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「女子はしっかりしているね」「男子は荷物運びを手伝って」「男女別に並んで」
そんな言葉を、無意識に子どもにかけていることはありませんか。
教育する側が意図しているかどうかに関わらず、学校で過ごす中で児童生徒が学び取っていく事柄を「隠れたカリキュラム(ヒドゥン・カリキュラム)」と言います。例えば、教員が上記のような言葉を子どもに投げかけることで、子どもたちは「女子はしっかりしているけど、男子はそうではない」「力仕事は男子の役割」「性別は女性と男性に区別されるもの」というジェンダー規範を学び取っていきます。
※ジェンダー規範:男性と女性がどのようにあるべきで、どう行動し、どのような外見をすべきか、という考え(出典:https://onl.bz/8eF5rw2)
他にも、教員が暴力的な言葉を使って子どもと関わっていると「暴力的な言葉を使ってもいい」「自分より年下の人を乱暴に扱っていい」と子どもは学び取っていきます。
このような「隠れたカリキュラム」は、必ずしも子どもたちに悪い影響を与えるものばかりではないものの、ジェンダーによる役割意識を植え付けたり、いじめにつながったりする可能性があると言われています。
今回は、「隠れたカリキュラム」の一つであるジェンダー規範について、私立桐朋小学校の教員の星野俊樹さんにお話を伺いました。「僕自身も、『男はこうあるべき』というジェンダー規範に悩まされてきました」と話す星野さんは、「生と性の授業」に取り組んできたほか、子どもたちにジェンダー規範を問い直す実践を続けてきました。
星野俊樹さんプロフィール:
1977年生まれ。出版社勤務を経て小学校教員に転職。都内の公立小学校に6年間勤務した後、2016年に私立桐朋小学校に着任。人権教育に関心があり、現在は包括的性教育の教育実践を模索中。『差別のない社会をつくるインクルーシブ教育』に勤務校での実践を寄稿、『これからの男の子たちへ』には著者の太田啓子さんとの対談が収録されている。
—— どのような場面で、「隠れたカリキュラム」があると感じますか?
学校生活の中でよく見る場面で言うと、まずは教科書の表記があげられます。小学校2年生の算数ドリルには、次のような文章問題が載っていました。
そうたさんの 学校の 2年生は,男の子が 45人,女の子が 43人です。あわせて 何人ですか。
この問題文には2つの問題点があります。1つ目は、男の子と女の子のイラストです。男の子は髪が短くて服がブルー、女の子は髪が長くて服がピンクでジェンダーステレオタイプ的に描かれています。
2つ目は、男の子と女の子の数を合わせて、子どもの数を求めさせているところです。この問題文からは、すべての人が女性もしくは男性のどちらかに当てはまるという考え方である性別二元論が、「隠れたカリキュラム」として組み込まれています。性自認には女性・男性のほかに、女性でも男性でもあるとか、どちらでもないとかさまざまあるはずです。
では、どのようにこの問題文を変えればいいのでしょうか。例えば、「男の子」を「1組の子ども」、「女の子」を「2組の子ども」に書き換え、外見からは性別が分からない子どものイラストにするのも一案です。
また、漢字ドリルの例文では、「母に代わって、朝食をつくる」「僕の兄はカブトムシが好き」などの表現が出てくることがあります。ここにも「隠れたカリキュラム」があって、「料理をするのは女性の役割」「男の子は昆虫が好き」などの性別役割分担やステレオタイプを強化してしまうのではないかと思います。母ではなく父、兄ではなく姉でもいいわけですよね。性別で分ける表現やジェンダーバイアスのある表現があったら、その部分は使わないようにしたり少し手直しをしたりすることもあります。
ただし、その教材内のすべての例文を1つ残らずジェンダーニュートラルにはしないようにしています。そうしてしまうと、逆にジェンダーニュートラルな表現が1つの規範となり、ニュートラルではない表現が否定、排除され、多様性の本来の意味から離れてしまうからです。多様性を体現する漢字ドリルにするのであれば、「朝食を作る父」や「カブトムシが好きな姉」といったジェンダーニュートラルな文章だけでなく、「朝食を作る母」や「カブトムシが好きな兄」といったジェンダーステレオタイプ的な文章も含みこむ必要があるでしょう。重要なのは多様なあり方や選択肢があることを示すことです。
—— 教科書やドリルの表記以外にも、「隠れたカリキュラム」はあるのでしょうか。
かつて勤めた学校の入学式で、違和感のある場面がありました。新1年生を歓迎するメッセージとして、「これから僕たちの仲間だよ」という言葉が講堂に大きく掲げられていたのです。
自身のことを「僕」と表現するのは男の子に限ったことではありませんが、やはり一般的には男の子が使う一人称であるイメージが強くあります。生徒を代表する呼びかけの一人称が、「僕」であることは、男の子が学校の代表であることを伝える「隠れたカリキュラム」だと思います。
また、座席の並び方や2列に並ぶときの順番にも「隠れたカリキュラム」があります。男女がペアになるように座席を並べたり、2列に並ぶときは性別ごとに背の順で並んだりしますよね。ここにも人間を性別で区別する考え方があると思います。
—— 学校に入学する前から、家庭や社会からすでに何らかの影響を受けているのでしょうか。
そうですね。幼稚園や保育園でも、子どもたちにジェンダーを意識させるような仕組みがあると思います。例えば、先生が幼児一人ひとりのトレードマークを決めて、幼児の持ち物にそのマークを付けておくのは幼稚園や保育園では一般的で、まだ文字を読めない幼児にとってはそのマークが名前の代わりになるわけです。
その取り組み自体は問題ないと思います。ただ、シールの割り振りがジェンダーバイアスを強化しているケースが多い。女の子であればうさぎやいちごのマーク、男の子であれば飛行機やカブトムシのマークという感じです。
今の社会で生きていたら、幼稚園や学校でジェンダーバイアスを植え付けようとしていなくても、女の子らしさや男の子らしさを意識させるような力が働いているように思います。本当に“その子らしさ”を大切にしたいのであれば、社会がどのように子どもたちをジェンダー化するのかアンテナを立て、そのメカニズムを熟知した上で、あえてニュートラルな関わりをしたり、仕組みをつくっていったりする必要があるのではないでしょうか。
—— なぜ、学校の中でジェンダー規範が強くなってしまうのでしょうか。
「女性脳・男性脳」が、まだまだ根強く信じられているからだと思います。たとえば、女の子はもともと母性があり感受性が強く、男の子は生まれつき攻撃的で機械好きなのは、性別によって生まれつき脳の組成が異なるからであるというような説です。しかし、そのような考え方は、科学的根拠のない俗説であり、ニューロセクシズム(神経学的性差別)と呼ばれています。女らしさや男らしさを作り上げるものは、脳ではなく社会だという前提が、まず教員間で共有されていません。
だから、「女性脳・男性脳」を信じている教員たちは、女の子はピンクやプリンセスが好きで、男の子は電車や戦いごっこが好きなのは、本能的なものと信じて疑わず、不適切な子どもの言動に対しても、安易に「女の子だから・男の子だからそういうものだよね」と済ましてしまう。
「女性脳・男性脳」を信じてしまうと、男の子の他者に対する暴力的、権力的な関わり方に対して「男の子ってわんぱくだし、そういうものだよね」で簡単に済ませてしまったり、女の子が自分の本当の感情を押し殺して“いい子”に振舞っているだけなのに、本音に気づくこともなく、その姿を『おしとやかで女の子らしい』とほめたり、そんな女の子をやんちゃな男子のお世話係にあてがってしまいます。
—— 大人の考え方や関わり方も、影響しているのでしょうか。
学校の中では、教員だけではなく管理職も含めて、みんなが自覚せずともジェンダー規範を強めている側面があるように思います。
「権力とは状況の定義権である」
臨床心理士の信田さよ子さんは、フランスの哲学者であるフーコーの言説を引用してそう述べています。その状況において、何が正しくて何が正しくないかを定義する力を権力だとすると、教員も権力を持っている存在だと言えます。どんなに気をつけていても、教員は権力から逃れることはできません。なので、教員がジェンダーに対して無自覚なままでいると、子どもたちのジェンダー規範やジェンダーバイアスを強化してしまうのです。
その構造は、教員と子どもの関係だけではなく、管理職と教員の関係にも当てはまります。例えば、「高学年は男性教員、低学年は女性教員が担任をする」という暗黙のルールがある小学校もあります。
「高学年は仕事量が多いから、子育てをしている女性教員には負担が大きい」「女性教員はきめ細かい指導ができるから低学年がいい」など、一見すると善意だと受け取られるような考えが、ジェンダー規範を強化してしまっている。また、校長や副校長といった管理職に就く人は依然として男性が多いですし、PTA会長を依頼するときは、父親に声をかけることが慣習になっている。そこにも偏りを感じます。
—— 星野さんは、子どもたちと関わる際に気をつけていることはありますか?
ジェンダー規範は、先生の言葉遣いや振る舞いの積み重ねで構築されます。なので、僕はあえてジェンダー規範を崩すような関わりをするようにしています。男の先生として期待されている言動を、ちょっと裏切ってみることもある。子どもたちの言動がジェンダー規範にとらわれていると感じたときには、丁寧に説明したり僕自身の考えを伝えたりするようにしています。
以前、運動会の踊りで使う扇の色を子どもたちがそれぞれ選ぶ場面がありました。ただ、そのときに「女の子はピンク、男の子は青である必要はなくて、自分がすきな色を自由に選べばいいんだよ」と言うだけでは、子どもたちの中のジェンダー規範をゆるがすことは難しいと思います。
なので、「ピンクが女の子の色になったのは、ここ最近のことで、アメリカの百貨店の販売戦略の影響からなんだよ※」という話を子どもたちにしたことがあります。それぞれの性別に紐付く色のイメージは、実は社会の中で恣意的につくられてきたものだということを子どもたちに伝える必要があると思ったからです。
すると、結果的に男の子はピンク、女の子は青を選ぶ子が多くなってしまいました。これも教員の権力ゆえですよね。このように、子どもたちは教員の影響を、どうしても大きく受けてしまうので、伝え方は模索しつつも、やはり「自由でいいんだよ」と伝えるだけでは不十分だと感じています。「ジェンダー規範は社会的に構築されてきたものだ」ということを、子どもたちにわかるようなかたちで伝えていきたいですね。
—— ジェンダー規範をなくしていくことで、子どもたちにどのような影響があるのでしょうか。
性別による思い込みを手放していく過程で教員が適切に介入することで、一人ひとりをエンパワーしていけると思っています。あるエピソードを紹介しますね。
以前、体育の授業でドッヂボールをやったときに、女の子から「つまんない」という声があがりました。男の子がボールを独占しがちで、活躍するのも男の子が中心だったからです。
この状況に対して、子どもたちの問題は子どもたちが解決するからと、教員が一切介入しなければ、「みんなが楽しめなくてもいい。強い人だけが活躍できればいい」という弱肉強食を肯定するような文化がまかり通るのを看過することになってしまいます。だからと言って、「男の子だけがボールを独占するからドッヂボールはやらない」と判断するのも、僕は違うなと思っています。
ドッヂボールが嫌だと感じる子どもたちの気持ちに寄り添いつつ、どうすればみんなが楽しめるのかを話し合いました。体の大きさはみんな違うし、ボールを投げることが得意な子もいれば苦手な子もいる。授業ではそう話した上で、「みんながドッヂボールを楽しめるようにするにはどうしたらいいだろう?」と子どもたちに問いかけました。するといろんな意見が出て、最終的には「全員が最低1回は投げられるように、ボールをお互いに譲り合おう」「相手チームを煽らない。とげとげ言葉を使わず、『ありがとう』や『ドンマイ』といった、ほかほか言葉を使おう」と決まりました。安心・安全な雰囲気の中で誰もが楽しめるドッヂボールを目指しました。
みんなが楽しめることを第一にしているので、授業でドッヂボールをするときには、勝敗はつけないことにしています。もし、ボールの譲り合いをせず、勝敗をつけるドッヂボールをしたいのであれば、休み時間にやりたい子どもたちだけでやればいいと伝えています。
ドッヂボールで投げる機会を得られた女の子たちは、「もっと上達したい」と思ったようで、「先生、もっとドッヂボールがうまくなりたいです!」と言ってきたので、その子たちと放課後にボール投げの練習を一緒にしました。そしたらどんどん上達するわけです。ある女の子は、その後ドッヂボールで感じたことを作文に書いていました。
「女の子は投げるのが苦手」そんな思い込みを教員がなくしていくことで、女の子や男の子という性別に関係なく、その子をエンパワーしていけるのではないかなと思います。
—— 1人の教員として、子どもたちとどう向き合っていくかを模索している方に向けて、アドバイスをいただけますか。
子どもたちと過ごす中で、必要だと思ったタイミングで違和感を伝えたり、みんなで話し合ったりしていけばいいのではないかなと思います。そうすると、子どもたちにもその課題に向き合う必然性を感じてもらえます。
学習指導要領に書かれているように、「⚪︎年生になったら、この内容を教える」という伝え方をしてしまうと、子どもがそのときに必要としている学びを保障できなくなる可能性もある。必要なタイミングを逃さないようにするためには、やはり教員が常にアンテナを立てておくことが大切だと思います。
以前、僕の学級で「男は女を守るものだ」という発言をした子がいました。そのときに、「女の子っていつも守られるほど弱い存在なんだろうか?」という話をしたことがあります。性別に関係なく、誰もが生きていたらつらくて助けてほしいときや守ってほしいことはありますよね。だから、お互いが助け合って生きていければいいのではないかなと。
このときに意識しているのは、“I”メッセージで伝えることです。発言した子どもを批判するのではなく、“私が”どう感じたのかを伝えるようにしています。
—— アンテナを立てるのも、なかなか難しそうですね。何か工夫できることはありますか?
子どもたちと一緒に考え、学んでいけばいいと思っています。特に小学校高学年や中学生、高校生になると、ジェンダーについてアンテナが立っている子どもは一定数いると思っています。なので、その子たちの力を借りたり、巻き込んでいくことが大切なんです。そもそも教員1人がアンテナを立ててすべてをキャッチするなんて難しいですよね。
子どもたちに、「教科書の表現や学校のシステムが今の時代に即しているのかをみんなで考えていきたいと思っているから、もし気づいたことがあったら教えてね」と伝えてもいいと思います。高学年の子どもたちには、ちょっといたずらっぽく「炎上案件があったら教えてください」と言ってみるのも一つ(笑)。そうやって投げかけることで、子どもたちはいろんな気づきを伝えてくれると思います。
—— 最後に、星野さんの根底にある思いを教えてください。
いわゆる「男らしい」男の子でなかった僕は小学生のころから、学校が押しつけてくる「らしさ」や「ふつう」に対して、しんどさや生きづらさを感じていました。運動会では性別で種目が決められ、女子はチアダンス、男子は上半身裸で騎馬戦や組体操をさせられました。嫌だという声も上げられない状態で、「ふつうって何だよ」と思い続けていました。学校や社会が押し付けてくる「らしさ」や「ふつう」がとても辛かった。そんな僕にとって「隠れたカリキュラム」を意識した実践は、目の前の子どもたちだけでなく、かつての自分を救う営みでもあるんです。
参考:上半身裸の騎馬戦という「地獄」に苦しんだ僕は、教師になった
僕は子どもたちに、ジェンダー規範に縛られず、自分らしく生きてほしいと願っています。しかしそのためには、教員が「あなたらしく、自由に!」とただ言うだけでは不十分で、子どもたちにジェンダーに関する知識を伝え、体験を通じてエンパワーしたり、学校の中の仕組みを見直し、変えたりする必要があります。「隠れたカリキュラム」を意識した実践は、それを公教育という場で実現するためのものです。
たとえば、子どもたちの気になる発言に対して立ち止まり、みんなでざっくばらんに話し合ってみたり、教材が性別役割分担や、異性愛規範(セックスや恋愛、結婚は男女間で行うべきものであるという規範やバイアス)、性別二元論を強化していないか見直してみたり、「ふつう」と思われている学校内のジェンダー規範に対し問題提起をして校則について考え合ってみたり、教員自身が日頃感じているジェンダーに関する生きづらさを子どもたちに率直に開示してみたり、「隠れたカリキュラム」を意識した実践の糸口は、日常生活の文脈の中にたくさんあるはずです。
僕自身、子どもにジェンダーをどう教えたらいいのか、自分がジェンダーの固定観念にとらわれた発言をしていないだろうかと、日々葛藤しながら実践をしていますが、「隠れたカリキュラム」を意識した実践を通じ、ジェンダーについて考えることは、自分自身を新たに発見し、他者に対する理解をより深めることにもつながっているように感じています。自分や他者の多様な側面を発見し続けることが楽しいんです。教員である前に、一人の人間として「らしさ」や「ふつう」に囚われることのない、しなやかな自分でありたいと思っています。
学校での働き方改革が叫ばれている今、教職員の皆さんは夏休みをどのように過ごしているのでしょうか。
夏休みには教科関係、部活動などの課外活動、事務関係、プールや学校行事、研修など、学校や立場によってそれぞれの業務があります。その中で、閉庁日などを活用して帰省やバカンスなど、積極的に休暇を取る方も多いと思います。
全国の教職員の方に、夏休みの勤務状況や意見を聞きました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2023年7月14日(金)〜2023年8月14日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :75件
Q1. 勤務校の、今年度の夏休みの開始日(1学期の終業式の日、またはそれに値する日)を教えてください。
Q2. 勤務校の、今年度の夏休みの終了日(2学期の始業式の日、またはそれに値する日)を教えてください。
上記設問の回答を元に夏休み期間の合計日数と平日の日数の平均日数をグラフにまとめました。
夏休みの期間は、小学校が36.9日、中学校が38.7日、高校が35.7日でした。校種による大きな差は見られなかったものの、中学校の夏休み期間が比較的長いことがわかりました。特別支援学校に所属する教職員3名の回答によると、夏休み期間は平均で41.7日でした。
Q3. あなたは、夏休み中(設問1から設問2までの期間)に土日・祝日以外で何日間休みを取得しますか?
※夏季休暇、年次有給休暇、振替休業等の名目にかかわらず、仕事を休むすべての日数を合計してください。
上記の回答を元に夏休み中の出勤日の割合をグラフにまとめました。
中学校と高校では約8割、小学校では約半数の教職員が、夏休みの平日のうち6割以上の日に出勤していることがわかりました。特に中学校では平日に出勤する人の割合が高く、約6割の教職員が平日の7割以上の日に出勤していることがわかりました。
男女別に見ると、平日の出勤日が6割以下の人は女性が44.1%、男性が34.2%でした。また、平日の出勤日が8割以上の人は男性が13.2%、女性が8.8%と、男女で出勤の割合に違いが見られました。
Q4. 夏休みに出勤する理由とその日数を教えてください。
小学校では事務処理・書類作成で1〜5日出勤する人が81%、会議・打ち合わせで1〜5日出勤する人が78%でした。児童への直接的な指導を理由とする出勤については、他の校種と比べると少ないことがわかりました。
教材研究・授業準備を理由に出勤する人は、中学校で83%、高校で94%でした。出勤日数は5日以下の人もいれば16日以上の人もおり、大きなばらつきが見られました。また、部活動については、中学校で78%、高校で72%の人が出勤。こちらも同様に、出勤日数は人によってばらつきが見られました。
Q4-2. 上記以外の出勤理由がある場合、その理由と日数を教えてください。(任意)
職員作業(机や棚の移動、児童のトイレ掃除)【小学校・教員】
職員作業(掃除や草刈り)、校務分掌上の仕事(教科書の搬入のため)【小学校・教員】
備品管理・点検やシステム構築作業・3日【中学校・教員】
研究大会の準備と運営・発表に4日。【中学校・教員】
入試問題検討会議・7日間【中学校/高等学校・教員】
学校説明会、入試など【高等学校・教員】
進路指導主事としての業務(求人受付、来客対応、クラス担任の支援など)・10日【高等学校・教員】
Q5. 学校教職員の、夏休み期間中の働き方(出勤日数・勤務状況など)についてどのように思いますか。(任意)
個人的には積極的に年休を取得し、休養に努めたいと思っています。しかし、研修会や研究会が予定されており、年休を取得しにくい状態にあります。また、日直業務がある場合は、教員間での調整が難しく、結局働くしかない状況です。【小学校・養護教諭】
学校がある時期は激務のため、どうしても研修や会議が夏休みに増えてしまう。夏休みでゆっくりできる部分もあるが、その分、行事が多くて濃密に多忙な2学期がしんどくなることもある。学習指導要領やカリキュラム自体にそもそも無理があるように思う。【小学校・教員】
受け持っている部活動によっては休みのとれる日数がかわってくるのではないかと思います。たくさん試合があってそれに向けての練習が必要になるため。【中学校・教員】
部活動指導さえなければ、教材研究や自分が望む研修を余裕をもってやることができるため、充実した夏季休暇になる。学校での研修は「やらなくてはならないもの」らしいが、初任者からベテランまで同じ講義形式の研修を受けることに意義が見いだせなくなってきた。そもそも部活動の大会や練習試合を理由に校内研修に参加しない職員もいる。部活動を廃止し、自発的に教員が学び、しっかり休息をとる時間にするべきだと考える。【中学校・教員】
学校に行かない日でも、入試問題作成やその準備の仕事をしているので気が休まらない。進路面談の準備や入試問題作成の書籍探しなど、勤務時間や日数で可視化できない仕事が重い。【中学校/高等学校・教員】
高校は長期休業のほうが忙しい。課外と三者面談と部活。普段やれないことを全部詰め込む教員が多い。当然全校体制で就職進学指導にかり出される。探究も始まって、地域に無償の労働力やサクラとしてかり出される。【高等学校・教員】
ゆとりがあることで、即効性がない学びも吸収できる良いタイミングだと思います。【小学校・教員】
夏休みが長いので、できればその期間に重要な会議をしたり、研修をしたりできた方がいいなと思っています。新学期が始まってから固めて入れられると、非常に辛いです。【小学校・教員】
遠慮なく、迷惑かけることなく休めると思うので、最小限の出勤に押さえるべきと思う反面。たっぷり時間があるからこそ、職員とのコミュニケーションをはかるための勉強会をした方がいいと考えています。【小学校・教員】
出勤日数の多い、少ないが問題ではなく、夏休みだからできること、例えば、対話の時間の設定など、合意してあとは個々人自由に過ごすことが出来るようにすることが大事。【小学校・校長】
運動部の顧問は、ほぼ部活のある日々。身体を休める、学校以外の外の世界を知る、教材研究をさらに充実させることが必要だと、客観的に感じる。【中学校・教員】
以前より、何の為に?と思うような研修は減ってきたが、まだまだある。無理やりやらせるより、自主研修を入れるようにしたり、魅力的な自主研修講座を増やす等してほしいと思う。【小学校・教員】
ずいぶん研修等が減った気がしていますが、区の方針で補習と水泳と自主学習教室をかなりの日数やらないといけない上、今後コロナが落ち着いた場合さらに日数が増えていきそうなのが不安です。【小学校・教員】
校内研修が多すぎる。【特別支援学校・教員】
人によっての差が大きすぎる。部活動の主顧問をしている教員は、ほぼ休めない。【高等学校・教員】
担任と担任外、部活の担当と担当外で休みの取れ方が全く異なる【高等学校・教員】
幸い私は免れていますが、夏休み期間中も、講習やクラブ活動など、お盆以外なかなかゆっくりと休めていない人が多いのではないかと思います。生徒がいない夏休みくらいは、教員の特権ではないかと思うので、私はなるべく仕事を入れず休みを入れるようにしています。【高等学校・教員】
数年前からお盆期間に学校閉庁日が5日程度設定されました。事実上、その日は学校が閉まっています。細かいことかもしれませんが、この期間が「年休」扱いで休まなければならないのは不思議な気がします。例えば年末年始は、もちろん閉庁日ですが、年休ではなく休みになります。【小学校・教員】
学校閉庁日はありがたいが、それを自分の有給としてとる!というのは、おかしいと思っている。なので、普段の課業と気持ちは変わらない。【特別支援学校・教員】
札幌(本校)に関しては、会議も研修も全くなく、在宅勤務も認められているので、とてもよい働き方になっていると思います。【小学校・教員】
研修は半日が3回、会議は半日が1回で、あとは自分で決められるのでよいと思う。【中学校・教員】
普段はなかなか休暇を取得することができないので、長期休暇中はゆったりと過ごしながら、休み明けの準備をできるので良いと思う。【高等学校・教員】
研修の内容を吟味し必要のあるもののみを計画し、極力出勤日を減らすようにしている。【小学校・副校長】
管理職が出勤日(会議や研修)を減らす努力をしています。毎年年休を取り切らないので、出勤日以外はなるべく年休を取ります。多くの時間をリフレッシュに使えます。これは大事なこと。仕事を忘れしっかり遊ぶ、また家族のために時間を使うことができます。でも仕事はあるので、年休の日の好きな時間に出勤したり、自宅で仕事をしたりする人は多いです。(リモートが認められていない。)【小学校・教員】
回答者の多くが夏休み期間中にもっと休みを取りたいと思っているが、実際はさまざまな業務があり、休みを取りづらい現状があるようです。休めない理由として多かったのは、校内研修や会議など。小学校では事務処理や書類作成、中学校では部活動の指導や大会引率、高校では三者面談や進路指導、入試問題の作成などが出勤理由として多くあがっていました。
夏休み中に実施される校内研修への参加には否定的な意見が目立ったものの、自主的な研修への参加には意欲的な意見が多く集まりました。また、教職員間での円滑なコミュニケーションにつながる研修や勉強会の必要性を訴える声もありました。
夏休み中の働き方に関して何らかの課題をあげる人が多かった一方で、少数でしたが現状に満足しているという声もありました。その背景としては、校内研修や会議の少なさが影響しているようです。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
子どもも大人も居心地のよい学校をつくっていくために始まった「#学校の居心地プロジェクト」。その一環として、NPO法人 School Voice Project は2023年春から「#学校にYogiboを置いたら」という実証実験の実施を進めてきました。全国5つの協力校のうちの1つである静岡県の川根本町立三ツ星小学校では、GW明けから学校の図書室にYogibo(ヨギボー)を設置。
本記事では、Yogiboを設置してから2ヶ月がたった三ツ星小学校の様子をご紹介していきます。取材当日は上智大学教授で教育学者の澤田稔さんにもお越しいただき、Yogiboを設置した際の学習効果についてご意見をいただきました。
上智大学総合人間科学部教授、同教職・学芸員課程センター長。専門は、批判的教育学、カリキュラム・教育方法論。日本の学校現場だけでなく、米国の公立デモクラティック・スクールでのフィールドワークに携わってきた。最近は、「社会的に公正な教育」及び「学校教育における緩さの意味論」を鍵概念として研究を重ねている。関連訳書に『デモクラティック・スクール』(ぎょうせい、2013年)。その他の業績は https://researchmap.jp/minorusawada を参照。
「Yogiboを置くことで場が柔らかくなって、自由の範囲が広くなることを期待していました。実際に、そうなったと思います」
そう話すのは、プロジェクトへの応募を提案した2年生担任の濵大輔さん。校長に相談すると、通常は置いていないものを学校に置くことに対して「面白い!」と思ってもらえたそう。話し合いの結果、Yogiboは図書室に置くことに。学校には共同のスペースが多くある中、なぜ図書室を選んだのでしょうか。
「どの学年の児童も使えるようにしたかったので、特定のクラスに置くことは考えていませんでした。さらに、ケアやリラックスというより、学習や創造的な活動につながるような使い方をしていきたいと思っていたんです。本校は図書室が2階の階段の目の前にあったので、学年を問わず多くの児童が使いやすいのではないかなと思い、図書室に置くことを決めました」
図書室は2教室に分かれており、Yogiboが置いてある教室には絨毯(じゅうたん)が敷かれ、もう一つの教室には畳やソファ、円卓が置かれています。並んでいるのは本だけではなく、ボードゲームも。このような環境が整ったのは6月頃でした。きっかけは以前から図書室を居心地のよい空間にしたいと思っていた濵さんの“ひらめき”だったと言います。
「休みの日に『あ、これだ!』ってひらめいてしまって、図書室のレイアウトを変えたんです。でも、月曜日にいきなり変わっていたら先生たちは動揺するだろうと思って、事前に変更の意図をお伝えしました。ただ、やはり少し抵抗感もあるようだったので、それをきっかけに『そもそも図書室ってどういう場所だろうか?』という問いについて、校長も交えて教職員3人で話をしたんです」
積極的に学校の改革を進めようとする校長の渡邉さんの姿勢も、学ぶ環境を見直す動きを後押ししました。
「新しい提案に対して、すぐにNGを出す教員はいないですね。本校は今年4月に川根本町の3つの小学校を再編して始まった小学校なのですが、それぞれの学校から来る教員で丁寧にコミュニケーションを取ってきたこともよかったのではないかと思っています。校長としても、新しい取り組みをする教員をサポートするような働きかけはしていきたいですね」
中には「図書室は、本を借りて読む場所ではないのか?」という意見もあったそうですが、話し合いを重ねていくと「子ども同士の関係をつくる場や、学習をしたり遊んだりできる場として使うのも良いのではないか」と意見が一致していきました。ただ、当然何をしてもOKというわけではありません。ブックセンター(図書委員)の子どもたちとも話し合いを重ね、図書室の使い方のルールについて全校児童に伝えていきました。
それから1ヶ月がたった今、“本を借りる”という目的に限らず、さまざまな用途で子どもたちが図書室を活用するようになったと言います。
「ある朝2階に上がると、始業前の図書室の廊下に上履きが2足置かれていました。誰が使っているのかと覗いてみると、4年生の子たちが2人、仲良く並んで本を読んでいました。体を深くYogiboに埋めて、満足げな表情でしたね」
また、1、2年生の生活科の授業や5年生の「作家の時間※」、自律的な学習をする授業の中で、異学年が同時に図書室を利用することもあります。時に、子ども同士のちょっとした交わりもあるのだとか。
※作家の時間:児童一人ひとりが“作家”として文章を書き、1つの物語を仕上げていく時間。国語の授業内で実施している。
「5年生が図書室を出ようとしたとき、算数の問題に頭を悩ませる2年生の子の様子を覗き込み『あぁ、それやったことある』と言いながら、少しだけ助言をしていくこともありました。図書室という共用学習スペースと、自律的な学習をメインとした授業スタイルが掛け合わさると、異学年の子ども同士の関わりが自然と生じることは興味深いです。Yogiboの存在は、このような関わり合いの心理的なハードルを下げているのではないでしょうか」
さらに、澤田稔さんからは、Yogiboが子どもたちのストレス軽減にもつながっているのではないかというお話がありました。
「私が調査に通ったアメリカの学校には、各教室にピース・コーナーと呼ばれる教室内シェルターが設置されていました。小さいソファと砂時計、ストレス解消用にぬいぐるみやお手玉のようなボールなどが置いてあります。授業が嫌になったら、いつでも好きなときに学習から離脱して、そこに行って休んだり気持ちを落ち着けたりして、砂時計が最後まで落ちたら再び戻ってくるんです。これがスタティック(静的)なピース・コーナーだとすると、Yogiboは、ダイナミック(動的)なピース・コーナーになっているようにも見えました」
休み時間や授業の中で活用されるようになったYogiboですが、設置直後からそうだったわけではありません。ある子が独り占めしてしまったり、学習に向かいながらもくつろぐことを目的にした使い方をしてしまったり。その度に、教員から児童にYogiboの使い方について問いかけてきたと言います。
あるとき、自律的な学習の時間に2年生の児童がYogiboにもたれ掛かりながら漢字ドリルに取り組んでいたそう。
「自律的な学習の時間は、基本的にどこで勉強をしてもいいんです。大切なのは、『自分にとってどこでどう取り組むのがより良い状態で学習に向かえるか』をそれぞれが考えることだと思っています。なので、Yogiboを使うことを一律に禁止しているわけではありません。ただ、Yogiboの気持ちよさに溺れて学習が疎かになっているのであれば、それは自分にとってよい選択とは言えません」
「どこで勉強するのが、自分にとって一番いいと思う?」そう問いかけられた子どもたちは、自分自身が集中して学習に向かえる環境を考えるようになります。時には、自律的な学習の時間に、Yogiboが全く使われていない場面もあるのだとか。
取材の日も、自律的な学習の時間に図書室を利用する子どもがいました。Yogiboを椅子代わりにして机に向かう場面もあれば、Yogiboの上でちょっとしたじゃれ合いが始まることも。
その場面を、澤田さんはこんなふうに見ていました。
「ここに集っていた4人の子どもたちは、じゃれ合いながらもお互いをどこか大事にしている。お互いを粗末に扱わない。それは、周りのモノに対してもそうでした。ちゃんと一線を敷いて、適切な距離を取りながら言葉や行動を選んでいる。リーゾナブルなラインを定めて、リーゾナブルな言動に終始している。これはなかなかすごいことのように思えます」
さらに、Yogiboの効果について、「アフォーダンス(affordance)」という言葉を使って説明してくれました。
「Yogiboと人間の間には、アフォーダンスが存在していると言えます。アフォーダンス(affordance)というのは、「物と人の間に存在する関係性」のことです。米国の心理学者ジェームズ.J.ギブソンによる造語で、affordという動詞から来ています。affordは「〜の余地/余裕を与える」とか「…に〜を(自然に)提供する・醸し出す」という意味があります。
ギブソンは知覚心理学者なので、あるモノが私たちに何かの知覚を与えると、それによってある種の人間の行動を引き起こす余地を与えるとか、行動を引き出す機会を提供する、つまりは、あるもののあり方が人のある種の行動を誘発するというようなことを考えて、それをアフォーダンスと呼びました。例えば、体育館で子どもの手の届く範囲にロープを吊るしておくとします。まず間違いなく、子どもはぶら下がるわけです。
図書室の中では、Yogiboが子どもの動きを誘っています。まずはソファのように座りたくなる。しかし、それだけではないですね。飛び込む余地も与えています。Yogiboがなければ、図書室で『飛び込む』という動作はあり得ません。楽しそうですよね。ある子どもにとっては、学習に向かう・復帰するための精神的な安定を支える機能、ストレス軽減機能を持つかもしれません。
それに加えて、『ひきずる』という行動もありました。Yogiboはひきずれるというところが面白いですね。簡単に移動できる。さらにTくんは、Yogiboを(横長にですが)立てて、盾みたいにしている、ちょっとしたサンドバッグですね。Rくんも、ところどころで殴っている。あれを殴るのはいいですよね。安全だし、ストレス軽減になる。もちろん、寝そべる、下に埋まるなど、他にもいろいろ見つかるわけですが」
三ツ星小学校では、Yogiboの設置によって学校の中にくつろぎの空間が生まれたとともに、子どもたちの自律的な学習にもつながっていきました。その状態に至るまでには、「Yogiboをどう使っていくのが良いのか?」「どんな環境が子どもたちにとっての最適な学習環境なのか?」を教職員同士で話し合い、子どもたちにも問いかけ続ける姿勢が不可欠だったのではないでしょうか。
最後に、濵さんは今後の活用についてこう話してくれました。
「自律的な学習の時間を設けている学年の先生と連絡を取り合い、Yogiboの使い方に関して『自由と責任』『集中とリラックス』の観点で議論していければいいなと思っています。そして、異学年が混ざって学んでいる時間であっても、一人ひとりの子どもがよい状態で学びに向かえる環境をつくっていけるといいですね」
学校にYogiboを置くことで、「学習が疎かになるのではないか?」「生活が乱れるのではないか?」そんな心配をされる方も恐らくおられるでしょう。確かに、今までになかった物を持ち込むことで「場の文化」が揺らぐことはその通りでしょう。ですが、それは場の雰囲気がやわらいだり、学習への向かい方に多様性を持たせる効果が生まれることでもあります。特に、濵さんが取り組まれているような自律的な学習や、子どもたちが学び方を選択できるような授業形態とYogiboというツールは親和性が高く、馴染みが早いことも今回の取材を通じて感じられました。
今後、同様にYogibo導入の実証実験を行なっている他の4つの学校についてもレポートやインタビューを掲載していく予定です。ぜひご期待ください。
こども家庭庁ができたことや、自民党の特命委員会による提言が出たことなどを受け、こども・教育予算をめぐる議論が活発化しています。
2019年時点で、日本の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合は2.8%と低く、データのあるOECD加盟37か国中36位(平均4.1%)でした。教育予算全体を増額するべきという声は学校現場からも長年上がっています。一方で、「何から進めていくべきか」という議論も実際には重要になってきます。
今回のアンケートでは、教育予算を増やす場合、「現場の教職員は何に優先的に使ってほしいと考えているのか」を可視化するために、全国の教職員の方の意見を聞きました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2023年6月5日(月)〜2023年7月10日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :80件
Q1. 以下のうち、もっとも優先的に予算措置をして進めてほしいと思うものを選んでお答えください。
Q2. 以下のうち、2番目(設問1で答えた内容の次)に優先的に予算措置をして進めてほしいと思うものを選んでお答えください。
Q3. 以下のうち、3番目(設問2で答えた内容の次)に優先的に予算措置をして進めてほしいと思うものを選んでお答えください。
※ 以下、Q4・Q5も同様
少人数にすることで、一声かけたい子どもに声がかけられる。困っていることに気づけるのではないかと思う。少人数にして、学年付きの先生もいれば、ゆとりが持てるのではないか。【大阪・小学校・教員】
欧米先進国に比べ圧倒的に1学級あたりの人数上限が多い。子に応じた指導が求められているのに、指導環境は数十年前の一斉指導型主流のときと変わっていないため。【栃木・小学校・教員】
中学校でも30人にして欲しいです。現在の40人を見ている場合、やはり一人一人をよく見るのが難しい実感があります。また、一学年4クラスで構成されている場合、教科担当が見る生徒は160人になり、テスト採点、評価をつけることにも日々追われてしまいます。【千葉・中学校・教員】
学習指導要領が改訂され、指導事項や必ずおさえておく事柄がどっと増えたため、それぞれの教科等の準備や後始末が物凄く増えた実感がある。主体的で対話的で深い学びを構築するための準備できる時間的体力的余裕が現場には皆無だから。【島根・小学校・教員】
授業と授業準備、事務作業や行事準備に追われ、子どもと向き合ったり、創意工夫をしたりする時間がなく、教員という仕事の魅力が低下していると思います。【大阪・中学校・教員】
小学校も含め、一コマの準備時間に一コマ分はほしい。週5で7時間と仮定すると35時間の枠があり、会議が最低1コマはある分と考えるとLHRを含めて半数の17コマを上限でちょうどよいのではないか。持ちコマで定数を決めてほしい。【東京・高校・教員】
子どもが長い時間いる以上、勤務時間内に全ての業務が終わることは不可能だから。けれども保護者は当たり前に学校の対応を求めているため、負担に見合う報酬は必要。【島根・小学校・教員】
本来は残業しなくても授業ができる体制になってほしいが、すぐには無理なので、せめて働いた対価の分は残業代が欲しい。【和歌山・小学校・教員】
残業代が支払われる仕組みになってこそ、長時間労働に歯止めがかかると思います。すべての教員が残業なしで働けるように人員配置をした上で、給特法を廃止してください。【埼玉・小学校・学習支援員】
現職の給与を上げることをしないと、なり手が減っていく。時間外労働も非常に多い中で、教職員を減らさないために、給与を上げることを第1に。【神奈川・中学校・教員】
教員の人数と質を保ちたいのであれば、相応の対価を支払うべきである。【茨城・特別支援学校・教員】
モチベーションに直結する。人材不足の現状、とりあえずなり手を増やすためには基本給を挙げるのが基本だと思う。【埼玉・中学校・教員】
調整額は月30〜40時間に相当する%に引き上げ。超過分は個別に残業代を認める。管理職のマネジメントが必要。【大阪・高校・教員】
同じ地方公務員でも市役所職員の人気は高い。良い人材が集まっている。教職調整額を改善し人気を高かめ、減少する人材の中から優れた人材の確保をお願いしたい。諸問題の未然防止、早期発見、早期解決が望まれる中、子どもたちと直接接して影響を与える教員は、少しでも優秀な方が良い。一人の優秀な教師は、多くの優秀な人材を育てる。時間がかかる問題なので、少しでも早く改善してほしい。もう手遅れ、破綻している、沈みかけている、等々言われているが、一年でも早く改善してほしい。【茨城・小学校・校長】
担任の負担は大きい!担任を持つからには、それ相応の対価をもらっても良いと思う。【大阪・中学校・主任/主事】
本意ではないが、職場が壊れている(担任を断る教員が増えている)ため、導入せざるを得ないと考えます。【山口・高校・教員】
一部の教員の情に任せたシステムは、あまりにも時代遅れ。顧問として名前があっても本人任せの今のシステムでは負担が偏る。部活の活動量の差による負担の偏りも考慮に入れたシステムを求める。【兵庫・中学校・教員】
自分の自治体は4時間以上は一律3600円、たとえば引率や試合で8時間かかってもそのままなので、時給500円以下でさらに交通費は自腹です。部活動手当は、せめて労働者の最低賃金と、加えて交通費支給をしてほしいです。【大阪・中学校・教員】
管理職の価値が低すぎる。大変な仕事であるともう少しリスペクトされるべき。【大阪・中学校・教員】
主任など重い仕事を持つ人には相応な手当がないと引き受け損になってしまうから。【東京・義務教育学校・教員】
役職によっての手当ては改善してほしい。現実的に負担がかかる状況から考えて、様々な業務の手当て、役職手当の改善をお願いしたい。警視庁等の手当てなどを参考にしてもらうと、困難な業務でも求人倍率は改善されていくでしょう。【茨城・小学校・校長】
教員が背負っている業務があまりに多すぎる。行事のコーディネート専任の職員がいると大変助かる(特に宿泊行事)。【福岡・特別支援学校・教員】
教室に入れない、いわゆる別室対応の生徒が増えている。教師の手が回らない状況が増えてきた。【兵庫・中学校・教員】
地域によるかと思いますが、全く部活動の地域移行が進んでいません。指導者を確保できないためだと思います。具体的にどのような手当がでるのか、地域の方に知らせていくことが必要だと思います。【千葉・中学校・教員】
公立の中学校だと、部活動の仕事が多すぎる。休みの日に休めていない。ゆとりのある教育現場を目指すべきである。【大阪・中学校・教員】
教員にとって心理的にも体力的にも最も負担なのは部活動であると考えている。部活動を支援員の方に全てお任せできれば、教員の仕事はだいぶ軽減されると思う。実際、私は今年、部活動の顧問を受け持っていない。それでも、その他の様々な仕事を抱えているため、定時に帰ることはできない。しかし、部活動と違って自分の専門性も生かせるし、工夫次第では早く終わらせることもできる。部活動は、専門性がいかせないことも多く、「ただその場にいるだけ」という、かなり時間を無駄にした仕事になることも多く負担であった。【鹿児島・高校・教員】
子どもの抱える課題について、学校側がどうにもできないことが増えています。各校にスクールソーシャルワーカーを配置することによって、福祉面から子どもや家庭を支えるようにしていかなければ、これから先、学校は立ちゆかなくなると思っています。【大阪・小学校・教員】
教員という立場ではこれ以上踏み込めない、という家庭が多い。そういった家庭の多くは、できる限りのアプローチをしてもほとんど変化することなく卒業してそれきりになってしまう。専門家、踏み込める立場の人を増やし、専門的なアプローチで社会に出るための準備ができるようにしてあげたい。子どもにも、保護者にも。それが、教育の大きな下支えになると思います。【埼玉・中学校・教員】
不登校や未納、虐待などについて教員が対応することで余計に関係がこじれてしまうことがある。ワンクッション置くことで踏み込んだ対応をした時の反応が全く変わるということを目の当たりにしたため。今の配置では学校に1〜2ケースほどの対応しかできない。【東京・小学校・主任/主事】
本来必置が努力義務のはず。未だに「他の子のことを考えると…」などと「通常教室内での特別支援」に対する理解が浅い教員が多い。臨床心理士がより時間をかけて児童を見とり、きめ細かく助言を与えていけるようにすべき。【東京・小学校・主任/主事】
月に1回しかカウンセラーの先生が来られず、常に予約でいっぱいである。また、教員とは違った立場の専門性をもった方が学校にいらっしゃった方がいいと思う。予算措置をして、常勤(できれば正規雇用)になれば、尚よいと思う。【鹿児島・高校・教員】
今は学校予算の扱いしかやっていないので、私費会計や行事手配、なんなら教務事務のいくつかは教員でなくてもできるので、そういう部分の仕事に予算をあてるべき。【東京・小学校・教員】
他の業種から教員になって本当にびっくりしたことの1つが、「教員が何から何までやっている」ことでした。専門職と言われている職業で、お金の徴収からトイレの修理、ワックスがけまでするのには驚きを通り越して呆れ、それを当然視する他の先生にも、正直引きました。事務処理も実はかなり多いのに、そのことは学校外では余り知られていません。選択肢はいずれも大切だと思いますが、教員が本来する仕事ではないものを可視化する、業務の切り分けをするという意味で、敢えて事務職員の増員を選びました。【愛知・小学校・教員】
タブレットの不調やログインまでの対応などで時間をとられて、その間に子どもと関わる時間や他の業務を行う時間が減るので。【大阪・小学校・教員】
GIGAスクール構想のもと、一気にICT機器が学校に導入され、一人1台端末が支給されているが、メンテナンスや故障なども全て教職員が対応している状況である。ICTに関するトラブルの仕事まで増えてしまっているので、ICT支援員が常駐して、担当することが必要と考える。【大阪・中学校・教員】
校舎は雨漏り状態、教具はボロボロで数も足りず、教室の机には穴や過去の落書きが残っている状態です。それでも「予算がない」ので、そのまま使います。直ちに人命に関わることではありませんが、そうやって後回しにされ続け、結局何も変わりません。【宮城・小学校・教員】
トイレ、温水の出る水道、エアコン、情報機器、掃除用具や調理器具など、子どもたちの家庭にはあるものが学校にはない。指導しながら不便が多い。エレベーターもなく、怪我をした子や身体障害のある児童が不便でならない現状があるから。【滋賀・小学校・教員】
人材確保のため。離職を減らすには、教員の支援体制が整うことが優先的に必要だと思う。【大阪・小学校・教員】
新卒でいきなり担任を任すのではなく、副担任のようなポジションからスタート出来るようになれば安心できる。【和歌山・小学校・教員】
私はいわゆる氷河期世代の教師であり、学校で一番少ない年代でありながら学校の中心的な役割を担っています。若手教師へのサポートができる余裕がありません。若手の芽をつぶすことなく、彼らの強みを伸ばしていけるような環境づくりが望まれます。【兵庫・高校・教員
子どもを産み育てることのハードルの高さは「お金がかかる」点にあると思われる。(各調査を総合して考察すると、ほぼこの点に収束されるのではないか)公立学校でも、給食費、教材費、その他行事等での出費はかなり負担が大きい。水着も体操着も上履きも習字道具も裁縫セットも各教科の指定ノートも、合計すると相当な額になる。子どもたちを、快く学ばせてあげたい。塾に行かせて私立に行かせて、ができる保護者ばかりではない。【埼玉・中学校・教員】
少子化対策で最も大切である、家庭が支払う教育費の軽減が現行では不十分。高等教育も無償に近い制度をつくるべきである。【東京・特別支援学校・教員】
子ども達の選択肢を広げて欲しいです。【静岡・中学校/高校・教員】
学校以外の場所の方が、自分らしく学べる子どもたちは一定数存在する。フリースクールなどでは、学校ではできない個別支援が可能である。学校にいかなくてもいい、ほかにもきちんと学んで成長できる場がある、ということは、多くの親子を安心させることにつながる。複数の選択肢を、子どもに与えてほしい。【埼玉・中学校・教員】
近年、非常勤講師の割合が増えてきていると思いますが、給与面でかなり冷遇されていて、非常勤講師の質の低下が懸念されます。非常勤講師もなり手不足で、高齢化しています。もっと魅力的な待遇にすれば非常勤講師のモチベーションも上がるし、なり手が増えて、学校側が必要だと思う人材を選べるようになると思います。【静岡・中学校/高校・教員】
地方だと1つの研修に行くのもお金がたくさんかかるので、どうしても学びが足りてない先生が多い。【北海道・中学校・教員】
将来を見定めることが難しい現在、ICT教育や国際理解教育など、「○○教育」がどんどん課されていく中で、教師には研修をする余裕がありません。まずは教員研修を充実させて、教師の力量を上げていくことが最優先課題と考えています。【兵庫・高校・教員】
例えばプール。維持に莫大なコストがかかっているけど、プール指導一つなくすだけで、小学校の教員はものすごく楽になります。専科もそうです。プールのせいで補教は増え、時間割はおかしなことになり、夏休みなどのプール指導で、なぜか専科や養護まで指導にかき集められ、本当に負担でしかない。そのプールを外部委託してくれたら本当に楽だと思う。【東京・小学校・教員】
地域人材を生かしたり、外部講師を呼んで授業したいが、お金がなくていつも断念し、その分の時間数を自分で授業準備しないといけなくなるので。【北海道・中学校・教員】
同じ県内でも、PCがクラウド化されている自治体とそうでない場所がある。成績処理や要録作成など、削減できない業務も、作業環境を整えれば場所や時間を選ばず自由にできる。【香川・小学校・教員】
23の選択肢(「その他」を含む)を用意し、回答者に優先順位をつけて5つ選択をしてもらいました。最も多く選択されていたのは、「少人数学級の推進」で全体の78%にのぼりました。次いで多かったのは、「1人の教員の持ちコマ(授業)数を少なくする」で76%。3番目以降は大きく数値が下がり、「スクールサポートスタッフの配置増(33%)」「残業代の完全支給(33%)」「学校施設や教具・教材等の改善 / 充実(31%)」「基本給のアップ(28%)」「部活動支援員の配置増(25%)」と続きました。
少人数学級の推進と持ちコマ数の削減は、多くの教員が望んでいることがわかります。その他の項目については、個人によって回答が大きく分かれる結果となりました。校種別に見た際に最も多かったのは、小学校では「1人の教員の持ちコマ(授業)数を少なくする」で、中学校と高校では「少人数学級の推進」でした。
自由記述欄に目を向けると、選択した人が比較的少なかった項目(教員以外の専門職の配増や給与や手当の見直しなど)であっても、決して重要度が低いわけではないことも伺えます。教員だけでは対応しきれない児童生徒や保護者との関わりにおいて、スクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラーなどの存在が不可欠であることや、教員が担っている事務的な仕事を担当する職員の必要性を訴える声が目立ちました。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
教員給与特別措置法(給特法)の議論が活発化しています。
自民党の特命委員会は、先に出した提言の中で、「教師は高度な専門性と裁量性を有する専門職」だとし、給特法の教職調整額を現行の4%から、少なくとも10%以上とすることを打ち出しました。まもなく出される予定の政府の「骨太の方針」に反映させ、予算化を進めたい考えです。
一方で、現職教員の西村祐二さんらからなる有志グループや、立憲民主党などは、教職員の働き方を抜本的に変えるために廃止が必要だと主張しています。
給特法に関して、教職員の方の声を聞きました。
※給特法についての解説記事は下記をご参照ください。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2023年6月5日(月)〜2023年7月10日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :111件
Q1. 給特法について、あなたの考えに最も近いものをお選びください。
現状は調整額以上に働いていると思うので、10%に引き上げということ自体は歓迎したいと思います。ただ、どの選択肢にすれば良いか大変迷いました。調整額を引き上げたら、その分働けという気運になり、働き方改革の流れが後退するのではないかと強く懸念しているからです。【高等学校・教員】
私の場合、(自分の)子どものこともあるので、残業はほとんどなく休日出勤もしていませんが、家で相当仕事をしています。土日、学校で働くより長時間働くこともあるくらい。毎週ではないものの、土日は3時間くらいは平均で働いてます。残業代を払うということになると、持ち帰りの仕事が本当に無給になり、学校に残れる人だけしか恩恵を受けないことになるので、子育て中で残業できない人は、給料は減る(4%がなくなるとすると)けど仕事は減らないという悪循環が生じると思います。残業代が出るとなると、やはり残業代が欲しくて、今まで以上に残業する人も出ると思います。【小学校・教員】
残業代よりも給特法を上げた方がボーナスによい影響がありそうだからです。能力の高い人は短い時間で成果を出すことができます。残業代は能力がない人に払うことにもなりかねない。でも、10%にするのがもったいない残念な人もいます。メリハリのある給与支払いができるのが理想ですが、そのために管理職が多忙になるのは反対です。【小学校・教頭】
教職調整額の基準が昔の月の超勤が8時間だったころと変わらない点に問題があると感じる。現状の教員の業務量に対する対価として、適切な額が支払われるべきであると考える。ただし、このことと業務量や超勤時間の削減とは別問題なので、そこは別の議論が必要であると考える。【小学校・教員】
学年主任や特別支援コーディネーター、若手の指導者など、役割ごとに調整されるとよいと思う。また、現場は慢性的な人手不足のため、欠員が出ている場合にはその分の負荷がかかっている職員に十分な手当が必要だと感じる。【小学校・教員】
実際には調整額を引き上げても問題は解決しないと思うが、賃金が引き上げられることで教員のイメージは多少上がるのではないかと思う。【中学校/高等学校・教頭】
残業は、やる気のある人ばかりか、効率の悪い人も多くなる。専門性を考えて、教職調整額の引き上げが良いと思う。教職調整額をなくして、残業代を支払うための残業時間をどのように管理するのか想像できない。現状から時間外勤務を20時間にするには、無理がある。時間外勤務上限月45時間、年間360時間を目指していくことを基準に考えると、15%で様子を見たい。100倍近い市役所職員の倍率と2倍を切る教職員の倍率の推移を見ながら、改正を重ねてほしい。子どもたちに直接接していく教員には、より優れた人材を充てていける状況をつくってほしい。【小学校・校長】
調整額を引き上げるのは、「給料上げるから、今後も変わらず働いてくださいね!」としか思えません。完全廃止して時間外勤務分の対価を貰った方がいい。【高等学校・教員】
4%という数値は、昔の状況のもの。完全に廃止し、給料を上げ、労働基準法を適用してほしい。引き上げる=残業ありきになってしまい、健康と安全が守られない。【小学校・教員】
とりあえず「働かせ放題」は廃止し、実態に見合った残業代を支払ってほしいから。給特法ができた頃と今では、学校に求められる理想や教員がする仕事内容が大きく異なっているため、まずは現状を把握してほしい。その上で、適切な人員と賃金を確保してほしい。【高等学校・教員】
結局公立学校教員は定額働かせ放題になることは変わらない。現時点よりも学校が抱える業務が増えることはあっても減ることはなく、時給換算すれば最低賃金を下回る教員もいる現状が変わらないのは明白。また、国立・私立学校教員には時間に応じた残業代があるのに、管轄官庁(都道府県部局)が異なるだけで給与体系が異なるのはいくら現状は特給法があるとはいえ、不平等だと思う。【高等学校/高等専門学校・教員】
教職調整額を引き上げただけでは、長時間労働に歯止めがかからず、教員は疲弊します。労働を労働と認めない給特法は廃止し、教員にも労働基準法を適用してください。このままでは、教員になりたい人がいなくなり、現場で持ちこたえている教員の労働環境は、さらに悪化すると思います。労働環境が改善されれば、一度離職した潜在教員も、また働きたいと思えるようになると思います。1人が抱える業務量を減らすために、人に予算をかけ、全員が残業をしないで業務か遂行できる環境に整えてください。【小学校・職員】
完全に廃止して、民間と同じだけの残業代を時間給で出すべきだ。給特法は時代遅れの法律で、労働基準法に違反している。例えば自分の自治体では休日の部活動手当は6時間で日給4400円と最低賃金以下の時給である。私立校はしっかり残業代が出ているのに、ものすごくおかしく人権侵害であるとすら感じる。【特別支援学校・教員】
給特法の存続自体が定額働かせ放題の容認になる。教職調整額の引き上げは「引き上げたのだから文句を言わずに働け」という風潮を生み、定額働かせ放題の実態は改善しないままになる。抜本的に改善するためには完全廃止しかありえない。部活動の指導などは早急に地域に移行し、指導したい教員は兼業として指導員をすればよい。スポーツ活動や文化活動を社会で維持していくためには地域で運営していく方がより健全で学校に頼るのは間違っている。【高等学校・校長】
10%以上の残業をしている教員が多く、調整額を引き上げても実態にあっていない。調整額が一定のままでは、残業時間を減らそうという意識が生まれてこない。【義務教育学校・教員】
教師の側にも、無駄に仕事をせず、効率よく仕事をして下校する意識改革は必要だと思うから。【中学校・教員】
基本的には、残業代を出すべきです。残業代を出すことになれば、教員の仕事を整理して、勤務時間内に制限するということもようやく真剣に議論されるはずです。勤務時間の管理も含めて、ちゃんと国政で議論されるべきだと思います。【中等教育学校・教員】
現状の教員配置や業務量では残業または持ち帰りがやむおえない場合が多い。現状の教員配置や業務量が変わらないとすると、せめても上限を定めた上で、残業代を支払って欲しい。個人的には家庭の状況で持ち帰り仕事にならざるを得ず、残業にはカウントされない。そのため、合わせて教員配置の見直し(増員)と業務量の削減を行うべきだと考える。【高等学校・教員】
残業の内容を把握するためにも残業申請をし、認められた残業についてはきちんと報酬を支払うことで、どのような業務が残業となってしまっているかを把握し、全体的に勤務環境を整えていくことができるのではないかと思うから。【中学校・職員】
まず残業時間の上限を課すことで、業務の精選を図るという意識を管理職、教職員にも醸成させないと、現状の業務過多は変わらない。業務の申請をして、対価は支払うようにするべきだと思う。【中学校・教員】
残業時間の上限を定めることで、勤務時間外の会議や部活動指導、土日のPTA行事への参加等の時間外労働を見直す動きや、学校行事の縮小等を進める動きが政治家主導で起きることを期待しているため。しかし業務量を減らす改革もセットで進めてくれないと、持ち帰り仕事が増えるだけなので意味がないと思う。ただでさえコロナ禍に縮小した学校行事を完全に元に戻そうとする動きがあるので…。【小学校・教員】
義務教育の小さな学校だと、非常勤講師は授業以外の時間勤務は皆無で、教材準備、教材研究はもちろん、評価にかかる時間もボランティアです。その予算をこちらに回して欲しいです。【中学校/高等学校・非常勤講師】
基本給を充実させ、業務時間内に終わるような人員配置をする方が大切と考えるため。【小学校・事務職員】
教職調整額を引き上げても、正当な残業代には届かない教員の方が多い。廃止すると、より一層のやりがい搾取状態となる。残業時間の上限は決められない。部活動ガイドラインと同様、「原則」という言葉が付き、なし崩しになる。とは言え現状のままではいけない。
「児童生徒が教職員管理下の学校敷地内にいていいのは職員の勤務時間内(例外は災害時、指導時のみ)」という決まりさえつくれば、教職調整額が妥当なものに近づく可能性が高い。この決まりを、全国の公立小中学校に徹底させてほしい。願うのはそれだけです。【中学校・教員】
残業は基本的に禁止であることが重要だと思います。また、ヒラの教員の数に対して管理職が少なすぎるため、業務内容を適正に管理することも難しいと思います。高校でいえば停学などで保護者に来てもらう際に18時にしか来れないとなったときなどに、残業代を支給すれば良いと思います。【高等学校・教員】
勤務時間が増えているのは教師がやる内容が増えている、個々の児童への対応が昔と比べより複雑化していることや保護者対応、地域対応が増えているなどが考えられる。ならばそれに見合う対価を出すべき。また、育児や介護で家庭に持ち帰って仕事をしているの方々が多いのだからそれに見合う代価も出すべき。【小学校・副校長】
教員の業務を一律的にとらえると、時間内で雇われている中での業務への対価となるため、根本的に変わらない。授業、教材研究、学級経営、生徒指導、進路指導、校務分掌、試験、評価、指導計画作成、保護者対応、部活動等、それぞれの業務に対して対価を支払うシステムとするべきである。なお、立場によって各業務への責任度は違っているため、学年主任、校務分掌担当、教務主任、など立場による加算が必要である。【特別支援学校・教員】
教職調整額が今のままでいいか、と聞かれれば「おかしい」と思う。ただ、それが4%から10%に引き上げられたから、現状の業務量をこなし続けるのもおかしいと思う。まずは、教職員の業務量や負担を減らすことを検討するべきであると考える。調整額は、それに応じた金額を検討するべきではないだろうか。【中学校・教員】
残業時間の上限を決めたり、残業代を出したりする動きが強まると、残業代ゆえに「これは教員の仕事ではない」「なぜこんなことに時間を使っているのか」と、それぞれの教員が必要と考えている仕事が強制的に「必要のないもの」と切り捨てられてしまわないか心配です。やはり人を増やし、もっと自由に働ける環境にしてほしいと思っています。とはいえ、給特法があるためにコストなく仕事が増やされ続けている、という指摘はごもっともだとも思います。難しい問題です。【中学校・教員】
今のままでは教員の働きに見合っていないとは思うが、額を上げれば良しとも思わない。そこにお金を使うよりも、現場にもっと人を入れて、一人一人の負担を減らすことが優先されて欲しいと感じる。【小学校・養護教諭】
給特法について、「完全に廃止するのがよい」と回答した人は全体の40%と最も多く、次いで「残業時間の上限を定め、それ以上は残業代を出すのがよい(23%)」「教職調整額を引き上げるのがよい(20%)」の順番で多い結果となりました。
年代別に見ると、20代では「完全に廃止するのがよい」と回答した人は約半数にのぼり、50代までは、年代が上がるに連れてその割合が下がっていく傾向が見られました(30代で46%、40代で38%、50代で22%)。また、「完全に廃止するのがよい」と回答したのは男性が52%、女性が28%。「残業時間の上限を定め、それ以上は残業代を出すのがよい」と回答したのは男性が12%、女性が35%と、性別によって回答に差がありました。「残業時間の上限を定め、それ以上は残業代を出すのがよい」もしくは「教職調整額を引き上げるのがよい」と回答した人は全体の約4割にのぼり、さまざまな意見があることもアンケート結果から読み取ることができました。
教職調整額の引き上げを支持する理由は、「現状は教職調整額以上に働いているから」「教員を志望する人が増える可能性があるから」など。教職調整額の引き上げを支持しない理由は、「残業ありきの働き方になりかねないから」「それだけでは長時間労働に歯止めはかからないから」などの意見が上がっていました。
残業代の支給を支持する理由は、「業務の精選を図る意識が管理職や教職員に醸成されるから」「時間外労働を見直す動きや、学校行事の縮小等を進める動きが起こることを期待しているから」など。残業代の支給を支持しない理由は、「持ち帰りの仕事が無給になり、学校に残れる人だけしか恩恵を受けられないから」「残業代が欲しくて今まで以上に残業する人が出る可能性があるから」などの意見が上がっていました。
また、教職調整額の引き上げや残業代の支給以外の案として、「労働基準法の適用」や「役職や業務による給与の調整」などを望む声も。さらに、給与形態の見直しだけではなく、業務量の削減や働き方の改革なども合わせて見直し、一人ひとりの負担を減らすことの重要性を訴える声も多く集まりました。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
タイトルを読んで驚かれた方もいたと思います。私は数年前まで勤務していたとある高校の授業で、
など、学校の授業では普通禁止されている事項のほとんどを許可する、という実践を行っていました。まさに“自由な授業”と呼べるものだと思っています。
「そんなことをしたら授業が崩壊してしまうのではないか」
「生徒の成績が下がってしまうのではないか」
「この実践は成績上位層(または下位層)だけで通用するのではないか」
「教員の負担が増えてしまう」
「教員と生徒との関係性が崩れてしまう」
…そんな印象をもつ先生方もいらっしゃると思います。
しかし、私がこの授業実践を何年も実際に行うことで得られた結果はまったく逆のものでした。
具体的には、
といった現象が、成績上位層のクラスでも下位層のクラスでも起こっていました。ちなみに当時の勤務校は成績上位層クラスは国公立大学や有名私大への進学を希望する生徒が多く、下位層クラスは就職や専門学校進学を希望する生徒が多い状況でしたので、私はこの実践結果は生徒の学力レベルに関わらず同様の結果となるものだと考えています。
ただもちろん、安易に上のような授業実践を行っても、このような結果になることは難しいとも考えています。最大のポイントは「生徒と教員が“学びの在り方”について意見を出し合い、提案と改善をくり返しながら授業スタイルを共に創っていく」こと。“自由な授業”はその過程を経て生まれたものであったからこそ、上述のような成果が得られたのだと私は考えています。
この記事では、私の数年間の実践をもとに「教室の風景」「大事にしていた考え方」「“自由な授業”の効果」「これから実践する方へ」といった内容を紹介していきます。
※ 似たような授業スタイルで『学び合い』や「単元内自由進度」といった有名な取り組みもありますが、この記事で紹介する実践はあくまで「生徒と教員が一緒になって“自由な授業”を構築していく」ことが主眼となっています。そのことから、この記事ではこの授業スタイルを“自由な授業”と表現し、他のスタイルとは別のものと捉えています。
「はじめに」で挙げたような“自由な授業”を実践すると教室の雰囲気はどのようになるのか、その1コマを見てみましょう。(授業の進行方法は生徒の意見に合わせ少しずつ更新していったため、以下の内容はあくまで授業の一例ですが、実際に同様のことが起こっていました)
授業開始のあいさつが終わると、その日のプリントを配布します。配布するプリントは後述する「“自己規律化”達成シート」と、前回の授業後に生徒が「ほしい」と言ったプリントです。
何もなければプリント配布後すぐにメインの学習時間へと突入しますが、試験範囲や授業進行方法等についての連絡があるときは、この時間に話をします(生徒からの希望があった場合はこの時間に小テストを行ったこともありました)。話はなるべく短く、5分以内に終わらせます。生徒にも「この最初と最後の話だけはしっかり聞いてね」と念を押します。
生徒は自分の行いたい学習方法に合わせて各自場所を移動し、それぞれの学習を開始します。当時は一応の目安として、以下のようなゾーン分けをしていました。
① 教室前方
教員の講義を聞くことで学習したい人のゾーン(基本的にここにいる生徒に向けて授業を行います)
② 教室後方
グループワーク・話し合いをすることで学習したい人のゾーン(話し声の大きさは前方の授業の声が聞こえる程度に、としていました)
③ その他の場所
自習等により学習したい人のゾーン(スマホやパソコンを使って学習する際はイヤホンを付けることを必須としていました)
この配置を一応の前提としますが、例外はもちろん出てくるので、その都度生徒の要望を聞き取りながら判断をしていきます(例えば、授業を聞きたいわけではないが板書を撮影したいので教室の前方に居たい、といった生徒には、場所の移動を認めたりしました)。
教員はこの配置の中で、基本的には①の位置の生徒に向けて通常の一斉講義を行い、問題演習など机間指導をするタイミングで②③の生徒に声をかけます。その意味で、授業中の教員の動きは通常の授業とほとんど変わりません。
また、授業中に①~③を切り替えることも許可していました。そうすると「周りでいろんなことをしていると集中できない生徒も出てくるのでは?」との心配の声も聞こえそうですが、「グループで学習してみたけど分からないから先生の話を聞いてみた」という生徒や「先生の話がすぐに理解できたから自習に移った」という生徒が出てきたり、一斉講義の中で“大事なポイント”を説明しているときには教員に注目する生徒が増えるなど、生徒が自分に必要な内容を自力で取捨選択している様子が見られました。私自身、その点は非常に興味深かったです。
実際、この実践を実施していると外部からの訪問者の方の多くは最初に「これは“崩壊”している授業なのでは?」と驚くのですが、10分も見学していると「これも一種の秩序立った“学習の場”なんですね」と納得してくださいます。生徒たちに「この授業“崩壊”しているように見えるらしいよ」と言ったら、生徒から笑いが起こったこともありました。この授業が“崩壊”とはほど遠いものであったことは、生徒の目にはそれくらい明らかだったのだと思います。
ちなみにタイトルにも書いたように、この授業は居眠りも許可していましたが、その場合は③の場所で寝ることを推奨していました。その際、基本的には寝ている生徒は起こさないのですが、「どうしても起こしてほしい人は事前に伝えてね」と生徒に伝えておきました。意外なことに(?)、毎年数名の生徒が「寝ていたら起こしてください」と私に言いに来ていました。そういったことからも分かるように、この授業スタイルを行うにあたっては「○○を許可すると多くの生徒が~~のような(不適切な)行動をとってしまうのでは…?」という疑いを捨て、「生徒は自分で自分に必要なことを理解しているはず」といった前提で、生徒の判断を信じることが大事なのではないかと考えています。
席を最初の場所に再度移動します。
最後の5分ほどを使って、「“自己規律化”達成シート」にその日の授業のふり返りを書いていきます。次の授業の際にこのようなプリントがほしい、授業で○○をしてほしいが可能か、といった授業に関する要望もそこに書いてもらいます。
前者のプリント希望については、学校で導入しているプリント作成ソフトで作成できる範囲のものであればすぐに作成、それ以外のプリントの場合は1週間以内に作成する、というようなルールで要望を受け付けていました(中には志望校の過去問を持ってきて「これと似た問題を5年分つくってください」と言ってくる猛者もいました)。
後者の授業の改善要望については、基本的には認める方向で実施していましたが、「授業の進度をもっと遅くしてほしい」のように他の生徒との調整が必要な件については次の授業開始時にクラスで相談するなどのプロセスを取っていました。
以上が、毎回の授業の流れです。
授業後には次の授業の準備に加え、「“自己規律化”達成シート」にコメントを付けたり、要望されたプリントの作成などを行います。これだけ書くとかなりの業務量に思うかもしれませんが、この授業スタイルでは一斉講義のニーズが限定されるため、実際には講義のための準備時間がかなり短縮されます(具体的には、早く終わった生徒に向けての追加課題などの特殊な教材の作成が不要になります)。私はその余剰時間でコメント付けやプリント作成をしていました。
この授業のルールや実際の様子を紹介してきましたが、その根本となる考え方を1つ挙げるのであれば「自分の“学び”は自分で掴む必要がある」ということでした。
生徒たちにも、事あるごとに次のようなことを伝えていました。
① 人にはそれぞれの“学ぶ目的”がある
将来の目標や“教科を通じて成し遂げたいこと”は人それぞれである
② 人にはそれぞれ、自分に合った“学び方”がある
目で見たものが記憶に残りやすいタイプ(視覚優位)や音で聞いたことが記憶に残りやすいタイプ(聴覚優位)など、人には特性があり、それに従って学ぶことで効率的に学習することができる。
※ 実際にタイプ別の勉強法の本を授業中に紹介していました。
③ 人にはそれぞれ“学びたい”と思うタイミングがある
「毎日コツコツ」は一種の理想的な姿ではあるが、実際には学びのペースを常に一定に保つのは難しい。その上で大事なことは、つまずいたり立ち止まったとしても諦めず、自分が『学びたい』と思ったタイミングで確実に学びを掴んでいくことである。
これらを伝えた上で、私が教室の前で行っている授業はあくまで「学習プロセスの一例」であって、生徒たちはそれを参考に留めた上で、「何のために」「どのように」「いつ」学ぶかを最後は自分で決定してほしい、と話していました。
上述のように「何のために」「どのように」「いつ」学ぶかを最後は自分で決定してほしい、と口では伝えても、それをすぐに実践できる生徒は多くありません。実際、教員が上述のような“自由な授業”を提案しても、その授業スタイルを最初から有意義に活用できない生徒もいます。“自由な授業”の効果を高めるには、生徒の“学びを掴む力”を高めていく必要があるのです。
生徒の“学びを掴む力”を高めるため、私は以下の2つの取り組みを意識的に行っていました。
1つ目の取り組みは「“自己規律化”達成シート」というものです。
これは、私が「“自由な授業”におけるルールとはなんだろう?」と考えた末に作成したシートです。
授業のルールというと、一般的には「私語をしない」「予習を欠かさない」「当てられたら『はい』と返事をする」といったものを想像することが多いと思いますが、それは“自由な授業”で目指すところとは異なります。
そこで私が設定したルールは以下の2つでした。
自分で自分のためのルールをつくり、そのルールを守れるようになること。これを実現させるための補助プリントが「“自己規律化”達成シート」です。
このプリントには、上から
を書く欄があります。
このシートへの記入とコメントのやり取りを通じて、生徒に「“達成したいこと”を意識して授業時間を過ごすこと」「自分にとってのよりよい“学び方”を模索していくこと」を意識的に行ってもらい、生徒の“学びを掴む力”を高めていきました。
実際、このシートには生徒の成長過程が一目瞭然に現れます。
毎回PDCAをしっかりと回しながら自分の学び方を改善していく生徒、最初は「今日は眠かった」と書いていても「やっぱりちゃんとやらないとダメだ」「教科書を2ページ進めた」「楽しくなってきた」と変化していった生徒など、日々自分の目標に向き合いながら学びを掴んでいく過程が如実に見て取れるのです。
2つ目の取り組みはずばり、日々の授業中の声がけです。
“自由な授業”を行う中で、私は事あるごとに
「君たちはどうしたい?」
という問いを発していました。
この問いは、1年の最初の授業の日にまず発せられます。
「君たちはどうしたい?」と私が聞くと最初は、多くの生徒たちがあっけにとられたような顔をします(それまでにそういう問いを投げられていなかったのでしょうから、ある意味当然ですが)。多くの場合、そこで生徒たちは恐る恐る「友だちと教え合いながらやってもいいですか?」「毎回小テストをやってもらってもいいですか?」など、“先生に怒られなさそう”で遠慮がちな提案をしてきます。最初にそれらを1つずつ認め、次のタイミングにはまた一歩生徒の提案を取り入れていく、というプロセスを経ながら少しずつ授業の自由度を高めていくのです。
そのプロセスの中で、時には教員側からの問題提起も行います。たとえば「この前の授業形式だと◯◯の人にとってはやりにくいのかなと思ったんだけど、どうすればいいかな?」のように、教員側から「一人ひとりの“学ぶ目的”や“学び方”を尊重している」というメッセージを発信していくことで、次のステップへと進んでいきます。
このようなやりとりを繰り返していくと、生徒から「音楽を聴いた方が集中できるので、イヤホンで音楽を聴きながら自習をしてもいいですか?」「今は小テストの内容が全然分からないので、小テスト中に別の基礎問題を解きたいんですが、問題をつくってもらえますか?」「授業の動画をYouTubeにアップしてほしいです」といった“普通は先生に怒られそう”な提案が増えていくのです。
多少逆説的ですが、“自由な授業”をよりよい形で実現させていくために大切なのは、前述のような“自由な授業”を目指しすぎない、ということなのだと思います。「君たちはどうしたい?」という質問を繰り返し、そこで返ってきた反応をもとに少しずつ“自由な授業”に向かって授業改善をしていくことで、生徒に「自分の“学び”は自分で掴む」という考えを伝えていくことが大事なのだと考えています。
このようにすると、もちろん予想外のパターンのこともあります。ある年は、初回から「外に出て自習をしてもいいですか?」と聞いてきた生徒がいました。これは私から見てもかなりの急アクセルな提案でしたが、それを認めたところ(安全管理上の最低限の条件は付けましたが)、数週間でその生徒は「やっぱ捗らない気がします」と教室に戻ってきました。
ほかにも、「先生の授業を普通にやってもらえれば大丈夫です」と半年以上も大きな提案をしなかったクラスや、「先生は教室をうろうろしていてくれるのがいちばん助かります。最初の連絡もプリントなどで配ってください」とほぼ自習監督状態だったクラスなどがありました。このように、“自由な授業”の形式は基本形こそあるものの、生徒集団の性質によって様々な発展形があって良いと思っています。
次のページでは、生徒の学力・非認知能力の向上を含めた「“自由な授業”の効果」と、実践のためのポイントなどをまとめた「これから実践する方へ」を取り上げます。
近年、児童・生徒が抱える課題の複雑さ・多様性への認知が高まり、法や仕組みの整備が進んでいます。一方で、学校では多忙な教員に仕事の量的にも質的にも多くのことを求めすぎている状態です。
そのような状況を踏まえ、NPO法人School Voice Projectでは、「すべての子どもが安全・安心に生活を送り、学校に通える環境を整える」ためにはスクールソーシャルワーカー(以下、SSW)の配置拡大が効果的であると考えています。学校に配置されるSSWの増加を目指して、SSWの配置・活用状況に関して全国のSSWと教員の声を集めました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2023年5月3日(水)〜2023年6月5日(月)
■実施方法:インターネット調査
■回答数 :452件(SSW:207件、SSW以外の教職員:245件)
■協力 :大阪公立大学・山野則子教授 / 一般社団法人日本ソーシャルワーク教育学校連盟
Q1. 教員とSSWが一緒に働くことにより、どのような効果が期待できると思いますか。
「視点の多様化による支援の選択肢拡大」「教員の精神的負担の軽減」「外部機関との連携による支援向上」「早期介入による深刻化防止」は9割以上の人が「とてもそう思う」「そう思う」と回答しました。「教員の時間的負担の軽減」については、「あまりそう思わない」「全くそう思わない」と回答した人がSSWで21%、SSW以外の教職員で15%おり、他の項目よりも効果を実感している人が少ないことがわかりました。全体的に、SSWとSSW以外の教職員での大きな回答の違いは見られませんでした。
Q2. 教員とスクールソーシャルワーカーが一緒に働く上での難しさについてお聞きします。以下の文章にどの程度同意しますか?
SSWと教員が一緒に働くことの難しさとして、「SSWの勤務日数が少なく協働しにくい」「SSWを活用する状況が不明瞭」「SSWに相談するタイミング・方法が不明瞭」が多く選択されていました。「教員がSSWに相談する必要性を感じていない」については、SSWの68%が「とてもそう思う」「そう思う」と回答していたのに対して、SSW以外の教職員では29%に留まりました。この点は、SSWとSSW以外の教職員で認識の違いがあるようです。
Q3. ソーシャルワーカーの各校への配置として、適切な頻度はどの程度だと思いますか。
SSWの学校への適切な配置頻度としては、「5日」が46%と最も多い結果となりました。その他は、「1日」「2日」は12%、「3日」は17%、「4日」は7%と、回答のばらつきが見られました。
設問2では、教員とSSWが一緒に働くことへの難しさについて、「SSWの勤務日数が少なく協働しにくい」に「とてもそう思う」「そう思う」と回答したのは、SSWで90%、SSW以外の教職員で82%でした。文科省が発表した令和5年度SSW活用事業では中学校区につき週1回3時間のSSWを配置することを想定して予算配分(※1)をしていますが、学校現場ではSSWの勤務日数が少ないと感じている教職員が多いようです。また、少なくとも11都道府県で週当たりのSSWの勤務時間が1時間未満(※2)であることもわかっています。
※1:「スクールソーシャルワーカー活用事業 令和5年度予算額」より
※2: 「令和3年度 スクールソーシャルワーカー実践活動事例集」をもとにNPO法人School Voice Projectが独自集計。以下のデータを拡大してご覧になりたい方は、画像をクリックしてください。
Q4. スクールソーシャルワーカー活用について、ご意見があればお書きください。
配置1年目、こちらも新任1年目、どのように活用したら良いかお互いに手探りです。 学校で起きる問題も教員間で解決され、SSWにあまり共有されていない面も。共有されたとしても、「今日明日」の緊急案件は週1勤務では関与できない。【SSW・高校・神奈川県】
家庭状況が年々複雑になり、学校だけの支援が難しい状況にもなっている。また、いじめ対策もSSWが必須となっている中、人的な配置は重要度が高い。教職員にとっても頼りたい専門家だが、来校日数が少ないことで情報共有やケース会議が組みにくい状態が続いている。【主幹教諭・中学校・大阪府】
SSWは管理職とのやり取りのみで、かつ月に数回程度しか来校しないため、SSWに相談したいことは全て校長に伝えている状況。(顔も見たことがない)なので、そもそも教員の「SSWとは何か、どんな役割なのか」などの認知度が低いのは、共に働いていないからだと考えている。【教員・小学校・福岡県】
勤務日が少ないため、状況が重篤な場合にのみSSWを活用している現状かと思う。しかし、ほかにもSSWの力を借りたい場面は多い。こちらから相談をして初めて動く…のではなく、常に学校の中にいて、各教室や休み時間の様子も見て、SSWからの視点で話をしていただけるようになると、助かる子が増えると思う。【教員・中学校・福島県】
・教育委員会が単年度雇用をしている非正規雇用なので、雇用関係のある教育委員会の意向に沿わなければ雇用継続維持できず、自然に教育委員会・教員サイドに傾いた対応をせざるを得ない。
・現在の週2.3日&9時〜17時の働き方で生計維持はできず、主たる生計者となりにくい。連続性ある支援、専門性発揮のできる質の高いSSWrが集まりにくい。【SSW・小学校・千葉県】
派遣型のSSWの配置では、教員が気づき、派遣要請を行ったケースにしか対応できない。教員だけでなく、カウンセラーやSSWの多角的な視点でこどものニーズを積極的に発見することが、問題の深刻化、複雑化を防ぐことができる。【SSW・小中学校・福井県】
市によってはSSWはアセスメントをするだけで家庭訪問などの直接的な関わりはできないらしいが、できるようにしてほしい。【副校長・中学校・大阪府】
自治体にSV(スーパーバイザー)が配置されていないため、支援体制において重要な要素が欠けている状況。主任SSWが存在しているものの、学校とSSWの関係や効果的な活用に関心がないとのことであり、相談しても適切な助言やアドバイスが得られることはない。【SSW・中学校・兵庫県】
SSWの活用に関して、そのSSWの質の担保も行わなければ、結局のところ、学校側の負担にも影響すると言える。その人材をどのように確保し、どのような人材へと育成するのか、それを誰がどう担ってくれるのか、その部分をきちんとしなければ、結局学校側にまるなげになったり、学校の活用しやすいようなSSWの動きとなり、本来の意図となるものになっていかないように感じています。【SSW・小中学校・香川】
SSWの介入の仕方へのしっかりしたマニュアルがないため、SSWの力量に頼らざるを得ない。【教員・小学校・東京都】
教員(管理職含む)とSSWが、お互いの役割やシステム文化を知り合う機会を持つことが難しく、手探り状態になっている。教員の時間的余裕のなさと、SSWの雇用形態が拍車をかけているように思う。【SSW・中学校・三重県】
派遣している教育委員会から、どう活用するのか具体的な指示や教育が足らないために派遣先で孤立したことがあり、 なんのために配置されているのか疑問を抱いたときがあった。 管理職やコーディネーターの理解が足りないと仕事にならず、協働にはつながらない。週1回の勤務では信頼関係を築くこともむずかしい。【SSW・小学校・京都府】
SSWの配置拡充も重要ですが、教員のSSWへの理解がとても不足しています。 SSWが福祉的な立場で関わること、子供を中心に据えること、学校をプラットホームとして協同していくことへの意識がとても低いことを業務内で感じています。 SSWは教員の負担を軽くするためにも動きますが、現在はSSWが介入した時点で教員側が丸投げになっている現状です。 【SSW・小中学校・埼玉県】
教育事務所に所属しているため、会ったこともありません。SSWに相談したいこともありましたが、どのタイミングで来校してくださるのか、対象児童に会ったこともない方にどのように相談したら良いのか、よくわからずそのままになってしまいました。【教員・小学校・群馬県】
児童に関わる事の全ては担任が担うべきという文化があり、SSWを活用する事には担任の力不足と見られる向きがある。【教員・小学校・神奈川県】
ほとんどの児童生徒に関する問題対応(メンタルヘルス、非行など)は、担任を中心に解決をするという「担任制度」が根強い気がする。 「SSWに仕事を振る必要は特にない」と感じている教員は少なくない。約束事として「家庭の経済的な問題が深刻な場合はSSWに相談をすること」といったルールさえある。【SSW・高校・青森県】
相談できるところがある分精神的な負担は減るが、突発的な案件があった場合は、教員が対応せざるを得ない。また時間的制約があるため、毎回、教員とケース会議をひらけるわけではない。常勤ではない現状では、本人との面談につながる場合もあるが、SCの活用と同様に、教員へのコンサルティングが中心となり、時間的な負担については、あまり変化がない。【教諭・高校・大阪府】
SSWの存在は知っていても、相談できる時間や場所がない。勤務時間が短く、基本教育委員会にいるので対話もできない。特別な場合で、間にコーディネーターや市教委が入った場合でも、1人が抱えている相談件数が多いためか具体的な子どもの支援にはつながりにくい。【教員・小学校・大分県】
Q5. 【教員向け設問】あなたの現任校でのスクールソーシャルワーカーとの関わりについて、当てはまるものを教えてください。(複数選択可)
勤務校でのSSWとの関わりについては、多い順に「ケース会議(47%)」「児童・生徒に関する軽い相談(37%)」「外部機関についての質問・相談(27%)」という結果となりました。「来ていない(27%)」「関わったことはない(15%)」という回答も目立ちました。
Q6. 【SSW向け設問】スクールソーシャルワーカーとして働き続けるうえで課題だと感じることを教えてください。(複数選択可)
SSWとして働く上での課題としては、多い順に「有期契約という身分の不安定さ(76%)」「勤務校でのSSW活用体制の不整備(66%)」「非常勤契約による仕事の掛け持ち(59%)」という結果となりました。支援の体制が整っていないことに加え、雇用の不安定さを課題に感じている人が多いようです。
本アンケートには、教員だけではなく、SSWとして学校で働く方からも多く回答をいただきました。
教員からはSSWとの連携の必要性を感じる声が多く集まりましたが、一方で、「SSWとどう連携すれば良いかわからない」「連携しても業務の負担が減るわけではない」という声もありました。SSWからは、SSWの活用方法の不明瞭さや教員とのコミュニケーション機会の少なさによって、上手く支援に入れないもどかしさを感じているという声が多く集まりました。
さまざまな意見が集まった中で特に目立ったのは、「SSWが学校にいる時間が短い」という内容。SSWの学校への適切な配置頻度として、「5日」と回答した人が約半数にのぼりましたが、実際はそれよりも少なく、なかなか連携が進まない現状があるようです。SSWの雇用の不安定さも課題にあがっていました。SSWが活躍できる時間の短さによって、「必要なときに支援を頼めない」「SSWの活用方法がわからない」など、さまざまな課題を引き起こしているのではないでしょうか。
また、教員間で「子どもに関わることはすべて担任が担うべき」「SSWを活用するとは担任の力不足」という考え方もあるようで、その価値観がSSWとの連携をしづらくしている側面もあるようです。
NPO法人School Voice Projectでは、「すべての子どもが安全・安心に生活を送り、学校に通える環境を整える」ためにはSSWの配置拡大が効果的であると考えています。福祉の専門家として学校に配置されるSSWの増加を目指し、今後も政策提言活動を続けていきます。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
同僚の先生たちに“問い”を投げかけることで、「自分でアクションを起こし、学校を変えていく人」を生み出してきた大野大輔さん。
2023年3月までの10年間、都内の公立小学校で教員を務めたのち、現在は株式会社 先生の幸せ研究所のコンサルタントとして全国の学校の組織開発に携わっています。そんな大野さんに、学校で新たな一歩を踏み出そうとしている人の“伴走者”として、大切にしていることを伺いました。
—— 大野さんは同僚の先生方に“問い”を投げかけることで、改革をする人を増やしてこられたそうですね。学校を変えていくアプローチはさまざまだと思いますが、“問い”に注目したのはなぜだったのでしょうか?
きっかけは僕の師匠からの言葉でした。当時の僕は教員5年目で、順調にいけば良いポジションにもつけるようなタイミングでした。学校の中では自分自身の正義感から、職員会議で「それって子どものためになってるんですか?」といきなり反対意見をいうようなタイプ。今思い返すと、まさに天狗状態だったなと思います。
ある飲み会の席で、僕は自分の考えや価値観を師匠に話していました。それを「うんうん」と聞いてくれて、最後に「ところで、大ちゃん(大野さんの通称)の隣りの先生は幸せですか?」と聞かれたんです。そのとき、何も言葉を発することができないくらいの衝撃を受けました。
職場の人たち一人ひとりの顔を思い浮かべてみると、幸せではないことは明らかだったんです。「僕は、5年間一体何をやってきたんだろう…」そう思って、本気で反省しました。子どもはもちろん、まずは先生たちが幸せになるような働きかけをしないといけない。考えが180度変わったと同時に、“問い”のすごさを感じた出来事でした。
—— 師匠からの一言が、大野さんに大きな影響を与えたのですね。
そうですね。それから僕が尊敬する方々の振る舞いやさまざまな組織を見る中で、自分の考えを押し付けず、相手のありのままを受け止めることの大切さを感じました。
僕と話すことをきっかけに、相手が自分の能力をそれまで以上に発揮できるようになってほしい。そう思って、「“問い”で相手を解放する人になろう」と決めたんです。
—— 勤務されていた学校では、具体的にどのようなことをしたのでしょうか。
勉強会を開いたり、お菓子を食べながら話す場をつくったりしました。同僚の先生と一緒にランチを食べに行くこともありましたね。
ちょっとした対話の場をつくることで、普段は見せないような一面を見せてくれることもありました。実はDIYが好きだったり、植物の名前はなんでも知っていたり。その方の好きなことを聞くと、可能性がたくさん見えてくるんです。
以前、裁縫が好きな先生に家庭科の授業に一緒に入ってもらったら、子どもたちへのアドバイスが的確で本当に助かりました。一方で、僕は体を動かすことが好きなので、体育があまり得意ではない先生の授業に入ってサポートをしたりすることもありました。お互いの好きなことや得意なことを知っていると、仕事を補い合うこともできるんですよね。
—— “問い”を大切にするようになってから、特に印象に残っている出来事はありますか?
6年生の担任をしていた頃、同じ学年を受け持っている先生と2人でラーメンを食べているとき、「もし何も制約がないとしたら、学校でどんなことをしたいですか?」と聞いてみました。すると、「本当は、コーヒーを飲みながらみんなで教材研究をしたいんだよ」と言うんです。他にもたくさんの願望を話してくれました。
さらに「小さい一歩を踏み出すために、なにか一緒にできることはありますか?」と聞くと、「6年生を学年担任制にしたい」と話してくれて、それに向けて動いてみることになったんです。
※学年担任制:学級担任を固定せず、学年を受け持つ複数の教員がチームとなって、各学級の業務をローテーションで担当する学級運営の方法
後日、その先生が「どうやったら無理なく学年担任制が導入できるか」を資料にまとめて持ってきてくれました。元々資料づくりは天才的に上手い方で、その資料を見て思わず「最高です!」と言ってしまいました(笑)
その後、関係する教職員の方に事前にお伝えした上で職員会議で提案すると、みんなからも賛同してもらえました。すごいのは、6年生だけではなく他の学年にも学年担任制が広がっていったことです。
最初に「学年担任制にしたい」と言った先生がアクションを起こしたことで、全体に広がっていった。それを実感したとき、嬉しさと感動で体が震えましたね。
—— “問い”の力でそこまでの変化が起こるとは驚きです。なにか意識していることがあるのでしょうか?
相手と話すときに意識しているのは、「好き→願望→今(現在地)→小さい一歩」の順番で聞き、その後に相手に「伴走」することです。僕はこれの頭文字を取って、「スキガイチバン(スキ:好き、ガ:願望、イ:今、チ:小さな一歩、バン:伴走)」と覚えています。
具体的な例をあげると、①「好きなことはなんですか?」、②「何も制約がないとしたら、どんなことをしたいですか?」、③「今はどんな感じですか?」、④「やりたいことを実現するための小さな一歩はなんですか?」という感じです。
もちろんその場の流れや相手によって、問い方は変えています。大切なのは、小さな一歩を聞いた後に、相手に伴走することです。組織の中でなにか新しいことをしようと思うときって、やっぱり孤独だと思うんです。それがハードルの一つになっている。だから僕は、一緒に作戦会議をしたり、ちょっとした成功を喜び合ったりします。実は、子どもたちとの関わりでも同じことを意識していました。
—— “問い”を投げかけるだけではなく、その後の関わりも大切なのですね。とは言え、自分とは価値観が合わないと感じる相手もいると思います。どのようなことを心掛けていたのでしょうか?
相手と合わない部分があることって、実は当たり前なんですよね。だからこそ、その違いを楽しむようにしています。そして、自分の考えと合うか合わないかに関係なく、誰もが尊い存在だと思っています。すべての生きている人は、既に100点満点なんです。
—— 大野さんが感じる、“問い”の魅力とはなんでしょうか。
カリスマ的な改革者1人が組織を大きく変えていくこともできますが、その人がいなくなることで、また元に戻ってしまったという事例を耳にしたこともあります。
“問い”の最大の魅力は、みんなが当事者になって自分でアクションを起こしていくところです。誰も「大野さんのおかげ」とは言わないんですよね。もちろん僕自身もたくさんのアクションを起こします。その上で、いろんな人が当事者となって自分の“好き”をベースに動いていける組織は強いですよ。
さらに、いきなり大きなワークショップや研修を導入しようとするとハードルは高いと思いますが、「問い続けること」は日常の中で小さく始められます。“問い”によって信頼関係ができていると、大きなアクションを起こしたときに賛同が得やすいとも思っています。このように、畑が耕された状態でワークショップや対話の場を設定することで大きな効果が出ると考えています。
—— 最後に、少しでも組織を変えていきたいと思っている教職員の方にメッセージをいただけますか。
僕が好きな言葉の一つは、「わがまま」です。わがままって、ネガティブなワードとして使われることが多いのですが、漢字で書くと「我(われ)がまま」ですよね。本当は誰もがこの世に生まれたときは我がままだと思います。それに、いつの時代も誰かの我がままで社会が進化してきました。
けれど、段々と鎧(よろい)を着るようになり、「こうしなきゃいけない」「こうするべき」と考えるようになるんです。僕も、以前はそうでした。その鎧を脱げたとき、毎日が本当に楽しくなったんです。だから、それをもっと多くの方に知ってほしいと思っています。もっと、みんな我がままになっていい。多くの人が、まずは自分を解放し、その後たくさんの人を“問い”で解放していけるようになると嬉しいです。
先生たちがそんな風になっていけば、きっと日本はもっと自由な社会になるんじゃないかなと本気で思っています。今は外から学校に関わる立場として、いろんな組織が幸せになるプロセスを一緒に歩みたいと思っています。
—— 大野さん、ありがとうございました!
学校では毎年4月1日から新年度がスタートし、非常に短い期間で新年度準備を行っています。
この期間には本来であれば、教職員がしっかりとコミュニケーションをとりながら、学校のビジョンや目標を話し合ったり、新年度の体制やカリキュラムにを作っていくための時間を取りたいところですが、実際はそのような時間を取るのは難しいといえます。
新年度準備期間が短いと、様々な準備に十分な検討を行うことが難しく、ひとまず前年通りで進めるしかなかったり、超過勤務や休日出勤が状態化しているという現状があります。
そこで今回のアンケートでは、現職の教職員のみなさんに、新年度の準備時間が短いことによって発生している超過勤務についてお伺いしました。
■対象 :全国の小〜高校年齢の児童生徒が通う一条校に勤務する教職員
■実施期間:2023年4月10日(月)〜2023年5月8日(月)
■実施方法:インターネット調査(実施時の設問はこちら)
■回答数 :122件
Q1. あなた勤務校では、今年度(2023年度)の始業式は4月何日ですか?
本アンケートにご回答いただいた122名の方の中では最短で4月5日(準備期間2日間)、最長が4月11日(準備期間6日間)でした。最も多かったのは10日(準備期間5日)、次が6日(準備期間3日)、続いて7日(準備期間4日)となりました。始業式日程は学校管理規則で定められており、多くの自治体では「(春季休業は)4月●日まで」という書き方になっています。2023年度は、年度はじめに土日が挟まったため、通常の年度よりも新年度準備の期間が短くなってしまっています。
※より広範囲の「始業式日程調査(全国版)」は別途閲覧できるように整理していますので、ご興味のある方は、下記画像をクリックしてご覧ください。
Q2. 2023年度の主な受け持ちが管理職等からあなたに知らされたのはいつですか。
※主な受け持ちとは、学級担任や校務分掌などの職務の割り振りのうち、主となる職務を指します。
主な受け持ちが知らされる時期については最も多いのが「修了式以降、3月中」で39%、次が「4月以降」で23%、続いて「3月中旬以降、修了式以前」が18%、「3月上旬」が12%、「2月以前」が8%となりました。
異動の方や初任者の方が含まれると思いますが、4月になってから担当を知らされた場合は、始業式までの数日間でクラスや教科や分掌の全ての準備を行う必要があり、例え平日6日間準備期間があったとしても、かなり厳しいスケジュールと言えます。3月に知らされたとしても、ポジションによっては、準備期間として十分ではないケースも少なくないと思われます。
Q3. 4月1日から始業式までの間における、平日1日あたりの超過勤務時間を教えてください。
※おおよその平均値でお答えください。
最も多かったのは「2〜4時間」、続いて「4〜6時間」、次いで「0〜2時間」、「6時間以上」となりました。児童生徒がいない時期にもかかかわらず、回答者の97%は残業をしていることになります。
Q4. 新年度準備期間の土日(1日・2日)に土日出勤をしましたか?
今回のアンケートでは、約半数、53%の方は「土日出勤はしていない」という結果になりました。土日どちらかのみ出勤したという方が36%、両方出勤したという方は11%でした。
Q5. 新年度準備期間の土日(1日・2日)に合計で何時間程度業務をしましたか?(持ち帰り業務を含む)
こちらは持ち帰り仕事も含めた、土日の業務状況を聞いたものです。設問4と照らし合わせると、土日出勤はしておらずとも、家で業務に当たっていた方が一定数いることがわかります。また、業務時間で見ると、「5時間以下」が最も多く30%、「5〜10時間」が18%、「10〜15時間」が9%、「15〜20時間」が4%、「20時間以上」が4%となっています。おそらく、学校組織におけるポジションや役割などの影響もあると思いますが、人によってかなりばらつきがあることが見えてきます。
今回は、年度始めの超過勤務や土日出勤、持ち帰り仕事の状況を現職の教職員の方に伺いました。いずれの項目についても、かなり人によってばらつきがあることがわかります。中にはほとんど超過勤務をせず、土日も休めている方もいらっしゃいますが、一方で、1日6時間以上超過勤務している人や、土日両方出勤している人、持ち帰り仕事の含めて土日に20時間以上働いている人がいることは看過できません。
今回の調査は、サンプル数が限定的ですので、より正確に実態を把握しようとすると、さらに大々的な調査が必要かと思います。School Voice Projectでは引き続き、「新年度準備を十分にキャンペーン」にて、現場の実情の把握と、政策提言・ロビイング活動に取り組んでいきます。
▼ 自由記述の回答一覧は、以下よりダウンロードしてご覧ください。 ▼
絵画や写真、音楽などの芸術作品を複数人で見て対話を重ねる「対話型鑑賞」。鑑賞者に作品の解釈や知識を教えるのではなく、作品を見て感じたことや考えたことを伝え合います。
今回は、美術や図工の時間に対話型鑑賞を取り入れている小学校教員の城野知佐さん、中学校の美術科教員である川崎佳代さん、高等学校の美術科教員である森本彩さんに、学校で対話型鑑賞を取り入れる意義や生徒の変化について伺いました。
ーー 皆さんにとって、授業の中で行う「対話型鑑賞」とはどのような時間でしょうか?
川崎:対話型鑑賞は、1つの作品について正解を求めずに対話を重ねていくことだと思っています。授業で行うときは作品の情報はすぐには伝えず、生徒同士で気づいたことや感じたことを伝え合います。なので、対話する人やタイミングが変わると、当然対話の展開も変わってくるわけです。他者の発言で作品の見え方がガラッと変わり、話がいろいろな方向に広がったり分かれたりして、一つの作品についてたくさん思考を巡らす、とても創造的な時間だと感じています。
対話型鑑賞をすると、それぞれの見方や考え方の違いを体感できます。それは、お互いの違いを認め合いながら対話をしていくレッスンにもなっているのではないかなと思います。
森本:その視点はすごく大事ですよね。対話型鑑賞をすることで、生徒自身も自分の世界が広がっていく実感があるのではないかなと思います。中には「どうやって絵を鑑賞したらいいのかわからない」という生徒もいました。つまり、それまでは作品に対する知識しか学んでこなかったので、作品そのものの見方がわからずにいたんです。
以前、ゴッホの絵画『3足の靴』で対話型鑑賞をしたときに、ある生徒が「脱いだ靴を並べて、崖の上から飛び降りようとしている」と言ったんです。そこから「ほんまにそう見える!」「でもこれ室内ちゃうか?」「いや、室外やろ」「え、雪山じゃないの?」と、いろんな見方についての意見が交わされました。私も含めて、固定概念がパーンと壊された感じになるんです。すごく盛り上がりますよ。
城野:作品を鑑賞することの面白さを体感できることは、対話型鑑賞の魅力の1つですよね。相手の考えを知ることで興味を持てたり、違う意見が出ることで対話が盛り上がったりする。その結果として、いろんな見方や考え方ができるようになるんだと思います。
普段、授業の中で話し合いをする場面では、子どもたちに「答えを出さなければいけない」と感じさせてしまう場面が多いのではないかなと思います。対話型鑑賞は、答えを出すことよりも、友達といつも通りの会話をするような感覚に近いんです。答えがなく、たわいもない会話を楽しむような感じです。そんな体験を通して、生活を楽しめるようになってほしいなと思います。
ーー 特に印象に残っている出来事はありますか?
川崎:ある授業で、『風神雷神図屏風』の対話型鑑賞をしたことがあります。絵画を見た生徒たちからは「雷を起こそうとしている」「喧嘩しているんだ」といろんな意見が出ました。その中で、ある生徒が「2人は恋人同士なんじゃない?」と言ったんです。理由を聞くと、「2人とも出会い頭にニコニコしていて、嬉しそうだから。『やっと会えたね』と言って喜んでいる」と。そこからさらに対話が広がってきました。違う意見が出ることの面白さを感じますね。
また、以前勤務していた学校で『モナ・リザ』の絵を見せたときは、ある生徒が「眉毛がないからヤンキーや」と言ったんです。作品に対する知識が前面に出ていると、なかなかそういう発言はできないものなんですよね。作品について誰も気づかなかったようなことを指摘する生徒がいることで、そこから対話が広がっていく。
城野:面白い視点ですね。私が印象的だったのは、友達の作品への見方が変化したなと感じたことです。先日、学校で開催した作品展では、5年生の児童が2年生の児童の作品を見て「シンパシーを感じる。自分の作品と通じるところがある」と言っていました。
1つの作品について狭い見方しかできないと、「上手い」「下手」「可愛い」などの感想で終わってしまうと思うんです。でもそうではなく、頭の中で自分の作品と並べてみたり、作品そのものが伝えようとしていることを想像したり、いろんな視点で作品を見ようとしているのではないかなと感じました。
森本:1つの作品との向き合い方は変わってきますよね。私の学校では、授業の中で絵を描くとき、以前は多くの生徒が1、2時間くらい考えるとすぐに描き始めていました。今は4、5時間考えるようになったと思います。例えばお花を描く場合、「どんな種類の花があるんだろう?」「自分は何を表現したいんだろう?」「こう描いたらどんな風に見えるだろう?」などと考えるようになりました。
対話型鑑賞で1つの作品についていろんな見方や考え方をしてきたから、自分たちが作品をつくる立場になったときに、相手に何を届けたいのかを考えるようになったんだと思います。
ーー 対話型鑑賞を続けてきて、気づいたことや感じたことはありますか。
城野:学校の授業で行う「鑑賞」と言うと、友達の作品を見ていいところを見つけてコメントする活動が多いのではないかなと思います。それ自体が悪いわけではないのですが、思考力や判断力、表現力も含めるような活動をしていきたいと思って、対話型鑑賞を取り入れました。その結果、先ほどお話ししたように友達の作品の見方にも広がりが持てているような実感があります。
川崎:まさにそうですね。美術に関する知識を得ることも大切ですが、それ以上に、自分で感じたことや考えたことを表現することに意味があると思っています。それぞれの世界観を自由に出し合いながら、人の視点のおもしろさに出会ったり、言語化されていなかった自分の価値観に気づいたりする。受け皿の深いアートだから、そんな対話ができるのだと思います。
例えば、社会課題や日常の出来事についての対話だと、意見のぶつかり合いが起こる可能性があります。けれど作品についての対話であれば、誰かを傷つけたり自分が傷ついたりすることなく、お互いの意見を出し合えるんです。作品についての意見が違ったとしても、それぞれの人生にはあまり影響しないからです。その過程で、自分の考えに偏りがあることに気づくこともある。自分自身の見方や考え方の枠を広げてくれるものだと思っています。お互いが大切にされている感覚を持てるから、意見を出し合えるんだと思います。
森本:安心感があるからこそ、心が育っている感じがしますね。私の勤務校では卒業後に海外に行く生徒が多いので、最初は「日本の作品を自分の言葉で説明できるようになること」をねらいとしてやっていました。対話型鑑賞を続けてきた今は、「感動する心や相手を尊重する心を育てること」に繋がっているのではないかと感じています。どちらかというと、後者の方を意識しているかもしれません。
対話があたたかい場になることで、生徒たちは「こんなこと言っていいんや」「これもありなんや」と感じ、安心して発言することができます。それが自己肯定感にもつながっていくと思うんです。
ーー 川崎さん、森本さん、城野さん、ありがとうございました。
今年、子ども家庭庁が設立されたことで、ますます注目が集まるスクールソーシャルワーカー(以下:SSWと表記)。学校で働く、福祉の専門職です。
大学等で社会福祉を学び、社会福祉士や精神保健福祉士を取得して雇用されます。最近は、SSWの養成課程等を持っている大学もあり、社会福祉士を志す学生の一つの進路としても、関心が高まっています。『スクールソーシャルワーカー実務テキスト』 には、『貧困家庭、社会的養護、不登校、いじめ、虐待など、子どもたちが抱える課題の多くが、彼らの生活環境の問題から生じていることが多いが、その真のニーズは見えにくく、学校というすべての子どもが通る現場での発見(アウトリーチ)と支援が期待される』と書かれています。
学校が全ての子どもたちにとって安心安全な場になること、また、個別の子どもの支援だけではなく、学校文化の変革にも寄与できる可能性があるスクールソーシャルワーカーについて、解説していきます。
※一部『生活教育』2023年4・5月号(no.827)編集:日本生活教育連盟 に寄稿した物に、加筆修正をしております。
まずは、ソーシャルワークそのものについて説明します。国際ソーシャルワーク連盟が採択したソーシャルワークの定義には以下のように書かれています。
“ソーシャルワーク専門職は、人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題解決を図り、人々のエンパワーメントと解放を促していく。ソーシャルワークは、人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人々がその環境と相互に影響しあう接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である(IFSW;2007.7.)”
改めて書かれると少し難しいため、超意訳を用意しました。これは、私、小谷が研修等でソーシャルワークの定義を説明する際に必ず用いているオリジナルの“やさしい日本語訳”です。
“人が人として生きていくためには、心や体の健康だけでなく、社会の中で「ここにいて楽しいな。幸せだな」と思えるようなコミュニティに安心して所属できることも、とても大切。
今いる場所がドキドキしてしまうなら、そこを安心できるように変えていかないといけないわ。でも“安心”って状況によって違うから、その人本人との対話を通して、「安心じゃなくさせているもの」をどうやったら取り除けるのか一緒に考えて、その人が持っている力を最大限に発揮できるように応援していくの。
でも、やみくもに話を聞いて背中をバシバシ叩いて、自分の感覚だけで応援してもダメなのよ。それには、正しい理論を身につけた人が“安心できない場所”とその人との間に何が起こっているのか見極めて「安心」を作るためにはどうしたらいいか考えることがとても重要なの。
そして、もう一つ大切なことがあるの。全ての人々の権利を大切にして、そこに集うみんなに不公平がないようにしていくということは、絶対に忘れてはならないわ。そういうことをシャーシャルワークというし、そういうことをする人をソーシャルワーカーと呼ぶのよ。”
ソーシャルワーカーは、相談を聞いて困っている人を「どこかしらの何かにつなぐ人」と思われがちなのですが、それはソーシャルワークのごく一部です。ある人にとって困っていることと、その困りの原因との境界面に、どのようなことが起こっているのかを見極め(※)、どうしたらその“困っていること”が”困らない状況“になるのかを、困っている当事者の思いを大切にしながら状況を整えることが、ソーシャルワーカーの仕事なのです。
※アセスメント:「その方が今、どのような場所に立たされているか」ということを客観的な情報や本人・家族の言葉から浮かび上がらせる作業のことです。
この“状況を整える”ということを環境調整というのですが、困っていることの中には、もちろん福祉制度が解決してくれることもあるため、既存の物で解決できそうな場合には、
①どこかしらの何かにつなぐお手伝いをします。
(困っている状況を社会制度の仕組みで補うという調整です)
既存の福祉制度では解決できない時には、
②そのような仕組みを作るように働きかけます。
また、困っていることの内容そのものが、マイノリティとマジョリティの見え方の違いから来ている場合には
③マジョリティに対して啓発をします。
また、そういうことでは解決しない、親子、友達同士、先生との関係も、その人にとっての環境の一部ととらえ、
④うまくいかない人間関係の調整も行います。
このようにソーシャルワークは、”環境”という物を幅広く捉え、それらに対して調整をしていくのですが、上記の調整を行う時に、大切にすべき視点についてお話します。
自己決定というのは、様々な情報を知り経験した中で決めていくことです。、例えるなら、オレンジジュースしか知らない子どもがいつもオレンジジュースを注文していてもそれは自己決定とは言わず、リンゴジュースもサイダーもコーラもカルピスもいろいろ味わった中で、オレンジジュースを選ぶことが自己決定なのです。
人が物事を決定するためには、その年齢に応じた必要な経験が必要です。それがあるからこそ、適切に判断して進んでいくことができます。それらの経験を提供することができる環境を整えなければ、自己決定をしてくことができません。
例えば、階段しかない場所で、車いす利用者が上の階に行きたいと思ったとき「上の階までいつも担いでいきますからエレベーターはつけられませんが大丈夫です」と言われたとします。確かに、いつも担いでもらえるので2階には行くことはできますが、エレベーターがあるとわざわざその場にいる人に頼まなくても自分で(時には介助者と)2階に行くことができます。
結果的に、2階へ行くことができるということよりも”その場所へアクセスできる環境が整っているか”ということが大切であり、アクセスできる環境があることで”その場所に行く or 行かない”の自己決定を、簡単にしやすくなるのです。
そういう、その人が自分の力を最大限に発揮できる環境が整ったうえで、機会が均等にあるということが重要であり、そういう環境になっているのか、ということを見直すことが大切です。
以前は、ある人に何か問題(に見えること)が起こると、それはその人の問題と捉え、今ある社会の枠組みに合うように治療をするという考え方がありました。これを医学モデルといいます。
一方で、社会モデルとは、“個人の問題に見える背景”(障害、家庭環境、人種、国籍、言語的文化的背景の違いなど)と、“社会(国、法律、学校、地域など)が持っている枠組み”とのミスマッチが起こっていると捉え、その個人的な背景が包括されるための社会環境を、どのようにしたら作り出すことができるか、という視点で起こっている出来事を捉えます。
“障壁は社会の側にある”という立場で、個人に責任を帰さないという考え方です。
環境調整を行うためには、その分野の国際的な人権規約とそれに関連する国内法やガイドラインに基づいて行動することが求められます。
障害の分野であれば『障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)(2006.12)』、子どもの分野では『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)(1989)』がとても大切な規範であり、子どもの権利条約および、障害者の権利条約の理念をもとに、子どもたちを取り巻く環境を安心安全に作り直します。(子どもの権利条約については、過去記事をご参照ください)
そして、その調整は、”環境”に関わるすべての人の権利が守られるような調整でなければなりません。家庭であれば保護者と子ども、学校であれば子どもと教職員双方の権利が大切にされなければならないのです。
上記の視点を大切にしながらアセスメントを行い、人と環境との間にある“安心できない状況”=権利が侵害されている環境に対して、その人自身の自己決定を尊重しながら解決のプロセスに伴走していくことが、ソーシャルワークです。
上記のソーシャルワークが学校で展開されることがスクールソーシャルワークです。
学校は、子どもの生活の場ですので、主体は子ども。
子どもの生活を見ていくと、子どもが自発的に困ることはほとんどなく、子どもを取りまく環境の中で“困らされている”状態があり、その環境は、家庭の状況、学校制度、先生や友達との関係など多岐にわたります。
仮に、子どもに発達課題があったとしても、その子と環境とのミスマッチに由来する“困り”であり、考えるべきはその子が安心して生活できるような基盤(=環境)をどのように整えるか、ということなのです。
子どもが困っているとすぐに「子どもに支援をいれよう」と考えがちですが、まずはアセスメントをし、ケース会議で浮かび上がった客観的な情報から、子ども自身が直接的な支援を必要としているのか、家族の“困り”なのか、学校環境とのミスマッチなのか、見定めた上で支援を展開していきます。
また、特定の子ども自身への働きかけも大切ですが、すべての子どもが安心できる環境に作り替えていくことも、スクールソーシャルワークの一つです。“困り”)を抱えている子にとって、家庭や学校が、困らなくてもいい仕組みになっているか。適切におとなを頼ることができる状況が作られているか。そういう視点で全体を見渡し、すべての子どもが“困り”を抱え込まなくてもいい学校環境も同時に作っていきます。
子どもに起こってしまった問題を解決するのに大切な、SSWと教職員との協働。
適切な支援を行うためには、多角的なアセスメントが必要で、SSW、スクールカウンセラーの福祉・心理的な専門性と、教職員の専門性からその子を重層的に見立てていくことで、子ども像が浮かび上がってきます。
しかし、学校に福祉・心理の専門職が入ることで「子どもの困りごとは全て専門家にお任せ」なることもあります。そうなると、アセスメントに必要な教職員の専門性が抜けてしまい、多角的なアセスメントができにくくなります。
アセスメントが適切でないと、表出している困りに対しての本当のニーズにまで支援が届かず“専門家が入っているのに何も変わらない”という現象が生まれます。
学校は、子どもの第二の居場所(家庭:第一の居場所)。子どもが最も多く関わるおとなは学級担任(家庭:保護者)です。一番身近なおとなとの安心した関係の構築は、子どもの学校生活の土台になります。
多角的な見立てのもと、教室や校内でその子にとって何ができるのか考え、福祉・心理・教育の専門家が協働していくことが、子どもの最善の利益につながっていくのです。
スクールソーシャルワーカーは、児童虐待や生活困窮、障害、などの“困り”を抱えた児童や家庭を、外部機関につないでくれる人、という見られ方をしています。
しかしこのようにみてみると、SSWは学校に通う子どもたちの安全を作り出すことが一番の役割であり、その役割の中で、個別のケースに対して、外部機関につなぐことがあるだけなのです。
そして、ソーシャルワークの原則の1つ=“その場所にいる人すべての人の権利が守られること”を考えると、SSWの学校配置は、おとな(教職員、保護者)と子どもが安心して通うことができる学校を作る一助にもなると思います。
一方で、SSWの現状を見てみると、全国的にほぼ全てのSSWは非常勤・非正規雇用となっています。雇用数、勤務条件、学校での役割など自治体ごとのばらつきも顕著で、SSWになりたい人たちへの門戸が開かれにくい現状があります。また、SSWが学校に配置された後も、どのように教員と協働して”子どもの最善の利益”に関わっていくのか、手探りの状態が生まれてしまっているのが課題です。
School Voice Projectでは、このような状況が是正され、すべての子どもへの利益になるようなSSWの在り方について、今後も政策提言を行っていきます。
「生徒指導」は、これまで学校で当たり前のように使われてきた言葉です。多くの学校の校務分掌の中には生徒指導部があり、児童生徒の不適切な言動に対応したり、児童生徒同士のトラブルに対応したりすることも、「生徒指導」と言われています。
児童生徒の自立に向けた指導がなされている一方で、教員からの一方的な指導によって結果として児童生徒を苦しめることにつながる事例も耳にします。そんな中、2022年12月に「生徒指導提要」の改定が行われたことも影響し、児童生徒への関わり方を見直す動きが全国の学校で広がっています。
埼玉県立新座高等学校は、2023年4月に校務分掌の「生徒指導部」を「生徒支援部」へと改称しました。中心となって改革を進めたのは、昨年4月に生徒指導部長に着任した社会科教員の逸見峻介さん。「生徒指導部」の改称に踏み切った理由とこれまでの経緯について聞きました。
—— どのような思いから、「生徒指導部」から「生徒支援部」に名称を変えようと思ったのでしょうか。
元々「生徒が持っている力を大事にする組織にしたい」という思いがありました。生徒たちはそもそも「成長する力」を持っています。生徒たちの力を尊重して、先生が適宜サポートしながら、一緒に成長していくことが重要であると考えていました。
また、ニュースでは一方的な指導や体罰、問題校則※など、生徒指導のマイナス面が問題視されてきていますが、そんな生徒指導の在り方を見直すきっかけをつくりたいとも思っていました。
※本メディアでの「問題校則(ブラック校則)」の呼称について
行き過ぎた校則を「ブラック校則」と呼称することが一般的となっていますが、「ブラック〇〇」という表現が黒色へのネガティブイメージを固定し、人種差別や偏見助長へつながる恐れがあることから、本記事では基本的に「問題校則」の表記で統一しています。
先生が怒鳴ることで生徒が言うことを聞くこともあると思いますが、そのような関わりは生徒との対話を重視していないと思います。時にはそういった指導が必要なこともあるかもしれません。ですが、怒鳴ることで問題が改善したように見えても、本質的な改善にはつながりません。「先生が怖いから」という理由で改善するのは、生徒の自主・自律につながっていないと思うので。
大事なのは、生徒の実情に寄り添いながら、丁寧に対話をして共通理解を目指すことだと思います。生徒指導提要の改定や子どもの権利条約の重要性が改めて認識されてきている現在、生徒を丁寧に支援していくことが大切だと思います。
埼玉県内では、埼玉県立志木(しき)高校が組織の再編をして、「生徒指導部」から「生徒支援部」に変更したという事例を耳にしました。調べてみると、全国でも名称変更をしている学校の事例がいくつかありました。このようなことを踏まえると、「生徒支援部」の方が勤務校の教育活動にフィットするのではないかと思いました。
—— 名称を変更する前は、先生方はどのように生徒と関わっていましたか?
勤務校の先生は、すでに生徒の自主・自律に向けて支援するような関わり方をしていました。生徒を大切にするあたたかい雰囲気があったと感じています。
例えば、遅刻をしてきた生徒がいたときは「こら!遅せえじゃねえか!」と叱るより、「おはよう。どうしたの?」と聞くような先生が多いですね。先生たちはまず生徒の話を聞くことを大切にしていました。
とは言え、生徒”指導”という言葉を使う限り、一方的な指導をするような印象は残ってしまいます。昨今の社会情勢や生徒指導の在り方が問われている中で、名称の変更で勤務校をより良い方向に進めることができると思いました。
名称の変更をすれば、勤務校の強みである対話を大事にする文化をさらに活かすことにもつながるし、先生と生徒の関わり方を改めて問い直すことができたら良いなと思いました。
—— 具体的には、どのように名称を変えていったのでしょうか。
私が生徒指導部長になったのは昨年(2022年)4月で、そのタイミングで生徒指導部の5つの柱を先生方全員に提示しました。5つの柱は元々あったのですが、一部を改変しました。大事にしたのは「みんなで協力をすること」です。先生たちはこれまで多くの生徒を見てきていますし、それぞれの想いがあります。そんな先生たちの力を借りたいと思い、民主的で風通しの良い組織運営をしたいと考えていました。
同年の秋頃には、生徒指導部の名称を変えられないかと管理職に相談しました。管理職も名称を変える必要性を感じてくれて、具体的にどうすれば変えられるのか相談に乗ってくれました。その後、まずは生徒指導部の会議で提案して具体的な案を固め、名称を変更する案を職員会議で先生方全員に提案しました。管理職が前向きに受け止めてくれたこともありがたかったなと思います。
—— 名称の変更を提案した際、先生方からはどのような反応がありましたか?
皆さん前向きに受け入れてくれました。元々、学校全体で対話を重視し、生徒を支援するような関わり方をしている人が多かったことも大きな要因だと思います。
名称を変更したのは今年4月なのですが、実は、前年12月に先生方全員に校則やルールについてのアンケートを取っていました。それを元に校則やルールの改定をしていたので、多くの先生が生徒との関わり方について見直すことに意識が向いているタイミングだったのではないかなと思います。
—— アンケートを取ることで、感じたことはありますか?
中には、以前から「この校則は必要だろうか?」と疑問があってもなかなか言う機会がなかったり、言いにくかったりする人もいたようです。アンケートを取ることで、先生が感じていることを出し合い、見直していくことの重要性を感じました。
回答の中には、具体的な変更のアイディアだけでなく、「粘り強くやりましょう」「教育相談の分野ともっと連携して情報共有しましょう」などの意見もありました。さらに、生徒ときちんと向き合うことの意義を書いてくれる方がいるなど、素晴らしい意見に溢れていました。
皆さんに意見を聞けたことはとても良かったですし、私自身にとっても勉強になることが多くありました。アンケートはこれまで年度末に取っていたのですが、意見が出ても時間が足りずになかなか変更まで進まないことが多くありました。今回それを改善するために12月に取ったことで、1〜3月に具体的な議論を時間をかけて進めることができました。
—— 校則やルールについては、どのような改定をしたのでしょうか。
例えば、生まれつき髪の毛の色が黒ではない生徒は地毛申請をする必要があったのですが、生徒の人権を尊重することを重視して、廃止することを決めました。髪型についても、以前は校則違反をした場合は短い部分に合わせて髪を切るように指導していましたが、これもなくしました。なので、今は生徒としっかり対話をしながら、経過観察などを基本として丁寧に指導することになっています。
また、遅刻を4回以上した生徒は廊下の雑巾掛けをする指導があったのですが、これも話し合いの末、廃止しました。雑巾掛けは生徒にも懲罰的に捉えられてしまっていたので、遅刻の指導として時代にそぐわないと判断しました。
これらの校則の変更については、教員からの意見だけでなく、生徒の意見から変更まで進んだものもあります。生徒が目安箱に入れた意見を生徒会が丁寧に議論をして、生徒指導部(現在は生徒支援部)に提案をしてくれました。生徒会もとても頑張ってくれたので、感謝しています。
2022年3月からはホームページですべての校則を公開することも決定しました。生徒や保護者などからの共通理解を今まで以上に図ること、今後の校則の見直しがスムーズに進むようになることを目指して、いち早く公開に踏み切りました。誰もが校則についてホームページで確認できるようにすることは、生徒指導を見直し、より良いものを目指していくという学校の決意表明であると思います。
—— 生徒指導部の名称を変更するにあたり、特に大切にしたポイントはありますか?
先生方に提案するときは、どのような思いがあって「生徒指導部」から「生徒支援部」に変更するのかを丁寧に説明しました。背景にある思いは、「ぬくもりを中心に置くこと」です。これは私が最初の職場でお世話になった先輩教員が言っていたことに影響を受けています。
「効率化や合理化が進み、成果主義が中心となった現代、さらに人とのつながりも希薄になりつつある。このような社会の変化の中で、公立高校で一番大切なことは”ぬくもり”だ」と。その言葉が印象に残っていて、「生徒指導においても“ぬくもり”が大切なんじゃないか」と思ったんです。ちなみに、“ぬくもり”には「あたたかさ」「人と人との関わり」などの意味があるそうです。
“ぬくもり”があれば、生徒たちの持つ力を信じたり、厳しく指導しても一方的で終わらずに、生徒へのフォローに入る先生がいたりすると思います。また、この”ぬくもり”は、先生たちの間にも必要なものだと思います。管理職や教員、事務の方はもちろんですが、臨任、非常勤の方などを含めて職場全体に必要なんです。
教育現場は、多忙化や教員不足など多くの課題があります。ですが、そんな中でも生徒と丁寧に向き合っている先生や、若手の先生に寄り添って職場を良くしている方がたくさんいます。
そんな”ぬくもり”がもっと広がっていき、ハッピーな職場になったら、生徒も先生ももっと自分らしく過ごしていけると思います。その点、私の勤務校は良い環境だと思います。あたたかい雰囲気の先生が多く、生徒も元気なので日々楽しく過ごさせてもらっています。
“ぬくもり”を大切にしたいという思いは、生徒支援部の5つの柱にも込められています「職員全員と協力し、チームとして統一した指導を行う」「教員間のフォローアップを忘れない」など、先生にとって働きやすい職場をつくっていくことも意識しました。
—— 名称を変えたことで、どのような変化がありましたか?
4月に変更したばかりなので、変化を感じる場面はまだそこまで多くはないのですが、勤務校では肯定的に捉えてもらっています。「生徒支援部になったんだし、こうやって関わっていけたらいいよね」という会話も増えてきています。他校からは「自校でも生徒支援部に名称を変更したい」という声を聞くこともあり、とても励みになっています。
今後も生徒を中心においた支援ができるように、学校で働く職員同士が協力し合えるような雰囲気をつくっていきたいと思います。
—— 逸見さん、ありがとうございました!