒会長は権力を乱用している」などと書かれた書類が、生徒指導部長から先生たち全員に配られていたことを知りました。
大学生になって一連の体験を周りの友だちに話したところ「自分たちで何かできるかも」という話になったのです。
伊藤:校則については、私も理不尽に感じました。
私立の中高一貫校に通っていたときのことですが、例えば人の名前を呼ぶときは名字に「くん」か「さん」付けにするとか、お店の立ち寄りについて場所や時間の制限があるといったルールがありました。先生からの評価を生徒が気にしていて発言することが難しく、窮屈に感じました。
私はその雰囲気に耐えられず、高校1年生のときに通信制高校に転校しました。そういった経験から生徒が安心して意見を言えるようにする必要があると感じ、ミライエコールで活動しています。
可知:僕は埼玉県の私立高校の2年生で、生徒会に入っています。
「大学みたい」と言われる学校で、例えば1時間目の授業の先生が出張になるとその授業が休講になります。朝、掲示板を見て「1、2、3限が休講」となると学校に来た意味がなくなってしまいます。僕はデジタル掲示板の作成を企画しましたが、却下されてしまいました。理由は「伝統だから」という一言。
ちょうどその頃から生徒会で学校間交流などの外部活動を始めていました。他校にも自分たち同様の悩みがあると気づき、学生自ら活動できる環境を整えていきたいと思いました。
逸見:私は埼玉の県立高校で教員をしているのですが、2年前に生徒指導主任をやっていて、生徒指導部から生徒支援部へと名前を変えました。教員も生徒も、自分の声を出すことは難しいだろうなと思うことがあります。何かを変えるための提案について、プロセスを民主的に進めていくことができていない人も、方法を知らない人もいる。これは構造的な問題で、根が深いと思います。
司会:生徒指導や生徒会などで話し合って決めたことも、職員会議全体とか管理職の先生から「それは無理です」と言われて終わり、といった話も聞きます。
大野:「子どもと大人が幸せな学校」の実現を目指して頑張っていても、道のりは遠いなと思うことがあります。でも大事なことは、その間にも子どもたちは毎日学校に行っているということです。大きな未来や遠い未来も考えつつ、近い未来も考えていく必要がある。小さな前進を実感できたり、共有できていく余裕が教室にも職員室にもあるといいんじゃないかと思う。具体的に言えば、先生方は春休みが1年間で一番忙しい時期なんですよね。その期間を少し長くすることによって余裕を持って子どもたちと向き合えると考えています。
山口:例えば生徒から意見が出た場合、先生たちの中でどのぐらい共有されるかが気になります。
逸見:口頭での意見だと伝言ゲームになり、結局変換されたりするんですよ。でも書面の場合だと記録に残るので、話題になる確率は上がると思います。
司会:普段から大人が生徒の声に対応していれば、書面を提出して訴えるといったことも必要ないかもしれないですよね。日常のコミュニケーションがないから、何かが出てきたときに対立・対決モードになるのかもしれません。
大野:札幌の小学校は保護者のアンケートを年に2回とっていて、教員全員が必ず保護者全員のアンケート結果を見ます。教員も年に2回意見集約があり、全員分の要望などが全員に共有されるんですね。だから誰かに言ったら止められちゃうとかいうことは、基本的にはないと思います。児童についても年2回の面談日が設定されています。
あと毎朝、何か言いたいことがある人が誰かと話せるチェックアプリもあります。担任に話したくないことは、担任以外の先生と話をしたいというところにチェックをすると、その日のうちに関われる。全体よりも1人1人の思いを吸い上げる流れになっているような気がします。
伊藤:先生の中でも生徒に寄り添いたいとか変えたいっていう先生と、変えたくないっていう先生で分断があるのかなと感じます。
大野:分断はありますよね、間違いなく。教員の仕事をしていると方向転換の難しさが本当にわかるので、そこにしがみつく気持ちも分からなくもない。そういう人たちは職場の中でもある程度年齢が上になっていて、発言権がある場合もある。なかなかその分断の溝を取り除くのは難しい。
山口:札幌市の学校は制度的な面で進んでいるという印象を受けました。それができる学校とできない学校の違いはなんなんだろう、どうしたら変えていけるのだろうと思います。
逸見:例えば「近くの学校はこう変わったらしいですよ」とかいうと「そうなんだ、うちも見直さないとね」となることがあるんです。
私は何かを変えたいときには、同期に一斉にLINEして「どうなってる?」って聞いています。SNSを使って情報を受け取る・発信する・調べるとか、探究的なスキルがあると、変わっていく可能性があると思います。
大野:まず、こういう会を通してつながりを得ることはやっていけることの1つ。あとは「◯◯さんがそこまで言うなら仕方ない」って周りの先生が思うぐらい仕事をするとか、普段から人間関係にめちゃくちゃ気を遣ったりとか、めっちゃ泥臭いことをやっていくしかないんですよね、残念ながら。
反対する人がいたら、懇親会でわざわざその人のそばに行って懐に入るような話をするとか……そういう一面も持ってやっていかないとなかなか幸せな環境にはなっていかないと思います。
可知:全国的に「変えよう」という意識を普及させていかないと、いい意味での同調圧力というか「周りがやってるから、僕たちもやろう」とはならないと思います。
伊藤:私立の学校ってよそはよそ、うちはうちみたいな思考を持っている人が多いと感じます。トップの人の意識を変えることが大事なのかなと思いました。
山口:私は、まずは問題提起をすることだと思っています。問題を問題だと思われていない現状があるので、それを示すためにも調査事業で数で示すことは必要。そうじゃないと極端に言えば「気のせいじゃない?」みたいに片付けられちゃうと思うんですよね。
今困っている人を助けたくて発信したものが、多くの人に刺さることがある。必ずしも学校教育全体を俯瞰する問題意識を持っていなくても、今困っている生徒や先生方に発信が届くようにすることで自然と連帯が生まれるのかなと考えました。
逸見:先生たちにも、生徒のことをすごく思ってやっている人はいます。だからあまり「先生たちは」ってくくらないでほしいなってちょっと思います。生徒にもすごい人たちがいっぱいいるから、われわれも力を借りた方がいいと思いました。
大野:それぞれの地域でもっと年齢を問わず「こんなことに困ってるんだよね」と話せる場を作れたらいいな。そして今日対話した学生の方のような人材がもっともっと増えれば、本当に学校は変わっていくんじゃないかなと強く思える時間になりました。
伊藤:校則を変えるという一つのイベントで先生と生徒が協力するとか、対話をするということをすれば、どちらにとってもメリットがあるのではないかと思いました。学校の抱える課題を解決することが、ネガティブな印象から少しポジティブな印象になりました。
可知:やっぱり感想で一番に出てくるのは「難しいな」というところです。そこをどうやって攻略していくかがこれからの未来に対してすごく大事なことになってくる。だから、こういう活動を諦めずに続けていこうと思いました。
山口:学校で自分の意見をはっきりと言う人は今の時点では少数派かもしれませんが、全国でかき集めることによって心強くなれると思います。今、学校生活を送っている中高生や、大変な思いをしている先生方に活動を届けていけたらなと思いました。
文部科学省の中央教育審議会は2024年5月、教員が特定の教科ごとに授業を受け持つ「教科担任制」について、今の対象である全国の公立小学校5・6年生から、さらに3・4年生にまで拡大すべきとする審議を特別部会で取りまとめました。(詳しくはこちら)
長らく学級担任制を中心としてきた小学校ですが、2022年度の本格導入以降、既に高学年では教科担任制が広く実施されています。中学年にも教科担任制が広がる動きについて、現場の教職員はどのように考えているのでしょうか。全国の小学校教員に聞きました。
■対象 :全国の小学校に勤務する教職員
■実施期間:2024年7月12日(金)〜2024年8月12日(祝)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :61件
Q1. 小学校中学年における教科担任制についてあなたの意見を教えてください。
小学校中学年への教科担任制導入に関しては、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて57%、「どちらかというと心配・懸念が強い」「心配・懸念が強い」が合わせて43%と、前向きな意見がやや上回りました。
Q1-2. 上記の選択肢を選んだ理由をお書きください。
授業準備の負担が軽減する。担当する教科が少なくなる分、1つの授業準備に時間をかけられ、授業の質が上がる。【小学校・教員】
教材研究の負担が減り、質の高い授業を行える。教員にも得意不得意があるので、不得意な分野を得意な方に任せられるのはありがたい。【小学校・教員】
自分自身、理科専科をやっています。担任よりはるかに質の高い授業ができていると思います。【小学校・教員】
理科、図工、体育等専門性を求められる教科がある【小学校・校長】
子どもたちや保護者への対応を考えると,教科担任制は必要だと思う。子どもにも教師にも、人間関係の合う合わないがあるし,複数の目で子どもたちを見ることは組織的な対応に繋がるし、働き方改革の意味でもよいと思います。【小学校・教員】
担任の先生の負担軽減になり、空き時間が確保できて、その時間に仕事ができる。仕事ができる時間がうまれることで、ゆとりをもった働き方ができ、定時に帰れる人が増える。多くの大人の目で子どもたちを見ることができる。【小学校・教員】
前向きな意見では専門性が求められる教科を得意な教員に任せられることによる授業の質の向上、複数の大人が見守ることで子どもの多面的な理解につながる点などが挙げられました。
小学校中学年の教科担任制は学級経営や子どもと教師との関係性づくりの面でとても懸念が強く、反対である。国語や算数など教科担任で分けられてしまうと、まだ発達段階で成長途上の中学年では弊害が生まれそうです。【小学校・教員】
休み時間のトラブルの解決、配布物の集約、持ち物の整頓など、教科指導よりもまだまだ、「学校生活」についての指導の割合が大きい学年なので。【小学校・教員】
学習において具体的操作期から抽象思考への過渡期でもある中学年は、教科横断的にカリキュラムを組むことが有効である。教科ごとに担当が変わってしまうと、思考の流れの変化に戸惑う子どもたちへのケアが届きにくい。【小学校・教員】
教科横断的な取り組みがしにくくなる。柔軟な時間割調整ができなくなる。【小学校・教員】
そもそも、今の人員数のままでは難しい。【小学校・教員】
小規模の学校で、教務以外級外がいません。特別支援学級の交流もあり、担任同士での交換はしていますが、時間割を組むのが本当に大変です。【小学校・教員】
小学校免許の養成課程において、専門性を持っていないのに専科的に授業を進めていく事には無理がある。得意な教科に当たればいいが、経験が少なく苦手な教科を割り当てられれば不幸な結果につながる。【小学校・教員】
懸念点として、中学年は生活でも学習でもまだ包括的な支援が必要な年齢であること、人員不足への懸念、得意不得意に留まる教員の専門性への疑問などが挙げられていました。
Q2. あなたの学校では中学年で教科担任制を導入していますか?
既に所属校で中学年での教科担任制を導入していると答えた回答者が56%となっており、試行や部分的な導入が進んでいる様子が伺えます。
Q3. 設問2で「はい」と答えた方への質問です。どのような方法で中学年への教科担任制を導入していますか。教科ごとに選択をしてください。
教科担任制による実施が多い科目は音楽・理科・外国語活動・図工で、これらは中学年の教科担任制を導入している小学校の半数以上で実施されていました。逆に担任による実施が多い科目は道徳・総合で、実施は導入校の20%未満でした。実施形態については、音楽・理科が専科の教員による実施が多い一方、社会は多くが授業交換による実施が行われているなど、教科ごとに特徴が見られました。
Q4. 設問2で「はい」と答えた方への質問です。実際に運用してみてのメリットを教えてください。
メリットとして、全体の59%が「教員の負担軽減」を挙げていました。一方、「小・中学校間の連携向上」は高学年の教科担任制導入の際に謳われたメリットでしたが、中学年の教科担任制を導入してい回答者でメリットに挙げていた人は1人もいませんでした。
Q5. 設問2で「はい」と答えた方への質問です。実際に運用してみてのデメリットを教えてください。
メリットよりも、デメリットの方が意見が割れました。「教科横断的な学習が難しい」「柔軟な時間割調整ができない」「担当しない教科の指導力が下がる」を挙げる人が多かった一方、「担任による包括的な見守りができない」を挙げる人はわずか9%に留まりました。
Q6. すでに開始されている、小学校高学年における教科担任制について、あなたの意見を教えてください。
既に導入されている高学年における教科担任制については、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて74%と、中学年の57%を大きく上回っていました。また、教科担任制が一斉導入される直前(2021年10月〜11月)のアンケート調査での60.7%から13%増えています。2022年度の本格導入から約2年半が経過し、現場から一定の指示を得ているようです。
担任の負担が減ったことは素晴らしい。【小学校・教員】
高学年の教材研究の負担が減るから。【小学校・教員】
高学年では、人間関係が難しく、解決に時間のかかるようなトラブルも起こりやすいため、多くの教員が関わり変化に気づいたり声をかけることができることに大きなメリットを感じる【小学校・教員】
高学年を色んな大人の目で見ることで、子どもも担任だけではない人と関わることができるのは人間関係形成の上で役立つ。【小学校・教員】
中学校に向けて担任でない人の授業を受ける機会が増えるのは良いと思う。【小学校・教員】
多用な教員との関わりができ児童の見方考え方が広がり、中学校での教科担任制への移行がスムーズになる。【小学校・教員】
学校規模や子どもの状況など、学校ごとに異なる状況の中で、必ずしもそれが機能しない場合も想定されるため「〜すべき」という形で一律に導入を求めるのではなく、可能な選択肢として提示されるべき。【小学校・校長】
もちろんその際には、学級数プラスαの人員配置や、教員一人ひとりのキャリア形成における教科指導の経験担保など、包括的な視点・施策が欠かせないと思う。【小学校・校長】
中学年と同様に教員の負担軽減や授業の質向上がメリットとして挙げられています。子どもの多面的な理解につながる点は中学年と同様ですが、中学年では「(大人の目で)子どもを見る」と答えた方が多かったのに対し、高学年では「多様な人との関わり」が重視されている点が特徴的でした。
保健行事やイレギュラーな行事が入ると時間割調整が困難な様子がみられる。【小学校・教員】
水泳指導や行事の際に時間割の変更が難しく、クラス間で時数に差が生まれたり、当日などの急な変更に対応を求められたりするのは困る。【小学校・教員】
教科横断的な授業の展開が難しくなるだろうなと感じています。【小学校・教員】
従来は学級担任が行なっていた教科横断的なカリキュラム・マネジメントの実施が難しくなる。【小学校・教員】
担任が見た方がいい部分もあると思うから、2クラスを3人で担任するくらいが適当。【小学校・教員】
人が配置されず、結局は、教科担任制でなく、交換授業にしかならない。それは、かなり負担が大きい。【小学校・教員】
人の配置にもっと文科省が本気になって取り組んでほしい。【小学校・教員】
1〜3クラスだと教科担任とはほど遠い教科交換であり、負担軽減にはならない。【小学校・教員】
小学校免許の養成課程において、専門性を持っていないのに専科的に授業を進めていく事には無理がある。【小学校・教員】
既に導入が進んでいる分、時間割調整の難しさや人員不足など、運用のハードルが具体的なシーンで挙げられていました。
Q7. 仮に小学校低学年にも教科担任制を拡大するとしたら、あなたの意見を教えてください。
低学年への教科担任制拡大については、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて42%と、中学年・高学年よりも慎重な意見が多く見られました。
低学年の担任が1日中、子どもたちと付きっきりなので、専科があると心のゆとりがうまれる。専科教員が増えることで、担任の負担軽減につながる。【小学校・教員】
担任の業務が多すぎる。担任はホームルームティーチャーとして、国語、道徳、総合くらい教えて、あとは細々と児童の世話する、他の授業の補助みたいな、アメリカだとそんな感じですが、そのくらいでいいと思います。【小学校・教員】
子どもの多様性に、1人の教員だけではカバーしきることは難しいと思う。いろいろなタイプの教員がかかわることで、自分のよさをだしていける環境をさぐっていくこともあっていいと思う。【小学校・教員】
朝から帰るまでずっと一緒にいるのは精神衛生上あまりよくないと思うから。【小学校/中学校・教員】
低学年においても、あるいは低学年でより強く、子どもの特性と教員あるいは学級の不適合が生じている現実があるため、教科担任制をはじめとする環境の弾力化は有効だと思う。【小学校・校長】
困難学級も、担任だけでなく、複数の目で見て指導支援できる。【小学校・教員】
担任と子どもの関わりが強い低学年であるからか、1人の担任と子どもたちがずっと一緒にいることによる教員・子ども双方への負担を減らす期待が伺えました。
低学年は担任の先生とのつながりが、まずは大切だし、そこまで専門性の必要とされる教科はないと考えている。【小学校・教員】
低学年は幼児教育の延長線上にあるべきで、「教科」という枠組みで、子どもたちの学習を切り分けるべきではありません。【小学校・教員】
とくに1学期は、教科や45分という枠で分ける方が難しい。(オムニバス型であったり国語といいつつ生活や算数の内容もたくさんありますし。)【小学校・教員】
低学年で教科を分担させる手間がかかる。【小学校・教員】
低学年の子どもには教科担任制は反対する。いま1年生の担任をしているが、入門期だからこそ多岐にわたって同じ大人が指導することで子どもの混乱が生じにくい。【小学校・教員】
低学年は担任との繋がりが大事です。【小学校・教員】
教諭のやり方も違うので、低学年が落ち着かなくなる可能性が高い。【小学校・教員】
低学年も全てを担任が指導するべきとは思わない。算数少人数や、音楽、図工、体育など専門性の高い教科はメリットも多いだろう。しかし、T2として担任も見守りには入る方がよいと思う。【小学校・教員】
中・高学年よりも、担任とのつながりが大切になる発達段階や、まだ教科の専門性が中・高学年より高くない学習の特性から、担任との安定した関係性の方を重視する声が多く挙げられました。
現在は小学校高学年のみが対象の教科担任制を中学年にまで拡大することに関しては、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて57%、「どちらかというと心配・懸念が強い」「心配・懸念が強い」が合わせて43%と、前向きな意見がやや上回りました。
実際に所属校で中学年での教科担任制を導入している学校は、回答者の56%となっていました。高学年での教科担任制の運用経験から、現場の判断で対象学年を広げている様子が見てとれます。実施している教科は音楽・理科・外国語活動・図工が多く、逆に総合・道徳は担任による実施が多いという結果でした。
また、導入してみてのメリットとして「教員の負担軽減」を挙げた回答が全体の59%と、全体の過半数以上を占めました。一方で、「時間割を組むのが大変」「担任の先生が子どもと過ごす時間が減る」といったデメリットも指摘されています。
高学年または低学年への教科担任制については、学年によって意見が分かれます。
高学年ではすでに多くの学校で教科担任制が行われており、「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて74%と、多くの先生が良さを実感しているようです。
一方、低学年への導入については「よいと思う」「どちらかというとよいと思う」が合わせて42%と、他の学年よりも比較的導入に慎重な様子が見られました。「まだ担任の先生との関係が大切」という声も目立ちました。
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工藤 美季(くどう みき):
元教員で、現在は山形でファシリテータ―・教育コンサルタントとして活動中。個人事業のtsunaguでホワイトボード・ミーティング®を中心にしたファシリテーション研修やセミナーを行いつつ、一般社団法人terraの代表理事として「不登校」に関わる支援を中心に子ども、保護者、学校の支援を行う。
現在は日々多くの不登校生と関わっていますが、教員として約30年間子どもと関わってきた中で、「不登校」といわれる子どもとの出会いは実は後半ほんの数名だけでした。それでも教員になりたての頃より何倍も増えている不登校生を目の当たりにし、ニュースになっている数字の増加を体感する30年だった気がします。
私が教員をやめたのは2021年3月。
今の仕事から不登校の子どもたちのために教員を退職したように思われているのですが実は違っていて、2018年から学び始めたファシリテーションをもっとたくさんの子どもたち、先生たち、地域に届けたいということで個人事業設立でした。育児のための短時間勤務の後補充としての非常勤講師、福岡のフリースクールのオンラインコースの手伝いで退職後1年目がスタートしました。
それらの活動を当初は個人事業の中で行っていたのですが、思っていたより市内の不登校数が多いこと、市の適応指導教室(支援センター)につながっている人数が少ないこと、市内にフリースクールがないことなど知り、個人事業から一歩進んだ体制を整えたいと考えるようになりました。
天童市には約130名の不登校がいるといわれています。しかし外部機関につながっている児童生徒は10名に満たない状況でした(この状況は今もあまり変わりません)。子どもが困っているというより、どこにもつながれない、相談できない、学校との毎日の連絡で疲れている保護者がいました。現在も「どこに相談したらいいのかわからなくて……」と相談に来られる方がいます。
上記のような課題から、フリースクールのような子どもの居場所の提供だけでなく、支援学級の増加、保護者の相談場所などを学校の外からサポートする仕組みを作っていく必要があるのではと考えて設立したのが一般社団法人terraです。
現在terraで行なっている事業は下記の4つです。
この4つを柱に事業を行い、まもなく2年になります。
現在terraを利用しているのは主に小学生で学校に時々顔をだしたり、担任の先生と定期的に会っていたりするお子さんが中心ですが、全く学校に行かないというお子さんもいます。スクール利用の保護者の方とは定期的に面談の形でお話をする時間をとっています。個別に相談にくる内容では発達障害にかかわる学校との面談やお子さんへの支援についてが多いです。親同士がつながる場としては親terraがあるのですが、現在terraで取り組んでいる「こどもまん中社会へのアクション」としての子どもの権利の勉強会などでの繋がりも生まれています。
その中の1つ、「親の会」では、私自身も耳が痛くなるような声も上がってきます。
基本は親も先生も子どもの成長を願っているのですが、親の会ではやはり学校の対応への苦しさの声が聴かれます。
私も現職時代は、欠席しがちな児童が休むとまず電話、そして家庭訪問という流れを何度となく繰り返していました。電話の向こうでとても申し訳なさそうに謝る保護者の声を聞いたとき「この電話は本当に必要なのだろうか」と思い悩むこともしばしば。そんな疑問を持ちながらも学校の対応のマニュアルに沿って毎朝電話をし、家庭訪問をし、保護者面談をする日々でした。当時の自分の気持ちを思い出してみると、「教室にクラスの子がみんないることが当たり前」ということを疑いもせず「理由なく休むことへの不安」が大きかったように思います。
とにかく学校に来て授業を受けてもらうために「まずは学校に連れてきてください」と車に乗せ、登校後は教室までみんなで誘導する……、など、いろんなことをしてきました。当時は「当たり前」「仕方ない」と思って行ってきたこれらのことですが、それが保護者にとって、そして本人にとってどうだったのか問い返す日々です。
「電話が鳴るたびに心臓が止まる思いだった」
「給食を止めたいといったら、もし学校に来た時食べれなくなりますと言われて止めなかったけど、結局1年間一食も食べなかった」
「『欠席が30日になると不登校になります』と言われ何が何でも学校に連れて行かないとと泣き叫ぶ子を引っ張っていきながら苦しかった……」
「親の会」で保護者の話を聞いていると、教員と保護者はそれぞれ「子どものため」に動いているはずなのにどこかでずれが生じ、大きな溝になっている場合があることが感じられます。保護者も我が子に学校に行ってほしいと思うから、まずはなんとかして学校に行かせなくては。みんなと同じように勉強に……と学校に向かうように働きかけます。それでも思うように動かない。そんな苦しみを抱えて過ごしています。
そんなとき、「◯◯してほしい」という保護者や本人の思いと「◯◯しなければ」という学校の思いはなかなか噛み合いません。上記で紹介した給食の件をはじめ、連絡の方法や卒業アルバムのことなど、そういった例はたくさんあります。どのような場合でも、「本人がどうしたいか」が抜け落ち、周りの大人がよかれとおもうことをあれこれ画策しているように見えます。
では、どんな風に噛み合わせていったらいいのでしょう。そういったずれは不登校だけでなく、相談で多い「発達障害」にかかわる内容でも同じです。
保護者相談はスクール利用の保護者の方だけでなく発達障害の診断を受けて相談や担任との面談に向けての相談など様々です。話を伺っているとおそらく先生も悩んでいるだろうと感じることがたくさんあり、何件かは教育委員会や管理職と共有し一緒に支援を考えているケースもあります。
保護者むけの事業を中心に紹介してきましたが、活動のメインはやはり子どもの居場所。フルイドスクールterraは学校と家庭の中間地点のイメージです。現在週2コース、週3コースそして単発利用(回数券)で利用ができます。
「不登校だからフリースクール」といったイメージではなく、学校や他の施設、自宅、そしてterraから自分で過ごす場所を選びフレキシブルに学びや体験を楽しんでほしい。そんな願いを込めて「フルイド(流動・流体)」という名称を使っています。
現在は体験型のワークショップのようなプログラム(お灸、お花、ヨガなど)や、自分たちで計画を立てて実行する電車でおでかけ、おひるごはん作りなどを行っているほか、さくらんぼの時期にはサクランボの仕分けやパック詰めなどを仕事として大人の人と一緒に行います(その様子はさくらんぼプロジェクトとしてインスタやHPで紹介しているのでぜひご覧ください)。また、最近ではイベントごとのチラシも子どもたち自身が作成しています。
プログラムへの参加も基本自由。自己選択・自己決定を基本にしています。昨年度からは市の適応指導教室(アウタースクール)の利用者の方もプログラムに参加できるように連携しています。理想は、学校の授業とterraプログラムと自由に行き来しながら受講できるようになることです(なるかな……)。
スポーツクラブで自分の受けたいプログラムを受けるように、カルチャークラブをはしごするように、学校の学びとterraでの学びが流動的につながっていったら、「ちょっとしんどい」が楽になるのではないでしょうか。
私自身も現職時代「担任が何とかしなきゃ」「まずは担任が家庭訪問して、面談して」と抱え込んでいきました。「とにかく学校に連れてきてください」と保護者に伝え、学校の中でなんとかする……。そんなふうに「頑張って登校させること」を一生懸命行ってきたつもりでした。
しかし、中学卒業間近のスクール生と雑談をしていたときのこと。話の流れでスクールのことを知ったきっかけを聞いてみたところ、その子は中学1年の秋から学校に行かなくなり、その年の冬にはフリースクールや適応指導教室のことを知っていたとのことでした。でもその頃はもう引きこもりたく、人に会いたくない、そんな状況だったと。結局、それから1年たった中学2年の年明けからやっと動き始めることができたとのこと。「小学校のときは頑張って行っていたけど中学でエネルギーがきれた」という本人の言葉が印象的でした。
この話を聞いたとき、自分が頑張って登校させた結果、中学でのエネルギー切れを生み出していたかもしれない……。そんなことを考えました。
いま私が活動を通して思っていることは、「先生が一人で抱え込む必要はなく、もっと肩の力を抜いていい」ということです。無責任でなく周りの施設や関係者にゆだねる。そんな時期もあっていいと思っています。
「多様性」「インクルーシブ」などの言葉をよく耳にします。その言葉によって学校に行かないこと、障害のある子どもたちがしかたないと切り分けられるのではなく、ポジティブに共に前に進むことができる。そんな社会になった時「不登校」という言葉がなくなっていくのではないでしょうか。
そのためには、学校が担任が一人で悩み抱えるのではなく、外部リソースをもっと活用していいと思うのです。学校の外には連携のポイントはすでにたくさん生まれています。「共に」支える仲間でいきましょう。